第二百十七話【魔術師の遺したもの】
今朝は早くから宿を出て、フリードは役場へ、俺とマーリンはガズーラじいさんの家へとそれぞれ向かった……と、言いたいところだけど。
「デンスケ、どこ行くの? おじいさんの家はあっちだよ?」
「うん、わかってるよ。でも、先にちょっとだけ寄り道しよう。ここにそういう文化があるかは知らないけど、俺としてはやらなくちゃいけないことがあるんだ」
含みに含んで何も伝えるつもりのない俺の言葉に、マーリンはただ首をかしげるばかり。
まあ、言葉で説明しても、納得も理解も難しいからね。実際に見せて、こういうものがあるんだよと教えてあげるから待ってて。
そんなわけで、俺はまず繁華街へと足を運んでいた。
早い時間にもかかわらず、すでに人でごった返している。今日は何か祭りでもあるのかな?
「普段からこうなのかな……? 前にいたときは、こんな早い時間に来ることなんてなかったから……」
みんな朝市に用事があるのか、それとも俺の感覚がだらしないのか。
真相は不明だが、しかし……こうも混雑してると、目的のものを探すのにも苦労しそうだ。
今までに買ったことないものだから、どこに行けば買えるかもわかってないんだよね。
「ま、ひとまず流されてみるか。マーリン、はぐれないようにね」
「うん、大丈夫だよ。デンスケは大きいから、ちょっと離れても見えるんだ」
そうだね、俺の背は高いほうだからね。
でもね、マーリンはちっちゃいんだよ。だからこっちからは探せないからね。はぐれちゃだめだよ、俺はちゃんと怖いからね。
そんなわけで、マーリンの手を引きながら、混雑する繁華街へと足を進めた。
買いたいものは、片づけの途中で食べるご飯と、それから……
「……おっ。あの店かな? マーリン、あっちに行くよ。離さないでね」
「うん。あっち……あのお店? 何買うの?」
まずは。と、飛び込んだのは、ちょっといい匂い、わりと嫌な匂いのする、大きな蔵のような店。
そこは、お酒を売っている店だった。
「お酒……飲むの? おじさんが飲んでるやつだよね。デンスケも、飲むの?」
「おじさん……そうだね、今までにお世話になったとこだと、やっぱり大人が飲んでるとこしか見てないもんね」
そうでなくても子供が飲んでいいものじゃないけど、マーリンの中ではそういうイメージなんだね。
でも、今回は飲むためのお酒が欲しいわけじゃなくて。
「俺は飲まないけど、もしかしたらじいさんは飲んだかもしれないからさ。お供えしてあげようかな、って」
買いたいものは、じいさんへのお供え物だった。
お酒。米。塩。それから榊と花。お墓参りのときに持っていく、俺が知ってる故人へ贈るもの全部。
この世界に、この国に、俺の知ってる宗教があるとは思えない。
だけど、悼む心は誰にでもあって、それを示す形はなんであれ大切なハズだ。
だから、俺は俺の知ってるやりかたで……俺が特殊だって知ってるじいさんに、別世界の話を聞かせるつもりで、お供えをしてやろうかな、って。
「で……だ。残念ながら、米はなさそうなんだよな。いや、ある所に行けばあるだろうけど、そんな普遍的に売ってるものじゃなさそうだし……」
俺の知ってる世界史の食事情を鑑みると、米食自体は存在してもなんら不思議はない。
穀物を使った料理はこれまでにも何度か食べてるし、ちゃんと探せばあるかもしれない。
でも……それはたぶん、本質じゃない。
主食であるご飯を供えようという気持ちが大切なんだとしたら、ここではパンを供えるのがいいだろう。
としたら……お酒買って、パン買って、塩は……レストランで言えばわけて貰えるかな? それとも、内地だと高級品……なんてことがあるかな。
なんにせよ、丸々同じものじゃなくていいから、俺が知ってるやりかたで弔いの気持ちを伝えてあげたい。
ここのやりかたでは、ここの人がやってくれるだろうから。
郷に入っては郷に従えとは言うけど、誰も見てないところで、迷惑にならない範囲だったら、知らないことを教えたほうがじいさんは喜びそうだし。
「こんにちはー。すみません、えーと……お酒買いたいんですけど、よくわかんなくて。お祝い用とかじゃない、いつも飲むような普通のお酒ってどれですか」
なんて要領を得ない注文だろうとは自分でも思うけど、まあそれはしょうがない。
この世界では何歳から飲んでいいのか知らないけど、俺は飲んだことないんだから。
不慣れな子供の客にもお店の人は嫌な顔ひとつせず、これがこうであれがああでと詳しく説明してくれた。
どうやら、俺が飲める歳になったから、家族と飲むために買いに来たんだと思われたらしい。
身体も大きいほうだし、そう見られるのも不思議じゃないのかな。それとも、お酒は二十歳からってルール自体が緩いのか。
「……俺は飲まないぞ。ここのルールがどうかはわかんないけど、俺は二十歳までは飲まない」
「飲まないの? じゃあ、全部おじいさんにあげるんだね。おじいさん、こんなにいっぱい飲めるかな?」
なんの意味があるかはわかんないけど、今まで育てて貰った常識には従おう。罪悪感とか湧きそうだし。
そうしてお酒を手に入れて、それからも同じように目的のものを買い集める。パンも塩も花束も。
榊は……どこにも売ってないし、そもそも見たこともないって反応されちゃった。
だから、代わりと言ったらなんだけど、見た目がそれっぽいオレンジの葉付きの枝を果樹園で貰ってきた。
ちょっと長めの買い物もそれで終わって、お昼を目前にしたところでじいさんの家を訪れる。
そのころになれば、俺もマーリンもちょっとお腹が空き始めてて……
「最初にご飯買ったのは正解だったね。片づけする前に食べちゃおうか」
「うん。おじいさんもご飯食べてるころかな?」
そうかもしれないね。
まあ、この国には一日三食の文化があるわけじゃないから。歳とって食が細くなってたとしたら、食べてない可能性もあるけど。
そんな無粋なことは言わず、俺達はじいさんの家のリビングで、買ってきたご飯を食べることにした。
「……なんか……うん。いいことしてるつもりだし、そういうことするよっていろんな人にも伝えてあるけどさ……」
ドア壊して侵入した家のリビングでくつろいでるの、サイコパス強盗って感じでめっちゃ嫌だな。
さっさと食べてさっさと片づけしよう。何かしてないと、とにかく悪いことしてる感じがして罪悪感が湧く。
でも……マーリンのひと口は小さいからなぁ。本当に小動物みたい。まあ、そこもかわいいんだけどね。
「……ん? あれ? マーリン、それ何? 青っぽいような、緑っぽいような。そんなの買ってたっけ?」
いただきまーす。と、食べ始めて少ししたときに、マーリンの手元に何か奇妙な色の箱が置いてあるのに気づいた。
ずっとテーブルの上にあった……っけ? 全然気づかなかった。それとも、俺がご飯出してるあいだに見つけたのかな。
「これ? えっとね、そこにあったんだ。たぶんね、魔術のことがしまってある……と思う。魔術で鍵がしてあるから」
「鍵……? 魔術ってそういうことも出来るの?」
俺の問いに、マーリンはこくんとうなずきながらその箱を開けた。
え? 鍵は? 鍵がしてあるって言ったのに、なんで開いたの? 開けちゃったの?
「ほら。開けてもね、中のものが取れないんだ。壊せば取れると思うけど、ちゃんとした開けかたがあるんだよ」
「あっ、ほんとだ。へー。なるほど、鍵ってそういうことか」
マーリンが見せてくれた箱の中には、何も入りそうにないくらい高い底があった。つまるところ、魔術によって接着された内蓋だろう。
あるいは、正しい開け方をしないと、中のものが壊れてなくなってしまう……とか。そんな仕組みもあるのかな?
「……マーリン。それ、開けられる?」
「え? えっと……うん。ちょっと時間がかかるけど、開けられると思うよ。でも……」
開けてもいいのかな? と、マーリンは首をかしげた。
その反応はおおむね正しい。そりゃそうだ。
だって、人の家に勝手に入り込んで、勝手に見つけたものの鍵を開けるって話なんだから。
当然、やっていいことなのかな? って、そう思って然るべきだ。
でも……
「じいさんはクリフィアに帰った……最期を悟って、生まれ故郷に戻ったんだ。もうここへ戻るつもりはなかった。じゃあ……」
大切なものだとしたら、どうしてこんなとこに放置したんだろう。
持って行かないにせよ、処分はしたハズだ。重要な研究書類だとしたらなおのこと。
「これは、この街に残すべきものだった……この街に残して、魔術師がここへ来るのを待ってた……って、そう考えることも出来ないかな、って」
魔術でしか開けられない、そうしなければ中身を取り出せない。そんな入れ物を作ったからには、これは魔術の研究に関するものじゃない。
魔術師に開けられるものなら、魔術を隠す場所としては向いてないわけだから。
じゃあ、これは何か。これは……魔術師に宛てたメッセージだ……と、そう考えてもいいだろう。
もちろん、ただの貯金箱で、中身は持ち出したからただの空箱って可能性もあるけどさ。
でも、そうだったら面白いな、って。そう思う。
「……うん、開けてみるね。えっと、えっと……」
ご飯食べてからでもよかったのに……とは、今更言えない。マーリンも興味が湧いてしまったみたいだから。
箱を傾けて、振って、いろんなことをしてそれがどうなっているのかを確かめると、マーリンは自信ありげな表情で小さくうなずいた。
もう開けかたがわかったの? とは、尋ねるまでもない。
マーリンは箱をテーブルの上に置くと、すぐに言霊を唱えた。
「――戸を開け、世界よ――」
するとすぐに、箱の中からさっきまで底だった蓋が転げ落ちた。
開けたと思った蓋よりも、さらに下の部分からぱっくりと割れる仕組みだったんだ。
そうして中から出てきたものは、一枚の紙……だけ、で……
「……どうだった? マーリン、そこには何が書いてあったの?」
「えっと……ね。えっと……えへへ」
それを見て、マーリンが楽しそうに笑うから。じゃあ……俺の推理は正しかったんだな、って。
もし、俺達がじいさんのあとを追ってなかったら。この街に来てなかったら。探そうと思わなかったら。クリフィアに行ったことを知れなかったら。
この仕掛けには、なんら意味はなかった。何も残さずに消えてしまうものでしかなかった。
でも、ガズーラじいさんはこれを遺した。そのことには、とても大きな意味があると思う。
手紙に何が書いてあるのかは……俺が聞くべきことじゃないんだろう。
ただ、笑顔でそれを眺めるマーリンの姿を見れば、じいさんが何を遺したかったのかはわかるから。それで十分だ。




