第五十三話 祝福の刻印
ユージとアヤは、総帥に呼ばれ、魔族殲滅軍の本拠へと足を運んでいた。
重厚な門が開いた瞬間――
「早速来ていただけたのですね。 歓迎しますよ、同志よ」
総帥が直々に出迎え、満足げに笑みを浮かべる。
内部は驚くほど整備されていた。
武器庫、研究室、訓練場……すべてが精密に管理され、通り過ぎる兵士たちは総帥の姿を見るや、深く頭を下げる。
アヤはその光景に思わず小声でつぶやいた。
「……思ったより、ちゃんとした組織みたいね……」
「連盟直属らしいからな……」
ユージは周囲に視線を散らすでもなく、淡々と答える。
その表情には、焦燥と決意が入り混じっていた。
総帥は歩きながら振り返り、二人へ語りかける。
「ここは魔族殲滅を誓った同志の集まる場所です。
あなたたちも……すぐに理解できるでしょう」
その言葉には、妙に湿りついた響きがあった。
ユージは渡された入団書類に淡々と署名し、正式に魔族殲滅軍の一員となった。
最低限の説明が終わるや否や、苛立ちを隠さず口を開く。
「もういいだろ……早く《祝福の刻印》とやらで、力をよこせ」
総帥は満足げに微笑む。
「ユージ君は本当にせっかちですね。
わかりました。祝福は……別室にて施しましょう。
――彼女も受けますか?」
「アヤには絶対に手を出すな! 受けるのは俺一人だ」
ユージはアヤを腕で庇い、総帥を鋭く睨みつける。
その殺気に、近くの兵士たちが思わず息を呑んだ。
「……ユージ」
「アヤ、ここで待っていてくれ。
《祝福の刻印》……しょうもないものだったら、こんな場所すぐ抜け出してやる」
アヤは不安を押し隠し、震える声で返す。
「……わかった。ユージ……気をつけて」
ユージと総帥は廊下のさらに奥へと消えていく。
残されたアヤは、その背中をじっと見つめながら小さくつぶやいた。
「きっと……大丈夫よね……」
アヤは嫌な胸騒ぎがしたが、ただ祈ることしかできなかった。
――そして数時間後。
戻ってきたユージは――
かつての彼とは似ても似つかない、
冷たい影をまとった“別人”へと変わり果てていた。
その足元から立ち上る影はざわめき、
まるで意思を持つ生物のように形を変えて蠢いている。
「ふはは!見ろよ! アヤ。 《影》のスキルが格段に強化されたぞ。
身体能力も段違いに跳ね上がっている……これなら、あの忌々しい龍型を……いや、魔族全てを根絶やしにできるぞ!ふはははは!」
様子の違うユージに、アヤは思わず後ずさった。
けれど、それでも必死に微笑もうとする。
「そ、そう……良かった……わね、ユージ」
しかし――その言葉は、氷のような視線に遮られた。
「……その名は捨てた」
「……え?」
「“ユージ”なんて弱い男の名はもう要らない。
仲間も救えず、無力で……ただ見ているだけだった奴の名だ」
暗い闇を宿した瞳がアヤを貫く。
「今日から俺は――復讐のためだけに生きる者。
“カゲロウ”だ」
「ユージ……ねえ?何言ってるの?」
震える声は、もう彼には届かなかった。
ユージが深い闇の底へ沈んでいくような気がして、
アヤは必死にユージの袖を掴み、引き留めた。
「一度考え直して!ユージ。
私もそうだったけど、復讐のためだけに生きるなんて気持ちのいいものじゃないわ!
私はユージとあの天狗を倒した時、虚しさしか残らなかったもの……!」
声が震え、涙が滲む。
「復讐したって……ライトも、ノイスも帰ってこないのよ!! ただ、ユージが傷つくだけよ……!」
長い沈黙のあと、カゲロウは深くため息をつき、手を振り払いながら答えた。
「はあ。……なぁ、お前は俺のなんなんだよ。
俺の復讐に、無関係の奴が口を挟むな」
「っ……!」
胸に鋭い刃を突き立てられたような痛みが走る。
「総帥。今後の事に確認したいことがあります。
これからお時間よろしいでしょうか?」
「よろしいのですか?彼女を放っておいて」
「問題ありません。
おい、アヤ。お前は先に帰ってろ」
カゲロウはそのまま背を向け、闇の通路へと歩き去った。
残されたアヤは、呼び止める声すら出せず、
膝をつき、ぽろぽろと涙を落とした。
止められなかった背中が遠ざかるたび、
その影は――彼女の世界から永遠に消えていくように見えた。
⸻
――後日。
帰らないユージを家で待っていたアヤは、ついに耐えきれず、グレンダとアリスに胸の内を打ち明けた。
「……ユージをこのまま放っておけないの。
あの人はきっと、自分を壊すまで走り続ける……」
グレンダは腕を組み、重く唸る。
「……確かに、あの時のユージの目は危なかった。
復讐しか見えてなかったな」
アリスは少し寂しげに、しかし優しく微笑む。
「……そこまで言われても、アヤちゃんはユージのこと……放っておけないんだね」
アヤはぎゅっと拳を握りしめ、
ほんの少しだけ頬を赤く染めて言った。
「……だって、好きなんだもん……」
その言葉はあまりにも素直で、真っ直ぐで、
聞いたグレンダとアリスは思わず目を丸くした。
そして、二人は顔を見合わせ――
静かに、そして力強く頷き合う。
「……しゃーねぇな。アヤがそこまで言うなら、あたしも力貸すぜ」
「……うん。放っておけない……」
こうして三人は――
ユージを追うため。
そして、彼を支えるために。
魔族殲滅軍への入団という決断を、共に下したのだった。
⸻
ーー現代。
アヤの言葉を受け、ライトは拳を震わせるほど握りしめた。
「……そんな事が……。ユージ……お前、何やってんだよ!」
怒り、悔しさ、焦り――
その全てが入り混じった声が、荒野の静寂を裂くように響く。
アリスはノイスの魔石を胸に抱きしめ、
涙に濡れた瞳をそっと伏せた。
アヤは唇を噛みしめ、震える声を押し殺すように視線を逸らす。
そんな中で――
ただ一人、グレンダだけが揺らがぬ眼差しでライトを見据えていた。
「……もうあいつを止められるのは、お前だけなんだ、ライト」
アヤも、か細い声で続ける。
「私じゃ……もう、ユージに何を言っても届かない……。
お願い……ユージを……救って……」
ライトは奥歯を強く噛みしめる。
胸の奥で決意が燃え上がると同時に、
どうしようもない痛みが広がっていった。
夜風が荒野を撫で、
ライトと三人の間には、張り詰めた沈黙だけが落ちる。
――それぞれの胸には、重く苦しい想いがのしかかっていた。
⸻
ーーゲトラム・魔族殲滅軍本部。
重苦しい空気の中、無機質な足音だけが廊下に響いていた。
暗い影を引きずるように歩くカゲロウ。
その姿を一目見るだけで、兵士たちは気配を察して目を伏せる。
「……龍型を取り逃がしたって話、本当か……?」
「でも……カゲロウ様の力を疑うなんて……」
ざわめきを断ち切るように、重厚な扉が軋みを上げて開かれた。
玉座のような椅子にゆったりと腰掛ける総帥が、
氷のような瞳を細めてカゲロウを見つめる。
「……カゲロウ君」
その低い声が広間を凍らせた。
「……この度は申し訳ありません。私が付いていながら……」
「いいのですよ。元々捕獲してきたのは君なのですからね。それにデータも取れました」
カゲロウは黙して頭を垂れた。
「……これは、全て私の責任です」
握り込んだ拳は、わずかに震えている。
総帥はゆっくり椅子から身を乗り出した。
「助けに来たとされる龍型……
報告によれば、“人間の言葉を話す龍型”だったとか」
その一言に、カゲロウの肩がわずかに揺れる。
「……はい。そして、あれは……“ライト”……
かつての仲間の姿をしていました」
「ほう……人間が龍型の力を持ち、龍型を救おうとする……興味深い現象ですね」
総帥の口元に、冷たく鋭い笑みが浮かぶ。
「きっと操られているか、姿を真似されているのか……
どちらにせよ、もう私の知る“彼”ではありませんでした」
「卑劣な魔族のやることです。
龍型にどんな能力があるか、油断は禁物ですよ」
カゲロウは苦い表情で言葉を続ける。
「……そして、彼らは自ら“人魔革命団”を名乗りました」
総帥の指が静かに組まれる。
「……例の“危険思想”ですか」
わずかに椅子が軋む。
「まさか本当に龍族が関わっていたとは……
“人魔革命団”。実に厄介です」
総帥の声は静かだったが、
その本質は剣より鋭い憎悪に満ちていた。
「人類に『敵ではない』と思わせ油断させ、
機を見て一気に滅ぼす……魔族なら造作もないことです。
そして何より――その思想が広まれば、人類は内部から崩壊する」
カゲロウは唇を噛む。
脳裏には、光を纏い龍型を抱えて駆ける“かつての仲間”の姿。
「……ベラニカで侵攻を止めたという報告もあります」
「……だからこそタチが悪い。
“共存こそ希望”などと口にする愚かな市民まで現れ始めてます」
総帥は吐き捨てるように言った。
そして――まるで裁きを告げるかのように言葉を落とす。
「……わかりますね、カゲロウ君。
“人魔革命団”を野放しにはできません。
人類を守るためにも、芽のうちに摘み取らねばならぬのです」
静寂が落ちる。
やがて、カゲロウは低い声で答えた。
「……かしこまりました。必ず……私の手で葬り去ります」
総帥の唇がわずかに吊り上がる。
「フフ……頼もしいですね」
総帥の声音は微笑んでいたが、
その奥底には底知れぬ闇が蠢いていた。
――その声を聞きながらも、
カゲロウの胸には、どうしようもない“迷い”が渦巻き続けていた。
⸻
ーー魔族殲滅軍・休憩室。
薄暗い部屋にひとり、グレンダは乱暴に椅子へと腰を落とした。
「……ライトのやつ、生きてたのかよ」
そう、嬉しいはずなのに――
胸の奥でその喜びは、うまく形になってくれなかった。
代わりに思い浮かぶのは――あの時、目の前に現れた“変わり果てた”彼の姿。
鱗に覆われた腕。光をまとった翼。龍型の尻尾。
「あたしは……どうすりゃいいんだよ……」
魔族殲滅軍にいるのはアヤとユージの件があるからだ。
でも、今はライトが――その敵とされる龍型の側に立っている。
『魔族は敵じゃない』
だとしたら、あたしは今まで何と戦ってきたのか。
何を信じて、斧を振ってきたのか。
何のために命を賭けて、何度も戦ってきたのか。
「じゃあ……今までのあたしは何だったんだよ……」
胸が重く締め付けられる。
それでも――。
「でも……ライトの目は……昔と同じだったんだよな」
仲間を守ろうと必死で、強情で、優しくて……。
「だからあたしは……」
拳をギュッと握りしめ、深く息を吐いた。
「ああーッ!もう難しくてわかんねぇー!!“人魔革命団”って何なんだよ!
……そして……ライトの、あの龍型を見る目……」
記憶の中のライトが、龍鈴へ向けていたあの視線。
ただの仲間を見る目なんかじゃない。
もっと強くて、暖かくて――胸がざわつく。
「……まさか、な……」
自分で思い浮かべた答えをすぐに否定するように、頭を振る。
心の奥で揺れる気持ちは、
まだ答えを出せずに渦巻いていた。
⸻
ーーアリスの部屋。
薄い灯りに照らされた机の上で、アリスは魔石をそっと掌に包み込み、深く突っ伏すようにしていた。
「アヤちゃんがキッカケだったけど、私はノイスの仇を討つために魔族殲滅軍に入った。
あの日からずっと、それだけが支えだったのに……」
ノイスの魔素を含んだ魔石は静かに光を返し、まるでノイスがそばで微笑んでいるかのように、優しく柔らかい温もりを放っていた。
「……でも、ノイスが本当に望んでいたのは……
人間と魔族の共存……?」
言葉にした瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。
「そんなの……わかんないよ……」
ずっと信じてきた正義が、根っこから揺らぐ。
「復讐のために魔族と戦うのは……
ノイスの想いと逆ってこと……?」
返事を期待して、魔石を見つめる。
けれど返ってくるのは、ただ温もりだけ。
「……お願い……返事してよ……
私はどうすればいいの……?」
震える声で問いかけても、魔石は何も言わない。
ただその暖かさが――
“間違ってる”とも
“正しい”とも言ってくれず、
余計に胸を締め付けた。
「もし……もしノイスが生きてたら……
人魔革命団に入ってたの?
……そしたら、私も……隣にいたのかな……?」
ぎゅっと魔石を握りしめる。
指先が震え、ぽたりと涙が魔石に落ちた。
それでも光は消えず、静かにアリスの手の中で輝き続けていた――。
⸻
ーー魔族殲滅軍本部・幹部司令室。
「カゲロウ様。この間来ていた龍型……あれは……ライト本人だわ」
恐る恐るアヤはその事に触れる。
「……黙れ。あいつはライトじゃない。龍型に取り込まれたただの化け物だ」
「違う! 目も……声も……昔のままだった! ――生きていたのよ!」
「今さら“生きてました”だと?
で、囚われた龍型が仲間で、魔族と共存で平和……?
ふざけるなよ!!」
怒号と共に、足元の影がざわりと逆巻く。
「私……実はあの後、ライトに会ったの……!
ライトもユージの事、気にしてたわ!」
「なん……だと? ライトに……会った……?
なぜ黙っていた!!!!」
その瞬間、カゲロウの怒声が響き、気配が一変した。
「ご、ごめんなさい!
でも、ユージに言ったらきっと戦いになるって思って……!」
バシュッ!!
影の鎖が勢いよく伸び、アヤの体を宙へ吊し上げた。
「きゃっ!!」
「ついにやってくれたな……お前は“敵”をみすみす見逃した……到底、許されない!!」
怒気に満ちた瞳が、アヤを凍りつかせる。
「敵じゃない!!
ライトは……ノイスの想いも背負って……戦ってるの!」
「二人を知ったような口で語るなッ!!」
影がさらに締め付け、アヤの息が苦しげに漏れる。
「……く、苦し……もうやめてよ……ユージ……!
前のユージに戻って!!」
涙声で震えながらも絞り出した声は、必死そのものだった。
「黙れ! 恥を知れ!この裏切り者が……!
そして、そうやってすぐに泣く……お前のそういう所が、前から大嫌いだったんだよ!!もう俺に関わるなッ!」
影が振り払われ、アヤの体は壁へ激しく叩きつけられた。
「くっ……!」
「……チッ。だが、このままじゃアイツに勝てない。
龍の力に光の剣と盾……今の俺の影じゃ足りない……」
握った拳を震わせながら、唇を噛みしめる。
「なら――もっと力を手に入れるしかない」
「……ぐっ……まさか……!
また祝福を受けるつもりなの!?
そんな事したら……ユージは……!」
アヤは痛みに耐えながら、壁に手をつき必死に叫ぶ。
「構うものか……!
あいつに勝つためなら、俺は――なんだってやる!!
俺の命なんざ惜しくねぇ!!」
背を向けたカゲロウは、影に飲まれるように歩み去っていく。
アヤはその背に手を伸ばし、涙声で叫んだ。
「……ユージ!!!」
――返事はなかった。
「……うっ……うぅ……。
誰か……ユージを……止めて……
助けて……ライト……」
アヤの叫びだけが、無情な廊下に響き続けた。




