第三百八十四話【王子はここにある】
この街には備えがない。魔獣から住民を守るだけの力が足りていない。
そしてそれは、今日明日のうちになんとか出来るものでもなければ、王子の力で解決出来るものでもない。
この問題に対して俺は、ここを街としては放棄する――人の暮らす場所でなく、問題を解決する最前線とするべきだと思った。
いや、違う。本当はそんなことしたくないし、そんな思いを誰かにさせたくはない。
でも……そうするくらいしか解決策を思いつかなかった。
この街は今、大きな問題に直面している……のではない。問題は、とっくのとうに街を飲み込んでいるのだ。
街には防御の備えもなく、けれど魔獣の数はただごとではないほどに膨れ上がっている。
数日かけて駆除したとしても、魔獣が住み着いた場所には、住み着くなりの理由があるわけだから、また何かが入ってくる可能性が高い。
つまり、駆除から間を置かずにまた魔獣が大量発生する可能性は十分に考えられるんだ。
そして、再発生した魔獣に対処する力がないこの街は……
いつまでも俺達が残って戦い続けるわけにはいかない。それをしていられる時間はないんだ。
あるいは、ほかの街や王宮から騎士団を派遣して貰ったとしても、それで十分とは言い難いほどの脅威が迫る可能性もある。
それに、よそから戦力をそんなに派遣して貰ったら、その街や王都の守りが薄くなってしまいかねない。
緊急事態に陥っているのはこの街だけど、だからってこの街を襲う魔獣がほかの場所を狙わないなんて保証もないんだ。それは出来ない。
なら、もう答えはひとつだ。
戦力を派遣して貰うのではなく、戦力を要する街に住民を避難させる。
そしてこの街を、この場所を、大量発生した魔獣と、それらの住み着く環境を解決するための拠点にしてしまう。
守るものを減らしさえすれば、時間をかけて解決する選択肢も生まれるんだ。
やっぱり、俺にはこれ以上の策は思い浮かばない。
だけど……っ。
「……待ってくれ。デンスケ、君らしくないではないか。それではまるで、民に生活を諦めさせろと言っているようなものだ」
もしもそうしてしまったら、この街には何も残らない。
人が去って、物もなくなって、文化は忘れ去られて、そして何もかもが消えてなくなってしまう。
いつか、また人が暮らせる場所になるだろう。けれどそのとき、今この街に住んでいる人はどれだけ戻ってこられるだろう。
そして、戻ってきたその人達は、戦いのために変わり果てたこの場所を、果たして故郷と思えるだろうか。
「デンスケ! まさか、君が諦めてしまうのか! 私と君がいて、どうして不可能があると思うのだ! 私達ならばきっと――」
「無理だよ――っ。フリード、ちゃんと向き合えよ。俺達に出来ることは、魔獣を倒すことだけだ。それ以上が必要になるなら、今の俺達にはなんともならない」
ああ、そうだ。戦う力だけじゃなんともならない問題を解決するために、その手助けになるようにって、冒険者を名乗り始めたんだ。
ひとりで無理なら、大勢で。大勢が勇気を持って戦えるように、希望を見せるんだ、って。
でも……まだ、その道は始まったばかり。俺達にはまだ、みんなを扇動するだけの力も結果もない。
「俺達は間に合わなかったんだよ、フリード。この街を残したまま全部きれいに解決する、そういう理想を叶えられるタイミングに。俺達は、間に合わなかったんだ」
俺がもっと早くに召喚されていたら。
フリードがもっと早くに王都へ戻っていたら。
マーリンがもっと早くに人と関われていたら。
あるいは、この街がもっと早くに助けを求めていたら。
もしもそうだったら、あるいは違ったかもしれない。でも、現実はそうじゃない。そんな夢想の通りにならなかった今があるんだ。
「月影の騎士団の創設者として、そして王子として。フリード、お前はこの街とちゃんと向き合わなくちゃならない。でないと、助けを求めて貰った甲斐がないだろ」
「……っ」
フリードは、こんなことを俺に言われなきゃわからないやつじゃない。そんなのはよくわかってる。
それでもこうなってるのは、プリエンタ氏の熱にあてられたから……だけじゃないんだろ。
「――お前が決めるんだ、フリード。王子であるお前が」
ようやく王様の言葉が完全に理解出来た。
フリードは王子としての責任から逃げている。それは何も、不必要に悲観的な考えを持ったり、反対に楽観視し過ぎたりすることじゃない。
王様から見えるフリードに足りていなかったのは、他人の思いを踏みにじってまで最善を選ぶ冷酷さだったんだ。
王子らしくないと思った。偉い人とは思えない行動が多いと思った。
何より、フリードは他人の期待を絶対に裏切らないやつだと思った。そしてそれは、事実だった。
でも、それで成り立つわけがない。みんなの理想をかき集めたものが、本当にみんなの幸せを叶えられる国になるとは限らないんだ。
フリードはみんなと同じ視座に立ってちゃいけないんだ。こいつが立つべき場所は、この国全員が支える玉座なんだから。
「……ああ、わかった。デンスケ、君の言う通りだ。私の掲げる理想は……誰の期待も裏切らず、それでいてすべての希望を叶えることは、今の私では成し得ない」
俺なんかの諌言に、フリードはくっと唇を噛んで、そしてゆっくりとプリエンタ氏に向き合った。
その表情は、さっきまでのやる気に満ちたものとは違う。苦悶に歪み、必死で怒りを押し込めているようなものだった。
「……プリエンタ卿。期待を持たせるような言葉を並べてすまなかった。彼の言う通りだ。私も、そして貴殿も、察するところはあっただろう」
そんなフリードに言われるまでもなく、プリエンタ氏も諦めたような表情で、けれど恨みなどは込めずにフリードを見ている。
その決断を……この街の終わりを、じっと待っているみたいに。
「魔獣の討伐を終え、それでも事態の収束が望めない場合は、この街に王宮騎士団を派遣する。ならびに、全住民の避難命令を、この街と、近隣のすべての街に通達するだろう」
「……承知いたしました。王子が……いえ。デンスケ殿がおっしゃる通りなのでしょう。この街は、一度救って貰っただけでは立ち直れないところまで来てしまっている」
プリエンタ氏はそう言うと、ふうと大きなため息をついた。
それからすぐに、悲しいのか、悔しいのか、憎らしいのか、それとも……晴れ晴れしいのか。どうとも読み取れない表情で俺を睨む。
「恨みます。貴方が冷静でなければ、聡明でなければ、私は楽な道へ進めたでしょうに。貴方のおかげで、街を一から立て直す機会に恵まれました」
恨む。と、そんな言葉とは似つかわしくない優しい声色で、プリエンタ氏は俺にそう告げる。
それからすぐに深く頭を下げて、それでこの場の話し合いが終わったのだとみんなが理解した。
もう話すことがない……ひとりになる時間が必要だとわかっているなら、フリードもこれ以上の長居はしない。
マーリンにも声をかけて、みんなでプリエンタ氏の屋敷をあとにした。
「……ふう。よもや……だ。よもや、君にこっぴどく叱られるとは。やはり、君は私の隣に……」
「それもやめろ。お前は俺なんて置いて身勝手に進め。俺は俺で勝手に追いかけるから」
隣に並んで一緒に戦う。俺もそう願ったし、フリードからもそう頼まれた。
でも、俺はそれを拒む。拒まなくちゃ。
今まで一緒に掲げてたことを拒絶されたんだから、フリードは当然目を丸くして……でも、すぐに困った顔で笑う。
そして、ゆっくりと拳をこちらへ向けた。
「ついてこい、デンスケ。私がどこまででも引っ張る」
「遅かったらまた蹴とばすからな。ちゃんとしろよ」
向けられた拳に俺も拳を合わせれば、ふたり揃って苦笑いを浮かべるしかなかった。今までやってたこと全部がままごとに思えちゃって。
しかもそれを王様に咎められて、理解するきっかけも与えられて、全部手のひらの上だったんだと理解したから。
月影の騎士団は街をひとつ潰した。それが、まだ動き始めたばかりの俺達に与えられた結果のすべて。
でも、大切なことに気づけたし、手に入れることも出来た。なら、もう振り返るまい。




