第二百二十話【得難くも】
どうやら、発見した小さな痕跡は、本当に俺が食らった毒と同じもののようだ。
マーリンが教えてくれた、通り魔がしていた毒の説明。
大雑把で専門知識のない俺の解釈では、筋肉を……つまり、たんぱく質を凝固させてしまうもの……らしい。
発見した痕跡は、枯れてないのに変色してしまった……変色しているのにもかかわらず、葉がピンと張って元気な植物だった。
けど、それも本当のところは違ったんだ。
枯れてないんじゃなくて、固まってしまったから姿勢を保ったままだっただけ。
つまんで引っこ抜いてみれば、それがもう生きてないことはすぐにわかった。
そんな痕跡がぽつぽつと湖周辺に残されていて、それを辿ると……やっぱり、マーリンがあの通り魔を見つけた方角へと続いている。
こうまで証拠が残ると、俺に盛られた毒と同じものだと確信してしまえる。
そして同時に、あの通り魔が追いかけていた痕跡の主でもあるんだ、と。
「……本命に手をつけたいところ……だけど。マーリン、今回はここで切り上げよう。そろそろ戻らないと、フリードに心配かけちゃう」
「うん、わかったよ。もう暗いもんね」
入れ込んでるかな。今日の内に調べちゃいたいってこだわるかな。と、ちょっと懸念してたけど、マーリンはあっさりとお願いを聞いてくれた。
でも、執着がないわけじゃない。その顔には、もうちょっと時間があったらな……って、悔しさがにじんでいた。
やっぱり、この一件は自分で解決したいんだろう。彼女の中には、それだけ強い責任感が芽生えているらしい。
「マーリンは立派だね。えらいね。俺なら、こんなのほっといて遊んでたいよ」
「……? えらい……の? えへへ」
でも、僕もデンスケと遊びたいよ。と、マーリンは目を細めて笑う。
だから一緒だねとでも言いたいらしいけど、それでも調査を優先するからえらいねって話であって……まあ、そこはいいか。
「今日わかったことは、俺とフリード以外、誰にも言っちゃダメだよ。あんな危ないやつがいて、危ないことしてるって知ったら、みんな怖がっちゃうからね」
「そうだね。僕達が調べて、ちゃんと解決しないとね」
ふん。と、鼻息荒く宣言する姿に、やっぱり責任感が強くなったんだな……と、納得半分。
もう半分で、義務感みたいなものに押されてないかなと心配にもなる。
そもそもマーリンは、かなり入れ込むタイプだ。
どうしても友達が欲しくて、どれだけ拒絶されても交流を試み続けていた。
その事実からも、根気強さと、何より執着の強さが窺える。
そして何より、そうなったときに視野が狭くなってしまいがちなんだ。
それこそ、翼を隠して髪の色をみんなに合わせる……なんて、いくら知識や知恵がなかったとはいえ、思いつかないものじゃない。
少なくとも、自分とみんなとで違う部分を消す作業は、野生動物の生態にも似たようなものがある。お手本は見てるハズなんだ。
それでもそうしなかったのは、自身の出自や外見、特徴に、どうしても譲れないこだわりがあった……わけじゃないのも、今まで一緒にいればさすがにわかる。
本当に、ただ気づいていなかっただけ。そんな選択肢があるとは思ってもいなかっただけなんだ。
今は……いろんな人と出会って、いろんな経験をして、もう十分な知識も知恵も身についた。
だから、絶対に自分でなんとかするんだ……とまで固執することはないと思いたいけど……
ちょっとの収穫とちょっとの不安を抱えて部屋に戻ると、やっぱりそこにはフリードの姿があった。
どうやら今日は、ご飯を買って待っていてくれたらしい。昨日のお返し……とでも言うつもりかな。
「待っててくれたのか、ごめん。忙しいだろうに、買い物までしてきてくれて」
「三人でいるあいだは対等なのだから、昨日君達がしてくれたことを、今日私が返すことになんの不自然がある。道理を通せばこうなる、ただそれだけのことだ」
さあ、食事にしよう。と、フリードはそう言って、包み紙をひとつずつ取り払った。
見れば、それなりに長い滞在の中でも食べたことのない料理が、いくつも並んでいるではないか。
「今までの旅路、そしてこの街での生活の中で、味わっていないものを選んでみた。船頭を譲って貰う代わりに、その道行を刺激的なものにすると約束しているからな」
「あはは……その約束、こんなとこでも有効なんだ。でも……本当に気が利く男だよ、お前は。ありがとな」
こっちも気分転換が必要だと思ってたところだ。俺にじゃなくて、マーリンに。
フリードにもその目論見があったかもしれないけど、それを尋ねるのは野暮ってものだろう。
なんにせよ、願った通りにマーリンの表情がずいぶんと柔らかくなっている。
これはなんだろう。おいしいのかな? と、考えが全部顔に出てしまうくらい。
「では、今夜も君達の話を聞かせてくれ。ご老人の屋敷は片づけ終わったのだろうか。それとも、まだやり残したことがあるかな?」
なんにせよ、うれしい発見があったと期待するばかりだ。
そう言ったフリードを前に、マーリンは満面の笑みを浮かべる。
うれしい発見……とんでもなく大きいのがあったもんね。それを発表したくてしょうがないんだ。
「えへへ。うれいしこと、あったよ。えっとね、おじいさんがね……」
魔術師に宛てて――実質的に、マーリンただひとりに向けて、特別な手紙を遺してくれていた。
じいさんにとってのマーリンは、たった一日だけ言葉を交わした、生涯に数多くいた友人知人のひとりに過ぎない……と、俺はそう思っていた。
マーリンがいくら特別な存在でも、過ごした時間はほんのわずかだから。
だから、そればっかりはどうやっても覆らないだろう、って。
でも、違った。そうじゃなかった。
たったひとときでも、じいさんの中には特別な絆が刻まれていたんだ。
それを証明してくれたかのようなあの手紙の存在は、マーリンにとって、いったいどれだけうれしいものだったのだろう。
「魔術によってのみ開けられる仕掛け箱に、手紙を遺していた……か。ふふ。ご老人は、さぞかしロマンチストだったのだろうな。私も一度会ってみたかったものだ」
「フリードもね、きっと仲良くなれたと思うよ。おじいさんはね、やさしくてね、物知りでね、それで、それでね……」
うーん、それはどうだろう。
少なくとも、マーリンと一緒にいた俺は殺されかけてるからなぁ。
まあ、フリードもフリードで特別だからな。
人に好かれるかどうか……じゃなくて、手を出していいかどうかの判断を間違わせないだけの存在感があると言うか……
「……きっと、仲良くなれたよ。だって、僕と友達になってくれたんだ。デンスケとも、フリードとも同じ。だから、おじいさんは、フリードとだって…………」
ぐす。と、鼻をすする音がして、それからすぐにマーリンの頬を涙が撫でる。
かなしい。さみしい。つらい。だけじゃない。でも……
前向きに受け入れていても、思い出せば、もしもの話をし始めたら、やっぱり生きて会いたかったという思いが強くあふれてしまうから。
「……マーリン。ならば、君の口から聞かせてくれ。そうすることで、私はかのご老人を知り、友となることが出来る。胡乱でなく、現のこととして」
「……ぐす……うん。おじいさんはね、魔術のことに詳しくてね。僕にね……ぐす……」
マーリンは涙をこぼしながら、けれど笑顔でガズーラじいさんのことをフリードに聞かせていた。
話を聞いて、それで人物を思い浮かべて、友達になる……か。
またなんとも与太話だなぁと、ついそう思ってしまうけど。でも……
泣きながら笑うマーリンの話を、フリードは深く深くうなずきながら、黙って聞き続けていた。
その頭の中には、本当にじいさんの姿や人格が浮かんでいるのかもしれない。そう思わせるくらい、真剣な表情だった。




