第四百五十五話【やらなくちゃ】
マーリンの魔術があれば、どんな障害でも突破出来る。
けれどそれは、あまりにも強力過ぎて、障害を排除したあとにもまた別の問題が発生しかねないものだ。
俺はそれを、ある種の言い訳として使い続けていた。
魔獣の群れがどれだけ大きかろうが、最悪の場合はマーリンの魔術で一掃してしまえばいい。
それをすると活動拠点を作る場所がなくなってしまうけど、そのときは移動が大変になるだけで、やってやれないことじゃないから。
マーリンの魔術を使いさえすれば、どれだけ大きな問題だろうと解決してしまえる。
でも、そうじゃない方法で突破すれば、もっともっと大きなリターンを得られる。
だから、あえてマーリンの魔術には頼らない。それで大丈夫なら、自分達の力でなんとかしよう。
そうやって、ずっと逃避を繰り返してきた。
自分達で頑張って、最良を目指して、それでダメでもマーリンの力を借りればいいだけだから、と。
けれどここへ来て、その甘えた考えを叩き潰されてしまうような出来事に見舞われた。
山の中腹に存在する魔獣は、安全だと決めつけていたザックの背中の上にまで手を伸ばし、最強だと疑わなかったマーリンの魔術ですら焼き滅ぼせない。
あまりにも都合の悪い――都合よく作られた脅威がそこに待っている。その事実を前に、俺はもう何も考えられなくなってしまった。
「……デンスケ。僕達、どうすればいいんだろう」
そしてそれは、俺だけの問題じゃなかった。
見るまでもなく、マーリンも困惑して、強い焦燥感と無力感に打ちひしがれている。
自分の魔術はどんな問題も解決出来て、いつだって誰かの役に立つんだ。と、結果で示し続けた本人すら自信を失ってしまったんだ。
山にいる魔獣は、ただ強いだけじゃない。ただ数が多いだけじゃない。
手の届かない高所への攻撃手段を、その場、その状況に応じて考えられるだけの知能がある。
地形さえも破壊する火炎の渦を浴びても、焼けて崩れた先から分裂し、その数を元以上に増やしてしまう。
あんなもの、生き物じゃない。生き物の枠組みに収まりきっていない。
理不尽な改造を施された怪物だって、あそこまで無茶苦茶なことにはならないだろう。
けれど、それが現実として目の前に立ちはだかっている。
自らを小さく千切って投げ飛ばすような、常識も倫理もかなぐり捨てた化け物を倒さなくちゃいけないなんて。
「……いっそ、山そのものを……いや……」
マーリンの魔術なら……と、この期に及んでそんな妄想に浸ってしまいそうになる。
マーリンなら、あの山そのものを破壊してしまえるんじゃないだろうか。それだけの威力なら、あの魔獣も生きてはいられないんじゃないか、と。
けれど、それは現実として起こり得ない。そして、起こしてはいけない。
まず前提として、マーリンが使っているのは魔術だ。
魔術は、自然現象の再現であって、それには至っていないものの総称だ。そう習った。
それはつまり、自然に生まれた地形そのものをなかったことに出来るほどの威力は持ちえない……という意味でもある。
また、それを起こせたとして、その後に自然発生する問題へ対処しきれないという意味も持つ。
あの山は休火山だって話だから、もしも炎で破壊してしまえば、中からはもっと高温の溶岩が噴き出す可能性が高いだろう。
そして……そうなったら、マーリンでさえそれを食い止められないことも間違いない。
それに加えて、もしも地形を破壊出来たとして、それであの魔獣がほんの一部でも生き残ってしまったら……と、それも考えなくちゃならない。
本当にわずかな肉片からでも再生するとすれば、辺りが溶岩に飲み込まれでもしない限りは、きっと生き残って増殖してしまうだろう。
そうなると、地形を破壊してまで対処したとして、結局は元の数まで増えられて……そのうえ、あの場所に棲みついているという現状すらもが崩壊してしまう。
つまり……あの危険極まりない魔獣が、あのままの数で、街にまで下りてくる可能性があるんだ。
あいつらがどうしてあの場所にいるのかはわからない。でも、あの場所にいる限りは王都に被害をもたらさない。
だから、完全に消滅させる手段がない限りは、無用に刺激しないほうがいい。万が一があれば、この国は……
「……ここで……足を止めて……」
もう、打つ手がない。
マーリンの魔術でなら、どんな障害でも突破出来る。そんな妄想じみた、けれど現実と疑わなかった拠り所を失っては、呆然とするしかなかった。
あの魔獣は倒せない。倒しきれない。もしも不用意に近づけば、あるいは街にまで誘引してしまいかねない。
だから、もう触れるべきじゃない。もう戦うべきじゃない。俺の中で、そんな結論が出ようとしている。
なのに……っ。
「……ここで止まったら……止まろうって、無理だって……言って……」
それで、果たして本当に止まれるだろうか。
王宮も、部隊も、熱に浮かされて冷静さを失っている。
そこへ、もう無理だから諦めよう……なんて言って、どうして受け入れられる。
いいや。そもそも、焼いても千切っても再生する、無敵の魔獣が現れた……なんて報告をして、いったいどうして信じて貰える。
あるいは、それは大きな問題だ。と、取り合ってくれる誰かはいるかもしれない。
けれどそれは、それを解決するための特区調査殲滅部隊だ。と、その言葉に繋がる前置きでしかない。
俺達は結果を出し過ぎてしまったんだ。
いつかフリードと、そんな後悔を口にしたことがある。そして……その重さを、乗り越えられない壁を前にして思い知る。
心のどこかで、それでも俺達なら……って、そんな甘い考えを持っていた自分が叩きのめされて、やっとわかったんだ。
浮かれてたのは、みんなだけじゃなかったんだ、って。
「……っ。王様なら……誰よりも冷静で、俺達のことも過大に評価してるわけじゃないあの人なら……」
あの人はいつか、俺が未来の世界から来たって話を、それなりに信じて耳を傾けてくれた。
それがポーズでしかなかったのか、それとも本気だったのかは、今となってはどっちでもいい。
ただ、唯一話を聞いて貰える可能性があるとすれば、王様以外にはあり得ない。
じゃあ、どうする。どうすれば王様と話が出来る。
そうだ。フリードだ。フリードに事情を説明して、俺達だけじゃどうしようもないから、もっともっと時間と人をかけてなんとかしなくちゃって訴えて……
「……時間かけて、人を増やして……なんとかなるのか……? マーリンでも倒せないような魔獣を……いったい誰が……」
じゃあ……北の問題は、解決不可能だから諦めよう……って、そんなことを報告する……しかないのか?
でも……いや、だって……そうじゃない。これは、正確な現状の報告だ。
泣き言でもなければ逃避でもない。少なくとも、今の状態では解決出来ない、それは間違いないんだから。
だから……いつか、ずっと遠い未来になっても、あの魔獣を倒して、そこから先を調べられたら……って……
「……どうして……俺達は、こんなところで……」
そうだよ。俺達が王都に来なかったら、そもそも北の調査なんて始められなかったかもしれない。
始めていたとしても、こんなにスムーズに進まなかった。それに、あの大きな群れだって倒せなかっただろう。
だから、そのときを待てばいい。
俺達が現れたように、また誰かが希望の光を照らしてくれる。
マーリン以上の魔術を持つ誰かか、フリード以上の強さを持つ誰かが…………
「……こんなとこで……っ」
奥歯を噛み締めて、俺はひとりで立ち上がった。
そして、まだしゃがみこんでうつむいたままのマーリンの手を取って、一緒に街へ戻ろうと諭す。
街へ……王都へ戻ろう。俺達が守らなくちゃならない街へ。
まだ――まだ、こんなところでは終われない。誰かじゃない。俺達がやるんだ。




