第二百六十五話【蕾は揺れる】
生まれ落ちた環境。与えられた経験。バケットさんはそれらを、最上級の才能だと言った。
才能って言葉を聞いてイメージするのは、やっぱり生まれ持ったもの……特に、素養や素質といった、当人の能力だと思う。
だから、環境だとか経験だとか……それも、人から貰ったものなんて言いかたをされると、ちょっとだけ困ってしまう。
だってそれは、当人とは関係ないんだ。
もちろん、恩恵を受けているわけだから、まったくの無関係じゃない。
でも、その個人ではなく、個人を取り囲む誰かの才能……なんじゃないのかな、って。
たとえば、商才があったから大儲けした、とか。これはとてもわかりやすい。
もちろん、努力も欠かせない要素だ。でも、それ以上の何かがあったからこそ、普通では到達出来ないような結果を出したのだろう、と。
でも……一代で資産を築き上げた豪商の家に生まれた。だから、金がある。なんて言われても、それを才能と呼ぶかは……
わかってる。わかってはいるんだ。
たとえばの話だけど、ろくに学校へ行かせて貰えないような家庭に生まれれば、少なくとも勉強では結果を出せないだろう。
結果が出ないから、つまりは才能がない……って、そうしてしまうことも出来る。
でも、芽が出ないだけで、すごい才能を持っている可能性はあるんじゃないだろうか。
生まれ落ちた環境や与えられなかったものにくじけずに結果を出すことこそ、むしろ才能と呼ばれるものなんじゃないのか。
そりゃあ……そういうのも才能。でも、環境に恵まれてたって、才能がないとは限らない。なんて言われちゃったらそこまでだけどさ。
それでもやっぱり、才能って言葉は、その意味は、環境や与えられるものにかかわらず輝けるもの……って意味……
「……だと、思うんだけどな……」
間違ってる……のかな。俺が、間違ってるのか。それとも、才能って呼ばれてたものが、それだと思ってたものが、間違ってたのかな。
答えは出ない。出るハズもない。だって、俺は俺に才能があるとは思ってないから。
少なくとも、こういう考えごとで正しい答えを出す才能は。
それがわかってても悩んでしまうのは、悪い癖なのかな。
店を出て部屋へ帰るまで……いや。帰ってからも、ずっと頭を抱えたまま、もやもやしっぱなしのまま。
幸いなのは、今日はマーリンよりも先に帰れたことだ。
また心配かけちゃうからね。だから、今のうちに切り替えないと。納得はしてなくても、一回頭を冷やして……
「……頭を冷やせ……か。むしろ知恵熱出そうなくらいなんだけど……」
バケットさんも言ってたな、頭冷やして明後日また答えを聞かせろ、って。
じゃあ、あの人は俺がこうなることはわかってたのかな。そういうやつだって……頭が固くて要領が悪いやつだって思われてたわけか。
なかなか遺憾だし、反論もしたいけど、でも……実際にこうなっちゃってるからなぁ。
「……いかんいかん、全然頭が冷えない。もやもやが晴れないんだけど」
考えたらもやもやするのに、もやもやしてると考えちゃう。なんだこの負の連鎖は。
どうせだったら、もっと前向きな答えが出てくれればいいのに。
たとえば……たとえが浮かばないからもやもやしてるんだけど、それを念頭に置いて……
「……マーリンは、才能に満ち溢れてる……よな。だって、とんでもない魔術を使えて、その源の魔力も無限で、生まれも特別で……」
それで……マーリンは果たして、幸せだっただろうか。
生まれた環境は……最悪だったんじゃないのか? 与えられた経験も、味わわなくていいハズの苦いものばかりじゃなかっただろうか。
じゃあ、バケットさんのものさしで見ると、マーリンには才能がない……ってことになる……?
いや、違う。それは絶対にない。
うん。確信した。やっぱり、俺の考えは間違ってない。バケットさんの論に穴があるんだ。
生まれた環境も与えられた試練も最低最悪だった。それでも、マーリンにはたしかに輝くものがある。
なんだ、こんな身近に反証があったんじゃないか。マーリンこそ、才能に満ちた例そのもので……
「ただいま。デンスケ、もういる? ごはん作るね、待っててね。えへへ」
がちゃ。と、控えめな音と共にドアが開いて、マーリンが元気な顔で帰ってきた。
それからすぐに笑顔を見せて、すっかり役割分担されつつあるキッチンへと向かって……
「……マーリンには、才能がある……才能が……才能だけが……? 本当に……?」
「……? デンスケ? どうしたの?」
生まれた環境も与えられた試練も乗り越えたのは、マーリンの心の強さと努力……じゃないのか?
それを俺は、ただ才能のひと言で片づけてしまうつもりなのか?
「……ああ、そっか。そういうことか。そういうことだったんだな、バケットさんが言いたかったのは」
「ばけっとさん……? デンスケの、友達? 一緒にごはん食べる……の? じゃあ、いっぱい作らないと。まかせてね」
ふん。と、張り切った鼻息が聞こえたから、ちょっとチャンネルを目の前の現実に合わせようか。
違うよ、違う違う。バケットさんは来ない。あと、友達でもない。だから、絶対ここへは呼ばない。ご飯も食べさせない。
でも……
「……マーリン。明後日、忙しいかな? もし時間があったらでいいんだけど……」
「明後日……えっと……うん、大丈夫だよ。工事はね、もうほとんど終わってるからね。みんながね、休みたかったら休んでもいいよって」
そっか。さすがに工期短縮の立役者に休みを与えないほどひどい職場じゃないよね。
じゃあ……と、俺は明後日の約束を取りつける。明日ちゃんと休んで、考えを改めてからの、その次の日の約束を。
うん。きっとこれが正しいんだ。これが……これこそが、バケットさんも知らない俺の最大の才能。
それを見せつけるために、マーリンにもひと頑張りして貰わないと。というわけで……
「……よし。ご飯作るの、俺も手伝うよ。何したらいい? 何か出来ることある? なんでもいいから手伝わせて?」
「おてつだい? えっと、えっと……えっと……」
ああっ、経験値が。人を使う経験値が圧倒的に足りてない。
こういうところはまだ子供だからなぁ。俺が言えたことじゃないけど……
手伝うと言ったら余計に大変そうになってしまったから、もうそばで応援するくらいしか出来ない。
それでも、明後日のためにもマーリンには英気を養って貰わないと。
「……そうだ。たしか……えっと……あったあった。ご飯食べたらさ、ちょっとこれ使ってみようよ。このあいだ仕入れたんだけど、全然売れなくて……」
これを先に言うと予防線みたいになるからダサいな。というか、そういうのやめよって反省したばっかなのに。
漁ったのは先日の売れ残りが入った木箱で、取り出したのはお香……だと思われるものだ。アロマキャンドルって呼ぶべきかな?
とにかく、甘くて気持ちが落ち着く匂いが出る……らしい。貴重な売り物だから、火を点けたことはなかったんだよね。
「……ああ、そりゃ売れ残るわ。なんだお前、なんで仕入れたものもロクに試してないんだ。いくらなんでも……」
今更気づいたけど、すごくバカなことやってるな。
俺がその匂いを知ってたら売れるわけじゃないけど、知らなかったら売り文句も言えないのに。何やってんだ、このあいだの俺は。
ご飯のあとに売れ残りのお香を焚いて、マーリンとのんびりお話しして。で……気づいたら寝息が聞こえてきたから、俺もベッドで目をつむる。
明日は……もう頭冷えたつもりだけど、もうちょっとゆっくりしてみようかな。それで、明後日には…………
翌々日の朝。俺はマーリンを連れて市場へと……バケットさんのもとを訪れた。
目的はたったひとつ。俺の才能を――本当の才能を見せつけるために。




