第四百三十九話【そのときが来る】
魔獣の大群を越えた向こうに山がある。地図で見るよりもずっと手前に。
そしてその山には、とてつもなく大きな魔術の痕跡が見つかった。それこそ、上空からでも、直接触れずともわかるほどの痕跡が。
そうマーリンが伝えてくれたこの先の障害について、俺とフリードは、まだわずかすらも理解出来ないでいた。
魔獣は魔力に影響を受けた結果の変質である。と、聞いた覚えがある。誰にだったかはもう覚えていないけど。
とすれば、魔術の影響によって変わってしまったって、それは不思議なことじゃないだろう。
けれど、それはつまり、魔術によって生き物を変えてしまった……人為的に造り上げた可能性も示唆している。
そんなことが可能なのか否かは別として、魔術による影響で魔獣が生まれているのなら、意図せず魔獣が生まれる環境を作ってしまった誰かがいるとも考えらえるだろう。
魔獣を作る魔術の可能性。そうでなくても、大規模な魔術によって生態系に悪影響を及ぼしている可能性。
どっちが真実だとしても、これから先に訪れる問題は、途方もなく大きな障害となるだろう。それは間違いない。
だって……だってそれは、マーリンにすら出来ないことだ。
する意味がないから、しても誰かによろこばれるわけじゃないから。動機がないからやらない……とする面ももちろんある。
でも、やって出来ることなら驚いてない。可能性として、起こり得る問題として、とっくに提示してくれたハズ。
少なくとも、マーリンが戦った場所で魔獣が現れた……なんて現象を確認していない以上、意図せずに魔獣を生んでしまう影響は及ぼしていない……及ぼせないと思うべきだ。
この先に潜む何かが、たとえば魔術師だとして。
あるいはその術師は、マーリンをも凌駕する術をいくつも持っている可能性があるだろう。
そう思ったら、俺にもフリードにも、どう足掻いたって理解出来る範疇に収まりそうにない。
けれど、マーリンも悪い話ばかりを持ってきたわけじゃない。
そもそも、魔術の痕跡についても、悪い話として教えてくれたわけじゃないんだけど。
魔獣の大群の向こう側の話が出たってことは、つまり群れの一番奥……最外端を捉えたってことでもある。
上空からの探知魔術によって、マーリンは群れの全貌を明らかにしてくれたんだ。
そっちについて深堀りすれば、マーリンはちょっとだけ拗ねたような顔になって、それでもちゃんと説明してくれる。
どうやらマーリンは、この先にある魔術の痕跡を、また新たな魔術師との……友達になれる人物との出会いの可能性として認識しているようだ。
でも……ううん。それは……どうなんだろうなぁ……じゃなくて。
いわく、群れの規模は想定の範囲内だ、とのこと。
それは、地上で探知魔術を使って調べたときに見こんだ規模と、あまりズレがなかったって意味だ。
これまでの調査や考察は、マーリンが報告してくれた予測をもとになされている。
それを根拠にして立てた作戦が、この先ではまるで役に立たないもの……なんて烙印を押されなかったのは朗報だろう。
少なくとも、最悪の場合はマーリンの術で倒してしまえる範疇を出なかった。これ以上に安心させる材料はない。
しかし、予想通りということは、ずっと悩まされ続けた問題に進展がないことも意味する。
高威力の魔術で倒してしまうわけにはいかない以上、これまで悩み続けた、向き合い続けたすべての悪い可能性と、引き続き睨み合わなくちゃならないってわけだ。
けど……残念ながら、そうしていられる時間は続かない。
「デンスケ、準備出来たよ。ザックも元気だから、任せてね」
「こちらも問題ない。作戦の確認は……私達にはもう不要だろう。部隊にも再度説明してある。憂いはあるまい」
調査は進み、ふたつめの活動拠点も完成したことによって、王宮から群れへの対処が命令された。されてしまった。
残念ながら、時間が来てしまったってやつだ。
「……はあ。もうちょっと時間があったら……って、言えないよな。これだけ時間かけて、ほんのちょっとの作戦も思いつかなかったんだから」
大き過ぎる魔獣の群れを、部隊の力で殲滅する……ための作戦は、結局ひとつも思いつかなかった。
数の規模が違い過ぎる。こちらが何十人、百何人という規模で戦うのに対して、魔獣は何百といる。
単純な計算をしたって、ひとり一頭じゃ間に合わないんだ。なら、真正面からぶつかって、戦線を横に広げるのは無謀と言える。
この条件が前提にあったら、作戦らしい作戦なんて立てられっこない。
相手が人間ならまだしも、こっちよりずっと索敵範囲の広い魔獣なんだから。奇襲も有効にならないだろうし。
だから、結局は最初の作戦を続行するしかないという結論だ。
ザックとマーリンに魔獣を誘導して貰って、俺とフリードで迎え撃つ。出来る限り数の差をつけない状態を維持しながら、削れるところまで削りきる。
そのあいだ、部隊は後方に広く陣を構えて待機して貰う。
討ち漏らしが街へ向かえば甚大な被害が出るから……という建前がひとつ。
本音は、大勢で向かえば群れを刺激しかねないから。多対多の構図に陥らないためにも、離れて静かにしてて貰うのが狙いだ。
「よし。それじゃあ……マーリン、ザック。頼んだよ。ふたりが失敗すれば、そこで作戦はとん挫しちゃう。落ち着いて、今まで通りにね」
「うん、わかったよ。ザック、行こう。みんなのために、デンスケのために、僕達が頑張るんだ」
ふん。と、張り切った様子のマーリンにはちょっとだけ不安も募るけど、それを前にしたザックののんびりした顔が、いくらか心を穏やかにさせてくれる。
こんなときにも冷静でいてくれて助かるよ。本当に……本当にお前はいったいなんなんだ……?
「じゃあ、強化するね。揺蕩う雷霆。デンスケ、フリード。頑張ってね。術が切れたらすぐに戻るから、そのときはちゃんと逃げてね」
「うん、わかってる。こっちは任せて」
俺達の返事を聞いて、マーリンはすぐさまザックに乗り込み、そのまま群れのいる方角へと飛び立った。
ザックはいつも通り誘導してくれればそれでいい。マーリンも、上空からの探知で状況を把握し続けられるのはもうわかってる。だから、心配はない。
ひとつ心配があるとすれば……ううん。俺……だよなぁ……
「……強化魔術が切れるまで戦い続けたことってないんだよなぁ……」
戦い終わってマーリンに解除して貰うのが当たり前で、時間制限なんて意識したことなかったよ。
それに、強化が切れたら弱くなる……ことよりも、強化状態で長く戦い続けたらどうなるのかがわかってないほうが問題だ。
「安心してくれ、私がいる。今回は後ろに控える必要もないのだろう? ならば、君は私の背を見守るくらいの気構えでいてくれ。そうすれば、私の気持ちもわかるだろう」
「フリード……お前、部隊の指揮を押しつけて俺がひとりで前に出てたこと、ちょっと怒ってたの……?」
返事はなかったけど……じゃあ、そういうことだよな。うん、ごめん。
でも、そのときはそれが最善だったから……って、ああ。じゃあ、そういうことだな。
「持久戦はお前のほうが向いてる……か。少数が誘導され続ける限りは基本的に任せる。ちょっと大きな波が来たら……」
「ああ。そのときには、君の力でバラバラに吹き飛ばしてくれ」
ちょっと怖い言いかただけど……うん、方針がわかりやすくて助かる。
誘導がうまくいってるあいだは、俺がフリードの補佐に回ろう。動き回らなければ体力も温存出来るし、いざってときの保険になる。
それからすぐに誘導された魔獣の先頭が見えて、フリードは迎撃態勢に入った。
そこそこ大きな魔獣、そこそこ強い魔獣、そこそこ厄介な魔獣だけど……そこそこ程度じゃ、フリードの拳からは逃げられないぞ。




