第七十一話【時間】
なんにもない草原の真っただ中で、しばらくの思い出話に花を咲かせると、マーリンはすっかり元気になっていた。
単純と言うか、素直と言うか。きっと、こうやって切り替えられるメンタルがあったから、何回拒絶されても友達を探し続けたんだろうな。
「……うーん。感心しつつも、涙が出てしまうでござるよ……」
「……? どうしたの? 泣かないで、デンスケ。大丈夫だよ。きっと友達出来るよ」
いえ、友達が欲しくて泣いてるわけではなくてですな。
勝手に憐れんで泣いててもしょうがないし、そもそも失礼極まりない。
すっかり笑顔になったマーリンを見れば、一時的な涙はすぐ引っ込んだから。
目尻を指で拭って、俺はまたマーリンの手を取った。今度は、ここから歩き出すために。
「さてと。じゃあ、どっか行こう。ここらに魔獣はいなさそうだけど、だからって雨風もしのげない場所じゃ野宿もままならないし」
吹き曝しの中で寝泊まりする胆力はまだ持ち合わせてない…………と、思う。
やったことがないからわからないだけで、もしかしたらもうそこまで麻痺してしまっているかもしれない。
うん……麻痺……だよね、絶対。成長でもないし、強くなったわけでもないよ、そんなの……
しかし、今ここから見える景色には、残念ながら山も森も見当たらない。
クリフィアを挟んで向こう側には、森があったように見えた。あるいは、この近くで廃屋なんかを見つけられれば、それが一番いいんだけど……
「ナチュラルに森で寝泊まりする思考回路なの、やっぱり毒されてる気がするな……じゃなくて」
「ひとまず、街の南側へ向かってみよう。それで、途中に屋根を見つけられたらラッキーくらいの気持ちで」
ラッキーのハードルが低い、我ながら。でも、それでどうにかなるくらいマーリンが頼もしいからね。
食料の確保も、身辺の安全確保も、それに暖の確保もお手の物だ。最後のはマーリン本人じゃなくて、彼女から切り離されたモフモフ生物の力だけど。
「あっち……だね。まだ明るいから、今日はもっとお話出来るね。えへへ」
「そうだね、まだまだ明るい……遅くてもお昼過ぎだもんね。影がまだ短いし」
この世界は太陽と地球との関係が違うから、日の長さと時間は関係ありません……なんて、今更になってそんなちゃぶ台返しを食らわない限りは、今はまだお昼前後で間違いないだろう。
それにしても、少し意外だった。馬車と別れたのが朝のことで、クリフィアに到着したのはそこからさらにあと。それからしばらく誰とも会わなくて。
会ったと思ったらあのありさまで、大慌てで逃げた……とはいえ、街から飛び出して、ここまで逃げてきて、思い出話もずいぶん長いことしてたつもりだったけど。
「……誰ともすれ違わなさ過ぎて、変わり映えがなさ過ぎて、時間感覚が狂ってた……のかな?」
体感的には、もう夕方でもおかしくはない……つもりだったんだけど。でも、事実として日はまだ高いところにある。
じゃあやっぱり、どこかでズレたんだな。
何もわからないところで、何も起こらないまま、ただ歩くだけの時間があったから。その間が無性に長く感じたんだろう。
「……いや、いやいや。それにしても……だぞ。うーん……?」
時間が経つのが遅いなぁ……って、そう思ってたとして、だ。それで、果たしてここまでズレるだろうか。
そりゃ、普段から時間管理ばっちりなわけじゃない。
でも、この世界に来てからは、時計もロクにないもんだから、それなりに体内時計が出来上がってたつもりだ。
まあ……その体内時計も、正しい物差しと照らし合わせる機会がなかったから。
最初から狂ってたと言われたら、それまでかもしれないけどさ……
「……マーリン。クリフィアに到着したのって、いつごろだったかわかる? 俺は……馬車から降りて、それからしばらく歩いたから……その時点で、もうお昼前だったと思うんだ」
でも、ものさしが曖昧だとしても、日頃の感覚と比べてみたら……やっぱり、ちょっと違和感がある。
時計がないとはいえ、そのぶんだけ太陽の傾きには注意して生活してたんだ。
今日になっていきなり夏にを迎えたんじゃなければ、こんなに一日が長いわけ……
「えっと……街に着いたのは……うーん……」
そういう生活は、俺よりマーリンのほうが長いから。もしかしたら、俺じゃわからないような細かい違和感を、彼女なら拾ってるかもしれない。
そう思って、今は何時ごろだろう……みたいなことを聞いたんだけど……
「うーん……うぅーん……? お腹はまだ空かないから、ええっと……」
マーリンは普段からああいう生活で、時間を気にする必要なんてどこにもなかった……からかな。
慣れてはいるものの、だからこそ時間感覚があいまいみたいだ。
もしくは、体内時計は正確だけど、それを実際の時計に落とし込む方法を知らないか。
「……ごめんね、デンスケ。楽しみだったから、あんまり覚えてないや……」
「そっかそっか、それじゃしょうがない。俺だって覚えてないんだからさ、謝らなくてもいいよ」
そうだよね、わくわくしてたら時間なんてあっという間だよね。
あんな対応されるまでは、俺だってそれなりに楽しみだったんだ。まあ……街中は不気味で怖かったから、その時点でわりと……アレだったけど。
それにしても、ちょっとだけ困ったな。今が何時なのか……とまで細かくはわからなくてもいいけど、お昼なのか夕方なのかもわからないのはな。
もちろん、今日のことだけを思うなら、それでも全然問題ない。でも……
明日にはまた次の目的地へ……アーヴィンってところか、あるいはその先のガラガダへ行ってしまいたいんだ。
そのときに、このくらいの日の高さなら、日暮れまではあとどれくらい……って感覚が狂ってると、大自然のど真ん中で夜を迎えかねない。
まあ……それでもひと晩過ごせちゃうからこそ、ちょっとだけ困った……なんだけど。
「でも、あとに引きずっても嫌だもんな。マーリン。今から日が暮れるまで、どのくらいかかるか出来るだけ覚えておこう。こうも目印のない場所じゃ、難しいだろうけどさ」
しょうがないから、このときから計りなおそう。
そこまで正確な数字はいらないにせよ、この日の高い今から歩き始めて、どのくらい進めば日暮れを迎えるのか、くらいは知っておかないと。
マーリンは俺の頼みに力強くうなずいて、じーっと空を睨みながら歩き始めた。
こらこら、危ないから前向こうね。あと、そんなに見ても太陽はすぐに動かないよ。
「っと、そうだそうだ。マーリン、街と俺達の位置を覚えておこう。それで目印になるよ」
「とりあえず、影が伸びるほうを向いたときに、街が……この方角だ。これが、日暮れごろにどっちにあるかでなんとなくわかると思う」
これなら、多少はほかのことをしながらでも困らないだろう。と、そう伝えれば、マーリンはうれしそうに、じゃあまたお話出来るね。なんて笑った。
もう、本当にかわいいですなぁ、マーリンたそは。
「おじいさんが言ってた、ガラガダの女の人。どんな人かな。怖くない……といいな。友達になれるかな」
「そうだね、それが一番大切なことだよね。でも……そうだな。俺としては、ほかにも気になることはいろいろあるよ。たとえば……」
ボルツは楽しかった。オールドン先生の手伝いが……ってのもひとつ。それ以外でも、そもそもあの街は面白かったから。
モノづくりの街は、いろんな技術とヘンテコ発明がたくさんあって、どれだけいても飽きなさそうだった。
キリエも住みやすい街だった。それに、このあいだは立ち寄れなかったけど、湖が本当にきれいだった。
次に行くときには、水着でも準備して、合法的に水浴びを楽しみたい気もする。
いえ、違法水浴びってものもないんですがな。ただ……さすがに公共の場で全裸は……
馬車の旅だって楽しかったし、それに頼って貰えるのはうれしいみたいだから。また、魔術師として仕事を受けられたらな……って、俺は勝手にそう思ってる。
マーリンが意外とめんどくさがりで、出来ることなら働かずに友達だけ欲しい……なんて考えなら、それはそれでちゃんと教育しなきゃだけど。
「……うん。次はどんなとこに着くかな。出来れば、もうおっかない目には遭いたくないね」
楽しい明日は、きっと想像とは違う角度からやってくるんだろう。これまでもそうだったんだから。
俺もマーリンも、嫌な出来事があったなんてすっかり忘れて、今日はどうしよう、明日はどうなるかな。って、わくわくする話で盛り上がり続けた。
盛り上がって、時間が経つのも忘れるくらい、夢中になって……それで……
「……? あ……れ? マーリン。俺達、どれだけ歩いたっけ。どれだけ……時間、経って……」
「……え? デンスケ、どうしたの? どれだけ……えっと、こっちを向いて、街が……あっちにあったから……あれ……?」
それなりに歩いた……ハズだ。少なくとも、十分二十分のことじゃない。一時間……いや、二時間は経ってる……ハズなのに。
ここから時間を計ろうって決めたとき、南を向いたら街は左前……南東の位置にあった。それで……
街は……まだ、左前にある。近づいてる様子すらない。足元の影は、まだ短いままだ。
冷たい汗と一緒にやってきたその違和感は、ナイフを向けられたことよりずっと恐ろしいものに思えた。