第二百九十話【再びまみえる】
眠たそうに鍋を飛ばす様子には少しひやひやしたものの、営業時間を終えるころには、マーリンの目は爛々《らんらん》と輝いていた。
目が覚めて元気いっぱい……ってだけじゃない。このあとに待っている出来事を前に、わくわくが収まらないって感じ。
そんなマーリンと共に、宮廷魔術師の、登録されている住所にあるほうの家から地下工房を訪れる。
ドア叩いても向こうに聞こえないからしょうがないんだけど、いきなり入って大丈夫だろうか……
「こんにちは。暗号、解けたよ。これであってるかな?」
むふー。と、またなんともうれしそうに、誇らしそうに笑みを浮かべながら、マーリンは地下工房の扉を開ける。
で……そんな来訪があるとはまったく予想してなかったのだろう。
部屋の真ん中では、ルードヴィヒさんが……チェシーさんに踏みつけられながら、目を丸くしてこちらを見ていた。何してんだこの人……
「昨日の魔導士サン……なんだなんだ、あんなこと言っておいて、ちゃんと面倒見ることにしたんだな」
そんな、拾ってきた犬とか猫じゃあるまいし……と、ボケるとこじゃないか。
どうやらあのあと、ふたりのあいだで話題に上がったようだ。
きっと、期待外れで指導するに値しない……とかなんとか、そんなことを言ってたんだろうな、ルードヴィヒさんは。
でも、こうして元気に現れたもんだから、口ではそう言いつつも、ちゃんと教える約束はしてたんだ……と、チェシーさんは勘違いをしてしまったんだろう。
そう。それはまったくの勘違いなんだ。
「い、いや、違うんだ。そんな約束はしていない。彼女には見込みがない、ゆえに指導するつもりは毛頭ない。だから……だから、踏むのをやめないでくれ、チェシーっ!」
いや、その反応はおかしいだろ。
見直したと言わんばかりの笑顔で踏むのをやめたチェシーさんに、ルードヴィヒさんはもっと踏んでくれと懇願している。
俺達はいったい何を見せられているんだ……
「……っ。魔導士とやら、どうしてここへ来た。昨日、たしかに伝えた筈だ。君はあまりに未熟で、宮廷魔術師になどは到底……」
「……? うん、そうだよ。僕は、ビビアンにもいっぱい教えて貰ったけど、でも……でも、まだあんまり魔術に詳しくない……から。だから、教えて欲しいんだ」
見習いの域を出ない、とてもじゃないけど宮廷魔術師に習おうとするレベルに達していない。でも、そんなのは関係ない。
そもそも、じゃあ順を追って基礎から学ぼう……なんて発想に至るほど、マーリンの中には常識が根付いてないんだから。
拒まれたとも思ってなければ、拒まれても何回だってチャレンジする。
それがマーリンで、だからこその魔導士なんだ。
「暗号、解けたよ。ビビアンが書いてたのより、簡単だった……でも、ビビアンがやったのより、長くて、すぐにはわかんなかったんだ」
「……そうか。簡易的な暗号そのものには経験があった、と。しかしながら、それとは形式が違ったがために、解読に時間がかかってしまった……か」
さっきまで床に這いつくばってたルードヴィヒさんは、マーリンの発言を聞いてか、ゆっくりと起き上がり、まじめな顔で取り合ってくれる。
なんか……うん。まじめな顔でちゃんとしてられても、もう今更だよ。困るよ、リアクションに。
「僕は、魔導士……だよ。魔術で、街の人を守るんだ。だから……出来ないことがあったら、出来るようになりたいんだ。そうしたら、みんな守れるから」
だから。と、マーリンは頭を下げる。魔術を教えて欲しい、知らないものを見せて欲しいって。
宮廷魔術師なんてものを知らないまま、自分よりも多くを知るルードヴィヒさんに教えを乞う。
「……チェシー。すまないが、またしばらく席を外してくれないか。ああ、いや。その前に、一度殴ってくれ。殴ったのちに、蹴ってくれ。それから……」
「殴らねえし蹴らねえよ。本当に気持ち悪い男だな、お前は」
ちゃんと罵られてすっごくうれしそうだ。うん、やっぱりこの人気持ち悪い……じゃなくて。
チェシーさんは言われるままに工房を出て、足音もどんどんと遠くなっていった。
聞き耳を立てるな……とか、言われたわけじゃないけど。それでも、宮廷魔術師が席をはずせと言った意味を、その重さを、ちゃんと理解してるんだな。
「……さて。魔導士……マーリンと言ったか。私は君を低く見積もったつもりもない。見習いにも劣るという言葉を撤回するつもりもない。だが……」
ルードヴィヒさんは何か言いかけて、けれど言葉を飲んで、しばらくマーリンをじっと見つめて……睨んでいた。
言葉を撤回するつもりはない。評価を改める気はない。それでも、見方は変わった……変えられた、だろうか。
「ビビアン……と、名前を口にしていたな。どこの魔術師だ。君にその程度の知識しか与えなかった、未熟な指導者は」
「えっと、えっと……ビビアンは、未熟じゃない……よ。ビビアンは、すごい魔術師だよ」
ルードヴィヒさんの言葉に、マーリンはムッとして言い返した。でも……それ以上は何も言わなかった。
常識知らず、世間知らずとはいえ、マーリンももう子供と呼べるような年齢じゃない。いや、中身はお子様なんだけど。
それでも、ちゃんと十何年と生きて、今では人ともちゃんと関わっている。もう、何もわからない子供じゃない。
自分の未熟さがビビアンさんの評価を下げているんだって、理解したんだ。
だから、何も言い返す言葉がない。言い返したって、何も覆せないって知ってるから。
「ビビアン……ビビアン=ジューリクトン……です。覚え間違いがなければ、そう名乗ってました」
「ジューリクトン……? ちっ、金鋼稜か」
何も言い返せないついでに何も言わないマーリンに代わって、俺がビビアンさんのフルネームを答える。
するとルードヴィヒさんは、思いっきり……それはそれは、心の底からの苛立ちを込めたような、力強い舌打ちを返してくれた。
「アラン……えっと、それは……?」
「なんだ、知らずに師事していたのか。金鋼稜、ジューリクトン家。術師五家がひとつ。広く錬金術を修める、地術の専門家だ」
術師五家……って、えっと、この国でも有数の魔術の大家……ってやつだよな。
たしか、ガラガダへ行く途中にあったアーヴィンって街にも、ハークス家のデカい神殿があった。
それに、デンじいさんも、当主ではないけど、ロニーって家の出身だっけ。
ビビアンさんも、そういうちゃんとした家の出身だったんだ。なるほど、それならあの実力にも納得。
でも……あの人はどっちなんだろう。あんなとこでひっそり暮らしてたくらいだし、やっぱり跡取りではない……のかな。
「しかし……ならば、なおのこと妙だな。君の身体に残る魔力は、どちらかと言えば火の属性が強く見える。あそこはその名の通り、金属性を主に研究していた筈だが……」
「……? 僕は……えっと……炎の魔術と、風の魔術をよく使う……ね。それから……えっと……」
属性……ってのも、なんか久しぶりに聞いたな。オールドン先生にも習ったっけ。
火、水、風、地、金の五属性があって、世界を構成する物質を最小にまで分解するとそのどれかになる……みたいな話だったような。
それで……なるほど。マーリンはいつも炎の魔術を使ってたから、火の属性がうんぬんってのはそういうことかな。
反対に、ビビアンさんは鉱石を掘ったり、それを活用してたから……なるほど、金の属性か。
って、そんなことを俺が思い出してる隣で、マーリンは目を丸くして首をかしげている。
物覚えはいいほうだと思うんだけど、魔術に限っては直感的に習得してるから……
「えっと……正式に弟子入りしてたとかじゃないんです。もともとは独学で魔術を身に着けてて、そこに基礎的な知識を足して貰ったって感じで……」
「独学……か。なるほど、暗号などを知るよしもないわけだ」
うっ、余計なこと言ったかな。見習い未満だって、ただでさえ悪い評価なのに。
でも……ジューリクトンって名前が出た途端、露骨に機嫌悪くなったしな。
そことはあんまり関係ないって顔したほうが、まだいくらかマシになりそうだけど……
「……なんにせよ、あれだけ明確に突き放され、失望されてなお、こうして君はここに来た。その熱量と、そして王子の顔に免じて、もう一度だけ試してやろう」
「フリードの……えっと……? また、暗号を解けばいいの?」
マーリンの問いに、ルードヴィヒさんは小さく首を横に振る。
暗号解読じゃない……なら、ちょっとだけ芽が出てきたぞ。
前提知識が必要なものじゃなければ、魔術の実力は誰もが認めるところだ。今度こそ、宮廷魔術師に認められて、後ろ盾になって貰えるかも。
「今日は一度帰るといい。後日、こちらから連絡する。王子を通じれば、君達に手紙を届けることは可能なのだろう」
「もう帰る……の? 今日は、教えてくれないの?」
ああっ、マーリンがすごいしょんぼりしちゃった。
朝から楽しみにしてたぶんだけ、また今度って言われたのがショックだったみたい。
で、そんな顔されてしまうと、ルードヴィヒさんもそれはそれで慌ててしまう。
でも……当たり前だけど、来ると思ってない相手を試す課題とか、準備してるわけないからね……
落ち込んだままなところかわいそうだけど、今日は連れて帰ろう。
それに……時間が空いたことは、こちらとしては好都合だ。このあいだに、入れられる知識は先に学んでおける。
今日も帰りはチェシーさんに案内して貰って、昨日よりもずっと早い時間に家路に就いた。
しょんぼりしたマーリンを見て、チェシーさんは結構怒ってたっぽいから……いっぱい殴られるのかな。それで……喜ぶんだろうな……




