体育館裏に謎が捨てられていたので解くことにしました
1
机の中から出てきた手紙には、女子生徒が書いたであろう可愛げな文字でこう書かれていた。
『放課後、体育館裏にひとりで来てください』
高校に入学して1ヶ月が経った、5月15日のことである。
差出人の名前は書かれていない。裏返したり、太陽に透かしてもそれ以外はなにも書かれていなかった。
木瓜湊斗はこの1ヶ月間の高校生活を振り返った。
数週間前の放課後、忘れ物をして教室に戻ると、推理作家志望の可憐な女子生徒に出くわした。その後何度か話したが、放課後に呼び出されるような事は起きていない。
他は、中学時代からの知り合いくらいだ。数学の授業中に携帯電話を鳴らして酷く落ち込んでいた。
木瓜はそれぞれ、葵姫花と浅見咲耶の顔を思い浮かべていた。
「いや、ないな」
そう口に出して言ったものの、彼の心臓の鼓動はだんだんと速くなっていた。放課後に女子生徒に呼び出されるといったらあれしかないと思ったからだ。
頭の中で2人の女子生徒が1人の男子生徒を取り合う映像が脳裏をよぎった。2人は顔立ちが整った美人だ。美人だからこそ木瓜は思った。
「俺なんかを好きになるなんてありえない」
予鈴が鳴った。教室にいた生徒たちは、2時間目の授業があるパソコン室へ向かう。木瓜もあとに続いて教室を出た。
後ろから来た浅見咲耶が木瓜の隣に来て言った。
「さっき、なんか1人でボソボソ言ってたけど気味悪かったよ。今度からボソ湊斗って呼ぶことにする」
「おい──」
彼女は自分の言いたいことだけを言って、木瓜から離れると、仲の良い女子グループの中へ入っていった。
浅見はいつも木瓜を面白がるような顔でひとこと言って立ち去っていく。中学時代からそうだったのだ。からかってくるような態度の彼女があんな手紙を寄越すはずがない。
彼はもう一人の女子生徒を思い浮かべた。葵姫花だ。知的で大人しい印象を与える彼女はいつも話すときに敬語を使う。推理をしているときの彼女の目は輝いていて魅力的だとは思うが、出会って間もない彼女から呼び出されても返事に困る。
考えながら1階に降りて北の方へ歩くと、木瓜はパソコン室の中に入り、上履きを脇にある下駄箱に置いた。段差を1段上がると、灰色のタイルカーペットが敷かれていて、靴下越しでもわかる踏み心地の良さが伝わってきた。
正面の引戸を開けると室内はまだ薄暗く、モニターの青い画面だけが映し出されていた。
出席番号順に前から座っていくので、木瓜は後ろの席だった。情報処理担当の教師が室内に入るやいなや電気をつけて、前方にあるホワイトボードの前までやって来た。
ふと視線を感じた。彼女は木瓜と目が合うと、慌てて目をそらした。
ああ、間違いない。手紙を書いたのはあの人だ。
2
放課後になると、木瓜は昇降口で上履きからスニーカーに履き替えた。運動部はジャージに身を包み、グラウンドの方へ走っていく。いつもだったらここから駐輪場に行って、自転車に乗り帰路につくのだが今日は違う。
木瓜は女性を待たせてはいけないと思い、掃除を早くすませて体育館裏へ向かった。体育館は昇降口から出た反対方向にある。
行くルートは2通りあり、テニスコートの前を通ってから2階にある大きな渡り廊下の下をくぐるように通って行くパターン。
2つ目は、駐輪場の方へ行き、文化部用の部室棟を通すぎると弓道場がある。そこを左に曲がると1つ目のルートにちょうど合流する。
体育館裏は、運動部用の部室棟に挟まれていて細い通路のようになっていた。木瓜が来るとちょうど野球部の生徒たちが、部室から両手で重たそうにボールが目一杯入っていたメッシュコンテナを持ち出していた。
生徒の1人と目が合うと、木瓜は気まずそうに目をそらした。幸い話しかけられることはなく、野球部たちはグラウンドの方へ消えていった。
彼はグラウンドにある、20メートル越えの防球ネット越しに見える木々を見た。風に揺れるそれは、自分の気持ちを表しているようだった。──中々相手が来ないので落ち着かないのである。
「お待たせしました」穏やかな女性の声だった。
木瓜が声の聞こえる方へ体を向けると、葵姫花がこちらに歩いてきた。肩ほどまで伸ばした黒髪が風でなびいていた。
「いや、来たばかりだから大丈夫だ」
どうやら嘘は通じなかったようだ。彼女は眉を八の字にした。
「すみません。用件は手短に」
葵姫花は鞄から取り出したのは、長方形の茶封筒だった。
「これです」
木瓜は葵から手渡されたそれの中身を見た。原稿用紙が何枚も重ねてあり、丁寧に3枚折りされている。
「これってラブレ──」
「違います」
「だよな」木瓜は封筒から葵へ視線を移した。「もしかしてこれって推理小説か?」
「察しがいいですね」
「この前、創作ノートの話を聞いてたから自分でも書いてるんだろうなって思っただけだ」
「それだったら話は早い」葵は口元を緩めた。「率直な感想を聞かせてほしいんです」
「俺で良いのか?」木瓜は自分を指差した。
「木瓜くんだからいいんです」
「それってどういう意味だ?」
「友人に見せると、当たり障りのない感想しか帰ってこない気がして。気を使われるというか……木瓜くんに関してはそれがないというか」
「なるほど。それじゃ俺は、知り合い以上友人未満ってやつか」
出会って間もないのだから当然といえば当然だが、少しでも淡い期待をしていた数時間前の自分をぶん殴ってやりたい。まだ夏でもないのに、汗が出るほど体温が上がってきた。
「理由はそれだけじゃないんですよ」葵は言った。「この数週間の木瓜くんを見ていると、わたしと一緒で謎解きに興味があるのではないかと思ったんです」
葵はさらに続けた。
「創作活動をしていると、どうしても評価が欲しいときがあるんですよ。応援してくれる身内もいませんし。木瓜くんの感想が聞きたいんです。そして語り合いたい。わがままですか?」
葵の目の奥にある輝きに木瓜は圧倒された。
「俺、読むのに時間が掛かるんだ。だから時間が欲しい。それで良かったら──」
「ありがとうございます」葵は頭を下げた。声はとても弾んでいた。
3
木瓜は葵から受け取った原稿用紙を鞄の中へしまった。あらすじを聞こうとしたが、彼女は読んでみてからのお楽しみとしか言わなかった。
体育館の方からボールが床をドンドンと叩くような音がしていた。準備を終えた生徒たちが本格的に各々の部活動を始めていた。
「木瓜くん、気づきましたか?」
「何がだ?」
「運動部用の部室棟の前にある──」葵が部室棟の方を指差した。
「ああ、俺、駐輪場の方から来たからそっちの方は通ってないんだ」
「そうだったんですか。ちょっと来てくれますか?」
木瓜と葵は部室棟の前まできた。ここからグラウンド様子が良く見える。サッカー部はシュート練習、陸上部はハードル走をしていた。
ちょうど長距離の生徒たちがグラウンドから出ていくところだった。おそらく学校の外を出て走るのだろう。
「ここがどうしたんだ?」
「これを見てください」葵は陸上部の部室前に来て、足元を指差した。
陸上部の部室は、部室棟の1番端に位置していた。
「みかん?」木瓜は足元を見てから葵の方を見て言った。
「何で部室棟の前に大量のみかんの皮が捨てられているのでしょう?」
「食べたんじゃないか?」
「木瓜くんは食べたものを地面に捨てますか?」葵はジーッとした目で聞いた。
「いや」木瓜は首を降った。「でも、それぐらいしか考えられなくないか?」
「うーん」葵は考え込むような表情になった。
木瓜はふと、部室棟の側面にあった花壇に目を奪われた。綺麗な橙色の花が咲いていたのだ。
彼の視線の先を見た葵は、優しい表情に変わり口を開いた。
「あれはマリーゴールドです。爽やかで、すこし甘い良い香りがするんですよ」
「そうなのか」木瓜が花壇の方へ近づいた。「うっ、何か匂うな」
花壇から少し距離を置いた木瓜は顔をしかめた。
「わたしは気になりませんけど」
「まぁ、人によってなんだろう。すまん、話が脱線したな。何でみかんの皮が捨てられているのか、だったな」
「うーん、そこなんですよね」
その時だった。グラウンドの方から年配の男性がこちらへ歩いてきた。スーツの上に濃い青のウィンドブレーカーという出で立ちで、髪型はきちんと整えている。
「うーん?制服姿でなにをしてるんだい?」
「教頭先生」葵が姿勢を正して言った。
「こんにちは」木瓜が会釈をした。
「こんにちは」教頭先生が花壇の方へ行くと、近くにあったホースを出して、花に水をやり始めた。
「部活動の見学に来たのかな?でもそれにしては時期が遅いなぁ」
「いえ……」葵は言葉を選んだ。「話をしていたんです」
「そうか」教頭先生は微笑んだ。「まぁ、絶対に部活動に入れと言っているわけじゃないんだ。学生時代に打ち込めるものがあると、学校生活がより楽しいものになると思ってね。君はあるか?」
教頭が向けた視線の先に木瓜がいた。教師の目は何もかも見透かしているようだった。
「俺は──」
木瓜は言い淀んでいると、教頭先生が言った。
「すぐに見つけなくて良いんだ。やろうか迷っているなら、迷わずやるべきだ。エネルギーに満ち足りた今の時期だからこそやるべきなんだ。人生は以外と短いぞ」
「はい」木瓜は頷いた。
「説教くさくなってしまったな。ごめん、ごめん」
「あの……教頭先生」葵が言った。
「なんだい?」教頭先生が葵へ視線を移した。
「そのマリーゴールド、何か意味があって植えられたのではないですか?」
教頭先生の表情に思わず笑みがこぼれる。
「どうしてそう思ったんだ?」
「陸上部の部室の前に捨てられたみかんの皮、そしてすぐ近くの花壇にはマリーゴールド。共通するのは猫避けです。みかんの皮やマリーゴールドから出る香りは猫避けに使われることがある」
葵は自分の推理を続けた。
「ここまではただの知識。ここからが推理です。生徒たちは教師に内緒で猫を部室で飼っていた。それが教師たちバレて猫を部室に近づけないようにこうして猫避けを設置した。違いますか?」
「良い推理だ」教頭先生がホースをしまいながら答えた。「だが少し違う」
「えっ」葵は驚いた表情で言った。
「答え合わせをしよう」教頭先生が言った。
「猫避けと、生徒たちが内緒で猫を飼っていたところまでは合ってる。
去年の話だ。ある日、痩せ細った猫が校庭に迷い込んできてしまった。放ってはおけないと、生徒たちがお世話をしたんだ。だがその生徒たちの中にアレルギーを持っている子がいてね。救急車を呼ぶ騒ぎになったんだ。
その後、猫は飼いたいと言った生徒の家に引き取られた。アレルギーの子は元気になって学校に戻ってきてくれたよ。それから猫が近づかないようにみかんの皮を置くようにした。それだけだと不十分だったのでこの花を植えたというわけだ」
「そうだったんですか」葵が言った。「綺麗な花ですね」
「アフリカンマリーゴールドというやつらしい」
「花言葉は、『逆境を乗り越えて生きる』……ですね」
「物知りだな」
「アレルギーの生徒に向けて植えたんですか?」
「ああ」教頭先生は頷いた。「アレルギーに負けるなーって」
次の瞬間、雲の隙間から太陽が顔を出した。マリーゴールドは陽に照らされて、より鮮やかなオレンジ色に染まっていた。
4
教頭先生が校舎の方へ、2人は駐輪場の方へ歩いた。
「教頭先生、とても良い方でした」葵が言った。
「だな」
木瓜は教頭先生から言われた言葉を何度も思い出していた。
「打ち込めるもの……すぐには見つからないけど、近くに凄い熱心に推理小説に打ち込んでいるやつがいる。だから……」木瓜は葵を見た。彼は続けた。
「俺にも手伝わせてくれないか?葵さんが書いてる小説」
「えっ」葵は開いた口が塞がらない。
「すまん、勢いだけで言っちまった。忘れてくれ」
木瓜は、俯いてそれ以上なにも言わなかった。そういう事は、自分で見つけるものであることは分かっていたはずなのに。木瓜は自身の発言を後悔した。
「良いですよ。まずは読んだ感想をください。そして語り合いましょう」
なにかを企みような葵の笑みに、木瓜は可笑しくなって笑みを浮かべた。なぜこんなに情熱的なのか彼女から学ぼうと思ったからだ。
木瓜は自分が打ち込める“なにか”を見つけるまで葵の手伝いをしようと思った。
「わかった。いっぱい語り合おう」
これから2人の青春が始まる。
こんにちはaoiです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。