第三百十五話【四の五の言わず】
騎士団と合流するために王宮を訪れた俺を待っていたのは、ほかでもない王子フリードリッヒだった。
それも、いつも澄ました顔をしているあの男が、今回はやや険しい表情で俺を呼び出した。
北方の調査計画が進められつつある。もう時間がない。
ふたりきりの部屋でフリードはそう言って、苦々しい顔を浮かべる。
「……時間がない……このままだと、俺はその計画には加われない……か。うぐ……ごめん。成果を挙げられてないのは俺の責任だ。足引っ張ってる……」
「いや、違うのだ。そうではない。まだしばらく猶予はあるつもりだったのだ。君を騎士団に同行させ、実戦経験を積ませるだけの時間は……」
まだ猶予はあるつもりだった。
その言葉から、フリードも予想していないところから――フリードでも決定を覆せない立場から命令が下されたんだとすぐにわかった。
つまり……王様だ。王様が、北の魔獣の問題を非常に重たく見たんだ。
「……っ。俺はどれだけのことをすればいい。まだ間に合うのか、そもそも。もし、俺が間に合わないとしたら……そのとき、マーリンは……」
俺を残して、マーリンだけを連れて行くのか。もしもそうなったら……マーリンは、どんな扱いを受けるんだ。
自分の至らなさに対する反省も後悔もあるけど、何より真っ先に浮かんだのはその不安だった。
俺がいなかったら、マーリンは誰の言うことを聞けばいい。それとも、全部自分で考えて行動しなくちゃならないのか。
それはまだ無理だ。まだ、マーリンは自分だけで正しい答えを……正しいと思える答えを出せない。
人のために頑張る。誰かを守るために頑張る。そこは決して揺るがないし、間違えない。
それでも、誰かのためになるとうそぶかれれば、どれだけの無茶無謀もやってしまう危なっかしさがある。
もし俺がいないなら、フリードがマーリンの隣で手綱を握ってくれるのか。それが許されるのか。
もしもそうじゃないとしたら……
「落ち着いてくれ、デンスケ。まだだ。まだ、わずかだが時間はある。君が身を滑り込ませるだけの時間は、わずかだが残されている」
「……っ」
わずかな時間で……果たして、俺はそこに辿り着けるのか。
焦りも不安も、思考からポジティブさを奪ってしまう。
ずっと……ずっと、出来るだけ考えないようにしていた。
とにかく頑張るしかない。やれることを一個ずつやるしかない。
マーリンでさえ課題をこなさなくちゃならなかったんだから、俺はもっと時間がかかって当然だ。
そんなふうに、ずっと目を背け続けた現実がここにはある。
「……俺は……俺には、それを叶えるだけの力があるのか……? お前の言う、ほんのわずかな隙間に自分をねじ込むだけの、特別な何かが……」
俺は特別じゃない。俺は、ちょっと強いだけの普通の人間だ。
その強さってのも、努力や研鑽に裏打ちされたものじゃない。偶発的に、自分の行いとは無関係なところで手に入った力だ。
俺には何もない。少なくとも、フリードが褒めてくれた、求めてくれたようなものは、何ひとつとして手にしていないんだ。
そう思ってしまうと、どうしようもないくらい顔が熱くなった。
俺は何を勘違いしていたんだろうか。
ロイドさんや騎士団のみんなみたいに、覚悟があったわけでもないのに。
どうして、彼らよりも特別な、選ばれた存在になれると思いあがって――
「――ある――っ! 君には特別なものが、輝かしい才能がある。見くびるな、デンスケ。うわべの言葉を君に向けたことなど、ただの一度としてありはしない」
「――っ。そ、そうは言っても……現実問題、俺はまだ……もがっ」
なんの成果も出せてないじゃないか。
言い訳じみた反論は、フリードの手によって無理矢理口の中に閉じ込められた。
「言っただろう。まだしばらく、時間をかけるつもりだったのだ。私から見えるその輝きに、君自身が気づくときまで。団の中で経験を積ませるつもりだったのだ、と」
「むが……俺が、気づくまで……? それって……本当に、お前の勘違いじゃなくて……」
お前はやたらと俺を過大評価するくせがあるから。だから、変なところに変な理屈をつけて、勝手に大きく見てただけなんじゃないのか。
俺はずっとそう思ってたし、はたからもそう思われたに違いない。
でもフリードは、ことここに至ってなお、その意見を譲ろうとしない。
眉間にしわを寄せ、それ以上言えばこのまま顔を握りつぶすと言わんばかりだ。ちょ、ちょっと顎が痛い……
「その考えでいるうちには、真なる意味で私の隣に並んだとは言えない……と、そう思ってのことだ。君はいささか自己評価が低過ぎる」
「低過ぎるって言ったって……逆に聞くけど、俺が自己評価をこれ以上高く持つ根拠はどこにあるんだよ」
それに気づいて貰うための時間だったのだ。と、フリードはついに声を荒げて、不満たっぷりって顔で部屋の隅を……その壁の向こうのどこかを睨んだ。
もしかすると、その先に王様が……? と、そう思ってしまうくらい、はっきりとした嫌悪感をむき出しにしていた。
「しかし、その時間はなくなってしまった。こうなってはいたしかたなし。乱暴な手段にはなるが、無理矢理にでも君を認めさせるほかあるまい」
無理矢理にでも……って、それが出来たら苦労しないだろう。だからこそ、俺をこうして……あれ?
こうして王宮騎士団に同行させてたのは、俺に自覚を持たせるため……みたいな話なんだっけ?
だとしたら、えっと……俺を王様に認めさせる方法自体は、ほかにもう準備してあったってこと……?
「……い、いやいや、待てって。全然思い浮かばない、身に覚えがないよ。そりゃ、強化魔術を貰えば強くなれる。でも、それはマーリンがすごいんであって……」
「そのことが異常なのだ。それだけの輝きを、才覚を発揮しながら、自己認識出来ていないことこそが」
まったく、これだから……みたいな顔されたけど、自覚もないすごい部分を勝手に見出してるほうが異常だと俺は思うなあ⁈
しかしながら、この男はこれでかなりの頑固者だ。こうなっては、俺が何を言っても同じ言葉を返されるだろう。
それに……元も子もない話だけど、フリードのこの話を否定してしまうと、俺にチャンスがないって結論だけが残ってしまう。
それは困る。困る……から、ここは一度、不服だろうと話を受け入れるしかないのか……?
「デンスケ。もはや何も言うまい。君はただ、周りを省みずに結果だけを求めるのだ。独善的に、かつ支配的になれ。君にある最大の才能は、間違いなくその先にある」
「独善的で支配的に……えっ。お、俺ってもしかして、とんでもなくやばいやつだと思われてた……?」
遺憾過ぎて涙が出る。そんな理由ですごいって言ってたの、お前。
しかしながら、初対面が初対面だから、いっさい否定出来るところはない。
たしかに、独善的で人を慮ってない行動を見られたもんだけどさ……
「……いや。まあでも、ちょっと思いついてたものはあるんだ。すごく不満はあるけど、お前の言い分にも合致するやつが。すごくすごく不満だし、不服だけど」
「ああ、わかっている。君は社会から貴ばれる善性を兼ねているからな。傲慢な振る舞いに抵抗を覚えることも理解している」
そんな大げさな話をしたつもりはないんだけどな……と、否定してもキリがない。
俺が特別になるとしたら……って、ひとつ思い浮かんだやりかたは、たしかに独善的で、あんまりみんなのためにならない方法だった。
だから、考えるだけ考えて実行に移さなかったけど……しょうがない。尻に火が着いたからには、だ。
「あと何回チャンスが……いや。今回だ。今日のこの一回で結果を出す。だから、なんか……こう……俺をねじ込むうまい言い訳を考えといてくれ」
「言われるまでもない、すでに文書まで準備してあるとも。君が成果を挙げ、騎士団からも証言を得られるならば、このときにも王を言いくるめてみせよう」
すごい、いくらなんでも気が早過ぎる。それだけ待たせてたってことか、ちくしょう。
結果を出す。何がなんでも結果を出す。そのことだけを考えて、今回は周りの迷惑を省みずに動く。
フリードに言われた通り、あとでみんなに全力で謝る前提で、今回ばかりはめちゃくちゃにやってやる。
そう意気込んで、俺は騎士団の待つ部屋へと戻った。
でも……ううっ。みんなの顔を見ると、迷惑かけたくない気持ちが……




