第二百四十一話【険しい道の】
――夢を見た。これから起こる未来の、その一端を描いた夢を。
そこに現れたのは、俺でもマーリンでもフリードでもなかった。
顔も知らない、声も知らない、名前も何もかも知らない、まだ会ったことのない誰か。
その誰かが、何かをしようとしている夢。
この力は――未来視の力は、いつだってそうだった。
これから起こることを手当たり次第に見せつけるだけで、それがいつ起こるのか、誰の未来なのか、どうすれば変化するのかと、こちらの問いを一切受け付けない。
いつだって、視たところでなんにもならないものばかりだった。
ある日には、ただマーリンと一緒にいる数時間を見せられたこともある。
またある日には、フリードが澄ました顔で笑ってるだけだったこともある。
つまるところ、なんの役にも立たない力……だと、そう結論づけざるを得ないものだった。
そんな力が、今日もまた、なんでもないようなどうでもいい未来を視せてくれた。
いや……もう、何十日かぶりに、その力の一端を発露した。
「……っ。あっつ……」
キリエでの一件以来、夢なんて見ない日が続いていた。
夢を見るほど浅い眠りに落ちる日さえ、もうどれだけぶりかもわからなかった。
身体が重い。頭が痛い。節々が軋むようで、指先は固まって砕けそうだ。
そして何より、意識が熱い。
息をすれば喉が焼ける。風が吹けば目玉が焼ける。
身体を動かせば、関節の内側が。じっと横になっていれば、床に触れた背中が。何をせずとも、身体の中心が燃え盛るように熱い。
痛みも苦しさも熱さも、一向に良くなる気配がない。
それどころか、慣れたハズのそれが、なおのこと重たいものになってる気さえして……
「……だい……じょうぶ。まだ、平気だ。だって、怪我は治るんだ。だから……」
水を飲んでも、飲んだ先から蒸発してるんじゃないかって錯覚するくらい喉が渇く。
それでも、飲み過ぎれば胃袋が容量オーバーだって吐き戻そうとする。
身体に傷はない。戦いの傷跡も、それ以外のあらゆる小さなケガも、何もかもが跡形もなく消えてなくなっている。
それでも、ナイフで刺されたときの、裸足で枝を踏み折ったときの、魔獣に肩をかじられたときの痛みが、鮮明に残っている気がしてならない。
俺は……俺の身体は、このままで本当に…………
夜が明けるとすぐ、フリードが目を覚ましてくれた。
空も白いうちから、相変わらず君よりも早起きが出来ないと、意味のわからない対抗意識を口にする。
それからしばらく話をしていれば、今度はマーリンが目を覚ます。
話に混ぜて。と、そう言いながら、まだ眠たそうに目をこすって、大きなあくびをして。
そうやって、今日も一日が始まった。
ふたりといられる時間だけは、身体が熱いのも痛いのも、全部忘れられる。こんな幸せはほかにないと思わせてくれる。
で……始まってしまえば、もう痛いも苦しいもない。
今日はこれから何をしようかと、上向いた気分で歩くだけだ。
そうして道を進み、獣道を進み、道なき道を進み、ただの草原を進んだ先で……
「……おかしい。フリード、なんかおかしくないか。ここはもう王都近郊で、どこもかしこも開発が進んでて、こういう場所はもう通らないもんだと思ってたんだけど」
それはそれは険しい山を、装備もなしに登っていた。おかしい、こんなことはもう起こらないハズでは……
「それは言葉の綾というものだ。事実、この山の前にも、向こうにも、栄えた街があるとも。ただ、手間を考え、開発の手が入っていない場所がこうして残っているだけだ」
「おおう、なんて開き直り。でも、言わんとすることはわかるし、嘘を言ってたわけじゃないのもわかった。わかったけど……ちょっと一発殴るぞ」
ばしんと背中を一発叩いても、フリードは平気な顔で山を登る。ぐぬぬ、このバイタリティ……
「もしかしなくても、本当は街と街とを繋ぐ街道があったのか? それを、道を間違えたからこういう目に遭ってる……とか」
「ふむ、さすがに察しがいい。その通りだ。少し前に分かれ道があったろう。あそこを左へ進めば、馬車も通る広い街道を歩くことになっていた」
言ってくれ! それは! 言って! その場で!
たしかに、進路についてのネタバレはなしで……って、そう言ったのは俺だけど! それにも、限度がある!
でも、俺の意思を尊重してのことだから、あんまり強くは言えない。
たぶんこいつは、本当にキツイ、不可能に近い道のりだったら、それはやめておくべきだって言ってくれただろうし。
「ひい、ひい……くそっ、もうちょっと厳密なルールを設けておくべきだった。しんどさの度合いじゃなくて、相対的に差がある場合は忠告してくれ……とか」
今更そんな後悔しても、何も解決しないんだけどさ。わかってても、愚痴を吐きたくもなるってものだ。
「デンスケ、つらい? だいじょうぶ? お水飲んで、ご飯もまだあるよ? それから、それから、えっと……そうだ! 僕がおんぶするよ! まかせて!」
「……いや、大丈夫だよ。そうしたらマーリンが大変だから。俺もちゃんと歩くって」
大丈夫? と、甲斐甲斐しく何度も聞いてくれるマーリンの、その無邪気なやさしさがなおのことしんどい。
わがまま言って今すぐになんとかして貰いたいけど、マーリン相手にそれすると……際限なく全部解決しちゃうから、甘えるに甘えられない……
「安心してくれ、デンスケ。私とて、何もなければ進言したさ。街道を進むか、山を登るかの、その境界に立っているのだ、と」
「……まあ、そうだな。事実、山はあったからな。何かはあったけどさ……」
そうではなく。と、フリードはちょっとがっかりした顔でうなだれる。
どうやら今の発言は、何かを期待して貰いたくて出た言葉らしい。
でも……だったらなおのこと、そのもったいつけた言い回しはやめてくれ。疲れてるときはつっこみが追いつかない。
「こちらから進めば、あちらとは違う街に着く。その結果にこそ、この道を、山を、踏破するだけの価値があると言える。君を心の底から奮い立たせるに足るものが待つのだ」
「……? ああ、街道の先の街より、山の向こうの街のほうが大きいのか。そりゃまあ、栄えた場所のほうがなんでも揃ってうれしいけどさ」
そんな、心の底から奮い立つとか言われてもな。そこまでじゃないよ、いまさら。
風に吹かれる根なし草には、これといって欲しいものもまだないから。こういう場所に行きたいんだ……とかもない。
だから、どこに着くかより、どれだけ楽に着くかのほうが……
「……はあ。山道くらいでうだうだ言ってもしょうがないか。街に着いたら、ちゃんとその奮い立つものを見せて貰うぞ。しょうもなかったら……なかったら……」
そのときは……思いっきり叩こう。さっきも結構強めに背中叩いたけど、それよりもっと強く。
でもなあ。こっちがいい、こっちのほうがいい。って、そういう主張がなかった以上は、平坦な道を進んで得られるものと、そう大きく差はないんだろう。
てなると、あんまり期待し過ぎても……か。
「安心してくれ。何度も確認することではないが、私は君達の旅に刺激を与えるための選択をするばかりだ。少なくとも、山を越えた甲斐があったとは思わせてみせるとも」
「じゃあ、期待していいんだな?」
いや、自分でハードル上げるのかよ。
しかし、そのやたらめったらな自信には、こちらもそれなりには期待せざるを得ない。
こうなったら。と、腹も括ったことだし。そもそも、山での生活は俺達の原点でもあるから。
元気いっぱいなマーリンとフリードに置いて行かれないよう、俺も必死に山を登った。




