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第三百二十四話【火】


 アップルパイ焼却事件のその翌日、俺達はさっそくオーブンを求めて街に出た。

 とは言っても、この世界にオーブンレンジなんてない。買って持って帰ることの出来るようなものは、残念ながら存在しない。


 そして、今住んでる部屋には、残念ながらそんな大掛かりな設備を導入するだけの広さもない。

 そもそも借りてる部屋だから、そんな無茶苦茶が許されるとも思えない。


 しかしながら、そこはほら、魔導士マーリンだからね。

 マーリンなら、理屈さえわかってしまえば、基本的にはどんなものも魔術で再現出来てしまうのだ。


 オーブン、あるいは窯そのものを作るのではなく、それによって調理する過程を再現する。

 これなら、部屋を改造したり、引っ越したりする必要もないだろう。

 もっとも、それなりに広い場所は必要になるけど。でも、それならお店出してるスペースがあるからね。


「こんにちは。デンスケです。連日すみません、ロイドさんはご在宅ですか」


 さて。オーブンを求めて街に出た……とは言ったけど、それが市場や繁華街、ましてや不動産屋じゃないことは先に示しておこう。

 俺達が訪れたのは、気軽にオーブンを見せて貰える相手……つまり、それを使わせてくれたロイドさんのお宅だ。


「こんにちは、デンスケさん、マーリンさん。さあ、あがってください。今日は何を作りましょうか」


 そんな理由でいきなり押しかけた俺達を出迎えてくれたのは、にこにこ笑って楽しそうにしているロイドさんだった。

 ごめんなさい、今日は料理を習いに来たんじゃなくて……あ、いや。オーブンの仕組みを知るなら、それを使わないことには始まらないのか。


「このあいだ食べさせて貰ったアップルパイ、マーリンがすごく気に入ったみたいで。自分でも作りたいって……ちょっと無茶をしてしまいまして……」


「……っ⁈ 無茶を……あの、デンスケさんは街でお部屋を借りていらっしゃいます……よね?」


 うん、それは世間話で伝えたね。ロイドさん、覚えててくれたんだ。覚えてて……覚えてたら、そりゃそういう反応にもなるよね……


「幸い、部屋のどこも壊れなかったですし、焼けてもないです。そこは魔導士の面目躍如と言いますか、火力調節が絶妙で……」


「そ、そうですか……いえ、それについては今更驚くことではありませんね。炎という現象について、貴女はこの国の誰よりも詳しいのでしょうから」


 現象について詳しいかはわからないけど、それをまるで手足のように扱う技術は本物だ。炎を手足に例えるの、話がわかりにくいけど。


「では、今日はマーリンさんが主体となって焼いてみましょうか。しかしながら……すみません。材料の準備がないものですから」


「ああ、それなら持ってきてます。昨日の失敗の残りと、足りないぶんは今朝買ってきました。いえ……その……勝手に使わせて貰う前提なのはどうかとも思うんですけど……」


 冷静に考えて、材料買って来たからオーブン使わせて……は、仮にも上司にするお願いではないな。

 俺はあくまでも正式所属じゃないとはいえ、いっぱいお世話になった人だし。ちょっと厚かましかったかも……


「そうでしたか。わざわざありがとうございます。それでは、さっそく取り掛かりましょう」


「うん、がんばるよ。デンスケ、おいしいの作るからね、待っててね」


 しかし、俺の懸念は的外れだったらしい。

 買い物袋を見たロイドさんは、またなんともうれしそうな顔をして、さあさあと家へと招き入れてくれた。

 どうやら本当に料理が好きで、マーリンに教えるのが楽しいみたいだ。


「っと、そうだ。ロイドさん、先にオーブンを詳しく見せて貰ってもいいですか? その……毎度借りに来るわけにもいかないですし、かと言って引っ越すのも難しくて……」


「オーブンを……ですか? ええと……もしや、部屋に作ってしまうつもり……なのでしょうか? それは……」


 いえいえ、そこまで無法者ではないですよ。

 設備も知識もなしに直火でアップルパイを焼こうとした世間知らずではあるんですけどもね。


「これがどういう仕組みで、どういう効果で調理器具になってるのか。理解すれば、マーリンなら再現出来ると思うんです。家の外で、あるものを使って」


「……なるほど。たしかに、理屈自体は単純なものですから。マーリンさんの炎の魔術、そして物を動かす風の魔術があれば……」


 そういえば、その術も見せてたっけ。野原を焼いたとき、消火のために砂を撒いたんだよね。


「では、簡単な原理から説明させていただきますね。ええと、まずはこの部分から……」


 しかし、一度見ているとはいえ、ロイドさんのこの適応力の高さはなんなんだろう。

 あの術を使えば、あるいはあの術を使えば、こんなことが出来るだろうか。と、俺よりも詳しく想像出来ているようにさえ見える。


 少なくとも俺は、どうすればアップルパイを焼く道具に出来るだろうか? と、想像出来ずにここを訪ねてるわけだから。

 これが人生経験の差ってやつなんだろうか。うーん……謎だ……


 まあ、俺が何に疑問を抱いても、今日の本題とは無関係なわけだから。

 悩む俺をよそに、ロイドさんはマーリンにオーブンの仕組みについて説明してくれる。


 魔術でそれを再現するって先に伝えたこともあってか、その説明はかなり細やかなものだった。

 そんなロイドさんの話を、マーリンはとてもとても真剣に聞き入っている。


「――と、大まかな仕組みとしてはこんなところでしょうか。術によって再現するのであれば、蒸し焼きにする道具であるという部分にだけ気を払えばいいのかもしれません」


「むしやき……むし? えっと……」


 蒸すって言葉も、蒸し暑いって言葉も知ってるけど、蒸し焼きなんて調理方法があることは知らない。こんなときにも、常識の偏ったマーリンである。

 しかし、今のロイドさんの助言は、隣で聞いてた俺にとっては大きなものだった。


「大丈夫、もうやったことあるよ。お肉焼くときに蓋するでしょ。あれだよ」


 あれだよ。とは言ったものの、それで本当に正しいかはわかってない。

 でも、うちじゃそれを蒸し焼きって言ってたし。鶏肉とキャベツの蒸し焼き、ポン酢で食べるやつ。


「ええ、その通りです。定義する言葉はさまざまありますが、加熱の際に水分を飛ばし過ぎないようにすることだと思えばいいでしょう」


「えっと、えっと……焼くときに、水がなくならないように……」


 ちょっと解釈が違うように聞こえるけど、これは……たぶん、適切な言葉を持ってないってのと、魔術師としての視点が加わるから、なのかもしれない。

 少なくとも、野菜と魚の蒸し焼きは作ったことがあるんだ。答えを知っていて、そこからかけ離れた理解をするなんてことはなかなか起こらないだろう。

 それをそう呼ぶことを知らなかっただけで、マーリンはいろんな料理を知ってるんだ。


「では、実際に火を入れてみましょう。と……そうです。マーリンさん、せっかくなのでやってみますか? 魔術ではないやりかたで、火を起こすのです」


「いいの? やってみたいな」


 ふん。と、元気いっぱいに返事をするマーリンに、ロイドさんはにこにこ笑って火打石を手渡した。

 まあ、コンロもライターも、ましてやマッチすらない時代だと思えば、そういう道具になるよね。


 なんと言うか……身近過ぎて、そしてもっと便利な文明を知ってたせいで、ありがたみをちゃんとわかってなかったよ。

 火を起こして。ってお願いするだけで、ぽんと炎を出してくれるマーリンって……


「……場所が場所なら、女神様と呼ばれても不思議じゃないね……」


「ふふ、そうですね。火を司る神というものも、伝承に残されていますから。魔術の普及していない地域ならば、その恩寵を受けたものとあがめられたかもしれません」


 まあ……だからこそ、かつてのマーリンは誰にもどこにも受け入れて貰えなかったんだろうけどさ。

 でもさ、それってつまり、何かがほんのわずかに噛み合っていれば、マーリンはもっと早くに、もっと大勢から大切にして貰えてたかもしれない……ってことだよな。


 そんな可能性の話をしてもしょうがないとは思う。

 でも、考えてしまったからには……そうならなかったからこそある今を、もっと大切にしようと思った。


 だって……ねえ。そうなってたら、俺はこの世界に来てもいなかったわけだし……


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