第四十八話【丈の合わないその名前】
オールドン先生に連れられて、俺達は……と言うか、マーリンは、地質調査の手伝いをするために、街を囲む高い壁の外へと出ていた。
「ここのところ、魔獣の数が増えていまして。その原因を特定するために、そして対策するために、環境の変化を調べてるところなんですよ」
「もっとも、私ひとりでしたから。その手もほとんど進んではいないのですが」
先生の説明を聞くと、おばちゃんが言っていたことにも納得がいった。
魔術を知ってるってだけでもありがたい、まさしく猫の手も借りたい状況だったんだな。
「それで、俺達は何をすればいいんですか? 環境の調査……ってことでしたけど、それって具体的には何をするんでしょう」
さて。求めて貰えるのならば全力で応えたいところ。
だけど、俺に出来ることは限られるから。
マーリンが本当にすごい魔術師であること――それも、魔術師から見ても格別であることを知った今、もはや疑うところはない。
彼女の実力を発揮させてあげることこそが、俺に出来る唯一の、そして最大の貢献になるハズだ。
となれば……凄腕と評されたのに、今からすることになんの見当もついていなさそうなマーリンに代わって、すべきことを尋ねるのが役目か。
本人から聞いたら、なんか……意外と大したことないのかなとか思われかねないし。
「やること自体は単純なのです。各ポイントのサンプルを採取していただきたい」
「単純だからこそ、人手を増やす以外に効率を上げることが出来なくて……」
「……サンプル……? それってつまり、土とか……」
生えてる植物とか、水場なら水とそこに浮いてる水草とか……? なんとなく想像は出来る……けど。
それって、魔術師じゃないと出来ないこと……なのかな?
だって、土をほじくって持って帰るだけなら、それこそ子供にだって出来ることだ。
でも、先生は魔術師の手伝いを求めていた。
じゃあ……俺が考えてるようなことじゃない……のかな。
「説明するより、一度見せたほうが早いでしょう」
「っと、そうです。魔術師との紹介でしたが、錬金術についても明るいかたなのですよね?」
「魔力痕を見るに、五属性すべての特徴が残っていますし」
「……? えっと、僕は……」
錬金術……? またなんか、新しいワードが。
でも、言葉自体にはなじみがある。その実態には……うん。
それに、五属性……ってのはなんだろ。エレメンタル的なことなのかな?
え、ちょっとわくわくするでござる。
青龍、朱雀、玄武、白虎に加えて、麒麟の加護を得た五人の聖戦士が……みたいな、そんな話が飛び出すんでござるか?
「……ええと……? 貴女は魔術師……なのですよね?」
「ならば、属性については当然ご存じでしょう。と言うよりも……いえ。ありえませんよね?」
「魔力を、その属性を、熟知しているからこそ魔術を行使出来るわけですから……」
オールドン先生の話に、なんのこっちゃって顔でマーリンは首を傾げている。
そんな彼女を見て、先生はだんだん懐疑的な態度になってしまった。
「あの、えっと……詳しいことは私も知らないんですが、彼女は独学で魔術を学んだようで……」
「独学で……と言われてもですね」
「しかしながら、魔術とは魔力の属性反応を用いた技術……ひいては、学問なわけですから」
「根幹を知らないで、しかし術だけは発動出来る……なんてことは……」
えっと……先生の言ってることは、ちょっとだけ理解出来た。
出てくる単語がいちいちわかんないから、本当にちょっとだけなんだけど。
どうやらマーリンは、本来ならば知っていなければならない――知ってないとそもそも魔術なんて使えないような知識を持っていない……らしい。
それこそ、足し算とか引き算とか、そのレベルの話……なんだろうな。
先生の反応はそれくらい当たり前のことが欠如してる相手を見てる感じだ。
「でも、私はたしかに彼女が魔術を使うところを見てます。先生にも、一度見ていただければ納得して貰えるハズです」
こうなると、前提の魔術師であるという信頼が揺らいでしまう。それはまずい。
それを食い止める方法なら、ちょうど慣れてるのがひとつある。
慣れるほどはやってないけど、唯一成功した方法だから。
そういう意味で、気負わなくていい手段だ。
一度その力を見て貰う。
かつてはそれを、戦う力の証明として誇示した。
そして今回は、魔術師であることの証明に使うんだ。
「マーリン、また威力を全力で弱めて……やれる?」
俺の頼みに、マーリンはこくんと頷いた。迷いも躊躇もない、自信に満ちた表情だ。
そうだ。マーリンには自信がある。
こと魔術に関しては、実績も、実力も、どちらも裏打ちするものが十分にあるんだから。
「……すぅ。燃え盛る紫陽花」
そしていつかもやったように、マーリンは空に向かって火炎の魔術を打ち上げた。
その出力は、野ウサギを調理してから捕まえるときのものよりさらに弱い、最大限の加減をほどこしたものだった。
それでも、はじめて行った街では絶賛されるくらいのものだったんだ。
「……これは……こ、こんなことが……」
実績はある。それに、成功例もある。
だから、この方法に限ればかなり自信があったんだ。
マーリンだけじゃなくて、俺も。
事実、マーリンの魔術を見たオールドン先生は、目を真ん丸に見開いて、信じられないものを見たような顔で、まだ空を眺めていた。
もう見えない炎の残像を追うように、じーっと。
「これなら信じていただけますよね。彼女は……マーリンは、たしかに凄腕の魔術師で……」
きっと貴方の助けになれます。
地質調査だって、やりかたさえ教えて貰えたなら、きっとこなしてみせるでしょう。
って……そう言うつもり……だったんだけど。
先生はしばらくの放心から帰ってきて、そして……ゆっくりと首を横に振って、その目をマーリンへと向けた。
「……貴女は、魔術師ではありませんね。いえ、より正確には……まだ、魔術師と呼ばれるレベルには至っていない。そう言うべきでしょう」
それから告げられた言葉は、とても信じ難い――信じたくないとか、理解したくないとか、そういう意味でなくて。
理由がわからないという意味で、信じ難い言葉だった。
「マーリンが魔術師じゃない……魔術師と呼べるレベルじゃない……って。ど、どうしてですか。実際に、彼女の魔術は……」
並の魔術師をはるかに凌駕している……って、そう聞いてる。
もしかして、その話自体が間違ってた……ってことなのか……?
でも……いや、それはない。ありえない。
だって、もしもそうなら、この世界は魔獣なんてものにこうまで警戒しなくて済むハズだ。
もしも今の炎が普遍的な威力なのだとしたら、それが誰の手からも放たれるのなら、そんなにもみんなが強いなら……
「……たしかに、出力については信じられないほど高い次元にあります。けれど、そうではない。そうではないのです」
「貴女の唱えた言霊は、魔術のものではなかった」
「言霊……? あの、バルナ……ってやつのこと……ですか?」
俺もマーリンも話の真意を掴みあぐねたまま、先生の言葉にただ耳を傾けるしかなかった。
出力は申し分ない。
でも、その魔術が発動した……発動させるのに必要なのだろう、その言霊ってものに問題がある……?
それっていったい……
「魔術の言霊として、命令式として、あまりにも不足している部分が多いのです」
「それであれだけの魔術が発動することが、私には不思議でなりません」
「貴女のそれは、既存の魔術を大きく逸脱しています。いったいどこで学んだのですか」
俺とマーリンの様子を見て、先生はしばらく困り果ててしまっていた。
けれど、そのしばらくが明けてからは、すぐに目を輝かせてマーリンに尋ねた。
そんなものを、いったいどこで身につけたのか、と。
「貴女自身は、魔術師と呼ぶにはあまりに未熟過ぎる。にもかかわらず、発動した魔術は、もはや魔法と呼ぶにふさわしいほどの出来栄えだ」
「こんなにも奇異な出来事が、まさか私などの目の前で繰り広げられるとは」
「……えっと……えっと……僕は、魔術師で……」
どこで、誰に、どんな鍛錬を経て、何を学んで、どうしてそんな結果が生まれたのか。
先生は次々に問いをマーリンへと投げかける。
ずいぶん興奮した様子だけど、それは高揚……子供が面白いものを見つけたときみたいな、わくわくによる興奮だった。
でも……マーリンはそれに対する答えを持っていない。
いや……持っていても、それを明かせないのだ。
もしかしなくても、先生が言っているのは……と、かつての彼女の名前と姿が思い浮かぶ。
人間とは違う、その魔術とはかけ離れた存在が。
そのときになってやっと思い出した――気付いたのは、はじめて彼女と出会ったその瞬間には、彼女は言霊なんて唱えていなかったってことだった。
「……人間の魔術師になるために、無理矢理作ったから……」
もともと持ってる力に比べて、後付けで、それも使ったこともない途中式を付け加えたから。
魔術師から見ると違和感しか残らない……ってこと……なのかな。
俺の理解が正しいかどうかを確かめる方法はない。ただ今は……
「ぼ、僕は魔術師……だよ。ほんとうだよぅ……」
「いえ、いいえ。ありえません」
「貴女は魔術師見習いよりも未熟で、しかし魔法使いと呼ばれる次元に到達している」
「きっと、魔術の申し子なのでしょう。そんな貴女が、凡百の学者と同じ名前を騙ってはなりません」
大興奮の先生にまくしたてられて、今にも泣きそうな顔で魔術師だって主張するマーリンを、なんとか助けてあげないとな。
しかし、魔術師よりずっとすごいって言ってくれてるのに、それを全力で否定して、魔術師だって言い張るの……
はたから見たら、めちゃめちゃ変な子なんだろうな……