落語声劇「鼻捩じ(となりの桜)」
落語声劇「鼻捩じ(となりの桜)」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約25分
必要演者数:最低4名
(0:0:4)
(3:1:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
定吉:商家の丁稚。
口は達者だが、教えられた口上を覚えられなかったりと、
物覚えの良くない部分も。
大旦那:商家の旦那様。
自分の庭の桜の枝が、隣の家の学者に折られているのに腹を立て
、丁稚の定吉に文句を言いにやらせる。
学者:商家の隣に居を構えて、漢学を教えている。
頭はいいようだが、それにありがちな態度をとる。
番頭:商家の番頭。忠義者で旦那の仇を討つべく策を巡らせる。
芸者:番頭が商家に招いた行きつけの店の芸者。
生徒:学者の生徒。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
定吉・生徒:
大旦那・学者:
番頭:
枕・語り・芸者:
枕:皆さんは花見は好きでっしゃろか。
桜の木の下で敷物を広げ、弁当を広げ、話の輪ぁ広げる。
昭和の昔からコロナ禍が訪れるまでの間、毎年当たり前のように
見られた光景やったもんで。
企業ともなると、ええ場所を確保するために新人社員を派遣して
場所取り…なんて光景もよう見られたもんでございます。
せやけど、桜の周りに座れる人数ちゅうものは当然ながら限界がある
わけで、なんとしてもええ場所を確保するべく、二週間も前から
おっきなブルーシートを二枚も敷いて公共の迷惑になったちゅう、
そんな問題も起こったもんで。
対して自宅に咲いてる桜やったら、誰に遠慮する事ものうて、
堂々と花見が楽しめるわけでっけど、
まあこれも、全ての家に桜が咲いてるわけでは無し、
ましてや庭すらあれへん家も多々あるんやわけで。
そもそも花見なんか興味あれへん…ともなったら、こら花も実も、
ついでに言うと蓋もあれへんなんて事になる。
とまあ、そんなわけで自宅に桜があるんやったら、場所取りの必要は
のうなるわけでっけど、これが家と家の境界線上に桜が植わってると
、新たな問題が生じて来るようで。
大旦那:これ定吉…。
定吉はおりまへんかな?
定吉っ!
定吉:またや、またやまた呼んでんがな…。
まぁここの家ほど人使いの荒い家はあらへんで。
朝から晩まで定吉、定吉て…。
丁稚は使わな損する思てるんやな。
人間やさかい、もってんねんで。
すりこぎやったらだいぶすり減ってしもたぁるし、
雑巾やったらとうにボロボロやで。
大旦那:定吉はおらんのか?
定吉:まぁだ呼んでんがな…あ、そぉや。
今日はいっぺん、何べん呼ぶか勘定しといたろ。
大旦那:定吉…!
定吉:これで五へん目や…。
大旦那:定吉ィッッ!!
定吉:【走りながら返事】
ひぇぇぇぇいッッ、ぺぃっ。
大旦那:なんちゅう返事をするんや。
最前から人が声を枯らして百ぺんから呼んでんのに、
なんですぐに返事をせえへんのや。
定吉:へへ、旦さんあの、噓つきは盗人の始まりでんな。
大旦那:せや、噓つきは盗人の始まりや。
それがどないした。
定吉:ほな旦さんも、ちょっと盗人の気がおますなぁ。
大旦那:なに言うとんねん。
わしのどこが盗人や。
定吉:旦さんさっき、最前から声枯らして百ぺんから呼んでる言うてまし
たな。
まだ六ぺんまでしか呼んでまへんで。
大旦那:数ぅ勘定していくさるわこいつは。
ホンマにしかたの無いやっちゃ。
だんだんだんだん体ばっかり大きくなりくさって。
定吉:なに言うてるんやろか。
だんだんだんだん大きなるさかいに、大人なりまんねやがな。
だんだんだんだん小そなったら、しまいにはなくなってしまいまん
ねん。
それともだんだん小そなるんがお好きやったら、
ろうそくに火ぃ灯してご覧になったら、だんだん小そなりますさか
いにーー
大旦那:【↑の語尾に喰い気味に】
~~ほんまに理屈だけは一人前やな!
定吉:飯は二人前じゃ!
大旦那:どつくで!
定吉:逃げるで!
大旦那:~~まるで掛け合いやなホンマに…。
あーこれからな、隣に使いに行ってきて欲しいちゅうわけや。
定吉:お使い…またですか?
大旦那:また?
またと言うやつがあるか。
丁稚と言うもんは使われて大きなるんや。
定吉:そうそう、丁稚は使われて大きなりますのや。
お金は使こたら減りまんねやな。
旦さん経済家やさかい、もう使こたら減るお金はちょっとも
使わんと、丁稚ばっかり使いやがる。
大旦那:使いやがるとはどないじゃホンマにもう…。
これからな、東隣へ行ってきなはれ。
定吉:東隣言うたら、漢学の学問のセンセんとこでんな?
大旦那:何がセンセじゃあんなん。
わしゃあもう、ムカムカ腹が立って腹が立ってしゃあない。
定吉:そらまた、なんでです?
大旦那:今朝がたな、裏庭へぽっと出てみると、昨日今日咲き初めた桜がな
パラパラ散り始めてるんや。
こらおかしいな、散るにはまだ早いはずや思てよう見るとな、
あの隣の学者、裏の高塀へ梯子を掛けて、うちの大事な桜の枝を
ボキボキボキボキ折ってくさる。
ひと言文句を言うてやろ思て行きかけるとな、
スーッと降りてまいよったんや。
せやからお前が、今から談判に行くんや。
ところが相手は学者やさかいな、
揚げ足を取られんように、じゅうぶん言葉に気いつけて
言うねんで。
定吉:はぁ、どない言いますのん?
大旦那:「こんにちわ、結構なお天気さんでございます。
わたくしは隣家の大橋から参りました。
罪咎のない桜、なぜお折りになりました?
ご入用なれば隣家様のことゆえ、根引きにでもして差し上げます
。
無沙汰で折るとはその意を得ません。
落花狼藉でございます。
あなた様も「子のたまわく」の一つもお学びになった方に似合わぬ
仕儀でございます。
ご返事を頂戴して参ります。」
…と、これだけ言うてきなはれ。
定吉:それ、誰が言いまんのや?
大旦那:誰が言いまんのやて、お前が言うんや。
定吉:今日じゅうに?
大旦那:当たり前や、こんなもん何日もかけて言うてどないするんや。
定吉:いやぁとてもやないけど、よう言いまへんで。
大旦那:他人事みたいに言うてんな、ホンマにもう…。
しゃあない、分かった。
ほなら、口移しにしよか。
定吉:な、何でございます?
大旦那:お前とわしとで、口移しにするんや。
定吉:へ?旦さんと、わたいが、今ここで、口移し……?
す、助平やなぁ…!
け、けどしゃあない。
【両手を広げて目を閉じて】
…どうぞ。
大旦那:なに考えてるんや。
わしの言うとおり真似をして、そのあいだに覚える。
それが口移しや。
定吉:あぁ、わたいもういよいよ操が守られへんのかと、
一時はどないなるかなぁ思て、ドキドキしとった。
ほな、旦さんのおっしゃるとおり言うたらよろしいねんなぁ?
大旦那:そういうことや。
定吉:せやったら、おっしゃっとくれへん。
大旦那:「こんにちわ、結構なお天気さんでございます」と。
定吉:ここ、こんにちわ、結構なお天気さんでございますう、と。
大旦那:いやいや、そんなとこに「と」は要らんねん。
定吉:いやいや、そんなとこに「と」は要らんねん。
大旦那:違うがな。
定吉:違うがな。
大旦那:わしゃ、こなたに口上を教えてんねんで。
定吉:わしゃ、こなたに口上を教えてんねんで。
大旦那:教えてんのんわしやがな。
定吉:教えてんのんわしやがな。
大旦那:ははぁ、さては主人をなぶる気やな?
定吉:ははぁ、さては主人をなぶる気やな?
大旦那:なぶってんのんお前じゃ。
定吉:なぶってんのんお前じゃ。
大旦那:しまいにボーンといかれるで。
定吉:しまいにボーンといかれるで。
大旦那:主人に向かっていかれるとは何事じゃ。
定吉:主人に向かっていかれるとは何事じゃ。
大旦那:えぇいホンマ腹の立つ!
このガキ!【叩くSEあれば】
定吉:えぇいホンマ腹の立つ!
このガキ!【叩くSEあれば】
大旦那:痛ぁッ!
何すんのじゃ!
定吉:旦さん、口移してなおもろいもんでんなぁ。
しまいに頭のどつき合いでっか?
大旦那:んなアホな事があるか!痛たぁ~っ…。
お前いったい、何でどつきよったんじゃ?
定吉:いや、旦さんキセルでボ~ンと来はりましたやろ。
わたいキセルおまへんさかい、ここにあった火箸で。
大旦那:火箸!?無茶しくさんなぁ。
もっぺん初めからやり直しじゃ、えぇか?
「こんにちわ、結構なお天気さんでございます。」
定吉:こ、こんにちわ、結構なお天気さんでございます。
大旦那:そうや、それでええねん。
定吉:そうや、それでええねん。
大旦那:それを言うさかい、ややこしなるんや。
口上だけ言うたらええねん。
「わたくしは、隣家の大橋から参りました。」
定吉:わたくしは悋気のーー
大旦那:いや、悋気やない、隣家や。
定吉:隣家て、何でございます?
大旦那:隣りのうちやさかい隣家やな。
定吉:それやったら、初めから隣りのうちでよろしいですやん。
大旦那:ところが相手は学者やさかいな、
ちょい捻ったんねん。
定吉:捻ったったら痛がります?
大旦那:ホンマに捻んねやないわい、言葉の上で捻んのや。
「わたくしは、隣家の大橋から参りました。」
定吉:わたくしは、隣家の大橋さんから参りました。
大旦那:ちゃうちゃう。
「大橋から、参りました。」
定吉:大橋さんから、参りました。
大旦那:お前はアホか?
何でそんなとこに「さん」を付けるんや。
隣へ行ってな、先さんの前で我が主人にさん付けして言うたら
失礼や。
大橋と、呼び捨てにしなはれ。
定吉:そやかて、奉公してる店のご主人つかまえて「大橋」やなんて
呼び捨てにしたら、罰が当たって口がゆがむ。
大旦那:そないなこと、今まで言うたことあれへんやろ。
いや、今日はかまわんのや。
定吉:え、せやったら今日は、大橋で、よろしいでんな?
大旦那:おかしな念を押したな…。
そうや、今日は大橋でええ。
定吉:へへへそうかいなぁ、大橋。
大旦那:何が大橋や。
定吉:せやさかい、わたいが大橋言うたらいかんちゅうてるのに、
大橋が大橋言うてもええ言うたさかい、大橋言うたんでっせ。
それを大橋が怒ったらあかんがな大橋。
せやろ?なぁ大橋。
大橋もこのごろ頭が薄なってきたなぁ。
大橋、ちょい喉が渇いた、茶ぁ煎れてくれ。
おい、大橋。
大旦那:やかましいわ、何べん大橋言うんや。
ここで言わんでええ、向こう行って言うんや。
「わたくしは隣家の大橋から参りました。」
定吉:わたくしは隣家の大橋から参りました。
大旦那:「罪咎のない桜、なぜお折りになりました?」
定吉:罪咎のない桜、なぜお折りになりました?
大旦那:「ご入用なれば隣家様のことゆえ、根引きにでもして差し上げま
す。」
定吉:ご入用なれば隣家様のことゆえ、根引きにでもして差し上げます。
大旦那:「無沙汰で折るとはその意を得ません。
落花狼藉でございます。」
定吉:無沙汰で折るとはその意を得ません。
パッパ唐人でございます。
大旦那:何やその、パッパ唐人てな?
落花狼藉や。
定吉:ら、らら、ら…らっかろうぜき、て何です?
大旦那:まぁ早い話が
「桜の枝折りくさって、このド盗人め」
てなもんや。
定吉:ほな初めから、桜の枝折りくさって、このド盗人め、
と言うたったらよろしいがな。
大旦那:ところが相手が学者やさかいな、ちょっと捻ってやるのじゃ。
定吉:よう捻りまんねやなぁ。
大旦那:「あなた様も「子のたまわく」のひとつもお学びになっ
た方に似合わぬ仕儀にございます。」
定吉:あなた様も、火の玉転がしたお方に似合わぬーー
大旦那:そんな危ない人どこにいんねやがな。
火の玉転がしてどないすんや。
「しのたまわく」や。
定吉:し、しし、のたまわく、って何でんねん、それ?
大旦那:こらぁな、漢学の学問じゃ。
定吉:それやったら初めから「漢学の学問」言うたらよろしいがな。
大旦那:ところが相手が学者やさかいーー
定吉:ちょっと捻ってやりますか?
大旦那:お前が言うてどないすんねん、ホンマにもう…。
はよう先方行って、返事もろてきなはれ。
定吉:へ~~いっ。
【二拍】
とうとう怒りやがんねんなぁ。
わたいが物覚えが悪いところへもってきて、
旦さんがイラチときてるさかいなぁ。
しまいに頭から湯気出して怒ってたがな。
せやさかい皆が、ヤカン言うてんねんなぁ。
……ボチボチ着いたがな、ここやな。
えぇこんちわぁ~っ。
学者:どぉ~れ……。
おぉ、誰か思たら、隣家の丁稚やないか!
定吉:え~こんちわぁ、結構なお天気さんでございます。
学者:あぁいかにも、誠に良い天気やの!
定吉:え~、え~…、この分やと明日もええ天気でっしゃろ。
学者:うむ、天気は何日続いてもええもんや!
定吉:けど明後日あたりは危ない。
学者:何の話じゃ、天気を報せに来たんか!?
定吉:ちゃいまんねん。
あんたが大きな声でわーっと言うさかい、
わたいドキンとして言う事忘れてしまいまんねん。
ちょっと黙ってとくなはれ……。
え~、わ、わたくしは隣家の大橋から参りました。
学者:そないなことは分かっとる!
定吉:い、いや、だから、もぉ~、ちょっと静かにしとくなはれ。
間違いまっさかい。
【たどたどしく】
ぇ~つ、つ、つ、罪咎のない桜、なぜお折りになりました?
ご入用なれば隣家様のことゆえ、根引きにでもして差し上げます。
無沙汰で折るとはその意を得ません。
パッパ唐人でございます。
あなた様も火の玉転がして、熱い熱い。
学者:何のことや、お前の言うてる事さっぱり分からへんな。
定吉:分かりまへん?分かりまへんな?やっぱり?
そら分からんわ、あんただいぶ捻られてるさかい。
ほな分かりやすく言うてあげますな。
つまりね、「桜の枝折りくさって、このド盗人め」と、
こない言うてまんねん。
学者:何か思たらそないなことか。
いや、帰ってお前の分からず屋の主にこう申さんかい。
「裏の高塀は隣家と拙宅とのこれ境界線や。
その境界線を無断で突破いたしたる桜の枝の処分については、
当方の心任せ。」
帰ってそないに申さんかい!
定吉:…あの、ご、ご返事を頂戴して参ります。
学者:今のが返事や。
定吉:えぇ?今のが返事?
こっちがちょっと捻ったら、ぎょうさん捻り返しなはってんなぁ。
また長すぎますわそれ。
もうちょっとこう、短いのんおまへんか?
学者:紐でも買うように言うねやないがな。
主が主なら家来も家来や…。
よし分かった、書いたるわ。
手数のかかる奴や……。
【二拍】
さ、これ持って帰れ。
定吉:これが受取…領収書でっか?
学者:受取と言う奴があるか!
とっとと持って帰れッ!
定吉:へぇぇぇいっ!
…あぁ段々おもろなってきたわ。
こっちがちょい捻ったら、ぎょうさん捻り返して来よったなあ。
向こうのほうがだいぶに上手やなぁ。
【二拍】
旦さん、いま帰りました!
大旦那:おぉ定吉か、ご苦労ご苦労。
こっちへ来い。
どうじゃった?
向こうもな、自分に落ち度があるもんやから、
両手をついて、平謝りに謝りよったろ?
定吉:なかなか、謝るどころやおまへんで。
えらい剣幕やった。
大旦那:えらい剣幕て…怒っとったのか?
定吉:怒ってましたでぇ…。
言うてました。
このごろ丁稚使いが荒すぎる。
何でそない定吉ばっかり使うねん?
ほかに亀吉やとか留吉やとかいてるやないか。
他の丁稚も使ったらどうやねん!てね。
大旦那:そない言うてたんか?
定吉:えぇ言うてました。
ほんでそれだけやあれへん、まだ言うてましたで。
このごろオカズが悪すぎる。
もうボチボチ竹の子も出てんねんさかいに、
ワカメと煮いて食べさしたったらえぇやないか!て。
大旦那:あの学者は、うちのおかずまで文句を言うてんのか?
定吉:そらわたいの分になってまんねん。
大旦那:お前のことはどうでもええ。
学者はどない言うてたんや?
定吉:あ、それやったらね、これが領収書でんねん。
大旦那:領収書と言うやつがあるか。
なるほど、相手は学者じゃなぁ。
自分に落ち度があって、子供に手をついて謝るんはくやしいと
いうので、謝り証文でも書いてよこしよったんじゃろ。
いやいや、それなれば許してやらんこともないが……、
そうかそうか、こういうものを書いてよこしよったか。
どれ、眼鏡かけてじっくり読ましてもらおかな。
なになに…、
塀越しに、隣りの庭へ出た花は、捻じょと手折ろとこちら任せ
…?
ッなんやこれは!
謝り証文どころか逆ねじやないかい!
えぇい腹の立つ!
すぐに番頭呼びなはれ、番頭を!
定吉:ひぇぇいっ、ただいまぁ!
【二拍】
番頭:旦さん、お呼びで?
大旦那:おぉ番頭さん、こっち入ってや入ってや。
まぁ聞いとくれ。
実はな……かくかくしかじかとらとらうまうま…。
番頭:へぇ、へぇ……、さようでございまっか。
いや、そら旦さんお怒りになるのもご無理おまへん。
大旦那:そうじゃろ。
もう腹が立って腹が立って…すぐにこの仕返しをしとくれ。
番頭:承知しました。
もう明日とは言わず、今日じゅうに仕返ししてご覧に入れますが、
しかしそれには、ちょっと…その、「こちら」のほうが……。
大旦那:あぁあぁ、金ならかかってもかまわん。
番頭:さよでございますか。
それではさっそく。
大旦那:で、どないするつもりや?
なんかええ方法があるか?
番頭:ええ、これから裏のお庭を拝借しまして、花見の宴を催します。
ご親戚は申すに及ばず、ご近所の方、出入り先や得意先も、
ぎょうさん客を呼びまして、ご馳走酒肴をぎょうさん並べて、
それから太鼓持ちや芸者衆の五、六人も呼びましてな、
もう賑やかに派手にどんちゃん騒ぎを、
パ~ッと散財していただきます。
そのあとは全てわたくしにお任せを。
大旦那:いやまぁ、そらそれでええんじゃが……弱ったなぁ。
いや、わしゃどういうもんか、若い時分から商売一途で
芸者遊びちゅうのをしたことあれへんさかいな。
芸者をどないして呼んでええものやら分かれへんねん。
番頭:せやったらご心配には及びまへん。
わたくしがいつも行ってるとこへちょいちょいと、
手紙を一本書いたったらもうすぐにやって……ゴホン、
いえ、万事わたくしにお任せを。
大旦那:番頭さんの事や、よろしゅう頼むで。
語り:もう全て分かった番頭、ぐっと呑み込み胸をポンとひと叩き、
すぐに準備に取り掛かる。
「花見の宴を催すさかい、皆様がたお集まりを……」
なんせご本家の言うことでございますから、
親類縁者に取引先まで知らしたるちゅうと、皆がすぐにパ~ッと
集まり、芸者衆、太鼓持ちもやって参る。
お盃がお席を一巡すると、だんだん和やかになって参るさかい、
芸者衆、腕によりかけて座を盛り上げる。
その賑やかなこと賑やかなこと。
【笛太鼓のお囃子などのBGMがあれば】
番頭:まいど、今日は皆さんがたご苦労さんでございます。
実は急遽、花見を催すことになりましてな。
なるたけ賑やかにやってもろたら、うちの主も喜ぶんで。
ちょい趣向がございますさかい、なるたけ派手にやってもろたら
結構でおます。
【踊っている】
あ、こりゃこりゃ、こりゃこりゃ…!
芸者:ちょっと番頭はん、あんたこのごろどないなってまんねんな。
ちょっとも店に顔出してくれへんですやん。
たまには来とくなはれ。
番頭:【慌てて】
分かってる、分かってるて。
今日は旦さんがいてるさかい、
あんまりへばりついたらあかん…!
芸者:そうかて、いつも来る言うて、
ちょっとも来てくれへんやないの。
どっかにええのができたんちゃうん?
もう、腹の立つ……!
番頭:い、痛いがな。
何をすんねんな。
【踊っている】
あっ、こりゃこりゃ、こりゃこりゃ…!
語り:番頭さん、青なって一人で踊ってる。
いっぽう、学者先生のほうはと申したら。
学者:子のたまわく。
学びて、時にこれを習う。
また喜ばしからずや。
友あり遠方より来たるあり、
また楽しからずや。
【笛太鼓のお囃子のせいで講義ができない】
し、しの、しのたま、わくま、ま……
なんやこの騒ぎは。
講義がでけへんやないか。
これ、隣では何やっとるのじゃ?
生徒:あの、裏庭で宴会をやってるようでございます。
学者:なに、宴会?
生徒:へぇ、花見の宴をやってるようで。
酒や肴やどんちゃん騒ぎ、
芸者衆も繰り込んで参りまして、賑やかにやっとります。
学者:なんでお前そんなんが分かる?
生徒:へぇ、実はあの、裏の高塀の節穴からちょいと覗きました。
学者:なに考えとるんじゃ。
学者の家に来て勉学に励もうちゅう者が、
隣を高塀の節穴から覗く!?
そないなこと……おもろそうやな。
よし、わしも覗いたろ……。
語り:とまあおもろい学者先生があったもんで、
庭下駄を突っかけますというと裏へまわり、
高塀のところへ参ると節穴を見つけ、さっそく目をあてがいます。
学者:おぉ~っ、ほんにほんに、皆やっとるやっとる。
こらぁ賑やかじゃのぉ。
楽しそうにやっとるわ。おもろいおもろい。
番頭:おっ、釣られて来よったな。
定吉、手で穴を塞いだれ。
定吉:へぇぇ~いっ。
学者:ん?
せっかく人が見てるのに何をするのじゃ?
見せても減るもんでもなし、世智弁なことしよるわい。
別に節穴はここだけやない、ほかにもある。
おぉ、これは……ん?また塞ぎよった!
何すんねやな!
えぇいこうなったら意地や。
梯子掛けて上から見たるわ!
さあここなら蓋もできへんやろ!
おぉ~っ、派手にやっとるなぁ。
さあぁ皆、おおいにや~れやれやれ、やれ~ッ!
番頭:おい、こっちも梯子掛けや梯子。
定吉、釘抜き持ってこんかい。
定吉:番頭はん、持って来ましたわぁ!
番頭:おお、夢中になって見とるわ。
主の仇討ちや。
学者先生の鼻先をこの釘抜きで…
ええぇいッ!
学者:【↑の語尾に喰い気味に】
ッッ痛たたたたたッ!!
何するんや、何するんや!
番頭:へぇ先生、今朝がたのお返し、返歌でございます。
学者:な、なに、返歌やと?
番頭:へぇ、
塀越しに、隣りの庭へ出た鼻は、捻じょと手折ろと、こちら任せ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
林家染左
笑福亭鶴二
※用語解説
悋気:やきもち。男女間の嫉妬。
世智弁:けちくさい。渋いこと。狭量な事。