第二話 逃亡
レベルの話は気になるが、いくら普通の野郎並に力があっても初見の相手の腕を掴んでくるような餓鬼に負けるようなことはねえだろう。
そこで掴まれたままの右腕を六時から十二時へと反時計回りにぐるりと回しつつ、餓鬼の右手に手を添えて親指の関節をキメたまま前へと放り捨てる。
餓鬼は床に頭を打ち付けて昏倒したらしく起き上がる様子はねえ。
一丁上がりだ。
そうして足早にギルドを出て行こうとしたところ、兄貴分らしい五人組の餓鬼が絡んで来たわけだ。
こっちは床に転がっている餓鬼よりも年嵩だ。とは言っても二つか三つ年上ってとこだろう。
しかし革鎧を着ていて腰が据わっている。動きに隙がねえし連携も取れているみてえだ。
固太りのデカいのがオレに詰め寄りつつ、残りは左右に回り込んできた。
武器を手にはしていねえが、オレなんかよりも余っ程場慣れしているみてえなイヤな感じがする。
「オッサン、傭兵ギルドで喧嘩を売ってただで帰れると思うなよ。」
デカいのが冷めた目でオレを見て、そんな台詞を吐いた。
どうやら冒険者ギルドじゃあなくて、傭兵ギルドに来ちまってたらしい。
「冒険者ギルドって聞いたんだがな……」
「冒険者だ? 魔物食い供の国じゃあるまいし、そんな柔なギルドはこの国にはねえんだよ。」
餓鬼がそう言って凄んできた。
どうりで殺伐とした、鉄火場みてえな雰囲気だったはずだ。
でもよ、売ったのは餓鬼で、オレは購入者側じゃねえかと思う。
結局奴らの陽動に引っ掛かって横から蹴り飛ばされたんだが、レベル差ってやつなのか、餓鬼とは思えない力だ。
アイスホッケーのパックのように壁際まですっ飛ばされた。
なんとか立ち上がってガードポジションを取り、奴らの拳をガードするが、フォームも適当で、大して腰の入っていないパンチのはずなのにナックルダスターで殴られているような衝撃だ。ガードした腕に鋭い痛みが走る。
餓鬼供は言葉を交わすでもなくニヤニヤといやらしく笑い合いながら、交互にオレのガードした腕を殴りつける。
その痛みに負けて腕が下がりかけるが、鉄球のような拳を顎にでも食らったら酷え事になりそうだからな。
今じゃあ拳も握れねえ、感覚がなくなりつつある腕を必死に上げて餓鬼供の拳をガードしていたんだが、すぐ後ろは壁って状況まで押し込まれちまった。
そんなところに外野から酒瓶だとかジョッキなんかが飛んできて、オレの背後の壁に花を咲かせた。
「レベル1相手になに遊んでんだ! 腰のナイフは飾りかよ!」
「さっさと始末しちまえよ。俺の金貨が掛かってんだよ!」
そんな怒声も飛んできた。どうやら賭け馬になっているみてえだ。
五人組は邪悪な笑みを引っ込めて不安そうにお互いに顔を見合わせている。どうやらぶっ殺すとこまでは考えていなかったらしい。
ふと気付けば、餓鬼供の傍らに痩せた若い男が立っていた。
呑んでいる連中同様の襟無しのシャツだが袖がねえ。その代わりに左右の腕にトライバルのような文様の刺青が入っていて、首からもちょこんと顔を覗かせている。
片手には酒瓶。そしてもう一方の手には刃渡りが二十センチはある両刃のナイフがある。
細身でブレードが黒く、腹でも刺されたら背中に突き抜けそうな鋭さだ。
それをデカい餓鬼に手渡そうとするが、餓鬼は困惑した顔だ。戸惑うように男を見て首を横に振っている。
男は興醒めでもしたように舌打ちをしてから餓鬼をブーツで蹴り飛ばすと、餓鬼はぶっ飛んで転がっていった。
選手交代らしい。
男はオレに目を留めると薄く笑い、呷るように酒を飲んで瓶を投げ捨てる。
そうしてナイフを逆手に持つと無造作にオレへと近づいてきた。
お喋りは無しだ。これから殺す相手に対してその必要はないってことなんだろう。
履歴書の特技欄に「暗殺」とか「ナイフ」とか書いていそうなヤバさがある。
どう転んでも殺される未来しか見えねえ。上着を脱いで左腕に巻き付けても意味がねえような気がした。
まああれだ。こうなっちまったら仕方がねえだろう。
いくら博愛主義と言ったって、腕に止まった蚊も殺さない人畜無害なジャイナ教徒ってわけじゃねえからな。
降りかかる火の粉は払うしかねえんだ。
なもんで魔物相手に使うはずのスキル「半殺し」を使っちまったわけだ。
その結果、オレの「半殺し」スキルは想像していたような非殺傷スキルじゃあなくて、上半身と下半身が泣き別れする二分割スキルだったことが判明した。
そして脱力というか、辟易した。
もしかすると女神の奴の言っていた「ジャイアント・キリング」が字義通りの殺害、「キリング」だったせいなのも知れねえが、後の祭りってやつだ。
その突然の凶事にオレや残りの餓鬼供が戸惑っていると、筋肉バカみたいなのが二人、ちょっと待てよと言うオレの言葉を無視して、殺気立って絡んで来たので半殺しにする。
その後も得物を抜いて切りつけようとしてきた傭兵野郎供を次々に半殺しにしたせいで、現場は血みどろだ。
詳しい状況の説明は省くが、要点だけ書けば血圧と腹圧、そしてポンプとなる心臓が仕事をしているわけだ。
即死だったら即座に心臓が止まるから、体内の血がドバドバと吹き出ることもないんだろうが、即死じゃないぶん性質が悪い。
オーボエの残念リードから出るような底の浅い吐息は、ひゅいっと息を吸い込む音で終わる。
濃密に漂う血の匂いと、何処ぞのタワーマンションで話題になった強烈な臭気に反応して、オレの本能が速やかなる逃走を指示してきた。
しかしギルドの出口は我先に逃げようとする奴らで大混乱だ。
殴り合いの喧嘩にまで発展している。
ならばと裏口を探そうとするが、武器を手にオレを遠巻きにしているバカが三人も居る。
近づいてはこねえが、かといって逃げ出しもしねえ。
面倒くせえから半分にしちまおうかとも思ったんだが、さすがにそれはやり過ぎだろうと躊躇していると、出口に殺到する連中を吹き飛ばして、お揃いの鎧兜に短槍やら長剣を持った完全武装の衛兵連中が闖入して来た。
衛兵野郎は十人も居る。
半分になって床に転がっている傭兵供を見て連中の足が止まったが、オレに気付くと全員が武器を構えてにじり寄ってきた。
そうしてその中の指揮官らしいのが憤怒の形相で「武器を捨てろ!」といきり立っているんだが、こっちは武器とか持ってないわけだ。
何をどうしろって話だぜ。
さすがに転移初日で牢獄どころか惨殺体、というのは勘弁して貰いたいもんだ。
そこでこの場から穏便に逃走する為、さっきの不本意なスキル使用で新たに使えるようになったらしい「1/4殺し」を発動することにした。
威力が半減するからなのか複数を対象に出来るらしいんで、十人まとめての発動だ。
早計だった。「1/4殺し」は四分割だった。
まったくピザじゃねえんだからよ。食べやすくなんてよ、ならねえんだ。
こういうのは無駄だろう。意味がわかんねえよ。
何しろ全員鎧ごとすっぱりキレイに四分割だからな。衛兵供の陰に隠れ、事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた傭兵連中はパニックになった。
その混乱に紛れて裏口から逃げ出したってわけだ。
しかしギルドを出たところで街の衛兵がオレを目指してどんどんやって来る。
ギルドから逃げ出した傭兵野郎供がオレを指差して騒いでいるせいだ。
どう考えても加害者側の面相で、情けねえ奴らだ。とオレは思う。
オレに殺到する衛兵供は、さっきの連中と同じくらいに好戦的だ。問答無用と切りつけようとしてきやがる。
堪らず城門の方へと逃げ出すが、殺意のある相手が集団で武器を持って追いかけてくるって状況は、狩られる側に妙なテンションを作り出しちまうもんらしい。
ノルアドレナリンが全放出されているようで、気がつけば笑顔にも見えるような顔になっている自分を認識する。そして普段の二、三倍の速度で考える。
自分がバカじゃねえと思ってる奴らには別の考え方があるのかも知れねえが、本能に根差した自己保存は人間存立の要諦だ。
逃げられるんならそれに越したことはねえが、他に選択肢がない状況で殺すか死ぬかだったら、死なねえ方が良い。
それに博愛主義ってのは人道主義、胡散臭いヒューマニズムとは無関係だ。
通りがかった相手に笑顔でポケットティシューを配るようなモンじゃねえ。
「分け隔て無く、平等に」って話だから、配るんならば笑顔だけだ。
もちろん相手から笑顔の代わりにナイフや武器が出てきたら、それに応じた対応となる。
なんで平等に「半殺し」を使った。
しかし異世界転移初日からお尋ね者の逃亡者ってのは、なかなかにハードだ。ナイトメアモードってヤツだろう。
街の城門を抜けるのに「半殺し」を使い、続く追っ手にも「半殺し」だ。
近づけば半殺しになると分かっているんだから、トリガーハッピーな危険物なんかに近づかなきゃいいのに、衛兵供は勇み足で突っ込んできやがる。
そのくせオレの近くに来れば青い顔をして尻込みだ。
戦う気概もねえような奴等をぶっ殺すほど趣味は悪くねえ。
気の毒に思って背を向けて逃げようとすると、すかさず切りつけてきやがるから始末に負えねえ。
それでも「1/4殺し」は使わなかったんだから、自分で自分を誉めたいところだ。
追っ手に犬、マスチフみてえなバカでかい黒犬が数頭加わり、襲い掛かって来た時にはイヤな汗が出たが、ギャンギャンと喧しいんでまとめてサクッと半殺すと、頭の中でピコーンと音がした。
それによって力が漲るような感覚はなかったが、疲労感がすっかり消えちまった。
走るのが随分と楽になったような気がするし、腕の痛みも何処かに飛んでいった。
どうやらさっきの音はレベルアップの音だったらしい。
人間を半分にしてもレベルは上がらねえが、動物とか魔物だと経験値が入るってことのようだ。
四頭を半分にしてピコーンが二回だから、レベル3になったってことになるんだと思う。
そうして追い立てられるように逃げ続け、やっぱり半分ほど殺し続けた。
地図を確認すると今登っている丘の先には川があって、それが隣国との国境になっているらしい。
オレの後ろの衛兵連中も今じゃあ百メートル以上も距離を取っているから、このまま逃げられそうな感じだ。
しかしオレの見込みは甘かったようだ。
隣国との国境となる川の手前には軍隊が展開していた。大軍勢だ。