第六十九話【立ち止まる】
「――はっ――はっ――はあ……はあ……に、逃げ切った……か」
クリフィアに来てから、やっとのことで人の姿を目にした……と、思った矢先の出来事だった。
いきなり押しかけたのはこっちだ。無礼があったかもしれないと、自らを省みることもしよう。でも……だ。
訪ねた家屋の住人は、俺達の顔を見るや否や、バラさせろ……解体させろと、あまりに物騒な言葉を叫びながら、大きなナイフをこちらへ向けたんだ。
いくらなんでも、そこまでされるいわれはないぞ。
「な……なんだったんだよ、あいつ……っ。ガズーラじいさんでももうちょっと……もうちょっと……ちょっとだけ……うーん?」
初手で銅像の下敷きにしようとしてきたあの偏屈爺さんと比べたら、まだマシな可能性が……? いや、いやいや。まだマシとか、そういう話じゃない。
いくらなんでも情緒がおかし過ぎる。たとえどんな無礼があったとしても、初手で殺しにかかるやつがどの世界にいるんだ。
この世界にいるのか……とりあえず、ふたりも……っ。じゃなくって。
「ああもう、考えごとが全部まとまらない。余計過ぎる前例を作ってくれやがって、あのじいさん」
ガズーラじいさんが危ない人過ぎて、さっきのやばいやつがちょっとかすむじゃないか。いらないよ、そんなところへの慣れは。
しかしながら、ひとまずは逃げ切ったことに安堵しよう。怪我は治るって言われてるけど、痛いものは痛いし、それに……死んでも治るとは言われてないからね……っ。
そんなものは試しようもないし、死ぬつもりもないのに教えて貰いたくもないよ……
後ろを見ても、周りを見ても、さっきの家があった方角を見ても、誰もいない。うん、よし。完全に逃げ切った。
そう。逃げ切れた。当たり前と言えば当たり前だけど、マーリンはこれで案外体力あるし、俺だって仮にも現役高校生だ。高校ないけど、この世界に。
魔術師が学者なら、そんなもやしっ子には追いつかれない自信がある。あった。そして、今回で確信に変わった。
別に、この世界の人は、特別に身体能力が高いわけじゃないんだな。マーリンとフリード以外の例をほとんど見てないから、もしかしたら……って可能性もちょっとだけあったんだけど。
「……それがわかったからなんだって話だけどね。マーリン、大丈夫……って、聞くまでもないか」
さてと。落ち着いたことだし、とりあえず状況整理だ。
大丈夫だった? と、尋ねようとした相手は、息も切らさずに、けれどすっかり落ち込んで肩を落としてしまっていた。
聞くまでもない。見るまでもない。確認するまでもなく、こうなるとは思ってた。
この程度の運動じゃ、マーリンは息も上がらないだろう。
そして同時に、あれだけ明確に拒絶されれば、嫌な思い出も相まって、つらい気持ちになるに決まってる。
「……ガズーラじいさんのときは、なんとかなったけどね。でも……今回は事情が違う」
そうだ。ガズーラじいさんとは、事情がすっかり変わってしまっている。
あのときは、情報を集めるという目的があった。そのために、何か知ってそうなおじいさんを訪ねる価値があった。
それに何より、攻撃の理由が誤解だと判明していたんだ。クリフィアから連れ戻しに来た……と、そんな勘違いが原因なんだって。でも……
今回は違う。用事はたしかにあるけど、それについてはガズーラじいさんからもアドバイスを貰ってる。このクリフィアは、出来ればスルーで行け、って。
そのうえ、今度は誤解が原因じゃない。あの男は、マーリンの身に残っている魔力痕を見て……マーリンが特別な魔術師だと理解して、だからこそ解体させろと迫ったのだ。
解体してなんになるのか、何をするのかは知らない。でも、あの攻撃性は、マーリン個人へ明確に向けられていた。正しい認識があったうえで……だ。
「おじいさんの言う通り、この街は無視して進んだほうがいいのかもね。せっかく来たばっかりだけど……」
そして、ガズーラじいさんの件と決定的に違う部分。それは、あの男だけが特別ではない可能性が高いことだ。
キリエの街には、ほかに魔術師がいなかった。どんなに悪い方向に見積もっても、おじいさん以外に同じ勘違いで同じ攻撃性を向けてくる人は誰もいないんだ。
でも、このクリフィアは違う。
ここに住んでいるのは、ほとんどが魔術師……なんだろう。少なくとも、みんな引きこもりがちで、呼びかけにも答える気がない。そんな人ばかりだ。
そうなると……さっきの男だけが特別とは思い難い。
端的に言い表すならば、マッドサイエンティスト……とでも呼ぶべきか。この街には、そんなのばっかりが住んでいる可能性すらあるんだ。
そりゃ、ガズーラじいさんもこんなとこさっさと逃げ出して、絶対に戻るもんかと腹をくくるよ。
「宿も……ちょっと、無理そうだよね。それっぽい建物すらないし、あったとしても……」
同じような目に遭いかねないし。
そうなると、早いうちに出発して、さっさと別の街か村に辿り着かないと。また野宿になってしまう。野宿でも困らないけどさ。困んなくなっちゃったけどもさ。
しかしながら、マーリンはまだショックが大きいらしくて、何も言わずにしょんぼりしたままだ。
俺だって結構なダメージを受けたからなぁ。友達になりたいって願望がもっと強くて、人に拒絶された経験がもっと多い彼女は、俺なんかよりずっとずっと落胆して当然なんだ。
「……マーリン。もうちょっとだけ、頑張る? それとも……早くここを出て、次の街で友達になってくれそうな人を探す?」
選択を迫ってみても、マーリンはうなずきも首を振りもしない。まあ……無理もない、か。
今のマーリンには、それに期待を込めることも難しいんだろう。もし、次の街でも同じことが起こったらどうしよう……って。どうしても思ってしまう。
彼女は昔、同じような出来事をそこら中の町や村で味わってるわけだから。そういうイメージは簡単に浮かんでしまうんだ。
それに……今は、俺が友達として隣にいるから。
キリエに戻ればガズーラじいさんもいるし、ボルツにはオールドン先生もいる。会えるかはわからないけど、フリードだって友達になってくれた。
だから、今はもう欲張らなくてもいいや……って、そう思ってても不思議じゃない。
「……デンスケ……僕はやっぱり、人間にはなれない……のかな……っ」
しばらくの沈黙のあとに、マーリンは今にも泣きそうな顔でそんなことを言った。かなり打ちのめされてるな、これは……
「そんなわけないだろ。マーリンはもう立派な人間……いいや、違う。もう、普通の人間になったんだ。今回は、相手が普通じゃなさ過ぎただけ。むしろ、人間じゃないのはあっちだ」
でも……と、マーリンはしょんぼりしたままだ。なんとかして励ましてあげたいけど……簡単なことじゃないよな。なにせ、トラウマを思い切りえぐられたんだから。
「……マーリン。街から出てさ、ちょっとのんびりしよう。前みたいに、ふたりきりで。いっぱいお話して、ゆっくり休んで。それで、楽になったらガラガダってとこを目指そう」
時間をかけるべき……だよね。いくらなんでも、急なことだったし、あまりにショッキングだった。こういうのは、時間をかけてゆっくり落ち着かせてあげるべきだ。
マーリンは俺の言葉に、否定も肯定もしなかった。決定するだけの気力もない……か。
だから俺は、彼女の手を取って、無理矢理にでも歩かせる。
とにかく、こんなとこにいたんじゃ危ない。あいつに見つかるかもしれないし、不気味な雰囲気で余計に気が滅入ってしまうだろうし。
鉢合わせるのだけは絶対避けないと。と、俺は入ってきたほうとは反対へと進んで、街の外へ出た。東から入ったから、西へ。
そして……魔獣と鉢合わせることがなかった、ここまで馬車で来た方角へ――北へと足を向けた。




