第三十六話 絶望
簡単ではありますが、キャラクターのイメージを画像生成で載せています。
龍型討伐の依頼は――完全な失敗に終わった。
討伐部隊は数えきれないほどの犠牲者を出した。
そして何より、最も討つべき黒い龍を仕留めることもできなかった。
それでも、わずかに“生きて帰れた者”がいたのは、
エルディオが苦渋の決断として撤退を命じたおかげだった。
あの“英雄”エルディオでさえ、
全滅すると悟り、退くしかなかった――。
その事実は瞬く間に冒険者たちへ広まり、
“龍型”という存在に対する恐怖と絶望を、
まるで烙印のように深く刻みつけていった。
ゲトラムへ戻った討伐部隊は、悪い意味で人々の視線を集めていた。
グレンダ、アヤ、アリスもまた、その中にいた。
三人は胸が高鳴るのを抑えきれず、ライトたちを探した。
だが――目に飛び込んできたのは、あまりにも変わり果てた一人の男の姿だった。
焦げついた服。
布は焼け落ち、血と灰に汚れている。
髪は乱れ、頬はひび割れ、その顔の中心には――目元から口元まで、縦に深い傷が走っている。
ユージだった。
「あ……」
アヤの喉から、声とも言えない音が漏れる。
逞しかった背中は丸まり、
気迫に満ちていた瞳は、生気を失っている。
あまりに痛々しいユージの姿を見た瞬間、
グレンダたちは息を呑み、言葉を失った。
「ユージ!!……よかった、生きてて……!」
駆け寄るアヤの声。だが、ユージはその呼びかけに反応せず、ただ虚ろな瞳を向けるだけだった。
「ユージ……大変だったみたいだな……。それで、ライトとノイスは……?」
グレンダの問いに、場の空気が一瞬で凍りつく。
ユージは唇を噛み、拳を握りしめ、
しばらくのあいだ、言葉を絞り出せずにいた。
やがて――。
「……すまん。俺だけ戻ってきちまった……」
掠れた声。そこには涙が混じっていた。
「すまんねぇ……帰ってきたのが、俺なんかで……!」
その瞬間――
アリスの顔から、すっと血の気が引いた。
「……え……」
膝が崩れ落ち、床についた手が震える。
「……そ、そんな……やだ……」
小さな声は、風に消えそうだった。
「ノイス……帰ってくるって……約束したのに……!」
「全部……全部、俺のせいだ!!ライトもノイスも守れなかった……!俺だけ……俺だけが逃げ帰ってきたんだ……!!」
ユージの叫びが、部屋の空気を震わせた。
「……そ、そんな……」
アヤは両手で顔を覆い、肩を震わせる。
堪えようとする嗚咽が、指の隙間から漏れた。
「嘘だろ……?」
グレンダは低く唸るように呟く。
「ライトとノイスが……そう簡単にやられるわけねぇだろ……」
ユージは歯を食いしばり、震える拳を地面へ叩きつけた。
――ドンッ!
「……ライトは最後まで戦ってた……」
声が掠れ、涙でにじむ。
「あいつ……黒い龍と一騎打ちになって……俺たちが逃げる時間を……必死で作ってくれたんだ……!」
唇が震え、言葉が途切れた。
「ライトがいなきゃ……全滅してた……!」
ユージは拳を握り直す。
「ノイスだって……邪魔さえ入らなきゃ……
あの黒い龍を倒せてた……倒せてたはずなんだ……!」
悔しさと罪悪感で声が潰れ、最後は絞り出すような音になった。
「……くそっ……! そんな話……信じられるかよ!!」
グレンダが怒号を上げ、拳で壁を殴りつけた。
鈍い音が響き、石壁にひびが走る。
その音にすら反応できず、
ユージは力が抜けるようにその場へ崩れ落ちた。
「……全部……俺が悪いんだ……!」
拳を握りしめ、地面を何度も叩く。
「守れなかった……ライトも、ノイスも……!!」
血と泥が混ざった拳に、赤黒い飛沫が散る。
その背へ――そっと温かい手が触れた。
「ユージ……もういいの……そんなに自分を責めないで……」
アヤは涙をこぼしながら、
泥まみれのユージの肩を抱き寄せた。
震える彼の背中を、必死に支えるように撫でる。
「……アヤ……」
ユージの声はひどく弱かった。
「どうして……どうして俺なんかが生きて帰ってきちまったんだ……俺じゃなくて……ライトが……ノイスが……生き残るべきだったんだ……!」
「そんなこと言わないで!!」
アヤは顔を上げ、涙の跡をそのままに叫ぶ。
「ユージだけでも帰ってきてくれて……私は……私は本当に嬉しいんだから!!」
声が震えていた。
必死で気持ちをぶつけているのに、
その想いがユージの胸まで届いているようには見えない。アヤの必死な声も、ユージの耳には――
まるで遠く、霞の向こうで響いているかのようだった。
ユージの胸を満たしていたのは――
後悔と、焼けつくような怒り。
そして、ゆっくりと形を成していく黒い憎悪だった。
「……魔族さえ……龍型さえいなければ……!」
声が震え、唇が血で濡れるほど強く噛みしめられている。
「全部……全部、奪いやがって……!」
ドンッ。ドンッ。
拳が地面を殴るたび、皮が裂け、骨が軋み、赤黒い血が滴り落ちる。
「ユージ……! もうやめて……!」
アヤが泣きそうな声でユージを止める。
だが、ユージの瞳には、もう“光”と呼べるものは残っていなかった。
ふだん柔らかい黒目が、冷たい鉛のように沈みきっている。
ユージの中に残っていた優しさも、迷いも、希望も、
全部――戦場の火に焼かれてしまったようだった。
残っているのはただ一つ。
魔族を滅ぼさねばならない。
それだけが、自分が生き残った理由だと。
そう告げるような、歪んだ決意だけだった。
⸻
「……ここは……どこだ……?」
かすれた声が漏れた。
身体は鉛のように重く、全身に深い傷が走っている。まともに動かすことすらできない。
黒い龍との戦闘、光と闇がぶつかり合い、爆ぜる音を最後に、ライトの意識は途切れていた。
どれほどの時が経ったのか。
重い瞼をゆっくりと開けると、岩肌と赤く揺れる光が視界に映る。
「目を……覚ましましたか」
澄んだ涼やかな声が頭に響く。
視線を向けると、そこにいたのは――黄金の鱗を纏う龍型の魔族。しかし造形は人間に近い。
長い髪は金糸のように光を返し、瞳は翡翠のように深く澄んでいる。
しかし、その気配は龍の威圧ではなく、どこか静かな温もりを帯びていた。
「……龍型……なのか?」
ライトは反射的に身を起こそうとするが、怪我がひどく全身が動かない。
「……くそっ。 やるならやれよ!」
腹を括るライト。
「確かに私は龍族です。ですが、あなたに敵意はありません。それに力の大半をこの姿になるために使用したので、戦う力もないのですが……」
頭に直接、龍型の言葉が入ってくる。
「敵意はない……だと。ふざけるな! それに直接頭に語りかけるな!気持ちが悪い!」
龍型を鋭く睨みつける。
「やはり……。聞いた通り魔素疎通ができるみたいですね……」
「……は? 魔素疎通だかなんだか知らねえが、黒い龍も言ってやがったな……そうだ!あいつはどこだ!……っ」
力を入れた瞬間、激痛が走る。
「無理をしないで。あなたは死にかけていたのですよ。
私が癒さなければ、命はありませんでした。黒い龍……リュウガのことですね」
「俺を……助けた? 魔族で龍型のお前がか?」
「ええ。……私は龍鈴。そして、あなたが戦っていた龍人はリュウガと言います。 今や龍族の最高戦力であるリュウガとまともにやり合うなんて……」
女の龍人――龍鈴は、敵意のない瞳で静かにライトを見つめていた。
「……龍人?リュウガ……。 さっきから一体何を言ってるんだ!」
「どこからお話ししていいのやら……」
龍鈴は少し考え、再び頭に直接語りかける。
「魔族の中でも力のある魔族は、魔素の消費を抑えるために人型へと姿を変えます。龍の姿のままでは魔素を大量に消費しますので。それが人化した龍族……龍人です」
「魔族が人型になる……? それで龍人になると、頭に直接語りかけることが出来るっていうのか?」
「それは違います。魔族は言葉を持ちません。代わりに魔素の伝達によって直接相手に意思を伝えるのです。それが魔素疎通です。ですが、わかるのは魔族同士だけなのですが……」
「魔族同士だと? じゃあ、なんで俺にわかるんだ!」
「それは私にもわかりません。人間が魔素疎通を受け取れるなんて聞いたことがないので」
龍鈴はライトの傷に目を向ける。
「しかし、あなたのその回復力……これは龍族の力に違いないと思うのですが……」
「何言ってんだ! 龍族の力だと?」
ライトの拳が震える。
「ふざけんな! 俺は人間だ!!」
「でも――」
「黙れ!! 龍型なんざ信じられるか! あいつらが……黒い龍が……ノイスを……!!」
ライトは叫び、思い出が胸を裂く。
崩れ落ち、嗚咽がこみ上げる。
龍鈴は静かに歩み寄り、その肩を抱いた。
「……さぞかしお辛いのでしょう」
「触るな!……お前に何がわかる? この化け物!!」
「私は……化け物なのでしょうね。あなたにはそう見えるのでしょう。
……でも、このままのあなたを放ってはおけません」
その声には優しさと同時に、深い悲しみが滲んでいた。
――その瞬間、別の声が頭の奥に響いた。
「こいつが……ヴァルゴンとティオ、そしてドラン兄ちゃんを殺した人間か!!」
叫びと共に、まだ幼い龍型が姿を現す。
「ガルプ……ここには来てはいけないと言ったはずです」
龍鈴が制止の声を上げる。
「いくら姫様の頼みでも、人間だけはどうしても許せない!」
低い咆哮が轟き、ガルプは突進してきた。
「やめなさい!! ガルプ!!」
「お前がドラン兄ちゃんを……今すぐ殺してやる!!」
爪を剥き出しにして、ライトへと飛びかかる。
「やめなさいと言っているの!!」
龍鈴の瞳が怒りに染まり、圧倒的な威圧が放たれた。
その一瞬で、龍型の足が止まる。
「……う、うう……」
ガルプはその場に崩れ落ち、
「うぇぇぇぇぇ……うぇぇぇぇぇぇん!」
怒りと悲しみが入り混じった声で泣き出した。
「ガルプ……あなたも苦しいでしょう。でも、それはこの方も同じなのです。
憎しみ合っても、殺し合っても……その苦しさは癒えません」
龍鈴はガルプの頭を優しく撫でながら、ライトの方へ振り返った。
「……ごめんなさいね。この子は、特にドランに懐いていたから……」
ライトが眉をひそめる。
「……ドラン?」
龍鈴が静かに答える。
「リュウガの盾となり、炎の槍に貫かれた龍族です」
ライトの表情が一変する。
「……ノイスを殺した奴だな。死んで当然だ!」
その言葉に、ガルプが目を見開き、牙を剥いた。
「お前……なんてことを言うんだ!!」
だが、龍鈴がそっと腕を伸ばし、ガルプを落ち着かせる。
「……“死んで当然”な者など、この世にはいません」
彼女の瞳がまっすぐライトを射抜いた。
おもわず目を逸らすライト。
「せめて――あなたのお名前を、聞かせてもらえますか?」
穏やかな眼差しが、ライトの瞳をまっすぐ覗き込む。
「……言うと思ったのかよ。敵に名乗る名前なんざ持ってねぇ」
吐き捨てるように背を向けるライト。
龍鈴は小さく息を吐き、目を伏せた。
「そう……ですか。けれど、私は知りたい、もっとあなたのことを……」
赤い光が岩肌を照らす中、龍鈴の言葉だけが、静かに残響した。
次の日も――そのまた次の日も。
龍鈴は、付きっきりでライトの看病を続けていた。
湿らせた布を絞り、そっとライトの額に当てる。
「……なんでだよ。敵の俺を……」
ライトの声はかすれていた。
「“敵”なんて、本来はどこにもいないのです。
傷付いた者の前では、魔族とか人間とか関係ないですから……」
「……意味わかんねぇ……」
吐き捨てるように言いながらも、
その言葉は小さな棘のように胸の奥に残った。
龍鈴は静かに笑い、煮詰めた薬草茶を差し出す。
「苦いけど、飲んでください。傷が癒えます」
「魔族から出された物なんか飲めるか!」
龍鈴を睨みつけるライト。
「……傷を治したくないのですか?」
「……くそっ!」
渋々口をつけるライト。
「……っ、まずっ!」
それでも飲み干すと、龍鈴は柔らかく微笑んだ。
「ふふ……」
「……何がおかしい?」
「いえ、不味そうな顔をしても全て飲まれるのだなと思いまして……」
ライトは寝転がり、顔を背けながら声を荒げる。
「傷が癒えたら……お前ら全員、俺が倒すからな! 後悔しても知らねえからな!」
龍鈴はその怒りを真っ直ぐに受け止め、静かに答えた。
「わかりました。……けれど、私は決して後悔致しません」
ライトは、心のどこかでこのやり取りに“安心”している自分に気づき、
その自覚が、かえって苛立ちを強くしていった。
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数日が過ぎても、龍鈴は変わらずライトの世話をしていた。
鍋で煮込まれた香草と肉の匂いが洞窟に満ち、ライトの腹がぐぅと鳴る。
「お腹が鳴ってますね。食欲が出てきたのは治ってきている証拠です」
「う、うるせぇ……」
優しく頭に響く龍鈴の声に苛立ちを隠せないライト。
龍鈴は木の器に熱々のスープを注ぎ、匙を差し出した。
「はい、口を開けて」
「人間の真似事をするな! この化け物ぉ!!」
ライトは匙ごと手で弾き飛ばす。
「……やはり私は、人間の真似事をしている化け物にしか見えませんか……」
悲しそうな表情を浮かべ、少し涙ぐむ龍鈴。
「くそ……調子狂うな! まあ……その、化け物と言うのは……少しあれかもしれん」
ライトは小さくぼやきながら、飛んだ匙を拾い上げた。
龍鈴が、驚いたようにライトを見つめる。
「……ライト」
「……今、なんと?」
「ライトだ! 俺の名前」
龍鈴の翡翠の瞳が揺れた。
驚きと、嬉しさが入り混じる。
「ええ……わかりました。では、これからは“ライト”とお呼びしますね」
「勝手にしろ……」
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ライトの回復力もあり、傷はほとんど癒えていた。
立ち上がれるようになったある日、焚き火の前で彼は口を開く。
「なあ……そろそろ教えてくれねえか。なんで魔族のお前が人間である俺を助けたんだ?」
龍鈴は薪をくべる手を止め、静かに視線を向けた。
「理由なんて……ありません。ただ――助けたいと思ったからです」
「……は?」
拍子抜けしたように声が漏れる。
「ライトが人だからとか、龍だからとか。そんなことは関係ありません。
目の前で命が消えそうになっていたから……放っておけなかった。 ただそれだけです」
火の揺らめきに照らされた龍鈴の横顔はあまりに真剣で、
ライトは言葉を失った。
⸻
翌日には、ライトはもう一人でも不自由なく動けるほどに回復していた。
「世話になった……」
「もう行かれるのですね……」
「少しの時間もここにいたくないからな」
龍鈴は迷いながらも、覚悟を決めて口を開いた。
「最後に、一つだけ聞かせてください。
ライトは――人間と魔族が共存して、争わずに生きられる世界を、どう思いますか?」
思わぬ問いに、ライトは言葉を失う。
ノイスのあの夜の言葉が脳裏に浮かんだ。
――『共存なんて夢物語かもしれない。でも、実現できたらきっと平和になる』ーー
あの優しい声が、胸の奥で蘇る。
涙をぐっと堪えるライト。
「……人間の中にも同じようなことを言った奴がいた」
「本当ですか!? その方はお知り合いですか?」
「ああ、一緒に育った家族みたいなもんだ……この間の戦いで、死んだ……。俺の前でな」
「それは……申し訳ありません」
「お前が謝るな!! 共存なんてありえない。あるのは憎しみだけだ」
「そんな悲しいこと、言わないでください……」
「ノイスの言ってた通り、人間と魔族とが争わなければ平和になるのかもしれねえが、そんな事はありえない。夢物語なんだ」
「私はそうは思いません。人間と魔族は分かり合えます。いえ、わかり合おうとしなければ、今後はより多くの犠牲がでます」
龍鈴の声には、熱と決意が宿っていた。
「所詮は人間と魔族、相入れないさ」
「……いいえ、私は諦めません。
こうしてライトと話し合うことができましたから!」
龍鈴の言葉を背に、ライトはその場を離れようとする。
だが――
「敵襲です! 姫様!!」
幼き龍――ガルプが慌てた様子で駆け込んできた。
「こんな時に……来るなんて……」
龍鈴が小さく息を呑む。
「……連盟の増援か?」
その胸中には、言葉にできない迷いが渦巻いていた。
――命を救ってくれたのは、他でもない“魔族”の龍鈴。
それでもライトは、人間として龍型を討たねばならないのかと。




