第三百話【地下にて集う】
お店を開けて、いつも通りの朝を過ごす。それが終わったら、荷物を片付けて、チェシーさんと一緒にルードヴィヒさんの地下工房へと向かう。
そして、ルードヴィヒさんと一緒にあの魔術師の工房を訪ねる。それが、今日の予定。
お店を片付けて部屋に荷物を置いたころになると、嫌でも身体がこわばった。
緊張……だけど、ただプレッシャーを感じてるわけじゃない。
もっと本質的な、嫌悪感に近いものが身体を縛りつけてるみたいだ。
「ルードヴィヒ、連れて来たぞ。支度出来てんだろうな……あん?」
地下通路を通って工房へ入ると、そこにルードヴィヒさんの姿はなかった。
もしかしたら、何か特別な準備が必要なんだろうか。それで、ちょっと出かけてる……とか。
どこか怒った顔のチェシーさんには申し訳ないけど、この不在は……この猶予は、ちょっとだけありがたい。
心の準備なんてどれだけ時間をかけても出来そうにないけど、だからってなんでもかんでも急はつらいから。
やらなきゃいけないことだし、やるって決めたことだけど、やっぱり関わらないならそうに越したことはないんだって、思ってしまう。
対人関係でのストレスは、マーリンにとって悪い記憶と密接にある。出来ることなら、無視してしまいたい、と。
「……ふー。書き置きとかないかな。あいだを取り持つって、ルードヴィヒさんが提案してくれたんですよね? なら、準備があるなら何か残してても……」
それでも、やらなくちゃ。
心は拒絶するけど、頭では進まなくちゃいけないと理解している。出来ている。それだけが救いだ。
この一件は、マーリンの過去のトラウマを払しょくし得るかもしれない。
そこまでは出来なかったとしても、乗り越えられるものなんだと教えてくれるかもしれない。
拒絶されたことは覆らなくても、敵対しないという結果を残せたなら。
そしたらそのときは、人との付き合いかた……いい意味での無関心や無干渉を理解してくれるかもしれないし。
「そんなまともな人間じゃねえのはわかってるだろ、兄サンも。王子様の紹介で人が来るってのに、部屋の片付けも出来ないようなやつだぞ」
「……そ、そう……ですけど。もうちょっと信頼してあげてもいいんじゃ……」
なんとなくだけど、このチェシーさんとルードヴィヒさんの関係は、マーリンに必要なもの……なんじゃないかな、と。そんなことも思う。
信頼や信用があって、それが悪いほうにも存在して。信じるしか出来ない子供の感性から、また一歩踏み込んだような関係。
まあでも、ここまで露悪的な雰囲気は身につけなくてもいいかな……?
ちょっとくらいは不信感を持つべきだけど、あんな変態とはかかわらないって選択が出来るようにもなって欲しいし……
「もしかしたら、王宮に顔出してんのかもな。仕事はまだしばらく先だったと思ったけど、別の用事で呼び出されたとか」
「宮廷魔術師ですもんね。忙しくないわけない……か」
急な呼び出しだったとすれば……たとえば、ちょっと外出したときに声をかけられたとかなら、書き置きをする暇もなくて当然だよね。
もっとも、公的な仕事だとしたら、事前に連絡があると思うけど。
「……誰か、来るよ。あっち……えっと、遠いほうの家、から」
「誰か……って、あの入り口を知ってるのなんて、ルードヴィヒとアタシだけ……ああいや、魔導士サン達も見つけたっけ。どっちにせよ……」
ルードヴィヒさんが帰ってきたと考えて間違いないだろう。噂をすればってやつかな。
「しかし、足音もロクに聞こえない……ドアも閉めてるし、そもそも無茶苦茶距離があるのに、よくわかったね」
「そう……かな? でも、ちゃんと聞こえる……よ?」
俺には何も聞こえなかったけど、マーリンには足音が……あるいは、ドアを開ける音が聞こえたらしい。
チェシーさんもわからなかったみたいだから、やっぱりマーリンの感覚が優れてるんだろう。
「それは魔術と関係ない部分……だよな? 朝のことがあるからさ、何されてもすごいなって思っちまう。いや、これも普通にすごいけどよ」
「っ。そ、そう……かな……? えへへ」
チェシーさんはすごいすごいと褒めてくれるんだけど、マーリンはどうしても俺の陰に隠れてしか返事が出来ない。
ほかの人……男の人相手だとこうはならないから、やっぱり女の人と話すのが恥ずかしいのかな。
普段は男ばっかりの現場に行くことが多いからって、自分も女の子なのに。どうしてそんな男子中学生みたいなことに……
「……でも、足音、ふたり……だよ。ルードヴィヒさん……と、もうひとり。えっと……子供? 小さい子……かな?」
「足音でそんなこともわかるの……? しかし……ルードヴィヒさん以外にもここへ来る……と。それまたいったい……」
誰だろう。チェシーさんの話では、あのボロ屋の入り口を知っているのは、彼女とルードヴィヒさんと、そして俺達だけって話だけど。
俺達みたいに探し当てたんじゃないとしたら、もともと教えていたか、あるいは教えても問題ないと判断した相手……だよな。
それなりに社会性のある王都の魔術師とはいえ、やっぱり術師であることには変わりない。
機密は多いだろうし、出来るなら人と関わりたくないだろうルードヴィヒさんが、公的に登録されていないほうの入り口を通してもいいと思える相手……とは。
「子供……歩幅が小さい、足音の間隔が短いってことかな……? えっと……」
ルードヴィヒさんがかなり大柄だったから、それと比べて小柄なだけの大人って可能性もあるのかな。
マーリンだって、足音で判断する絶対的な基準を持ってるわけじゃないだろうし。
あるいは、女の人……いや。チェシーさんがいるから、プライベートな関係で人を連れてくるとは思えない。
じゃあ、王宮関係の、女の人か、あるいは小柄な人……
「……あっ。いや、すごい身近にひとりいた。そっか、あいつか」
「あいつ? なんだ、兄サンは誰が来るのかわかったのか?」
間違ってる可能性も五割くらいあるけど。と、前置きすると、チェシーさんはすっごく冷たい目を向けてくれた。
そんな目で見ないで。それで喜ぶのはルードヴィヒさんだけ。俺は……ちゃんと悲しいから……
「子供じゃないけど、見た目子供みたいなやつがいるんです。それも、ルードヴィヒさんとも、俺達ともかかわりがある人で」
かつ、より秘匿性の高い出入り口を使用しても不思議じゃない相手。
ここまで条件が揃っているなら、それなりの確率で当たるだろう。と、そんなポジティブな理由の五割だ。
それが五割止まりなのは、俺がルードヴィヒさんを全然知らないから。全然知らない人脈から連れて来た可能性を否定出来ないからだ。
だから、あんまりがっかりした顔しないで欲しい。しょうがないんだってば。
「……そっか。子供みたいな……えへへ。僕より小さいもんね」
「そうだね。そうだけど……あんまり本人には言わないであげてね」
マーリンに悪意はないだろうし、当人も気にしないだろうけど、言われたら傷つきそうだから言わないようにしようね。
ほかの人につい言っちゃうかもしれないから、悪い癖はつけないようにしないと。
もしかしたらの話で盛り上がっていると、足音はついに俺の耳にも聞こえるくらい近くにやって来た。
それからすぐに、ドアが開かれて……
「こちらへどうぞ。すぐに使いを手配して……いえ。どうやら、すでに揃っているようです」
「む。デンスケ、マーリン。ふたりとも息災そうで何よりだが、しかし……どうやら、それだけでは済まないらしいな」
フリード。と、マーリンが嬉しそうな声でその名を呼ぶのが先か、ルードヴィヒさんがすごく怒った顔をするのが先か。
まあ……そうだね。宮廷魔術師からすれば、直属の上司……の息子、か。とにかく、とても近い位置にいる偉い人だからね。そうなるよ。
でも、フリードがルードヴィヒさんをすぐに制してくれて、それから王子の紹介があれば……今度はチェシーさんが青い顔になって。
しょうがないけど、お前が絡むといろいろと慌ただしいことになるんだよな、絶対……
「聞けば、発端は君達をここへ送り込んだことにある、と。ならば、手を尽くさぬ理由もないだろう」
ルードヴィヒさんとマーリン、それからチェシーさんと、それぞれいろんな反応で慌ててる中で、フリードはなんとも真面目な顔で俺にそう言った。
空気を読んで欲しいところだけど……まあ、いい意味で空気なんて関係ないのがフリードだからな。
「悪い。でも、実力でどうにか出来ない問題は誰かを頼らざるを得ない。手間取らせて申し訳ないけど、知恵を貸して欲しい」
「無論だ。君達を上へ引き上げるためならば、どれだけでも力を貸そう」
でも、なんにしたって心強い。
工房へ直接乗り込んだんじゃ話が大きくなり過ぎるにしても、知恵を貸して貰うぶんには大ごとにもならないだろう。
ひとまず、この部屋の中が落ち着きさえすれば。
次会うときはいい報告と結果を持って……と、心のどこかで思ってたことは達成出来なかったけど。
それでも、やっぱりうれしいタイミングで現れてくれるもんだ。
三人でなら、難解な問題もなんとか出来る。
まだ緊張はしてるけど、心なしか気持ちも前を向いた気がするよ。




