第四百四十七話【大地が語る】
二十年ほど前に、この場所では大規模な自然災害が発生している。地質調査を終えて、マーリンはそんなことを教えてくれた。
それと同時に、災害がきっかけで魔獣が繁殖する条件が整ってしまったんだとも。
けど、俺とフリードはその話を聞いて、ふたつが線で結ばれるものだとは認識出来なかった。
まず前提として、災害のあとには生き物が増える……という理屈がわからないから。
もちろん、そういう事例がないとも思えない。
洪水で水が増えれば、植物が増え、虫が増え、小動物が増え……と、自然環境が豊かになることも想像出来る。
でもそれは、元の環境が悪ければ……もともと生き物が住みにくい場所だったならばの話だ。
ここはずっと前から人が立ち入らなくなっている、言うなれば最も自然な環境が残されていた場所だ。
豊かな資源に恵まれたこの場所には、最初から生き物が増える条件は十分に整っていただろう。
それに、どんな場所でも大なり小なりの自然現象はつきものだったハズ。
なら、大きな異変が起こったとしても、それがその通りの影響を及ぼすとまでは思えない。
より正確には、そういった影響を受け続けた結果、人が立ち入れないくらい魔獣の多い環境が作り上げられていた……と、そう考えるべきだ。
つまり、たった一度の自然現象で、それまでに培われたものが一気に変わってしまうなんてことが本当にあるのか……と、そう疑ってるわけだ。
「マーリン。ここで起こった災害とは、いったいどのようなものだったのだろう。魔獣の増加と紐づくのならば、食物が増えるきっかけとなるもの……だと推察するが……」
「となると、やっぱり水害……かな? 干害ならむしろ逆のことが起こるもんな。それとも、競合するほかの生き物がいなくなるって意味で、そういう可能性もあるのか?」
ふたりして納得出来ないって顔でそんな質問をするもんだから、マーリンはちょっとだけしょんぼりして、嘘ついてないよ……みたいな顔をしてしまった。
ごめんごめん、マーリンを疑ってるわけじゃないんだ。どちらかと言うと、自分の中の常識とか、魔獣の常識はずれさに疑問があって……
「えっと……ここは、土が変わっちゃったんだ。雨……だと思う……けど、そこまではわかんない。何かがあって、この場所の土には魔力がたくさんしみ込んだんだよ」
「魔力……が……土に……? 雨で……え、ええっと……?」
酸性雨……的な話……? いや、この場合は……魔力雨?
なんにしても、思っていた……知っていた自然現象……自然災害とは、まるで違うものが語られているような気がする。
それはやっぱり俺だけの疑問じゃなくて、フリードも同じように面食らったみたい。
目を丸くして、首をかしげて、それはいったいなんだと言わんばかりに困り果てていた。
「えっとね、魔力はね、どこにでもあるんだ。空気にも、水にも、ちゃんとあるんだよ。それで、この場所はそれがすっごく濃くなっちゃったんだと思う」
「……ふむ。我々が認識している災害とは別に、自然界の魔力の乱れ……という形の現象が存在していた。まずそう認識する必要がある……と、それでいいだろうか?」
俺達が……普通に暮らしてる人間が感じる災害とは別に、目に見えない変化が自然には存在する、か。
フリードのその言いかたは、俺にもちょっとだけ理解のきっかけを与えてくれた。
魔力ってものは、残念ながら俺達の目に見えるものじゃない。そしてきっと、魔術師だからって完全に把握出来るわけでもないんだろう。
これはいわゆる、マーリンが特別だから――本来は人間に備わっていないハズの能力を持っているからわかる異変……だったのかも。
「……じゃあ、二十年近く前にここで起こった災害って、魔力の……ええと……魔力が濃くなる……うん? 何かが起こって、それで魔力が……?」
とまあ、そんな前置きをしたとしても、だ。
目に見えないものの変化については、想像するのも精いっぱいで、きちんと認識するのは容易なことじゃない。
どうしてもマーリンの説明を飲み込みきれずに、俺もフリードもまだ混乱の渦から抜け出せないでいた。
「えっと……火事……だと思う。煤と灰がね、積もってたみたいなんだ。ここでこうなら、すごく広い範囲が火に覆われたんだと思う」
「ここで……こうなら……ってのは、ひらけたこの場所に積もるくらいの灰が発生したなら、ほかもそうだろう……って意味かな? ええっと……」
灰は軽いから、風が吹けば飛ばされる。そうならずに堆積したってことは、そこが吹き溜まりだったか、吹いても吹いても積もるくらい降り注いだか、だろう。
火山の噴火で街に灰が降り注いだ……なんて話は、過去の事故映像なんかで見たことがある。
それに近いことがここでも起こったんだろう……と、そういうことかな。
そして、この辺りに火山はないから…………
「……あれ? あの山が……ずっと北にある山が火山だって可能性はないの? それが噴火して、その灰が降り注いだ……とか」
あ、いや、火山がないとは言い切れないのか。と、思い出したのは、このあとの調査目的地が山だったから。
でも、マーリンは噴火によって火山灰が降り注いだとは言わず、火事で煤や灰が積もったと明言した。
噴火って現象を知らないならそれでも変じゃないけど、自然の中で育ったマーリンがそれを知らないとは思えないし……
「資料では、あの山は休火山である……とされているな。少なくとも、百年以上は噴火が記録されていない」
「百年以上も……じゃあ、二十年前に急に活発化した……とか? 王都からじゃ様子もほとんどわからないし、ない話じゃないだろ?」
そうなのだよな。と、フリードは頭を抱えてしまった。
噴火の可能性が低い理由を提示してくれたけど、しかし同時に、それがあり得ないものじゃないという可能性の示唆でもあった。
休火山とて火山なわけで、今が静かでも、噴火しない理由にはならないだろうから。
「えっと……あの山じゃない……よ。それもね、ちょっとだけ考えたんだけど、たぶんそうじゃないんだ。ここで、何かが燃えたんだ」
何かが、この場所で燃えた……から、灰が積もっている、と。
噴火で降り注いだ灰でここが燃えたんじゃなくて、山とは関係なくこの場所だけが何かに燃やされた。そう言いたいんだろうか。
「オールドン先生が教えてくれたよね。魔術には、魔力には、属性があるよって。えっと……たぶん、そのバランスがおかしくなって、炎が出ちゃったんだと思う」
「魔力が変になって、それが原因で火事が起こった……ってこと? ほ、本当に? そんなことって…………」
いや、違う。そうか。と、フリードが呟くのが先か、俺が自分で言ってることの意味を理解するのが先か。
そんなことは、起こって当然なんだ。いや、そうじゃない。そうして起こされたものこそが魔術なんだ。
「魔術は自然現象の再現だから、意図的に魔力を偏らせて、それで炎を出したりする。じゃあ、裏を返せば……」
「自然に発生する魔力の乱れによって発火することも、なんら不自然なことではない。ならば……」
マーリンは、火事によって魔獣が繁殖するようになった……とは言ってない。災害を境に、魔獣が繁殖する条件が整ったと言った。
併せて、この場所は土に通常以上の魔力がしみ込んでいるとも教えてくれた。そして、きっとそれが魔獣の繁殖条件なんだ。
「魔力が乱れて火事が起きて、その火事で積もった灰の上から雨が降って……」
「通常ではあり得ない濃度の魔力が大地へと染み込み、魔獣の繁殖が……生物が魔獣へ変性する条件が整ってしまった……と」
じゃあ、その魔力が乱れた原因ってなんだろう……と、また新たな疑問は浮かび上がる。でも、主題はそこじゃない。
つまりそれは、この場所で魔獣が発生した証拠。あの大きな群れが、別の場所から来たわけじゃないと判明したんだ。
「もうちょっとだけ調べるね。でも……うん。あのいっぱいいた魔獣は、ここで生まれたんだと思う。それは間違いないよ」
「そっか……じゃあ、ここから先に進んでも、あいつらを追いやったようなもっと大きな群れがいるわけじゃない……とも考えられるんだね」
楽観は出来ないけど、悲観する状況はとりあえず避けられた……のかな。ひとまず、大きな成果と言えよう。
ここからさらに、マーリンは魔獣そのものの痕跡を調べてくれるみたいだ。
もしかしたら、魔獣の発生メカニズムまでわかったりして……と、ちょっと調子に乗った考えをしちゃうのは、本当にマーリンが頼もしいからだろうな。




