第一話【疾走! 全裸不審者!】
八月七日。それは、夏休み真っただ中の日のことだった。
その日は珍しく太陽が強く照っていなくて、半そでに扇風機だけで寝苦しくない夜を過ごすことが出来た。
課題も終わらせて、遊びにも行って、何ごとに拘束されることもなくその日を終える。とても怠惰で幸せな、高校生にとって最高の、ずっと続いて欲しい究極の一日だった。
そう、そこまでは覚えてる。そこまで……とは、昨日の晩、眠りに就くまでの話。
自分自身の話をしよう。誰にと問われれば、己にと答えざるを得ない。どうしてと問われれば、そうでもしなければ平静を保てないからとしか答えられない。
そういう出来事が、俺の目の前で繰り広げられている。否。繰り広げられるまでもなく広がっているのだ。
父、克己と、母、きく子との間に生まれた俺は、田原伝助と名を受けてこの日本に生まれ落ちた。ああ、えっと。違う。日本という国に生まれ落ちた。
歳は十六、市内の公立高校に通う一年生。これも、もしかしたら違う。ずっと遠いどこかの、公立高校の一年生になるかもしれない。
小さい頃に体験で入った子供劇団が楽しかったから、中学でそれのまねごとをして、高校生になった今は演劇部を立ち上げて活動している。趣味かつ、将来の夢は、劇団員。
で……これも多分、変わる。変えざるを得ない……かもしれない。だって……だってね……
「…………ほ? ここは……どこでしょうな……?」
半そで短パンで、扇風機だけを涼として、間違いなく自分の部屋で眠ったんだ。高校生になったんだからと買い換えて貰った新品のベッドで、間違いなく安眠した。したのに。
目の前に広がっているのは、屋外の、それもまったく見知らぬ、まるで海外映画のセットのような光景だった。そして……
「……ほ? ほ――――っ⁉」
なんでか、全裸だった。
そりゃもうふざけた口調だって出る。ふざけてないとやってられないんだもの。
素手裸足生ケツで感じる地面の感触は、ごわごわざらざらと最低最悪の肌触りをした土で、一切守って貰えてない両乳首が感じるのは、やたらに乾いた風の冷たさ。
目から入ってくる情報は、ひとまずここが外で、少なくとも行ったことのある場所でなくて、この格好でいると問題が起こりそうだってことだけ。どうして、どうしてこうなった。
「夢……いや、夢じゃない……のかな。夢じゃなかったらとても困るけど、夢じゃなさそうで……」
どうしようもなく股間が寒いから、心もとないから、これはきっと夢じゃない。砂だらけのおケツがとてつもなく不快だから、夢であって欲しいけど夢じゃない。
さて、そうとなったら大問題だ。だって、全裸なんだもの。
全裸なせいで夢な気もするし、夢であって欲しいとも思うのに、全裸なせいでこれが夢じゃないって確信出来るし、夢じゃないことが大問題になる。世の中の大半の問題は、服を着てるか着てないかで量刑が大きく変わってきてしまう。
「――っ。お、落ち着け。まだ慌てる時間じゃない。幸い、周りに人はいない。そしてここは、多分……撮影用のセット……だろう。となれば……」
導き出せる答えは…………誰かがここへ連れてきて、全裸で外にいたらどんなリアクションを見せるのか……を、いたずらとして実行している……とか。
いや、犯罪。思いっきり犯罪ですな。やり過ぎですぞ、ひょ〇きん族でも認められな……ううむ、要審議ですな。少なくとも、事前打ち合わせは必須かと。
よし、一度状況を整理しよう。ここは撮影用のセット。決して、屋外の、市街地の、そういった許可の下りていない、管理されていない場所ではない。
そうであって貰わないと俺は、日本の高校生、劇団員を目指している有望な若者から、補導された全裸不審者、お先真っ暗な前科者になってしまう。それは困り過ぎる。
であれば、今の俺がすべきことは……ただひとつ。求められているリアクションをとること。そして、こちらからは見えない誰かを満足させることだろう。
「……ふむ。となれば……」
いやいや、全裸で外に放置された人間の、求められてるおもしろいリアクションってなんなんですかな……?
とりあえずは驚いてみる? 否、それは不要。だってもう驚いたもの。
じゃあ……次には、怯えながら、隠れながら、服を探してさまよってみる? これは……いや、いいや。求められているものとは違う。これでは一般人。当たり前の反応に過ぎない。であれば……
「――我、この課題を見切ったり――っ! むほーっ!」
面白さとは何か。それは、常軌を逸していることなり。
常軌を逸するとは何か。それは――羞恥や躊躇を超えた先の、誰も至らぬ境地なり――っ!
「ほほほーっ! ほーっ! ほっほーっ!」
知らない場所に全裸。そんな状況に陥った男が取ったら怖い行動。けれど、画面の向こうなら笑い話になる奇行。そんなもの、全力で走り回る以外にありませんな。ほんとですかな⁈(冷静)
しかしながら、他に打つ手がない。少なくとも、ここでただ震えて解決を待つなんてのはごめんですな。だっておもしろくないんですもの。
そうと決まったからには、全力を尽くすのみ。俺は……否! 拙者は、乾いて滑る土の地面を、奇声を上げながら駆けた。
両手をしっかり振って、地面を強く蹴って、腹の底から声を出して。見事なまでに作り上げられたセットの間を駆け抜ける。いったい誰の企画か知りませんが、この反応はまったくの想定外でしょう。
しかし、本当によく出来たセットですな。建物それぞれも、それらが並んだ結果に出来ている街並みも、あらゆる要素を取り込んで切り抜いた景色も、まるで中世ヨーロッパの一場面のようでござる。
建物の後ろに――カメラに映らないであろう場所に回り込んでも、造りの甘さや隠された配線は見当たらない。本当に、小さな規模で街そのものを再現している、時代劇用の撮影現場のようで…………
「――ほ?」
悲鳴が聞こえた。女の人の、何かに怯えた声。
それは、目の前で聞こえた。と言うか、目の前にいる人が叫んだんですな。これもまた、歴史の教科書や海外映画で見たような格好の……女性の…………
「――ど――どうかしましたかな――っ⁉ 誰か! 誰かいませぬか! 男の人ーっ!」
いえね、男の人は拙者もですが。デュフフw失敬。
しかしなるほど、これは……エキストラですかな? あるいは、拙者がエキストラなのかもしれませんが。
とにかく、状況がまたひとつ次のフェーズへと進んだ様子。
目の前に現れたのは、外国の古い衣装に身を包んだ女性ひとり。それも、見るにヨーロッパ系の外国人女優でしょうか。
もしや、ハリウッドが関わって……などいるハズもありませんな。ハリウッドで疾走する全裸男なんて絵が欲しいわけもありませんでしょう。
であれば、これはきっとふたつ目のリアクションを求められていると解釈すべきでしょう。
全裸でおんもに放り出されて、それを女の人に見られてしまったらどうなるか。なるほど、これはもう……事件の匂いしかしませんなぁ。
けれど、そんなことでへこたれる拙者ではござらん。出来る限り紳士に、そして真摯に、この格好と先ほどまでの行動とにもっとも似つかわしくない行動を以って、目の前の怯えた女性を介抱するんですぞ!
いえね、設定的には拙者に怯えているんでしょうが。だからこそ、いやお前だとツッコミを入れて貰う余地が生まれ――
「――何者だ――っ⁉ そこで何をして……な、何をしている――っ⁉」
――ほ?
怯える女性に手を差し伸べる拙者の耳に、これもまた困惑した様子の怒号が届いた。その声もやはり、目の前から聞こえたものだった。
現れたのは、ずいぶんと古めかしい防具――甲冑のようなものではなく、プレートをいくつか繋いだ簡素な鎧を身に纏った、これもやはり外国の、屈強な男だった。
ふむ。なるほど。状況を理解しつつあるでござるよ?
「何をしているかと問われれば――こちらのご婦人を助けようとしているところでござるが――っ⁉」
これは、常識との対決でありましょう。
まず、理解しがたい状況への対処を求められた。
次に、理性や羞恥にどう抗うかを見定められた。
ここまでの拙者の推理が正しいのならば、これはつまり……マジレスに対する間違った正解をどう叩き出すかという課題に違いない。
その上でここまでの行動に筋を通すとなれば、拙者の出す解はただひとつ。紳士に、そして真摯に。全裸であること以外のすべてが正しい、一本鎗での究極のボケを貫き通すこと、それただひとつでありますな――っ!
「良いところにいらしてくださいましたな! 見たところ、警察か憲兵か、とにかく法と民を守る御仁とお見受けする! こちらのご婦人がたいそう怯えた様子であることは、見ていただいた通りでござる! どうか――っ!」
どうか、彼女を保護して差し上げてくださいませ。と、拙者がそれを言い終えるころには、兵士のような格好の男の顔には、もう困惑以外のものは浮かんでいなかった。
正解でござる。これは間違いなく、最大級の間違いを犯せたに違いありませんな。
女性は男にすがるでもなく、男は女性を保護するでもなく、どちらも拙者を見て呆然とするのみ。
さあ。さあさあ! 次には何を求めるのでござるか! 拙者はなんでもこなして、乗り越えてみせるでござるよ! さあ! 次はどんな出来事が……
「――こっちへ来い! 不埒な格好で女性を脅かしているのはお前だ! このユーザントリアで、アンドロフ王の治める国で、弱者をいたぶる行為が認められると思うな!」
「…………ほ?」
男が手に取ったのは、腰に差していた…………直剣…………ギラリと光る、およそ銃刀法などとは縁遠いであろう……武器で…………
「確保――っ!」
「ほほほーっ⁉」
ちょっと待つでござるぅーっ⁉
男は剣を振りかぶり、拙者めがけて躊躇なく振り抜いた。
ま――待ってこれ聞いてないでござるけど――っ⁉ アクションは――アクションは打ち合わせ抜きにはムリゲーなんですなーっ⁉
「話を――話を聞いて欲しいでござる! 拙者は求められたように演じたハズですな⁉ 良いリアクションだったと自負しているんですがな⁈ だからこそ、更にもう一段上を……という話としても、そちらの剣と拙者自慢のこの剣とでは、殺陣は行えないんでござるよ――っ⁉」
「何を意味の分からんことを……っ! 待て!」
いや逃げますがなっ! せめて剣を収めてから言って欲しいセリフなんですぞ!
しかし、これは困った。アクションまで求められているにしても、男の剣筋がガチに見える。と言うか……なんだか、思っていたリアクションではないような……?
「囲め! 逃がすな!」
「ほーーーっ⁉ 新手! お仲間が増えているでござる!」
逃げろ逃げろ、けれどカメラからは見切れないように。と、男から逃げた先で、同じ格好の、同じくらい屈強な、きっと同じ人種の男達に囲まれてしまった。うぬぬ……いったいどんなコンセプトの撮影なんですかな、これは……
しかし、ここで引いては先ほどまでの立ち回りが嘘になる。嘘になれば、せっかく上げた熱が冷めてしまう。
狂気の笑いは、正気を見せないことが肝。であるならば、ここですべきはただひとつ。
「――拙者は逃げも隠れもせんでござる! だからプリーズ! ちょっと剣はやめてください! 死んでしまいます!」
紳士に。そして真摯に。かつ、必死に。命乞いではない。対等な話し合いを求める変質者として――
「――――な、何が起こっているのだ……?」
そして、声を聞いた。しかしながら、その声だけは先ほどまでとは違って聞こえた。特別なものだと、本能が察知したような、そんな感覚があった。
取り囲む男達の隙間から、その黄金はすでに見えていた。けれど、そのまばゆさを知るのはもう少し後だった。
男達が彼に道を開けたときには、なんだまだ子供かと侮った。けれど、そうではないとすぐに理解した。
彼は不可解なものを見る目で俺を見ていた。その金の相貌で、金の髪をたなびかせながら、威風堂々とした姿で。
すぐに理解した。彼は。この男は。ほかの誰とも違うのだ、と。
まぎれもなく、本物のハリウッド俳優なのだ、と。