第四百十七話【誉れを】
そして、その日はやって来た。
俺の前には王様がいる。
玉座の間ではない。ふたりきりでもない。みんなが見守る広間のど真ん中で、この国の王様と向かい合っている。
そしてその俺の後ろには、大勢の騎士が整列している。
王宮騎士団で知り合った人。月影の騎士団で出会った人。そして、この部隊が編成されて初めて顔を合わせた人。
さらには、フリードまでもが俺の後ろに控えていた。
今日俺は、月影の騎士団の一団員という肩書きを下ろし、ここに新しい名前を――役職を、責任を背負う。
「――アンドロフ=ハイン=ユゼウスの名において、貴殿を特区調査殲滅部隊長に任命する」
「――はっ。不肖デンスケ、必ずやご期待に応えてみせます」
歓声は……なかった。これはあくまでも軍事的な辞令、式典であって、お祝いではないから。
それでも、こみ上げてくるものはある。
俺は今、王様に、王宮に、この王都の全員に認められて、フリードまでをも含んだ大勢の騎士を取りまとめる立場になったんだ。
「デンスケよ、こちらへ寄れ。作法も知らぬ未だ若き其方に、余は、そしてこの王都は、ただひとつのみを求めよう」
うっ。もしかして、何か間違えてた……?
その……慣れたつもりではあるけど、正しい作法を学んだわけじゃないから。失礼なことをしてしまっていただろうか……?
しかし、王様はそれを咎めたいわけではないらしく、こちらへと手招いた。
これを無視するのはいくらなんでも問題だ……と、それくらいはわかるから。出来るだけ堂々と、けれどさっさと、王様のすぐそばまで歩み寄る。
すると……王様は近衛に目配せをして、何かを運ばせ始めた。
真っ赤な布に包まれたそれが王様の手に収まると、近衛も、そして後ろの騎士も膝をついたから、俺も慌てて……
「其方はそのままでよい。先に申した通り、余は其方に礼儀作法の正しさを求めぬ。求めるものはただひとつ。すべからく勝者であれ」
「っ! 承知いたしました!」
膝を突こうとしたのを制されて、それに慌てる暇も与えて貰えずに、王様からそんなことを言われてしまう。
必然のこととして勝利しろ……か。それはつまり、誰にも心配をかけるな……この国に憂いをもたらすなって意味……だよな。
あまりにも重たい期待だけど……でも、王様の言いたいことは痛いほど理解出来てしまう。
王都に来てからは、かなり実感も薄くなってしまっていた。
けれど、今のこの国は、魔獣というあまりにも危険な脅威に晒され過ぎている。
月影の騎士団として王都を離れるようになってからは、そのことを嫌と言うほど思い出させられた。
不況だとか疫病だとか、そりゃあ怖いものはいくらでもあるだろう。
それでも、明確に目の前に迫る化け物の恐怖は、みんなの心をより深く痛めつけるんだ。
この国に、この世界に、魔獣なんてものは必要ない。
それが生態系に欠かせないものだとしても、それが人間の社会に紛れ込むような状態を許してはならない。
だから、もうそんなものは脅威ではなくなる……と、高らかに宣言するんだ。
そして、そう謳ったならば絶対に勝たなくてはならない。ほんのわずかも敗北を思わせるような姿を見せることなく、当たり前のこととしてみんなを守り続けるんだ。
北方の調査は、きっと大きな成果をもたらす。
その大きな成果を、みんなが待ち望んでいたものを、絶対に手に入れる。それが、俺に課せられた使命。
「……理解したようだな。では……」
「……? 陛下、そちらはいったい……」
王様は自分の言葉が俺に届いたんだってわかると、ちょっとだけ優しい表情をこちらへと向けてくれた。
ふたりで話をしているときの王様……かなって、ちょっと思った。でも、きっと違う。だって、ここはそれが許される場所じゃないから。
そして王様は、さっき近衛から受け取った何かを包む赤い布に手をかけ、ゆっくりゆっくりと、丁寧に、大きな布の端が地面につかないようにと剥がし始める。
そうして中から出てきたものは……わずかに飾りのついた、ひと振りの剣だった。
「これより其方は、王宮より認められし騎士となる。膝をつき、頭を垂れよ」
「……はっ」
何をされるのかは……ちょっとわかったけど、それが本当にあってるかはわからなかった。
でも、王様に言われるままに、膝をついて、頭を下げて、その剣が役目を果たすのを待つ。
ふ――と、右の肩に何かが触れる。そして、また左の肩にも同じことが起こる。
何かで見た、貴族から騎士に任命される儀式……みたいなもの、だったのかな。
じゃあ……これで俺は……
「……デンスケ卿よ、そのまま聞くがよい。其方はこれより、背後の軍勢を率い、魑魅魍魎の跋扈する未開区域を踏破することとなる」
びり……と、手足がしびれた。
不調じゃない。慣れない姿勢に疲れたわけでもない。王様の言葉を理解した脳みそから、全身に電気が走ったみたいだ。
これで俺は、正式な騎士として認められた。その事実が重たくて、受け止められるか怪しいもので……それでも、王様の話は進む。
俺達はこれから、見たこともない魔獣がいるかもしれないような場所へ行く。
そこがどれだけ危険か、あるいは危険を排除出来るかを調べ、そして可能ならば魔獣の駆除作戦を展開する。
その道のりは険しく、あるいは大勢の犠牲を伴うものとなる可能性も高いだろう。
それでも、すべからく勝利せよ。と、王様はそう言って、そして俺に顔を上げさせた。
「ここに、騎士の誉れを。我がもとに、必ず勝利をもたらすのだ」
「――はっ! 仰せのままに!」
必ず勝利を……なんて、そんなの軽々しく受けられるわけがない。でも、受けないわけもない。
王様から差し出された剣を両手で受け取って、俺はそのままきびきびと立ち上がった。
授かった剣の重さは、今まで使っていたフリードのお下がりよりも軽いハズ……なのに。
腰に提げる前から身体が前のめりに倒れてしまいそうなくらい、とてもとても重たいものに感じた。
でも、俺はそれをきちんと持って、自分の一部として携えた。
ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、身体が軽くなったような気がする。重さから解放された……んじゃなくて、浮足立ってるんだろうな。
「……必ず、勝利を」
それで式典が終わって、俺は大勢の騎士を率いてその場から退場した。
こんなものを練習している時間はなかったから、さっきフリードに教わった段取りで舞台を捌ける……つもりだったけど、ちょっとだけ間違えてしまった。
でも、大きな問題も起こらないままその場をあとにして、もう誰からも注目されない場所まで……王宮騎士団の演習場まで退散したところで、フリードから声をかけられた。
でも……その前に、ひとりで何かつぶやいた気もする。
気のせいじゃなければ……心の声が勝手に出てしまったってやつか。なんかちょっと恥ずかしい……
「……ついに……と、この言葉を何度口にするのだろうな、私は。それでも……ついに来たな、デンスケ」
「……ああ。ほんと、何回も何回も言わせて悪い。それだけ超えなくちゃならないものばっかの地点にいたんだよな、俺が。でも……来たぞ、フリード」
がつん。と、いつもよりちょっと強めに拳をぶつけ合えば、お互いにちょっと痛かったのか、驚いた顔を向け合ってしまった。
なんか……ちょっと締まんないな。
「デンスケ、フリード。これで……えっと……僕達は、北に行けるんだね」
「うん、そうだよ。北へ行って、魔獣を倒して、みんなが安心して暮らせるようにする。今までやってた通りに」
締まんない俺達を締め直すように、けれど本人にそんな意図はないまま、マーリンはにこにこ笑って現実を突きつける。
そうだ。これでようやくスタートライン。まだこれから問題を炙り出しに行くところなんだから。
もう一度フリードと拳を合わせて、俺達はそのまま部隊全体での打ち合わせを開始した。
と言っても、今更何を確認するまでもない。明日、この部隊は王都を出発し、まずは地図の完成を目指す。
もうずっと調べられていない、危険地帯の地形を把握するところから始めるんだ。




