「賢者の石がチーズしか錬成してくれない」
「なんということでしょう」
天才魔女ツムラさんの困惑たるや上半期一番であった。
賢者の石。
一切を黄金に変えるという、多くの錬金術師が夢にまで見た物質。
魔女ツムラさんの手により、とうとうその精製が実現したのである。
錬金術の歴史においての到達点。それが今日であった。
その賢者の石が、一切をチーズへ変えていったのだ。
「そのうえクソまずい」
賢者製チーズはほとばしる程にまずかった。
何故か妙に土臭い。食えたものではない。
チーズだいすきツムラさんですら完食がキツい。
チーズではなく、チーズ味の土の可能性すら出てきた。
「というかこれ、本当に賢者の石なんですか……? 何か間違えましたかね……」
「賢者ノ石ダヨ!!」
「なんだ賢者の石か」
賢者の石ともなれば、自律して喋るぐらいのことはする。
やはりこれは賢者の石なのだとツムラさんは得心した。
得心はしたが、納得はいかない。
「何故あなたは土風味チーズばかり錬成するのですか」
「……」
「くそ、肝心な所は喋らん……」
賢者の石ともなれば、都合の悪いことに黙するぐらいのことはする。
やはりこれは賢者の石なのだとツムラさんは二度目の得心をした。
なかなか狡い奴である。
「しかし調子に乗ってチーズだらけにしてしまいましたね……。仕方ありませんから弟子にでも食べさせましょう。おーい弟子ちゃんおいで」
「お、呼んだ? どしたん師匠」
「ご褒美にチーズあげちゃいます」
「ほんと? わーいありがtぶへぁくそまずッ」
「ざまぁみろ」
「わたしがなにをしましたか」
* * * * *
「――へぇ。賢者の石ねえ」
「しかし何故かチーズばかりを錬成してしまって」
「っていうかこれ本当に賢者の石なん……?」
「賢者ノ石ダヨ!」
「ほんとだ賢者の石だ」
二人でまた得心する。やはりどう見たって賢者の石である。自分でそう言っている。
しかしやはり肝心なことには黙秘権を行使し始める。
「ちくしょう強情ですね。ツムラちゃんハンマーでぶっ叩いてやりましょうか」
「ヤメテヨ! ヤメテヨ!」
「やめなよ怯えてるじゃん! よしよし」
「アリガト! アリガト!」
「なんか九官鳥に見えてきたなこいつ」
「それよりどうやってチーズ錬成してるの?」
「賢者の石をかざし、こうして念じれば一発です。ほいやっさ!」
「その掛け声必要なん」
「必要。……ほら見てください。マグカップがチーズになりました」
「!? ちょっとそれ私の奴じゃん! 何勝手に使ってんだ!」
「あ、ほんとだ。お返しします」
「チーズじゃん! 土味のチーズじゃんもうっ!」
弟子パンチ一発で手打ちとした後、試しに二人で旧マグカップをかじる。
やはり土味。いやもはや純粋なる土塊と言っても過言ではない。
土がチーズの皮を被って顕現しているとしか思えない不味さ。
「オエーやはり駄目ですか……。ツムラちゃんハンマーの出番ですね」
「ヤメテヨ! ヤメテヨ!」
「一回洗ってみたらどう? よく見たらこの石、ちょっと汚れてる……っていうかベタベタしてない?」
「ああ、さっきまでポテチ食ってたので」
「その手で漫画読まないでよね」
「もう遅い。それより食器用洗剤でいいんでしょうか」
「中性洗剤デ! 中性洗剤デ!」
「注文多いなこの石」
「うちの弱酸性じゃなかったっけ」
「妥協させましょう。観念なさい」
「アアーッ! アアアーッ!! 染ミル! 染ミル!!」
「どこに染みてんだろう」
ツムラさん渾身の水洗い。
彼女は普段、家事の一切を弟子に任せている。
スポンジの使い方ひとつとってみても一目瞭然。慣れぬ手付きのたどたどしさたるや。
あまりに情けないと言わざるを得ない。
「いきなり地の文がディスってきやがりましたね」
「情けないと言わざるを得ないですなぁ~」
「あとで覚えてろよ。……よし、ざっとこんなもんでどうでしょう」
「お、キラキラしてんね!」
「アリガト! アリガト!」
「では早速……。やんやっさ!」
「掛け声かわったね」
「あの時代は終わった。……うーん。やはりチーズになりますね」
「味は?」
「なんか妙に洗剤臭い……」
「ちゃんと水ですすがないから……」
「うう、土と洗剤同時に食ってるみたい……。全く使えない奴ですねこいつは」
「ションボリ! ションボリ!」
「……もしかしたら師匠に問題あるんじゃない?」
「え、私ですか?」
「心が汚れてるからこんな激まずチーズになるのかも」
「ムッ!? それは聞き捨てなりませんね! 私の汚れはポテチの油汚れだけです!」
「絶対漫画さわるなよ」
「だからもう遅い。……そんなに言うならあなたもやってみればよろしいでしょう」
「あ、いいの? わーい、じゃあ借りるね石! ええっと、念じて……」
「!? ちょっと! それ私の愛用ティーカップですよ! 返してください!」
「あ、ほんとだ。やんやっさ!!」
「クソ弟子がァ~~~」
「……あれ?」
「……え?」
「!? 金ピカになったよ!?」
「ッ!!?」
金色に輝くツムラさんのティーカップ。
愕然とするポテチでベタベタのツムラさん。それをよそにはしゃぐ小綺麗な弟子ちゃん。
少なくとも清潔感においての序列は明白であった。
「すごい! 本当に金になっちゃった! すごいよ賢者の石!」
「褒メテ! 褒メテ!」
「すごいすごい!」
「ちょ、ちょちょちょちょっと! ちょっと!? どういうことですか石! 説明を求めますッ!」
「……」
「ええい黙秘してんじゃないですよ! ツムラちゃんハンマーを……ッ」
「……もしかしてこの黙秘。石の優しさなんじゃ?」
「な、なんですと?」
「『あなたの心が汚いから』なんてことを正直に言えば師匠は傷つく……。そのために石は黙った……。どうよこの名推理!」
「!? ど、どうなんですか石ッ!」
「正解! 正解! 正ごァッ」
「え」
――ツムラちゃんハンマー炸裂。
「正ごァッ」を最後に沈黙せし石。
憎悪に塗れし顔のツムラさん。驚愕しつつ石の心配をする弟子ちゃん。
人間性における序列も最早明白であった。
「い、石ィィぃーッ!!? 何してんの師匠!!?」
「石ごときが私に気を使うなど言語道断……」
「だからってブン殴るなよ!!? ……ああ、ほら! ちょっと割れちゃってる!!」
「セメダイン使えば問題ありませんよ。ほら」
「……それ木工用じゃねえか!」
「くっつきゃいいんですよ。ほら、直りましたよ」
「アア。アアアアア。アア。ア。ア」
「ゾンビみたいなうめき声出してんだけど……!?」
「よく見たら小刻みに震えてますね……。試しに使ってみましょうよ、気になります」
「ええー絶対いやだよ! 石くんかわいそうじゃん……!」
「石ごときを心配とは全くお子様ですね! では私が……。…………ん? …………」
「? ど、どしたの師匠」
「…………っ」
「あっ」
果たして、賢者の石はちゃんと生きていた。
生きて、しっかりと黄金に変えていた。
ツムラさんの、右手を。
「…………」
「…………」
「で、弟子……。どうしましょう……。手が……」
「私がこれを故事として広く語り継ぐから。安心して師匠」
「なに早々に諦めてんですか!? 師匠をミダス王みたいな題材として扱うんじゃないですよ!!」
「『かくして強欲な魔女は全身を黄金に変えられてしまいましたとさ。めでたしめでたし』……」
「故事のオチを考えるな! まだなっとらんわ!!」
「でも既に肘まで……」
「うおおおお!? ちょ、ちょっと弟子! 私の手から石をとってください! はやく!」
「でもこれ触ったら私も黄金に……」
「なんか物とか使って早くとってください! 早く! 早く!!」
「あ。ハエたたきあった。おらおら」
「う、うぐうーっこんな状況なのに弟子がハエたたきで頬をペチペチしてくるぅ~……! 流石に泣いちゃいますよ私ぃ……!」
* * * * *
「――ふう。なんとかとれたよ師匠」
「ううーっ……。弟子が意地悪したあぁーっ……。ひんっ……ひぃんっ……」
「ガチ泣きしないでよ師匠……。助かったんだから……」
「しかし肩まで黄金化してしまいましたひぃーん……。ああ、重いぃ……」
「早く治さなきゃだね。方法はあるんでしょ?」
「もちろん天才魔女の頭脳にかかれば楽勝ですが、右手が動かないとなると面倒ですね……」
「……ってことは、ここは弟子の出番ってことだね! なんでも言いつけてよ師匠! 私が師匠の右腕としてがんば……」
「……あれ? 右手めっちゃ動く」
「動くのソレ!!!??」
「なんか頑張れば動く……。なんだ全然平気じゃないですか。ほら、じゃーんけーんチョキ!」
「うわっ黄金のチョキに負けた。初体験」
「そしてこの黄金の重量……。メイン火力であるツムラちゃんパンチの威力が上がってしまいましたね。また強くなってしまった……」
「魔女の攻撃方法としてどうなん」
「これ、左手も黄金化したらもっと攻撃力あがりますね。四肢の黄金化も検討しましょうか」
「kenshiみてえだな」
片腕の黄金化によりご満悦のツムラさん。
四肢どころか、全身黄金化による防御力上昇まで考える始める始末。
物理耐久まで兼ね備えた魔女。もはや無敵の存在となろう。
しかし弟子ちゃん、これには如実に不満顔。
ツムラさんの黄金化計画に終始眉をひそめ、どんどん不機嫌に。
それもそのはず。ツムラさんの右手が黄金のままでは……。
「……やっぱ駄目! 師匠、元に戻そ!」
「え。何故?」
「黄金の師匠なんて私いや! 気味悪いじゃん!」
「何を言います。こんなに美しくかつ資産ともなるのに……」
「黄金じゃ火属性に弱くなっちゃうじゃん! 火炙りにされたら一瞬で溶けちゃうよ!」
「火炙りにされてる時点で詰んでる気がしますが……。確かにそれは明確な弱点ですね。しかし防御力……」
「そのうえ金粉塗りたくった若手芸人みたいじゃん! 全身化したらもろにそうじゃん!」
「ウッ……。それを言われるとめっちゃ嫌になりますね……。いやすっごい嫌だな……。仕方ありません、戻しますか……」
「よし! なんでも材料言って! 全部集めてくっから! ほら! ほら! へい!」
「そうですね。ええと……まず王水と、水銀と……」
「よっしゃ!」
「……?」
* * * * *
「――っおおおああぁあ~めっちゃ効くぅ~……」
「どう師匠? 完璧?」
「っああぁあぁ~完璧っぃいいぃ~……っ……っおおおおお~っ……」
霊薬に黄金の右腕を浸すツムラさん。
弟子ちゃんの奮闘もありささっと完成。流石は天才魔女である。
やけにおっさん臭い声を漏らすのも天才故かもしれない。
「あっ。腕が軽くなってきた気がするぅ……。おっ、おっ、んおおおぉ~っ……」
「あー戻ってる! 戻ってるっぽいよ師匠!」
「おおお~お……。戻ってるぅ~~~……っおおお~……」
「……もう抜いたら?」
「っおおおお~~~もうちょっとぉっおおぉ~……っおうっおうっおぉーっ……」
「なんかヤバい成分でも入ってんのかこれ」
無理に霊薬から引き抜く弟子ちゃん。抵抗するツムラさん。力負けするツムラさん。よわい。
タオルで腕を拭ってやると、そこにはいつもの貧相なツムラさんアーム。
重いものをまるで持ったことがないような、全くもって甘えた腕である。なさけない。
「地の文がまたディスってきやがった」
「でも完璧に治ってる!」
「おー軽い軽い。やはりツムラちゃんハンドはこうでなくてはいけませんね。じゃーんけーんグー!」
「パー! 雑魚め!」
「攻撃力が下がった……。まあいいです、さーて戻ったところで早速石の奴を……」
「あ、ちょっと待ってよ師匠。……ほらほらぁ。へへ」
「ん、なんですか?」
「だーかーらー。かわいい弟子ちゃんが頑張ってあげたんだからー。ほらほら、ごほーびごほーび!」
「はい小切手」
「どうせ不渡りだろそれ。……そーじゃなくて! ほら、頭! 頭! いつもの!」
「? よしよし」
「うっへへへへ。っへへへぇ」
「? いやにご機嫌ですね」
「へっへへへへ」
ツムラさんの右手が、弟子ちゃんの頭をわしわし撫でる。
無造作で、適当で、とても雑にわしわし、わしわし。
普段からやっている、ルーティンのようなものである。
いつもの雑な感触で、よかった。
心からそう思う、弟子ちゃんであった。
「ポテチうんめえ~」
「食いながらはやめろ」
* * * * *
「――で、これどうすんの師匠」
「アア。アアア。ア。ア。アア。ア」
「完全に壊れてますね……。下手に触ればこっちが黄金化してしまいますし、どうしましょうか」
「壊れちゃったけど有効活用できそうだよね。なんかないの?」
「うーん……。金属化が好きな特殊性癖持ちの変態に売るぐらいしか思いつきませんね」
「最悪な思いつきだな」
「あとは黄金人間のまるごと人身売買ぐらいしか」
「最悪な思いつきだな」
天才魔女ツムラさんといえど、特に思い浮かばぬ活用方法。
SNSで異常性癖の人間を探し始めたあたりで、弟子ちゃんがたまらず声を挙げる。
「ちゃんと直してあげようよ!」
「たし蟹」
作ったんだから、直すのだって出来るはず。
材料を集め、霊薬を作り、浸し、また霊薬を作り、セメダインを塗り。
かくして形だけは、なんとか修復。
「セメダインは塗るんかい」
「これぞ企業努力の奇跡……。それより話しかけてみましょう。おーい石。話せますか?」
「ア。アア。ア。アアア。ア」
「あー……やっぱり駄目……」
「ア。ア……リガ……ト。アア。リ、ガト……」
「!!」
賢者の石、復活。
石を抱き、無邪気に喜ぶ弟子ちゃん。心がきれい。
それを見る心の汚いツムラさんとて、満更ではなかった。珍しく顔がほころぶ。
「弟子チャン、スキ……弟子チャン、スキ……」
「うわー! 好きだって! 私もすきー! えへへ!」
(ふふ……)
なにせ作った張本人、要は母のようなものである。
その後の打算もたくさんあったが、なんだか純粋にうれしかった。
心がちょっとだけ、きれいになった気がした。壊したのこいつだけど。
「よかったね師匠! なんか家族が一人増えた気分!」
「ただの石なんですが。……まあ、しっかり黄金を作ってくれるんなら、家族と認めてあげなくもありませんがね」
「よかったねえ石くん! いっぱいお話しよーね!」
「アリ、ガト……。ツムラ……ツム、ラ……」
「あ! 師匠のこと呼んでるよ! ほら!」
「おお、どうしました石? ……ふふ、よく見ると可愛いく思えてきますね。ういやつういやつ……」
「死ネ……」
「…………」
「…………」
「ツムラ……死ネ……。ツムラ……殺ス……」
「……………………」
「……………………」
「ツムラ……ボケナス……。ツムラ……。許サン……ツムッァッ」
――ツムラちゃんハンマー炸裂。
粉々の石。憎悪に塗れしツムラさん。キレる弟子ちゃん。
逆ギレするツムラさん。弟子に力負けするツムラさん。完敗するツムラさん。
天才魔女ツムラさんの、いつもの日常風景であった。
~おわり~