第二百七十九話【魔導士の福音】
ガタガタと揺れる馬車に運ばれ、屈強な男達は王都を出発した。
車の中には和気あいあいとした空気などなく、剣の手入れをするもの、瞑想をするもの、補給をするものと、各々が必要な準備を進めるばかりだった。
そんな中にあって、俺とマーリンには準備らしいものもなく。ただ、到着をじっと待つばかりだ。
今までやってた通りのことが出来れば、それだけで十分に成果を挙げられる。
とすれば、それらしいルーティンなんてつけ足しても、かえって不安になるばかり。
いつも通り、緊張しながらものんびりと向かえばいい。それだけの力があるって、自信だけは持ってるから。
「……っと。到着した……のかな。マーリン、そろそろ出るかもしれないから、今のうちに水飲んでおこうね」
ぐわんと馬車が大きく揺れたから、目的地に着いたんだとわかった。
ひとまず騒ぎになってないから、不慮の停止でないことはたしかだ。
着いたとなれば、ここからは忙しくなる可能性が高い。
魔獣が現れなかったとしても、慣れない集団での調査なわけだから、水を飲む暇も見つけられないかも。
そう思って、マーリンにも水を飲むように促した。もちろん、自分も。
「これより出発する、総員整列。整列ののち、点呼を取る」
ほどなくして外から声が聞こえると、同じ馬車内にいた騎士が一斉に飛び出した。
俺達もそれに遅れまいと外へ出ると、そこはだだっ広い草原の目の前だった。
「……デンスケ、魔術を使って魔獣を探したほうがいい……よね? そしたら、みんな楽になるもんね」
地面を覆う草の高さは、俺の膝よりも高い位置にある。小柄なマーリンなんて、身体が半分くらい隠れてしまいそうだ。
こんな環境だと、魔獣がどこに隠れているかもわかったものじゃない。
そんな前提をきっちり理解しているからだろう。マーリンは探知魔術を提案してくれた。
それは的確な判断に思える。でも……今回に限って、もうちょっとだけ待つ必要があった。
「うん、そうだね。でも、それをするって、そういうものがあるって、先に教えてあげないといけない。今はみんな揃ってるか確認してるから、もうちょっと待とう」
「みんな揃って……そっか、バラバラに来たもんね。わかったよ」
ふん。と、気合を入れ直しながらも、暴走せずに言うことを聞いてくれる。
こういう性格だから、どこに行っても重用されるんだろうな。なんでも出来るけど、なんでもやり過ぎない。指示を待てる子なんだ。
「すみません、ロイドさん。ひとつ、提案をさせてください」
整列して、点呼も取って、みんながきちんと揃ったことを確認し終えたそのときに、手を挙げて発言権を求める。
指揮官がロイドさんでよかった。言いやすいって意味じゃなくて、誰に伝えればいいかがわかってるって意味で。
「マーリンの魔術なら、どこに魔獣が潜んでいるかを先に確認出来ます。もちろん、地形についても。進む前に一度試させてください」
「……身を隠した魔獣を、この位置から発見出来るのですか。事実ならば、これほど頼もしいことはありませんが……いえ」
俺の発言にロイドさんは目を丸くして、周りのみんなも動揺を隠せない様子だった。
それでも、ざわざわとどよめいたりはしない。さすがに王宮騎士団、精神力も厳格さも兼ね備えてる。
「そうでしたね。おふたりは王子自ら推薦なさるほどですから。伊達や酔狂で言っているのではないでしょう。その力、ここで拝見させていただきます」
フリードの推薦……なんて、ちょっとばかし邪魔になるかなって思ってたけど。どうやらロイドさんは、フリードを信頼してくれてるみたいだ。
となれば……あいつの顔に泥は塗れないな。
旅を続けて、街での生活にも慣れて、ちょっとだけ判断力は落ちたものの、それでも……
「マーリン、お願い。バシッといいとこ見せてやろう」
「うん、任せてね。触れる羊雲」
それでも、この術が頼りになり過ぎる事実は揺るがない。人が目を光らせるより、何倍も広く、何倍も早く確認出来るんだから。
「…………ここから先、ずっと。何もいない……よ。でも、魔獣が巣を作ってた場所はあるね。今は何もいないから、だいじょうぶだよ」
「空になった巣……以前の調査で魔獣の討伐報告がありましたから、その個体が住み着いていたものでしょう。そのことをおふたりが知る由もなし。となれば……」
マーリンの報告に、ロイドさんは少しだけ考えて……そして、ため息交じりに小さく笑った。
とんでもない事象を目の当たりにして、感心も過ぎて呆れ果ててしまったって顔だ。
「王子はとてつもない精鋭をお連れになられたのですね。今の報告には高い信ぴょう性があります。みな、そのことを念頭に入れ、手早く調査を進めましょうか」
もちろん、過信も油断もいけませんが。なんて前置きに、果たして意味はあったのか。
ロイドさんもほかの騎士も、まだ真剣な顔をしてはいるが、しかし心なしか安心の色を浮かべている。
それでも油断も慢心もないことが窺えるから、注意なんて必要なかったように思えるんだ。
「っと、そうだ。この草原、管理はどちらで受け持ってるんですか? もし差し支えないなら、いっそ焼き払って、魔獣が定着しないようにする手もありますけど……」
みんなが安心してくれた。そのことは、ある意味でいつも通りのことだ。いつも、こういう顔を見るためにやってたから。
そして、いつも通りが訪れれば、いつもやってたこと、いつもしようとしたことも思い出す。
こういう魔獣が住み着きやすい環境は、人間が手を入れて対策をする必要がある。
もちろん、山や森を焼き払うなんてことはしてこなかったけど、街に所有権のある草原くらいなら、依頼があれば焼いて見通しをよくしたこともあった。
そういった対処は、大きな街ならどこでもやってる。でも……広過ぎる範囲を人の手で刈ってたらキリがない。
だから、そういうことも出来るよって、提案したことが何回かあったんだ。今回みたいに。
「焼き払う……ですか。この先は私有地でもありませんし、誰に管理されているわけでもありませんから、手を入れることには問題もありませんが……」
すごい心配されてる、さっき信用を得たと思ったのに。
まあ、そういう方向性の力はまだ見せてないから、しょうがないけど。
こういう反応も今回に限ったことじゃない。
街の近く、村の近くに火を放つなんて言われて平気な人もそういないからね。
「やっちゃっても大丈夫なんですね。なら、任せてください。とりあえず、燃え広がって大火災……なんてことにはなりませんから」
「……その言葉を信じましょう。私が許可します。デンスケさん、マーリンさん。その力を存分に発揮してください」
ごめんなさい、俺は何もしないんです……って、先に謝りたくなる。あとで言われるくらいなら。
でも、そんな暇をマーリンは与えてくれない。
許可が下りたとわかるや否や、ふんふんと鼻息を荒げて一歩前へと躍り出た。やる気満々だね。
「みんな、ちょっとだけさがっててね。あついからね。すう……燃え盛る紫陽花」
マーリンが言霊を唱えれば、それは炎の球を呼び、小さな火種はすぐさま目の前を覆いつくす火柱になる。
さっきまで白銀に輝いていた鎧が赤く照らされれば、さすがの騎士団の顔からも安心や真剣さが失われ、恐怖と動揺がありありと浮かび上がった。
それでも、みんなが思ったような悪いことにはならない。俺とマーリンはそのことを知っている。
「……このくらい……もうちょっと? もうちょっと向こうまでやったら……うん、よし」
踊るつむじ風。と、追加の言霊が唱えられれば、炎の海から乾いた砂が舞い上がり、火種すべて飲み込むように降り注いだ。
うーん……知ってたけど、やっぱりいざ目の前にすると……
「……なんでもありだよね、その術」
いつか服を作ってくれた魔術で、大火事も一瞬で消火してしまう。その事実に、どうにも……こう……理不尽さを感じざるを得ない。
でも、それを俺以上に感じてる人がここに大勢いる。
魔導士マーリン。王都に轟き始めたその名前が、王宮にも刻み込まれる日。
それは間違いなく、今日、このときだ。




