第二十七話【いろいろ足りない】
魔術師殿。それが、かつて魔女と呼ばれた彼女の今の呼ばれ方。
頼みごとがあるとき。お礼を言うとき。偶然すれ違っただけのとき。どんなときでも、街の人々は敬意をもってその肩書で彼女を呼ぶ。
はじめてそう呼ばれた時、マーリンは大層困惑していた。
数日経っても、ろくに顔を見ることも出来ないで俺の背中に隠れるばかりだった。
けど……もうこの街に滞在して十日になるだろうか。今でも戸惑い混じりだけど、彼女はもう俺の後ろには隠れなくなっていた。
「おはようございます、魔術師殿。先日はありがとうございました」
「……お、おはよう、ございます……えへへ」
俺の隣で、どこかぎこちない笑顔を向けて、人々の信頼と感謝を受け止めている。受け止められている。そのことが、今はただただうれしい。
「……ただ、うん。ちょっとだけ、困ったことになりつつもあるんだよな」
大人とも子供とも話せるようになったマーリンのことは、それはもうただただ朗報でしかない。
しかし、それとは別件で問題も発生しつつある。
ただそれは、問題だ! と、大ごとにしたいものでもない。
マーリンに相談したり、ましてやこういう問題があるから何かを変えようと提案するなんてもってのほかだ。
俺の中にだけ芽生えた小さな問題。それは、そう遠くない先の生活についてのものだ。
「……マーリンのおかげで、この街はずいぶん平和になったな。いや、違う。この街だけじゃない」
この街の周辺……川や林、それに山。人と獣とが交錯し得る自然環境については、マーリンの力でかなりの数の魔獣が退治されている。
問題とは、まさしくこれら――マーリンがこれまでに解決してくれた問題こそが、この先にまた立ちはだかりかねない。
俺達は今、魔獣を退治するための戦力として重宝されている。
俺達……って、そこに俺を入れていいのかは……うん。まあ、それは主題じゃないから無視するけど。
俺はこの世界についてそう詳しいわけじゃない。だから、どこまでいっても主観でしかものごとを測れない。
だがそれでも、ひとつ確証を持てている事実はある。
このままのペースだと、そう遠くない未来に……具体的には、一か月としないうちに魔獣を狩り尽くしてしまうのだ。
「それ自体は喜ばしいことのハズなんだけどなぁ……なんて因果な話だよ……」
マーリンの力は、魔獣退治に用いるにはあまりに大き過ぎた。
手加減していても、その殲滅速度はただごとではない。
種そのものを根絶……絶滅させるのは、さすがに難しいだろう。
けど、差し迫って退治する必要がない程度にはすぐに至ってしまう。
少しだけ甘い考え……ゲームやアニメの世界観でものごとを考え過ぎていたかもしれない。
この世界に存在する魔獣は、マーリンの力では簡単に倒せ過ぎてしまう。
そして、数が減って弱った魔獣は、彼女の力すらも必要ないほどだ。
このままでは…………このままでは、近いうちに仕事がなくなってしまう。
そうなると食い扶持にも困るし……それに、ここに泊めて貰ってる理由も……
「……はあ。しかし……だからってなぁ……」
「……? デンスケ、どうしたの?」
えへへ。と、俺にだけはやっぱり緩い笑顔を見せるマーリンの、そのあどけなさが……こう……この問題を、正しく問題たらしめている……って、そんな考えはひどいかな。
でも、現実的に考えて、今のマーリンが仕事を貰えるかは……少しだけ怪しい。
何せ、常識の類は本当に持ち合わせていないんだ。その部分については、女児にも劣ると言って過言でない。
そこを俺が補ってあげられれば……とも思うんだけどさ。
俺もこの世界の常識はほとんどないし、元の世界でだってアルバイトすらしたことない。
魔獣を狩り尽くした後に立ちはだかるであろう問題。それは、この子供ふたり組の社会性と経済力の乏しさだ。
「……デンスケ? 大丈夫……?」
「……大丈夫だよ。少なくとも、マーリンは大丈夫」
この街で常識を身に付けて、仕事を覚えて、あるいはまたほかの街で暮らしていくのも……って、ここへ来る前にはそう考えてたんだけどなぁ。
予定ではもう少し猶予がある……と、それが甘い考えだったのか。
それとも、俺とマーリンの社会性の低さが計算に入ってなかったのか。
なんにせよ、一か月はあっと言う間だ。早いところ策を考えないと、街の人に白い目で見られてからじゃ遅い。
そうなってからだと、次の街へ行くのにも悪いイメージが残ってしまう。
マーリンには、もうそういう苦い思い出はいらないんだから。
さてと。と、考えごとに一度終止符を打って、俺はマーリンと一緒に領主様の屋敷を訪れていた。
今日の仕事はなんで、誰からの依頼で、どこへ行くのか……と、それを一度報告しに行くんだ。
そういう風に約束を交わさせられている……んだ。
これも……うん。やっぱり、遠くないうちに……と、そう思わせる原因のひとつ。
「おはようございます、領主様。デンスケとマーリンです」
「おはよう、ふたりとも。今朝も元気そうで何よりです」
端的に言えば、俺達は信頼はともかくとして、信用は得られなかった……んだと思う。
街の人達からは信頼も信用も得られたと思う。けど、この街での滞在や宿舎での生活を認めてくれた領主様については……
「今日は酒場の主人からの依頼で、街道に現れる魔獣の討伐に向かいます。ただ……棲み付いたものではないので、数日がかりの作戦になる予定です」
「そうですか。街道の安全が確保されれば、交易もより頻繁に行えるでしょう。成功を祈っていますよ」
俺達が子供だから。特に、力を振るうマーリンの人格が幼過ぎるから。報告義務を課す理由について、直接説明されたのはそんな理由。
でも……たぶん、それだけじゃない。
大まかにくくると同じ枠組みかもしれないけど、ちょっとだけニュアンスが……それが理由になるまでの、原因になる感情が違うんだと思う。
領主様は、マーリンのことを恐れている。
幼いながらにとてつもない力を持つ彼女を、危険な存在として認知している。
正しい判断……正確な認知だとは思う。街を救う力は、反転すれば街を支配する力に変わってしまうわけだから。
だからだろう。領主様は、マーリンよりも俺のほうを向いて話をするし、俺に報告をさせる。
マーリンにそれが務まらないから……ってのもあるにはあるんだろうけど。
釘を刺してるんだろうな。握った手綱を絶対に離すなよ、って。
そして、間違ってもバカな考えは持つなよ……って。
まあ……もしもそのバカな考えで行動を起こしでもしたら、領主様もこの街の人も、何も出来ないんだけどさ。
出来ないからこそ、理性の部分に訴えかけるしかないんだし。
「それでは、失礼します。次回の報告は……討伐後か、空振りが三日続いたあとでよいですか?」
「はい、構いません。では、お気を付けて」
謀反だのと呼べるほど忠誠を誓った相手でもないけどさ、こうもピリピリした空気を向けられると……ちょっとだけ顔を合わせるのが嫌になるよ。
でも、マーリンにはそんなこと関係ないから。頑張ろうねって言いながら、俺の手を握って鼻息を荒くしている。
「……そうだな。頑張ろう。まあ……戦うのはマーリンばっかりなんだけどね」
「まかせて。デンスケのことも、この街も、絶対守るからね」
気合十分なのはいいけど……情けなくなっちゃうから、かっこいいこと言い過ぎないでね……?
男の子だから、俺が。女の子だから、マーリンは。
その日、魔獣は街道には現れなかった。次の日にも、その次の日にも。
結局、討伐に成功したのは、二回の報告を挟んで、八日後のことだった。収入が……