第四百五十六話【止まれない】
こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
今の俺達には、山にいるあの魔獣の群れを倒す方法がないかもしれない。
マーリンの魔術でさえ倒しきれないような、ザックでさえ下手をすると掴まりかねないような怪物を相手に、優位に立ち回る手段なんて見つかりっこないかもしれない。
でも、だからって諦めるわけにはいかない。義務感でも責任感でもなくて、俺がそうしたくないんだ。
いつか、マーリンよりもすごい魔術師が現れるかもしれない。
俺達が王都に来たように、もっとすごい誰かが助けに来てくれるかもしれない。
だけど、それがいつになるかはわからない。
だったら、今ここにいる俺達が頑張らない理由なんてないんだ。
「――フリード! フリード、いるか。話がある」
調査失敗からすぐに王都へ戻った俺達は、その足で王宮へと向かった。
目的はやはり、フリードに相談するためだった。
現状、特区調査殲滅部隊よりも高い戦闘能力を保有する組織はない。俺達だけが唯一あの魔獣を倒し得る。
その中でも、フリードは個人として別格に強い。それに、危険な魔獣との戦闘経験も豊富だ。
あいつの知識や経験だけをアテにするつもりはないけど、難しい問題が現れた以上、真っ先に頼りにするべきだろう。
少なくとも、俺とマーリンだけじゃどうしようもなかったんだから。
「デンスケ、どうした。もしや、よい調査結果が出ただろうか?」
「そのことでな、話……報告と相談があるんだ。ちょっと来てくれ」
む。と、フリードは神妙な面持ちになって、途中だった仕事を置いて席を立った。
俺達の様子からもすぐに察したんだろう。何か一大事が起こってるんだって。
けれど、それを周りのみんなに気づかれるわけにはいかない。
だから俺達は、大急ぎで王宮を出て、月影の騎士団の倉庫に……もう誰も足を運ばない場所に移動した。
「何があった。よもや、君達ふたりで解決出来ない問題が発生したと言うのか」
「それは前からそうだろ、何を今更。でも……今回はそれどころじゃない。もしかしたら、お前がいてくれてもだめかもしれないくらいやばい問題が見つかったんだ」
ひとつ前、平原の群れについても、俺達だけじゃ解決出来そうになかったしな。
それを思えば、また同じようなことが起こってる……と、そうしてもいいんだけど。
でも、今回はもっと悪い状況にある。こればかりは誤魔化しようもないし、誤魔化したって解決にならない。
わかってること全部を報告して、ちょっとでも可能性を探さないと。
「山の中腹に魔獣がいる……って、前に報告しただろ。今回、あいつらを倒そうと試みたんだ。マーリンの魔術で、地形へのダメージも顧みずに」
「む……? それは……以前より、部隊の進行に影響を及ぼしかねないと、彼女の術による殲滅は避けていたと思うが……」
そうだ。出来る限り被害の少ない方法を選ぼうって、俺が提案してたんだ。
だけど、それでなんとかなる相手じゃない……と、マーリンが判断を下した。
そこまで伝えたところで、フリードは視線を俺からマーリンへと向けた。
なら、俺の口からだけじゃなく、本人からも説明を貰いたい……ってことだろう。
マーリンもそのことはすぐに理解して、まだ消沈したままの暗い表情のまま、ゆっくりと話を始める。
「……前に見たときからちょっと気持ち悪かったんだ。なんでかはわからないけど、あそこにいる魔獣は、すごく危ないものだ……って、そう感じたんだよ」
「……直観か。凡人のそれならば非合理だと切り捨てるところだが、しかし君の場合は話が違う。誰よりも優れた感覚に、理知以上の察知能力が備わっていて不思議はない」
初めて目にしたときから――石を投げてザックを打ち落とそうとするよりも前から、マーリンはあの山の魔獣を危険なものだと認識していた……と、そう言う。
フリードもそれを、ただのなんとなくではない、重大な感覚だとちゃんと理解してくれたみたいだ。
「だから、倒さないといけないと思ったんだ。数が凄いから……だけじゃなくてね。このままだと、いつか倒せなくなるかもしれないから……って」
あの魔獣は、ザックを見て――空に浮かぶ敵を見て、投擲という攻撃方法を選んだ。いや……考えついたのかもしれない。
そして、それでもなお届かないと知り、投げるものを石から仲間の魔獣へと変えた。空中でも攻撃意思を持つことの出来る武器へと持ち替えたんだ。
「でも……もう、遅かったんだよ。ううん、違う。最初から、倒せる魔獣じゃなかった。山にいる魔獣は、焼いても、きっと潰しても倒せない……倒しても倒せない魔獣なんだ」
「倒しても……? マーリン、いったい何を言っているのだ。焼いても……潰しても……? 魔獣とて生物だ、そんな道理は……」
魔獣は焼けて崩れた肉体から、また新たな個体を生み出すことが出来る。まだ無事な組織を分裂させることで、死ぬよりも前に数を増やしてしまうんだ。
それが、戦って、倒そうとして、けれど逃げるしか出来なかった俺達の出した答え。
そんな妄言を聞かされれば、フリードもさすがに動揺の色を隠せない。
だって、これはちゃんとした報告のハズだったから。いつでも真面目に話をしてくれるマーリンの口から、そんな虚言が飛び出すとは思いもよらなかったから。
だから……時間がかかっても、それが妄言でも虚言でも、ましてや勘違いでもないことに気づいた。
「……まさか、本当にそんなことがあるのか……? 私は君の魔術のすべてを見ているわけではない。けれど、私が知る出力よりもずっと上が隠されている筈だ。それを……」
フリードの問いに、マーリンはうつむいたまま首を振る。
地形へのダメージすら無視して、その場にいたすべての魔獣を焼き払うために、最大火力の魔術を放った。
それでも、魔獣は生き残り、分裂し、数を増やしながら、また新たな手を打ってこちらを追い詰めたんだ、と。
「……まさか……そのようなことが、現実に起こり得るのか……? 炎とは、原初よりすべての生命を屠る自然の力だ。それを克服するなど……」
「いや……あの魔獣も、焼かれれば死ぬんだ。でも、死ぬよりも前に、分裂して、無事なほうがまた数を増やす。倒すより先に増えるから、倒しても減らないんだ」
マーリンはついに黙ってしまった。だから……でも、代わりでもないけど、俺はそんな説明を付け加える。
間違いなく、マーリンの魔術であの魔獣は倒せていた。けれど、倒したハズの個体の、その焼ける直前の一部分からでも分裂して数を増やしてしまう。
そんな理不尽が、目の前で起こってしまったんだ。まだ信じられないし、信じたくないけど、事実として受け入れるしかない。
「……正直、手詰まりだと思う。マーリンの術でも追いつかないなら、あの魔獣を何とかする方法はない……って、そう思うべきだ。でも……」
でも……ここで立ち止まるわけにはいかない。立ち止まりたくない。立ち止まれば、何がどうなるかもわかったものじゃない。
マーリンは言った。山には魔術の痕跡がある、と。
もしかするとあの魔獣の群れは、その魔術によって生み出されたものなんじゃないか……と、そうも考えられるだろう。
万が一にもそうだとしたら、あの山には、あの魔獣の群れよりももっと厄介な脅威が潜んでいると思わなくちゃならない。
「いつか、魔獣を使役する何かがいるかもしれない……なんて話をしたよな。もしもそれがいるとしたら、あの山だ。あの山には、魔獣を生み出してるやつがいるかもしれない」
「……っ! 魔獣の……王、か」
魔王。そのときは、ファンタジーのお約束としてのその名前を口にした。
けれど今、現実味を帯びたものとしてその忌み名を口にする。
今の俺達では、その魔王はおろか、山の魔獣すらも倒せないかもしれない。
だけど、立ち止まって誰かを待っていたら、この王都は……この国は、魔獣に飲み込まれてしまうかもしれない。
だったら抗うしかない。俺達に出来ることを、出来る範囲で。
いつかじゃない、今だ。来てくれるかもしれない誰かのためにも、俺達が全力を尽くさなくちゃ。




