第四十話【一度で成らずとも】
湖に残された痕跡を辿る……ことは、どうやら出来ないらしい。
だから俺達は……マーリンは、ここと似た状態の場所を探すことで、その主へと辿り着こうと考えている。
そして今。湖を見つけた翌日の、その朝。
「マーリン。ほら、起きて。探しに行くんだろ、この湖で……湖に……湖を……?」
「とにかく、ここに残ってる痕跡の正体を追うんだろ。ほら、起きてって」
やっぱり朝は苦手だから。
モチベーションがあっても、目的があっても、彼女の寝起きは変わらない。
あるいは、それも当たり前なのかもしれない。
そもそも、目的があるからって早起きをする理由がない。
だって、彼女の時間を縛るものなんて、今までには存在しなかったんだから。
「ふふ。そうしていると、本当に兄妹のようだ。しかしながら、知らぬ土地の風に吹かれる場所で、これほどまでに無防備な寝顔をさらせるとは」
腕の立つ武人でもここまで肝の据わったものはあるまい。と、フリードは感心そうに言う……けども。
「……感心してる場合じゃないぞ。マーリンが起きなかったら、それだけ出発が遅れるんだから。そのぶん……俺達もこの生活が長く続くんだから」
ここで見つけたものの正体を明かすまで、きっと野宿が続くだろう。
もし途中で街に寄るとしても、出発が遅れればそれもやはり遅くなってしまう。
「私は……それも、構わないと思えるがね。デンスケ、君がいる。それに、マーリンもいる。ならばそこは、私にとっての理想郷と言えるだろう」
「マーリンたそがいる場所が理想郷って話には同感ですが、そういう話じゃないんですぞ」
「理想郷は理想郷でも、どうせなら屋根付きの理想郷がいいという話でして」
そりゃ、マーリンとフリードがいたら俺もそれで充分楽しいよ。
魔獣とか野生動物が出ても、ふたりがいればこれっぽっちも危険じゃないし。怖くはあるけど。
でも、そういう話じゃなくて。
どうせ楽しい旅のひと時なら、屋根がないよりはあったほうがいい。
味気ない丸焼きの肉よりおいしい料理がいい。
最低限じゃなくて、より楽しい旅にしたいの。
「それに、自堕落な生活は早めに矯正してあげないとな」
「せっかくこんなにかわいいのに、生活習慣の乱れはお肌の乱れに繋がってしまいますぞ」
「……兄妹のようで、父子の関係に見える……と思っていたのだが。もしや君は、口うるさい母親だっただろうか」
んまっ。お母さんに向かって口うるさいとはなんですか。
フリード、ちゃんと宿題はやったんでしょうね。じゃない。ノリツッコミなんてさせるな。
「むにゃ……えへへ。ん……ふわぁ。おはよ、デンスケ。フリード」
「はい、おはよう。おはようだから、早く顔洗っておいで。もう」
よだれまで垂らして。
そんなだらしない顔を人前で見せちゃだめだぞ、女の子なんだから。って……なんか、フリードの天然ボケが本当になりそうだ……
まだちょっとだけまどろみの中にあったマーリンだったが、俺に言われるままに顔を洗いに湖へと向かって……
そして、そこで昨日見つけたものを思い出したらしい。
いきなり目を真ん丸にさせて、そうだったと言わんばかりに身支度を始めた。
「……はあ。フリード、君からもちゃんと言ってやって。たぶんだけど、俺に言われるよりは効くと思う」
年頃の娘は、親や先生の話より、友達からの言葉を気にするものだから。
誰がお母さんだ。何回やるんだ、このノリは。
「私から言って……それで、もしも変わったら。そうなったときのほうが面倒になりそうだと、私はそう思うな。どうだろう」
「……どうだろう……って、なんだよ。なんなの、その目は」
なんだろうな。と、フリードはなんだか優しい目で俺を見ていた。
言いたいことはわかるけど……ちゃんとするならそっちのほうがいいよ。
そりゃ……多少の嫉妬はあるだろうけど。
「デンスケ、フリード。今日は……こっち。なんとなくだけど、風が吹いてくるほうへは行かないと思うから。だから、こっち」
「……風上には向かわない……風下から魔獣に襲われないために、か。なるほど」
なるほど。って、マーリンのなんとなくの言葉に納得したのはフリードで、その解釈によって俺もやっとなるほどと納得する。
なるほど……ニオイで追っかけられる可能性を減らすのか……
「じゃ、そっちに行こう。もし外れても、困ることなんてないんだしな」
ふんふんと鼻息を荒くするマーリンの目は、初めて会ったとき……より、ほんの少しだけきらきら輝いて見えた。
それはきっと、不安と恐怖とがずいぶん緩和されたから……だと思う。
そんなマーリンに先導されて、俺達は湖をあとにする。
目的地は相変わらずないから、目標だけを頼りにして。
そしてその日の晩を迎えた。
湖で見つけた痕跡と一致するものは……残念ながらみつからなかった。
「こっちじゃなかった……のか。それとも、こっちだけど何も残さなかったのか」
足を止めた場所は、小さな沼の近くの洞穴だった。
きっとここは、人が一時的に雨風をしのぐために使っていた場所なんだろう。
人為的に浅く掘られた横穴から、そしてその近くに水源があることからそう推理した。フリードと一緒に。
「……ごめんね。僕のわがままについて来て貰ったのに……」
成果なしを一番残念に思っているのは、もちろんマーリンだろう。
そしてそんなマーリンが、結果が出なかったことを申し訳なさそうに謝るもんだから……
「謝ることじゃないよ。マーリンのやりたいことをやればいい。俺はそれを見届けたいんだから」
「デンスケの言うとおりだ、マーリン。君は君の思うままに突き進んでいい。私達は、その行く末にこそ関心があるのだから」
もとより謝られるようなことじゃないけど、ふたりしてつい甘やかすようなことを言ってしまう。
フリードは俺を母親だとか言ったけど、彼も彼でマーリンにだだ甘なんだよな。
親戚のおじちゃんか、あるいはおじいちゃんか。
「それに、すぐに結果が出るものじゃないって想定はしてたんだからさ」
「今日がダメでも、明日また探せばいい。明日もだめならその次でいい」
「なんだったら、途中で他のことしてからでもいいんだ」
それでもまだ申し訳なさそうにうつむいてるマーリンの頭を撫でて、なだめるんじゃなくて背中を押す言葉を選んでかけた。
その甲斐もあって……だとうれしいな。
マーリンはちょっとだけ元気になって、小さくうなずいてくれる。
「それじゃ、明日はもうちょっと早起きしような。時は金なり。時間を無駄にすることは、結果として大きな損益を生み出してしまいますぞ」
いやほんと、ちゃんとしよう。
マーリンはやれば出来る子だと思うから、今のうちからちゃんとさせよう。
怠惰なんじゃなくて、必要性を理解してないだけだから。
「……時は金なり……か。ふむ、格言だろう。デンスケは賢者のようだな」
「け、賢者って……それはいくらなんでもオーバーだって」
こんな誰でも知ってるようなことわざで褒められると、さすがに気が引けるから勘弁してください。
と言うか、似たような言い回し自体はこの世界にもあるだろ、きっと。
フリードは何かにつけて俺を持ち上げ過ぎ。これもいつかは矯正しないとな。
「まったく……よし。じゃあ、早起きするためにも今日はもう寝よう」
「また街で暮らすようになったら、昼間は働かないといけないんだから。生活習慣を乱さないようにね」
お話はまた歩きながらしよう。いっぱいしよう。
早起きすれば、歩いてる時間も長くなるんだからさ。って、そう言うと、マーリンはちょっとうれしそうにうなずいて、そして……すぐに大フクロウを呼んで、俺達も寝るようにと急かした。
ごめん……嘘は言ってないけど、夜更かししても早起きしても、お話し出来る時間はあんまり変わらないと思う……
でも、楽しい旅の時間が増えるのはうれしいことだから。
俺もさっさと布団…………フクロウの下に入って、ぬくぬくしながら目をつむった。
すぐにふたつの寝息が聞こえてきたから…………フリード。君、もうそんなにこの状況に適応したのか。
うらやましくはないけど、すごいね……
 




