第五百十四話【魔女の田んぼ】
主に外国の映画やドラマ、音楽のグッズを専門とした古物商を営みながら、趣味として小説を書いて、さらにはケーキ作りの練習をする。
そんな充実した生活が、なんだかんだと五年続いた。
正直、どれだけ商売の才能があるとしても、こんなに長く続けられるとは思ってなかった。
個人での売買にはどうやっても限界が……品数にも、値段にも、体力にも時間にも問題が発生するとわかっていたから。
でも……なんて言うか……本当に、本当の本当に、拙者にはこういう才能があったみたいなんですなぁ。
人を雇って、倉庫を大きくして……とまあ、つまり……起業をして。しれっとひと財産築いてしまったんですぞ。
しかしまったく、気づけばこんなところまで来てしまった……ってやつですな。
けれど……商売に打ち込んだこの五年、その前段階での四年。それと、役者として奮闘した一年。まだ夢に捕らわれたままだった学生時代が三年。
のべ、十三年が経過した。それでも……俺の中には、まだあの美しい思い出がしっかりと残って……
「……歳は取りたくないもんだなぁ。ケイマントさん、本当にすごかったんだな。あんなにハッキリと説明出来るくらい覚えてるなんて……」
……もう、ドロシーの声も、フリードの顔も、おぼろになってしまっていた。
忘れたいわけじゃない。むしろ、どれだけ経っても思い出せるようにしていたかった。だからこそ、わざわざ小説なんてものを書き残したんだし。
でも……時間の流れは残酷で、あんなに愛してやまなかったふたりの顔が、声が、しぐさが、日に日に思い出せなくなっていく。
かつての俺は、それが怖かった……んだよな。
それが怖くて、絶対にそうなりたくなくて、みんなの名前を呼ぶこともやめて、きれいなままの夢に蓋をしようとしていたんだ。
もしかしたら、そのままだったら……何回も開けて中をのぞき込んだりしなかったら、ずっときれいに残ってたのかな。
糧として、自分を作ってくれたものとして、つまり……過去として、認めさえしなかったら。ずっと、その夢に捕らわれていたなら、もしかしたら……
でも、現実はそうなってない。
俺はあの出来事を……ドロシーによって得られた最高の日々を、トロフィーとしてケースに飾っておくのはもったいないと思ったんだ。
これは、俺が生きた証なんだ。って、自信を持って、胸を張って、高く掲げる道を選んだ。それに悔いはない。
悔いはないけど……しかし、ちょっと、自信を持ち過ぎた……かな。さてさて……
五年も商売を続けて、うまく行き続けて、それが突然こんなセンチメンタルな考えごとをし始めるとなれば、それは当然、大ごとが起こった……わけなんだけど。
その大ごとが……本当の本当に大き過ぎて、もう……なんか……
「……ぷっ。はは……はははっ。ドロシー、ごめん。一緒にやろうねって約束したのに。俺ひとりで開けることになっちゃったよ」
笑えてしまうんですなぁ……笑うしかないと言いますかな。
俺は……商売人としてしっかりとした大金を作った俺は、培い続けたケーキ作りの腕を発揮するために、地元に帰ってケーキ屋を開くことにした。
これは、割と早い段階からやろうと思ってたこと。デンスケとしても、田原伝助としても、やりたかったことだから。
で……なんですがな。問題はここから先。と言うか、お店を出す前提条件。
最初はどこかにテナントを借りて……と、そう思ったんですが。
今更実家に帰るのもなあ……と、高校卒業と同時に飛び出した事実がちょっと足を止めまして。
じゃあ、どこかに部屋を借りて……とも思ったけど、まあ……なんと言いますか。せっかく……その、お金があったもんですから。
「まさか、そっちでもやらなかったことをやる日が来るとは。まあ、そりゃいつかは追い抜くとは思ってたけどさ。どうだ、見たか、勇者デンスケ」
お店……建てちゃったんですなぁ。戸建てで。
一階にはキッチンとフロア、お客さん用のトイレ、そして倉庫がふたつ。
で……二階には、一階が広い都合、ひとりで暮らすにはあまりにも過剰な居住スペースを設けた、夢のマイホームを建ててしまった。
それで……うん。それで……まだ、大ごとはこれじゃないんだよね。
こうまで俺を動揺させる大ごと……ってのは……まあ……その……うん。
起業した……とはいえ、その……務め人ではない、個人事業主で、しかも収入が安定していなかったので……
「……どうだ、見たか、勇者のほうのデンスケ。お前……お前でも、王都であんなに頑張ったお前でも、この額が一気に消し飛ぶ瞬間は見ると思わなかっただろ……っ」
……住宅ローン……組めなかったんですなぁ……っ。
やばい。かなり、やばい。もう、心臓が今にも弾けて死にそうなくらいバクバクしてる。
あり得ないんですな。自分でもびっくりする桁の貯金を作ったハズなのに、自分でも信じられない桁の支出が記帳されてるんですぞ。
こんなのもう……もう……何がなんでも成功させないと、来年の税金で首を吊るハメになってしまうではござらんか……っ。
「……と、とととととりあえずキッチンを試運転しましょうかな。直火のオーブンなんて使ったことないんですから、とにかく練習……数をこなさなくては……」
なんでそんなのに手を出したんだよ。
そりゃ、電子オーブンじゃ一度に焼ける数が少な過ぎるからだよ。
なんでそんな規模で店出そうとしてるんだって聞いてるんだよ!
そんなの俺が聞きたいよ! ていうか、今もなお自問自答してる最中だろうが!
「こ……これですかな? これを……こうしたら……ほほっ⁉ 火! 火が出ましたぞ! 火ぃーっ!」
いや、そりゃ出るよ。オーブンなんだから。
しかし……こうしていざキッチンに立ってみると……やり過ぎた感がひしひしと……じゃなくて。
「……ぷっ。これからお前は、燃え盛る紫陽花くん一号だ。焼き加減の調整は完璧になってたから、なんでも燃やし尽くすことはないだろ」
そんなオーブンがあってたまるかという話だけど、ゲン担ぎ……でさ。
じゃあ、キッチンの照明……電気のスイッチは、揺蕩う雷霆くん? 天井のバカデカいダクトは踊るつむじ風くん?
なんて……ひとつひとつ名前をつけてたら……痛い人になってしまうので。
「……屋号、魔女の……魔女の……えー……ドロシーズ……うーん……」
店に全部背負って貰おう。全部ひっくるめて、ドロシーたその優しさとかわいらしさと愛おしさと切なさと心強さを表す名前を。
「……魔女……の……伝助……田原……原……平原……は、ちょっと嫌なイメージもある……から……田……田んぼ……」
魔女の……田んぼ? と、ひとりで呟いたその瞬間に、どうしようもない絶望感と失望感が沸き上がる。
なんで……なんでお前、そんなにネーミングセンスがないの……?
「……うん。魔女の田んぼ……にしよう。なんて言うか、ドロシーらしいし、俺らしい。俺達らしい名前だ」
まあでも、そういうところ、俺もドロシーもあんまり得意じゃなかったしな。
じゃあ、ちょっとダサい感じでちょうどいい。うん……黄金騎士とか、今振り返るととんでもなくダサい異名を押しつけてるし……ちょっとくらい罰を受けないと……
かくして、古物商の田原あらため、パティスリー魔女の田んぼ、これにて開店ですな!
いえ、まだしばらくは宣伝期間と、開業届を出したりの準備と、そもそもこの設備を使いこなす時間が必要なんですが……でも! 開店ですぞーっ!




