第八十二話【一歩前で】
村を出発してからおよそ半日。ずっと歩いていたわけではないけど、それなりの距離を移動すると、少し先に街が見えてきた。
聞いていた話の通りなら、あそこがアーヴィンなんだろう。ガズーラじいさんは出来ればかかわるなって言ってた、ハークスという魔術師が治める街。
「とりあえず、クリフィアよりはマシだとうれしいな。殺されそうにならないとか、意味不明な結界に閉じ込められないとか」
幸せのハードルが目いっぱい下がっている気がする。どうして、俺はただマーリンと一緒に楽しく旅がしたいだけなのに。
しかしながら、正直なところ楽な気分ではある。
その理由は、クリフィアとアーヴィンとでは、根本的な部分が違うから……違うと思っているから、だ。
クリフィアは魔術翁という最高位の魔術師が作った、魔術師の集まる街だった。
結果、頭のおかしいやつらが跋扈する、この世の地獄みたいな場所になってしまっていたわけだけど。
しかし、アーヴィンは違う。
ハークスという魔術師の大家が治めているとは聞いたが、しかし魔術師が集まる場所でないハズだ。
実際にそう聞いたわけじゃないけど、クリフィアと同じだったらそういう説明があってしかるべきだろう。しかるべきだぞ。
ガズーラじいさん、そこんところはどうなんだ。なんて、今更になっては問い詰められない。
でも、オールドン先生は信じられる。信用に値する。信頼しても背中から刺されたりしないだろうと安心出来る相手だ。
そのオールドン先生が、魔術師の集まる場所としてクリフィアの名前を教えてくれたんだ。
そのうえで、アーヴィンのことは話題に出さなかった。これは、ある種の結論と言っても過言ではないだろう。
アーヴィンは、魔術師に統治されているが、しかし魔術師の街ではない。
きっとそうだ。そうに違いない。そうであってくれ。お願いだから、あんなイかれた街が複数あってくれないでください。
「デンスケ、どうしたの? 顔色悪いよ? どこか痛い? おなかすいた? ちょっと休む?」
っと。悪いほうへ考えごとをしていると、どうにもマーリンに心配されてしまう。
甲斐甲斐しくてかわいいですなぁ……と、なごんでもいられない。あんまり心配させないであげないとね。
「大丈夫だよ。ただ、ちょっと疲れたからさ。ここのところずっと歩いてるからね」
「……そっか。ボルツにもキリエにも、ずっといたもんね。馬車に乗ってからは、毎日違うところで……えへへ」
毎日違うところに行けて、違うものが見られて、違う人と仲良くなれて、楽しい? なんて、聞くまでもないし言われるまでもないだろう。
こっちは疲れたって言ってんのに、どうにも楽しそうに、幸せそうに笑うマーリンを見れば、ちょっとだけあきれてしまいそうだった。本当に単純なんだから。
「アーヴィンにも、あんまりいない……んだよね? 目的地は、ガラガダで……」
そこまで言って、マーリンはごそごそと荷物を漁り始める。そしてすぐに、一枚の紙を……ガズーラじいさんに貰った、女の人の似顔絵を取り出した。
「今度も友達になれるといいね。それで、いつかマグルとも一緒に魔術の話でもしてさ」
「……えへへ。そうなったら、きっとたのしいね」
たのしいね。うれしいね。と、マーリンはだらしなく口を開いて笑っていた。本当にもう、ちっちゃい子みたいですなぁ。
「……おっと、そうだ。マーリン、このあたりに魔術の痕跡はないの? その……一応、さ。似顔絵の女の人が最有力候補とは言われたけど……」
さてと。楽しい未来のお話も、まずは今のことをちゃんとしないとね。
ここらで一度、確認をしておこう。と、俺はマーリンにそう提案する。
確認……とは、魔術の痕跡の確認だ。それがあるかどうか、あったとしていつかの湖の痕跡と同じか、と。
似顔絵の女の人が最有力候補と言われている。魔術翁も術師五家のハークスも、遠出して研究をすることが考えにくいから、と。
事実、マグルはあんな変なとこに変な魔術を使って引きこもっていた。
じゃあ、ガズーラじいさんの推論は、ここまではおおよそあっていると言っても問題ないだろう。
でも、それはそれ、だ。確認不足で見落としでもしたら、あとになってからじゃ気づきようもない。
「あんな離れた場所で魔術を使う機会があって、近い場所で使うことがないなんてよっぽどあり得ないよね。としたら……さ」
アーヴィンはもう目と鼻の先だ。もし、湖の魔術師がハークスだとしたら、このあたりには痕跡が残っている可能性が高いだろう。
しかしながら、それが見つかったからと言っても、アーヴィンのハークス家が目的の人物とは限らない。だって、ガラガダはアーヴィンから近いらしいんだ。
となれば、あれだけ離れた場所で見つかった痕跡がここで見つかったとしても、一切不思議はないだろう。
だから、これは確認。痕跡がなければ何も変わらないが、もしも見つかれば……アーヴィンもガラガダも、死ぬ気で探し回らないといけない。
すれ違ったまま先へ進んだら、二度と出会えないかもしれないんだから。どのくらい気合を入れるべきかを確認するんだ。
「……えっと……うーん。魔術の痕跡は……ある、よ。でも……」
「湖で見たのとは違う……と。なるほどなるほど……」
でもね。と、マーリンは困った顔で言葉をつけ足そうとする。でも……すぐには出てこない。
でも……のあとに続く言葉は、基本的には打ち消しになるだろう。ちょっとだけ子供っぽいしゃべりかたをするけど、そういうところは間違わない。
人と暮らした時間の短さを思うと、とんでもない学習能力だな……と、今更になって感心しちゃうね。
「でも……ね。全然違う魔術を使ってたら、違う痕跡が残ってるのが当たり前……だから」
「……なるほど。ここで見つかったのと湖で見つけたのが違ったとしても、使用者は同じかもしれない…………と?」
えっ。い、今になって前提条件を丸ごとひっくり返されてしまった。じゃあ、痕跡を追ったってまるで意味がないのでは……?
「えっと、えっとね……違う痕跡になる……けどね、一緒なんだよ。マグルの魔術は、いくつも見た……けど、でも……」
えーっと……? と、俺が理解出来ないでいるのを見て、マーリンはちょっとだけ慌てた様子で頭を抱えてしまった。
どうしたらちゃんと伝わるかなぁ……って、悩んでるらしい。うーん……俺のほうからなんとか助け舟を……それじゃ一緒に沈みかねない。橋をかけてあげないと……
「……痕跡は違うけど、魔術師を特定するための要素は一緒……ってことかな。たとえば……癖とか、傾向とか。あるいは……魔力の雰囲気が似てる……なんて話もあったりして」
違うけど一緒。というワードから連想出来る、今求められているポジティブな説明とすれば……まあ、この辺かな。
そんな打算と願望込々の俺の言葉に、マーリンは目を真ん丸にして驚いていた。どうしてわかったの? って顔だね。全部わかるよ……筒抜け過ぎるから……
「……その、僕にはマナが見える……から。残ってる魔力とか、属性の傾向とか。それ以外にもね、えっと……」
「あー、えっと。とにかく、いろんな要素があって、魔術の痕跡が違ったとしても、魔術師が同じ可能性は十分にある……そして、マーリンはそれをきちんと見極められそうだって話……なのかな?」
勝手に要約してごめんね。でも、魔術の詳しい話をされても……俺にはなんにもわかってあげられないから……
でも、マーリンはそんな俺にいらだちを見せることもなく、そうだよ。そう。すごい、なんでわかるの。と、そう言わんばかりにきらきらした目を向ける。ちょっとだけ罪悪感が……
「……それで。そんなマーリンから見たこの場所の……そして、アーヴィンの魔術師は、湖の痕跡と関係ありそうなのかな?」
「……今のところは、全然違う人……だと思う。ひとつひとつまったく違うやりかたで魔術を使ってるんじゃなければ……だけど」
違うやりかた……ってのは、言霊とか陣ってやつが違うって意味じゃないんだよね。そこは魔術ごとに違うのが当たり前っぽいもん。
とにかく、アーヴィンには湖の魔術師が住んでる可能性が低そうだ……と、そう考えていいのかな。
としたら……ちょっとだけ気が楽だね。すれ違う可能性も低いってことだから。
そうしてちょっとだけ……ほんのわずかだけ安心すると、俺達はさっそくそのアーヴィンへと向かう歩みを速めた。
安心はしたけど、油断は出来ないからね。可能なら早めに到着して、細かく調べたいから。




