第五十一話【示される道】
ボルツでの滞在も五日が経過した。
例の湖の魔術師に関する情報は……何も手に入っていなかった。
となると、こっちのほうには来てない……来てても、何も残さずにすぐどこかへ行っちゃった……のかな。
オールドン先生も、思い当たる節はないとのことだった。
冷静に思えば、その時点でこの街へは来てないと思うべきだったかも。
いや、受付のおばちゃんの反応の時点で……か。
それでも、しばらくお世話になった甲斐はあった……って、俺は勝手に思ってる。
なんでかと言うと……
「先生、今日は何したらいい? なんでも任せてね」
あんなに人見知りだったマーリンが、自分から仕事を貰いに先生のところへ行くようになった……のは、単に先生を友達として認識したからだろう。
そこも大事だけど、それじゃなくて。
先生の手伝いで働いてるときも、宿へ戻ったあとも、マーリンは普段よりちょっとだけ楽しそうだったんだ。
それはきっと、魔術を……生まれ持った力ではなく、人がこれまでに積み上げた研鑽の結果を、理解し始めたことがうれしいんだ。
彼女が言霊を使うようになった理由はきっと、人と同じになるため、だ。
だから、自分がより人間に近づくことは、喜ばしいことなんだろう。
そんなことだから、マーリンはここのところ楽しそうにオールドン先生の手伝いに励んでいる。
そして、今日も……
「おはようございます。今朝も元気ですね」
「けれど……すみません。今日は頼めそうなことがないのです」
「いえ、今日からは……と、そう言うべきでしょうか」
「……えっ」
今日も……うきうきした顔で先生のところを訪れたんだけど。
もしかして、手伝えるような簡単な仕事はもう終わっちゃった……のかな。
「先生。マーリンの実力はもうご存じでしょう。難しい仕事でも、貴方に教わればきっとすぐに出来るようになります」
でも……一回もなんの役にも立てなかった俺が言うのもなんだけど、マーリンには確かな才能がある。魔術の出力が……とかの話じゃなくて。
もともと出来ることだってのを抜きにしても、マーリンは飲み込みが早いほうだと思う。
教わったことをすぐ出来るようになって、出来るようになったことを簡単に忘れない。
見てて気持ちいいくらい、やれることを毎日増やしていた。
そんなのは先生も知ってるハズだけど……それでも、やっぱりまだ未熟な見習いに見えてしまうのかな。
結果はすごいけど、過程はまだまだ抜けが多い……みたいな……
「そうですね、彼女の成長はたしかに目覚ましいものがあります。けれど、そうではなく」
力量不足が理由じゃない……なら、いったいなんで。
俺もマーリンも揃って首を傾げてしまったから、先生はちょっとだけ笑って答えをくれた。
「もともと受け持っていた仕事は、昨日までですべて終わらせてしまったのです。私ひとりの予定でしたから、はじめは」
貴女の助力がそれだけ大きかったのですよ。と、先生はそう言うと、マーリンに頭を下げた。手伝ってくれてありがとう、って。
「ボルツは大きな街ですが、だからこそ魔術師に頼らなくとも十分なのです」
「地質の調査をすれば、魔獣の発生原因を突き止めることも出来るかもしれません。ですが……」
たとえそれを突き止められなくとも、そして発生を抑止出来なかったとしても、この街は現れた魔獣に対処する力があります。と、先生はそう続けた。
「この検査所も、王都に一定期間内の情報を送るために作られたものです」
「そして、それにはひとりの術師がいれば十分だろう、と。なので、しばらくは何も仕事がないのです」
「そうだったんですか……」
先生の話は、納得は出来なかったが、しかし理解は出来た。
原因がわかったほうがいいに決まってる。
抑止出来るならそれに越したことはない。
だって、それが一番被害が出ないんだ。でも……
マーリンがいたからこれだけ早く終わったけど、実際にはもっともっと時間がかかるんだ。
それに、場合によっては危険な場所へも行かないといけないだろう。
それを仕事として、それも長期間成立させようと思ったら、もっともっと魔術師を配属しないといけない。
それは……難しいことで、だからこそ先生はひとりなのだろう。
「そういうわけです。私は貯金がありますし、それに暇な時間は研究に没頭するだけですから。何も困りはしません」
「けれど貴方達はそうではない……ですよね」
「……そう……ですね。ここで働けなくなった……のなら、街で別の仕事を探してもいいんですけど……」
でも、ここに定住するのが目的じゃないから。
そのことは先生もわかってる……湖の痕跡については質問してるから、なんとなく察してるみたいで。
どこかさみしげに、けれど優しく笑って、一通の封筒を机の引き出しから取り出した。
「貴女の実力については、誰が見ても認めるところでしょう。けれど、新しい街へ行くたびにそれを証明していてはきりがありません。なので、これを」
そう言って渡された封筒の中には、一枚の紙が……羊皮紙……かな?
普段メモ書きに使うのとは違う、厚くて頑丈な用紙が入っていた。
「大きな街なら、たいていは検査施設があります。魔術師による環境の魔力検査は、国が定めた義務ですから」
「そういった施設になら、それを見せればすぐに信頼を得られるはずです」
そっか、ここって国営の施設だったんだ。
じゃあ、先生も……と、納得もしつつ、その用紙を封筒から取り出して目を通す。
そこには、マーリンの名前と、その能力を証明するという旨の文章と、そしてオールドン先生の署名と捺印がされていた。
「これって……紹介状……ですか?」
「そうですね、そういったものに近いでしょう。ただそれは、街から街へ……市長や領主から出される紹介状とは違いますから」
それで得られる信頼は、魔術関係の施設でのみになるでしょうか。と、先生は少しだけ苦笑いを浮かべてそう言った……けど。
「ありがとうございます、すごく助かります」
「正直、ここへ来たときもちょっと困ったんですよ。前にいたところでは通じたやりかたが通用しなくて……」
「はは。もしかして、貴女の魔術でなら魔獣退治も簡単だ……とでも売り込んだのでしょうか」
うぐっ……すごくピンポイントに大正解を引かれてしまった。
何も言い返せないし誤魔化せない俺を見て察したのか、先生はまた苦笑いで首を傾げてしまう。
「そうですね、貴女の力なら十分な説得力があるかもしれません」
「けれど、それがいつでも求められるとは限りませんからね。ボルツよりも兵力の充実した街は少なくありませんから」
そう……だよね、やっぱり。
最初の街で紹介状をくれた領主はきっと、そこも加味して紹介先を選んでくれたハズだ。
そのレールには乗らなかったんだけど。
「しかしながら、学者はどこでも求められるでしょう」
「ここもそうですが、国が定めた規定ギリギリの人員でやっているところばかりですから」
「魔術師自体の数が多くないこともそうですが、優秀な人間は皆、王都かクリフィアに集まってしまうので」
「なるほど……どこも人手不足で、そのうえ……」
魔術師はそもそも自分の研究があるから。
先生の言いかたを思うに、押し付けられた仕事はさっさと終わらせてしまいたいのかな。
「……ところで。探している魔術師がいるのですよね。湖に魔力が残されていた……とのことですが」
仕事がない事情について納得しているところへ、先生は急に話題を変えた。
何かを思い出した……と言うよりは、今なら話すべきかと判断した……って感じだった。
「はい。マーリン曰く、並外れた魔術師だろう……と」
知識や常識はここに来るまで欠けてたにしても、魔術そのものに対する物差しはあったんだ。
それこそ、あのすさまじい出力が当たり前になってる、大き過ぎるスケールが。
そんなマーリンから見てもすごいってことなら、魔術師に聞けば情報が集まるかな……って、そういう話でここまで来たんだけど。
「ならば、一度クリフィアを訪ねてみてはどうでしょう」
「先ほども言いましたが、腕の立つ魔術師は王都へ向かうか、クリフィアに工房を構えることが多いので」
「そこへ行けばいるかもしれない……いなかったとしても、そこの出身な可能性が高いってことですね」
クリフィア……か。そう言えば、初対面でそこの出身なんじゃないかって聞かれたっけ。
そっか、魔術師が集まる街なんだ。
「ここからそう遠くありませんが……少し交通の便が悪いのですよね」
「一度北へ向かう馬車へ乗って、キリエを目指すといいでしょう。そこからならば、行商の馬車ですが、直通で向かえるはずです」
交通の便……馬車……ああ、うん。
そっか、そりゃそうだ。歩いて旅してるわけないよね、普通の人は。うん……そっか……
まあ、これまでのことはいいとして。ひとまずの目的地は決まった。
馬車に乗って……かどうかは、また相談するとして。キリエって街を目指すところからだ。
「短い間でしたが、とても助かりました。ありがとうございます」
「こちらもすごく助かりました。お世話になりました」
俺もマーリンも揃って頭を下げて、オールドン先生のところをあとにした。
出発は明日……として。今日はもう仕事もないわけだから、買い物でもして休もう。
なんだかんだ、稼いだお金もご飯と宿代にしか使ってなかったし。
ちゃんと観光もしよう、せっかく来たんだからさ。