第二百二十六話【嵐過ぎ去りて快晴なり】
キリエを出発してから半日ほど歩いて、俺達は次の街へと到着した。
道中には魔獣の影もなく、それ以外の危険……事件の様子や問題なんかも見当たらない。
平穏そのもの、何も恐ろしくない日常の風景だけを見ながらここまで来ることが出来た。
「……あの通り魔は、やっぱり単独犯だった……ってことかな。それとも……」
「ひとつの結末を見届けたがゆえに、組織の本隊へと合流した。ゆえに、現在はこの近辺に姿を見せていない……か」
あんな危ないやつがいたわりに、それ以外の事件が起こっていなかった。
何かあって欲しかったわけじゃないけど、それはちょっと意外な事実だった。
「としたら……最初の被害者は俺だった……のかな? いやぁ……俺の運が悪いのか、俺以外の運がよかったのか」
「君の運気については、私からでは推し量れない。だが……キリエの街は、幸運によって救われたと言っていいだろう」
君という存在があったからこそ、あの通り魔に誰ひとりとして殺させなかったのだから。そんなフリードの言葉には、我ながら奇妙なめぐりあわせを感じてしまう。
刺されたのが俺じゃなくてマーリンだったら、あの男を追うことも出来なかったし、退治するなんてもってのほか。
そうなると、逮捕されるまでにいったいどれだけの被害が出たことか。
「……俺でよかったよ、本当に。痛かったし、しんどかったけど」
「その考えかたは許容出来ないが……そうだな。客観的事実だけを述べるのならば、そうなってしまうのだろう」
俺もフリードも揃ってうなだれると、マーリンはちょっとだけ頬を膨らませて鼻を鳴らした。
あの通り魔に一番怒ってるのはマーリンだからね。その話題を出されるだけで不機嫌になっちゃう……か。
「うん、よし。嫌な話は終わり。せっかく知らない街に来たんだから、楽しいこと探さないとね」
「そうだよ、あんな人のことなんてどうでもいいよ」
ぷん。と、すっかり拗ねてしまったマーリンの、その反応の素直なこと。
このかわいらしく怒ってる幼い少女の手で、あんなことが起こったんだから……あとから見ただけなのに、まだ肝が冷える思いだ……
「ひとまずは宿を押さえようか。フリード、今日はここで一泊……で、いいよな? がんばればもうひとつ次の街まで行ける……とかなら、今からでもまた歩くけど」
「ああ、構わない。今からでは、最も近い街まででも日が暮れてしまう。そうなってからでは、食事も宿泊もままならないだろう」
やっぱりそうか。と、一応確認したのは、キリエでの滞在が思ったより長くなってしまったから。
最終目的がある以上、それなりには急がないとね。
別に、日々の楽しみを蔑ろにするつもりはないけど。
でも、進めるときに休んじゃうと、路銀の減りも早くなるし、そのぶんだけ足を止めなくちゃならない時間も増えるから。
「欲を言うと、馬車か何かに乗れたらいいんだけどね。それで一気に北へ進んじゃえば、そして調査をさっさと終わらせちゃえば、自由な旅の時間も戻ってくるんだし」
でも、街と街とを繋ぐ馬車に乗ったところで、一日で移動出来る距離は限られる。
単純な理屈だけど、馬車は俺達の都合では走ってくれないからね。一日に二本の馬車に乗れるんじゃないなら、馬車でも徒歩でも、移動距離は変わらないんだ。
もっとも、早くに到着するし、そこから歩いて次の街へ行ったりも出来るから。乗れるなら乗ったほうがいいんだけど。
「言われずとも理解しているだろうが、今の私達では難しい……と、そう言わざるを得ないな。無論、誰が悪いことでもないのだが」
「……だよなぁ。うーん、困ったもんだ」
それでも馬車に乗らない理由、乗れない理由。それは、単にそんな馬車が存在しない……というだけの話。
そもそも、馬車ってのは乗り物……移動手段で、それはつまり、移動する人間がいるからこそ走らされるものだ。
つまり、街の中のどこへ行きたいから……と、そういう用途では馬車も走ってる。
でも、街の外へ行く人は限られる。
魔獣のこともあるし、何より街の中でも生活は完結してるんだから。
俺達みたいに旅をしてるとか、それ以外では商売をするとか、それから軍事的な理由で遠征をするとか。
それが、街と街とを移動する理由。同時に、街の人が外へ出なくてもいい理由にもなる。
商団が代行してくれるから、街の外へものを売りに行かなくてもいい。併せて、買い物にも出かけなくていい。
憲兵や軍が代わりに戦ってくれるから、街の外の脅威を払いに行かなくてもいい。
だから、そういう組織以外で街の外に馬車を出す理由がない。
もちろん、需要がまったくないわけじゃない。それでも、それをして採算が合う保証がまったくないわけだ。
で……商団も軍も、組織そのものが馬車を保有、運用してるから。
それに乗って移動しようと思えば、身分を明かして信頼を得る必要もあるし、そもそもその人達の都合に合わせる必要も出てくる。
これは、根なし草の俺とマーリンには難しい問題となってしまう。
「もっとも、もう少し行けば話は変わるのだがな。王都近郊では、それぞれの街が密接に繋がり合っている」
「ゆえに、街と街とを繋ぐ……と言うよりも、繋がった街を移動する手段として用いられていると言うべきか」
「なるほど。この辺にある大きな街より、首都の近くの街全部を足したほうがどうあがいても広いもんな。そりゃ、歩いて移動するにも限度があるか」
じゃあ、その王都のはずれまで辿り着きさえすれば、そこからは移動も楽ちんになるのかな。
そう思うと……案外、この徒歩の旅ももう終わりが近いのかな? とも。あるいは、それがいつになったら訪れるのか……とも。どちらとも捉えられる。
結局、その王都とやらの場所を知らないからね……
「私が素性を明かせば、軍の馬車ならば好きに動かすことも出来るのだがな。しかし、それを君達が望むとは思えない」
「は、はは……そうだな、それはやめとこう。楽かもしれないけど、迷惑だから」
方々に迷惑かけてまで楽したくないよ。あとで嫌な気分になりそうだし。
まあ、そんなわけだから。もうしばらくはのんびりとした徒歩の旅を味わうとしよう。
幸いと言うべきか、歩くのは嫌じゃない。嫌じゃなくなった……と、これまでの生活で慣れただけなんだけどさ。
「よし。それじゃ、宿を探そう。探しついでに買い物もして、出来れば仕事も……いや、明日には出発するつもりでいるべきか」
でも、キリエで長々と遊んでたから、たんまりあった資金も余裕綽々ってわけにはいかなくなったんだよな。
それに、詳しくは聞いてないけど、俺の治療費だってバカにならなかったし。
フリードの口利きで立て替えて貰ったらしいけど、それだっていつかは返さなくちゃならない。
あんまり先延ばしにすると、マーリンの将来に余計な負担を強いてしまう。
「……うん。ついでに仕事も探そう。見つからなかったらさっさと進む。見つかったら……三人で相談しながら、貯金を作れるように頑張ってからにしよう」
「……? おかね、まだあるよ? えっと……ご飯食べて、お部屋で寝て。それで……このくらい使うから……」
まだ、いっぱいあるよ? と、マーリンは首をかしげるけど……違うんだ。そのお金はたしかにあるけど、実際には……トータルがマイナスだから……
「デンスケ。旅のあいだはあまりこだわらないほうがいい。王より任命を受ければ、君は晴れて公認の勇者となる。そうなれば、金の問題などはすぐに解決するさ」
「いや、そうは言うけど……それは捕らぬ狸の皮算用ってやつで……」
こんなことわざはこの世界にないけど、なんとなくニュアンスで伝わるだろ。え? 狸がいない……? い、いないかな……?
そこは知らないけど、まあ皮算用って言葉だけでも察してくれたのかな。フリードはちょっと苦笑いで、それでも首を横に振っていた。
「君ほどの男が、どうして認められずにあるものか。忘れてはいまい。君はやはり、特別なのだと」
「……? ああ、まあ、戦ったら意外と強いのはわかったけどさ。でも……それはあくまで、普通の範囲内で、そこそこ強いって話だろ……?」
いつかの街で、強化魔術なんてなくても魔獣くらいは倒せると知った。それは本当。
でも、だからってフリードと並べても遜色ないかと聞かれたら……それはノー。
つまり、あくまでも一般人に混じれば結構強いって話で……いや。相対的に強かったら、認めて貰うぶんにはそれで十分なのか……?
どっちにしても、そんなのアテにして働かないでいるんじゃどうしようもない。
仕事が見つかればちゃんとお金を稼いで、見つからなければ先を急ぐ。
そうと決めて、俺達は一度役場へ向かうことにした。