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第六話【有翼の少女】



 少女は言った。俺自身もどこなのかわかっていないここへ、探して追って来た、と。


 少女は言った。化け物に……魔獣に襲われているのを見たから、炎で焼き払ったのだ、と。


 少女は言った。怪我はすぐに治るようにしてある、と。


 そして、彼女は言った。友達が欲しいと。だから、ここへ俺を召喚したのだ――と。


「……えへへ」


 痛いくらい脈が速くなって、そのくせ全身から血の気が引いているに寒気がする。


 えへへと可愛らしく笑う少女の、それまでの言動のすべてがまったく理解出来ない。いや……無理矢理にでも押し付けられたから、理解はした。


 出来ていないのは、理解ではなくて納得の方。


 まだ頭の中が整理出来ていない……もとより整理出来るような状況ではないのかもしれないけど、ひとまず落ち着くところまで到達してない。


 そんな事情でじっと彼女を見ていると……それが気恥ずかしかったのか、それともうれしかったのか、少女は顔を伏せて、けれど口角を上げて、困った顔で笑っていた。


 友達が欲しい。そして、その願いはこれまでには叶わなかった。その言葉を思えば、この状況が喜ばしいものなのは察してあげられる。でも……


 ごくんと唾をのむと、喉が焼けるくらい熱くなった。ただの唾液が煮えた油みたいに思えるくらい、身体中が冷えて固まってる。


 それくらい大きな恐怖を、この小柄な女の子に抱いている。その事実の異様さに、いちいち混乱は強まってしまう。


「……えーと……うん。その、友達になる前に……だ」


 それでも、確かめなければならないことはある。


 話し掛けるだけ、疑問を投げ掛けるだけ、彼女の欲しているのとは違う言葉を掛けるだけのことが、とてつもなく大きな障害に思える。


 それでも、狭い喉からやっとのことで声を振り絞る。


 すると彼女は、首を傾げてこちらを見ていた。何を聞き返すでもなく、こっちの言葉の最後を待ってる感じだった。


「……その、だ。友達になるなら、まずは自己紹介をしないといけない……と思う。だから……」


 聞きたいことがある。聞かなきゃならないことがある。それで話し掛けて……結局、友達になりたいという彼女の願いに沿った話題を出してしまっていた。


 いやしかし、これはその……恐怖心に屈してそうしたわけじゃない。と思う。


 友達になれば、もっと打ち解ければ、質問も自ずとしやすくなるハズだ。それに、機嫌を損ねる可能性も下がる。


 それと……


「名前を教えてくれないかな。俺は伝助。その……あの、友達なら名前を呼ぶものかな、と」


 名前を教えて欲しい。そんな簡単な提案にも、彼女は目を輝かせて喜んでいた。


 その姿が……不安そうにお願いをして、俺の返答をいちいち不安そうに待っていて、特別でもないハズのことにこれだけ喜ぶ姿が、とても……かわいそうに思えてしまった。


 何かを間違えれば危害を加えられかねないとか、それでさっきの魔獣に襲われるより怖い思いをするかもしれないとか、そういうのは一回横に退ける。


 退けて……ひとりとひとりとして向かい合うと、彼女は…………とても小さくて、弱々しい子供にしか見えない。だから……


「名前……うんっ! えっと、僕は……僕はね……」


 僕の名前は……と、嬉しそうに名乗ろうとして……そして、少女は何かに気付いたのか、そこで黙ってしまった。


 思いとどまった……って感じだった。あやうくそれを教えてしまうところだった。って、顔にはそう書いてあった。


「……っ。その……僕の名前……は……」


 でも、言わないと、教えないと友達になって貰えないのかもしれない。なんて、そんなことを考えてるんだろう。


 感情がダダ漏れで、その足を止めてるものがなんなのかが痛いくらいに伝わってくる。


 俺が彼女に対して抱いているように、彼女もまた恐怖を感じてるんだ。もしかしたら、これまでと同じようになってしまうんじゃないか……って。


 何かを間違えたから友達になって貰えなかった。たぶん、これまでのことをそう考えてるんだろう。望まない結果は、自分が間違えたからなんだって。


 かわいそうだ。まだ怖いままだけど、そういう感情もどんどん強くなる。俺にとって今日会ったばかりのこの子は、これまでにどれだけの人に拒絶されたんだろう。


「……け……ケビンだよ。僕はケビン・マイク……だよ」


 しばらく黙った後、彼女はちぐはぐな名前を口にした。さっきまできらきら光ってた眼がくすんで見えたのは、錯覚じゃないのかもしれない。


「……男の子の名前だね。それも、どっちも」


 ここがどこかは知らない。もしかしたら、そういう女性名、そういうファミリーネームが実在するのかもしれない。でも、この時この場においては……


 その名前は違うだろうと僕に言われてすぐに、彼女の顔色はどんどん青くなっていった。


 また、間違えた。また、友達になって貰えない。また、また……って。考えてることがやっぱりダダ漏れで……


「えっと……本当の名前、教えて欲しい。いや……まあ、見ず知らずの人に個人情報を渡すな……って、防犯意識が高いのは良いことだと思うけど。でも、友達になるなら、さ」


 名前が特殊……なんだろうか。あるいは……と、最悪の背景も考えてしまう。


 彼女は本当に人間だろうか。背中に生えた大きな翼は、とてもそうは思わせてくれない。それに……


 これまでに友達がいなかった……人との関係性が希薄だって言うなら、家族はどうなんだろう。


 父親は。母親は。生まれてこの歳になるまでの間、彼女の隣には人がいたんだろうか。いたのなら、どうしてそこまでの孤独感を覚える必要があっただろうか。


 もしかしたら、彼女には名前なんて……


「…………っ。どろ……しー……」


「……ドロシー……? それが……君の名前?」


 嫌な想像を断ち切るように、少女はまた名前を口にした。今度は……どうやら偽名ではなさそうだ。でも……


「ドロシー……うん、良い名前。なんとなくだけど、雰囲気とも合ってる気がする」


 少女は……ドロシーは、名前を告げて以降ずっとうつむいたままだった。ずっと……何かに怯えたままだった。


 名前がない……なんて最悪はどうやら存在しなかったらしい。でも……それでも、彼女が苦しんだ過去、苦しんでいる事実に変わりはない。そこに恐怖は残ったままで、今も……


 でも、とにかくこれで一歩だけ近付けた……ハズ。少なくとも、お互いに呼ぶ名前すらない状態からは、確実に打ち解けてるハズだ。


「……ドロシー。ちょっと色々聞きたいことがあるんだけど、良いかな? その……君が俺を召喚した……って言ってたけど。まず、それがどういう意味なのか……から」


 ドロシー。と、名前を呼ぶと、彼女は肩を跳ねさせて怯えていた。その名前で呼ばれることが苦痛……なんだろうか。


 それでも、俺が話を聞きたいと言えばこちらを向くし、まだ青ざめたままの顔で頷いてもくれる。こっちが勝手に怖がってるだけで、基本的には無害な少女なんだろう。


「召喚した……呼び出したってことだよね。それで……まあ、その。何をどうやったのかも気になるんだけど、先に今困ってることを解決しよう。ここはどこなの? 日本……ではあるんだよね、言葉は通じるわけだし」


 あ、いや。外国の日本人向け観光地……なんてこともあるのかな。でも、その可能性は低い……んだろう。


 とにもかくにも、あの魔獣なんて意味不明な生き物が、この地球のどの国に生息してるのか。まずはそこから確認しないことには……


「……っ。え、えへへ……デンスケ……えへ……」


「……う、うん。伝助……だよ……?」


……前に進まない……わけだけど。ううん。


 ドロシーはぼそぼそと俺の名前を繰り返してて、まだ怯えたまま、それでもどこか嬉しそうに、楽しそうにしている。


 名前を呼ばれる……呼ばれて、忌避される経験はあっても、誰かの名前を呼ぶ経験はなかった……なんて話だろうか。


 話をしたい。質問に答えて欲しい。事情を把握したい。こっちの都合はいろいろ積もってるんだけど……どうやら、こっち以上に彼女の願望の方が火急の事情なのかもしれない。


 彼女にとって……ではなくて。俺にとって。


「……うん。デンスケだよ。俺はデンスケだよ、ドロシー」


「っ! デンスケ……えへへ」


 違うんだろう、根本が。俺が勝手に組み立てていた予定は、根本的な前提が間違っていた。


 彼女には人とコミュニケーションを取った経験がほとんどない。だから、こちらが問いを投げて、それに答えて。それから、今度は彼女が願いを口にして、それにこちらが応えるという、繰り返されるやり取りの当たり前がないんだ。


 ちょっとだけ、このドロシーという少女について理解が進んだ気がする。実年齢の話も込みで、彼女はまだまだ幼いのだ。あらゆる経験が少ないから、何をするにも時間が掛かる。


 少しずつ、安堵の温かさが心を溶かしていく。見ず知らずの場所にいた不安も、化け物に襲われた恐怖も、それすらも焼き払う少女への畏怖も、今は……少しだけ遠い。


 彼女の名前はドロシー。名前を呼ばれて、そして呼んで、それだけで喜べる薄幸の少女。


 まだ困った様子で笑うドロシーをじっと見ていて、この時になってやっと、髪が長いとか、纏っているローブがずいぶん古いとか、そんなすぐにわかるハズの情報を目が処理し始めた。

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