第三百五十八話【王子の名のもとに】
不安は尽きない。それでも、時間が待ってくれることもない。
王子であるフリードに連れられて、国王に直談判に向かう。その瞬間が、ついに訪れた。
「王よ。約束の通りに参ったぞ。さあ、私の話を聞いてくれ」
いつか訪れた玉座の間に、フリードの先導で到着する。するとすぐに、門みたいに大きな扉が開かれて、その部屋は俺達四人を招き入れた。
マーリンは……やっぱり、ここがなんなのかわかってないみたいで、わくわくした表情をしている。
ロイドさんは、少し緊張してるけど、そこはさすがに王宮騎士団の元指揮官だ。冷静に、そして平静に尽くしている。
俺は……ちょっとだけ変な気分だ。前にここへ来たときには、これからいったいどうなってしまうのか……って、不安でいっぱいだったのに。
もしかするとあのときより状況は悪いのに、緊張みたいなものは少し薄い。麻痺してるのかな。
それで……フリードは……
「フリードリッヒか。報告は受けておる。同時に、通達も済ませた筈だ。其方の発案する新組織は、認められるものではないと」
「いいや、認めて貰う。話もせず、顔も見ず、その雄姿を確かめることなく否定するなど許されない」
……たぶん、誰よりも緊張してる……んだよな。
そんな姿を見たことはない。そんなことになる状況を想像したこともない。
王子であり、黄金騎士であるフリードは、誰が相手でも、どんな状況でも、緊張はおろか、不安になる理由なんてひとつもなかった。
だから俺は、フリードが緊張したり、不安になったりする姿を知らないし、イメージ出来ない。
そして、今この瞬間、今この相手は、そのフリードが緊張するに十分なものだ。
だとしたら……この姿こそが、緊張したときのフリードそのもの……なんだろう。
いつもより少しだけ大きな声を出して、いつもよりずっと偉そうに……本来あるべき権力を振りかざし、いつもと同じくらい堂々としている、この姿こそが。
「王よ、私の主張を聞け。この国には、どうしても欠かせないものがある。この国の未来を明るくするには、どうしても無視出来ない要素があるのだ」
堂々と、偉そうに、大声で、フリードは王様と向かい合う。
ただ父親と話をしているのではない。そうだとしても、フリードの歳を考えたら、意見するのには少し勇気が必要なハズだ。
だが、相手は王。王子の父であり、この国の最高権力者。
威厳ある父親なんて話じゃない。ほかの誰よりも偉くて、力のある、絶対的な存在。
そんな父親相手に、フリードは一歩も退くまいと気を張っているんだろうか。
だからこそ、いつも以上に強気な姿勢を見せているのかもしれない。
でも……そんなフリードの勢いを前にしても、王様は何も変わらない。
あのとき俺が見たのと同じような、悠然とこちらを見下ろすような態度のままだ。
「魔獣だ。この国の未来を照らすには、魔獣という雲が邪魔でならない。この問題を取り払うには、ただ武力を行使するだけでは足りないのだ」
それでも、フリードはひるまない。もとい、ほんのわずかでも弱気を表に出すわけにはいかない。
相手は王様。もしかしたら、息子であるフリードの虚勢なんて看破してるかもしれない。
それでも、貫かなくちゃならない姿勢がある。少なくとも、自分の主張を押し通そうと思うなら、自ら折れるようなそぶりは絶対に見せちゃいけない。
そんな姿をほんの一瞬でも見せたら、王様は絶対に認めないだろうから。
「魔獣の問題は、すでに民の生活にまでその牙を突き立てている。すでに絶望は足元をさらっているのだ。これを払うには、結果だけを提示するのでは到底足りぬ」
「……魔獣を駆逐した。あるいは、それに準ずるだけの成果を挙げたと。そう示すだけでは足りぬと、そう申すか」
その話は、いつか再会したばかりのころにしたっけ。
魔獣をただ倒すだけじゃなく、圧倒的な力でねじ伏せて、これならきっと大丈夫と希望を抱かせる必要がある、って。
俺はそれを、マーリンの魔術に求めた。もちろん、俺も頑張るけど。でも、特別な力にこそ、特別な説得力が生まれるから。
「知っている通りだ。生まれ故郷を失い、家族を失い、未来をも奪われた。そのような民が、この国には多くいる。その者達に、これ以上の被害は出ないと伝えてなんになる」
「ああ、知っている。其方のように、直接を訪れて目の当たりにしたわけではないが。しかし、知っているとも」
魔獣の被害はちゃんと報告されている。だから、その数字の向こうで何が起こっているのかを、王様もちゃんと知っている。
魔獣による被害はもう出ている。だから、今いる魔獣を全部倒したとして、あるいは倒すための策を打ったとしても、もう救われないものはあるんだ。
だからこそ、結果以上に必要なものがある。フリードはそのことを強く主張した。
「――勇者だ――っ。この時世に必要なものは、民に希望を与え、絶望の根を断つ、輝かしい勇者が必要なのだ。誰もがその活躍を知り、焦がれる、そんな存在が」
「勇者――と、そのような名で飾った偶像に、民の安寧をゆだねると言うか。大いなる神でも、神の遣いたる天使でも成せぬ偉業を、人の影に果たせると思っているのか」
偶像ではない。王様の言葉に、フリードはそう吠えた。
大いなる神。その使いの天使。この国の宗教は知らないけど、人々が縋るものはもうある。
けれど、信仰では救われなかったものがある。王様はその事実を以って、フリードの言葉を否定した。
偶像ならばすでにある。それでも、民は守られない。
なら、勇者という新しい偶像を持ち出しても、それが今ある信仰以上の救いをもたらすとは思えない、と。
けれどフリードは、それに強く反発する。
勇者は、偶像などでは断じてない、と。
「ここに伝説を残すのだ。ただひとり、それを成すだけの器がある。この国、世界にあってただひとり、民が思いを寄せるだけの英雄がひとり存在するのだ」
「戯言を。ありはせぬ、そのようなものは。たとえ其方とて、民の心を掴みはせぬ。若き王子の活躍が晴れ晴れしかろうと、それでは照らせぬものがあると――」
王様の言葉を遮って、フリードはまた吠える。さっきよりももっと大きな声で、さっきよりももっと感情的な言葉を。
違う。
たったひと言、発せられたその音は、王様さえも静かにさせた。
フリードの考えなんて全部お見通しだ……と、そう言わんばかりに冷静だった王様が、ほんのわずかに眉を動かす。
それだけの異変が、王様から見えるフリードに起こっている……んだろうか。
「私ではない。この国を照らす器は、王子である私などではない」
「……王族の血を引き、未だ若き其方ではなく、ほかに英雄の素質を持つものがある、と。それを、王子である其方自身の口から申すか」
王様は……怒ってるだろうか。その言葉は、やや怒気のこもったものに思えた。
言葉が強くなったわけでも、険しい顔をしたわけでもない。
それでも、その発言は許されない。と、そんな意図が含まれていないとは到底思えない。
そんなことは、向かい合ってるフリードが一番わかってるだろう。だから……フリードはちょっとのあいだだけ、返事を保留した。
返せないんじゃない。ただ、それに立ち向かうには勇気が必要だから。
だから、ほんの一歩を踏み出すのに、ひと呼吸の間を必要とした。
ほんのひと呼吸だけ。それだけで、フリードはまた強い背中を取り戻す。
「――彼だ。血に定められるでもなく、掟に縛られるでもなく、凡庸に生きる道を許された彼が、私と並ぶだけの英雄足らんとしている。彼こそが、真なる勇者に他ならない」
堂々とした背中は、ゆっくりと向こうを向いて――誇り高いその眼差しが、ゆっくりとこちらを向いて、そしてフリードは俺を呼んだ。
勇者。その名前は、伊達や酔狂で――黄金騎士の名の意趣返しでつけたわけではないと、今ここに宣言されたらしい。
なら、俺が応えるべきは……




