第二十九話【成果と思い出】
石壁に囲われた街を出て、俺達は選択肢の前に立たされた。
ひとつ。街の領主に紹介状を書いて貰った街へ行って、そこで魔獣を倒して生計を立てる。
ひとつ。紹介のない街へ行って、もう一度自分の手で価値を証明し、仕事を回して貰えるようになる。
そしてもうひとつ。俺達が……と言うよりも、マーリンが選んだ選択肢は……
「……ひい……ひい……ま、待って、マーリン。久々だから……ひい」
わかってる道を選ぶことなく、また獣道へと舞い戻る選択肢だった。
「大丈夫……? デンスケ、がんばって」
どうして……どうして、せっかく街に馴染んで人並みの生活を送れるようになったのに……と、そんな疑問はナンセンス。
俺は行き先をマーリンに託したんだ。その決定を自ら下すべきだ、って。
だから、大体一か月ぶりに山登りをさせられているのにも文句はない。ない……けども。
「……ふひぃ。それにしても……いや、なんでまたこっちに戻ろうと思ったの? やっと念願叶ったってのに」
浮かぶものは浮かぶので、疑問の答えだけはちゃんと貰ってもいいです?
もちろん、なんとなく予想はついてる。と言うよりも、もとより想定している事態ではあったんだ。
マーリンはこれまで……たぶん十六年くらい、ずっと山や森の中にひとりで暮らしていた。
ずっと。そう、ずっとだ。たまに勇気を振り絞って町や村へ下りることはあっても、結局のところは大自然の奥地こそが定住地だった。
いくら望んでいたもの、欲しかったものだとしても、長年の慣れというものはあるから。
ひとりの時間が欲しいとか、もっと静かなところがいいとか。
今までは求めるばかりだったけど、比べられるようになれば、元の生活にもいいところはあったかもと考えて不思議はない。
つまるところ、ホームシックになった……って。そういうことだろう。
と、まあ。これはあくまでも俺の推測。
マーリンの性格や、聞いた限りのこれまでの生活、そして街での様子をもとに、勝手に予想しているに過ぎないことだから。
それが原因であとあと揉めたり、問題が起こったら厄介だ。
そういうわけで、本人の口からきちんと正解を聞こうと思うんだけど。
「……? マーリン? どうしたの? え、そんなに言いにくい理由だった?」
どうしてまた……と、そう尋ねてから、彼女はどこか申し訳なさそうに目を逸らして、黙ってしまったままだった。
もしかしなくても、俺のことを気遣って……だよね。
もしかして、デンスケは早く街に行きたかったかな……?
せっかく紹介までして貰ったのに、こんなとこに戻らされたのは嫌だったかも……とかなんとか。
そういうことを考えてそうな顔してる。もう……
「マーリンってば。別に、怒ってるとか嫌とかじゃないよ。ただ単純に、マーリンの心が知りたいんだ」
「人と一緒に暮らすの、やってみたら意外と合わなかったのかな……とか。引っ張り出した身としては、気になるところだからさ」
「そうじゃない……よ。えっと……うん。ちょっとだけ、ドキドキしたけど……でも、楽しかったし、うれしかった……よ」
街での暮らしは嫌いじゃなかった。
人に囲まれて生活するのも、そう煩わしいものじゃなかった。
その答えには、ひとまず安心かな。
でも、そうなると余計に疑問は大きくなる。
ただのホームシックなら問題ないけど、何か我慢ならないことがあった……のなら、早めに解決してあげたい。
次にまた街で生活するとき、予防出来るものはしたいし。
「……うんと……えっと……ね」
マーリンはまだ目を泳がせたまま、たどたどしく言葉を探していた。
この感じ、ちょっとだけ久しぶりだ。街に下りる前、マーリンって名前が馴染んだころには、少なくとも俺とはすらすら話せてたのに。
じゃあ、それだけ緊張してる……ってことかな。
となると……やっぱり、俺に言いにくい――俺が怒るかも……って、考えてるのか。
「……ゆっくりでいいよ。ちょうど疲れたところだからさ。座って休憩にしよう。ほら、こっちおいで」
じゃあ、急かしたら逆効果だよな。
ひさしぶりに仕事も周りの人のことも考えなくていい時間が出来たんだ。ちょっとゆっくりしても困んないだろう。
そういうわけだからと、俺はマーリンの手を引いて、大きな木の根に腰かけた。
うーん……椅子に慣れたお尻が、不規則デコボコな感触に悲鳴を上げそうですなぁ……
「……えっと、ね」
手を握ったからか、座って落ち着いたからか。理由は定かじゃないけど、マーリンはやっと言葉をまとめられたらしくて、俺の目を見て話し始めてくれそうだ。
俺から握った手を、今度はマーリンがぎゅっと握って。そして……
「……デンスケと……もっとお話しする時間が欲しかったんだ。街にいると……お昼は、いろんな人がいる……から」
「……きゅん」
さみしそうに、けれど申し訳なさそうに、マーリンは上目遣いでなんともかわいいことを言い始めた。それは……そうか。なるほどなぁ。
「マーリンたそは本当にかわいいでござるなぁ。萌えですぞ、萌え。萌え萌えきゅんですぞ」
「え……えへへ」
もう。そんなこと言われたら、なでなでしたくなっちゃう。
言われなくても、なでなではしてあげたくなっちゃうんですが。
けれどその言葉は、ただかわいいだけの、あざといだけのしぐさではないんだろう。
マーリンにとっての俺は、特別に特別な存在なんだ。
ずっと夢見ていた街での生活も、大勢から受け入れて貰った事実も、一度投げ出してしまえるほどに。
「……いつか、それも気にならないようになるといいんだけどな」
「……? デンスケ……?」
ちょっと……ううん。これは、非常に大きな問題だろう。
俺はいつか、彼女の前からいなくなってしまう。元の世界に帰る日が来てしまう。
そうなったときに、またひとりぼっちに戻ったんじゃ意味がない……って、そう考えて街へ下りる決心をしたんだ。
なのに、結局俺だけが特別じゃ……俺がいなくなったときに、大き過ぎるショックを受ける可能性があるんじゃ、まだまだいい傾向とは言い難い。
まあ……でも、それは追々でいい……かな。だって、マーリンにとっては初体験だったんだから。
これが当たり前になれば、おのずと親離れもするだろう。親子じゃないけど。
「それじゃ、せっかくまたふたりっきりに戻ったことだしさ。今日はまた山の中で野宿でもする? ちょっとだけ夜更かしして、星を見ながら話をしよう」
「……っ! えへへ……うん」
どだい、こんなにかわいいこと言われて断れるわけがないんですな。
次の街を見つけるまでは、また一日中ふたりっきりだ。
そのことを俺が拒まなかったとわかれば、マーリンはまたほおを緩めてだらしなく笑った。
この癖、早めに直してあげないとアホの子に思われてしまいそう。実際ちょっとその気もあるし。
アホの子っぽいにやけ顔のまま、マーリンは俺の手をさらに強く握って立ち上がった。
休憩は終わり、早く行こ……じゃなくて。じっとしてられないって感じだった。
立って、ぱたぱた手を振って、何を言うでもなくうれしそうにはしゃいでる。
「えへへ……デンスケは楽しかった? 僕はね、すっごく楽しかったよ。みんなね……みんながね、僕を……えへへ。魔術師殿……って」
「そうだな。マーリンはみんなから尊敬されて、頼りにされてたもんな。またいつか、魔獣の数が増えちゃうころ。そのときは守ってあげたいな」
街であったうれしいこと、楽しかったことを語りながら、マーリンはちょっとだけ涙を浮かべていた。
本人は無自覚なんだろう、うれし涙だった。
みんなが優しくしてくれた。みんなが名前を呼んでくれた。みんなが。みんなが。
彼女が語る思い出は、ちゃんとみんなから貰ったもの……俺以外にも依存先が出来たことを示してくれていた。
それを聞くと、まだしばらくは不安なものの、きっと大丈夫になる日が来るんだろうな……って、俺のほうが安心してしまう。まあ……
「……反抗期なんて迎えちゃダメですぞ、マーリンたそ。いつまでも素直ないい子でいてくだされ。ああ、いや……しかし、それを押し付けるのは間違った育て方な気も……」
大丈夫になったらなったで、拙者のほうが大丈夫じゃなくなりそうですなぁ。
いつか……いつか、誰かのお嫁さんになってしまうんですかな……? マーリンたそ……マーリンたそぉ……




