第二百七十一話【そのときはあっけなく】
王都に来てから……何日経ったんだろう。もう日付も数えられないくらい長い期間の滞在になった。
それでも、朝ご飯限定レストランに店舗はないし、バケットさんにはまだ酒を奢れてない。
これと言って大きな変化はない……のかな。ひとまず、自分の視点からでは。
でも、一個だけ変わった気がするものはある。実感はないんだけど。
「よーし。マーリン、そろそろ行こう。帰りが遅くなると買い物行けなくなるからね」
「買い物……困るね、行けなかったら。野菜買わないと、ごはん食べられなくなっちゃう」
ご飯当番はすっかりマーリンがほとんどやってて、そういうところもあんまり変わってない。
のんきな会話も変わらない。にこにこ笑うマーリンの姿も変わらない。髪はちょっと切ったけど。
じゃあ、何が変わったか……と言うと。
――わ――っ。と、歓声が沸き起こった。
駐屯所を出て、これから進む街道のその先から、老若男女問わない歓声が。
ほんの少しの間を置いて、鳴り物の……ラッパだとか太鼓だとかの音も響き始める。
それが軽快なマーチを奏でて……とまではならないのがミソ。個人が思い思いに音を出してるだけ。
変わった気がするもの。それは、俺達の知名度と扱われかた。そして、呼ばれかただ。
「――冒険者デンスケと魔導士マーリンが通るぞ――っ! 道を開けろぃ!」
またなんとも大仰なかけ声を上げたのは、すっかり仲良くなったジェインさんだ。
ちょっと。そんなに騒がないで欲しい。そして、騒がせないで欲しい。大したことしないから。今日はちょっと街の外で工事の手伝いするだけだから。
「……まったくもう。ジェインさん、あんまり煽んないでください。それされた帰り、本当に囲われるんですからね」
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし。街の英雄が出発するのに、背中を押したくないやつはいないんだよ。この王都にはな」
変わった気がするもの。それは、自分達でゆっくり変えていったもの……なんだろうな。
だから、実感が薄いんだ。ずっと向き合って、その変化に気づかないくらい夢中になってたから。
王都に来てどれだけ経っただろう。街の一員としてどれだけ働いただろう。商人としてどれだけ食事を売っただろう。
騎士団に協力し始めて、どれだけの戦いを乗り越えただろう。
今、俺達の背中には、英雄という重く堅苦しい肩書きが乗せられていた。
いや……望んでそれを背負ったんだ。
街の機能のひとつとして働き、街を守るものとして戦い、そのどちらでも成果を出して、みんなから認められる。
フリードの隣に追いつくために必要な目標として打ち立てたそれを、俺達はついに達成した……らしいんだ……?
「ほら、ちょっと、もう。ジェインさん、いつまで煽ってるんですか。ちょっと行って作業手伝うだけですから。ただの高所作業員ですよ、今日は」
「はっはっは、高所作業でも英雄的働きをするから褒め称えられてんだろうに。そう照れんなって」
なんでだろうな、本当に実感がない。まるでないんだよな、達成感みたいなものが。
理由はなんとなくわかってる。なんとなくだから、実際には違うのかもしれないけど。
なんとなくなんだ。なんとなく、英雄と呼ばれるからには、そうなる瞬間には、劇的なものがある……と、思っていた。
たとえば、王様や貴族から騎士号を授与される、とか。あるいは、神話に出るような怪物を討伐し、その戦利品を持ち帰った、とか。
なんとなくなんだ。所詮は平和な時代に生まれ育った俺の先入観……そういうものだよなぁ。という、創作の中のイメージの話。
なんとなくだけど、そういうプロセスを経て、みんなから称えられる英雄になるものだ……と、思っていたんだけど。
実際のところ、この王都へ来てから今日までのあいだ、俺達がしたことと言えば……うん。
働いて、ごはん食べて、寝て起きて、働いて。
レストランを開いて、騎士団に同行して、魔獣を倒したり倒さなかったりして。
つまるところ、日常を繰り返していただけに過ぎない。これじゃあ、旅をしてたころのほうがまだ英雄的な活躍を見せていただろうに。
「それだけ平和な街、平和な国……なのかな。まあ、それならそれで文句もないけど」
むしろ、旅のあいだに感じた達成感、認めて貰った瞬間の幸福感は、この世界、この国においても特別なもの……あり得ないものだったのかもしれない。
当たり前だけど、ひとりふたりの子供がやってきて、たったそれだけで街を襲う脅威が撃退された……なんてことが、そもそもあり得ないんだから。
しかしながら、俺の実感やら達成感なんてものは、現実的にはどうでもいいわけで。
事実として、俺達は英雄だなんて呼ばれている。
ジェインさんが面白おかしく吹聴してるだけの可能性もあるけど、みんなそれに乗ってくれている。
だからこれは、間違いなく大きなチャンスなんだ。
実態がどうであれ、俺達は今、この街に認められているんだから。
フリードの隣へ行くためには、これに加えて、貴族や政治家、そして……フリードのいる王宮からも認められなくちゃならない。
なら、せっかく手にしたこのチャンス、なんとしてでも結果に結びつけないと。
「デンスケ、デンスケ。今日はね、前に一緒に工事に行ったおじさんもいるんだって。そのおじさんはね、甘いものをいっぱいくれるからね……えへへ」
「……そっかそっか。マーリンはお菓子好きだもんね。でも、食べ過ぎちゃダメだよ。ご飯食べられなくなるからね」
結びつけないと……いけないけども。なんだこの緊張感のなさは。いや、それも無理はないんだけど。
だって、危険地帯に行くわけでもなければ、部隊を編成して遠出するわけでもない。ちょっと行って工事に参加するだけだもの。
うん……このチャンスをなんとしても掴み取らなくちゃいけない……んだよね? なら、平和な現場作業なんて手伝ってる場合なんだろうか。
いやいや。こういう街のためになる仕事からちゃんとこなしたからこそ今があるんだ。おろそかにすれば信頼は簡単に崩れ落ちてしまう。
でも……うーん……
「……デンスケ、どうしたの? つらい? かなしい? 悩みごと、あるの? 僕でも手伝える?」
「え、えっと……そう、だね。悩みごと……だね、これは」
焦っちゃいけないとは思うけど、気持ちは急くばかりだよ。
なんてったって、もうどれだけこの街にいるかわからないくらいの時間が経ったんだから。
フリードと約束した。でも、それはフリード個人との約束であって、王宮や貴族とは無関係の、あいつの周り次第で簡単に吹き飛ばされかねないものだ。
簡潔に言えば、時間はもうあまりないと思っていい。だってあいつは、東方の犯罪組織の撲滅もお願いされてるんだ。
「……時間をかけ過ぎると、フリードは東へ行っちゃう。それより前に、なんとしても追いつかないといけないんだよ」
「……東……そっか。あのひどい人も、東から来たんだよね。だったら、フリードはそれをほっとけないもんね」
ぷん。と、ちょっとだけ怒った顔になって、マーリンはまた気合を入れ直したっぽい。
ひどい人……ってのは、俺を刺した錬金術師のこと。で……そいつは東の犯罪組織と繋がってる……かもねって話。確定情報ではないけど。
俺達にとっても無関係じゃない問題だけに、フリードがそれをいつまでも放置するとも思えない。
そのことをマーリンも理解してくれたみたいで、俺が焦ってるのにも納得してくれたようだ。
「じゃあ……えっと……今日の工事は、いつもより早く終わらせないとね。ふん」
「えっと……うん、まあ、そう……そう、なのかな? うーん……まあ、心がけはそう……だけど……」
別に、工事を早く終わらせても、帰りの買い物が楽になるだけだしなぁ……
今すべきことを急いでも、本筋のほうは早く進まない。このジレンマについてはまだ理解出来てない……みたい。
それでも、気合十二分なマーリンに手を引かれて工事現場を訪れる。
なんでもここは、地質調査をする場所……の、安全を確保するための防壁を作っているらしい。
地質調査……って単語は、昔に訪れたボルツのオールドン先生を思い出させる。
元気かな、土いじり好きな数少ないまとも系錬金術師先生。




