第二百七話【勇気の言葉】
「――助けて――っ。デンスケが……デンスケが……っ!」
デンスケが倒れた。すごく苦しそうにしている。身体がとても熱くて、返事もちゃんとしてくれない。
怖い。
おじいさんもいなくなった。フリードもいなくなった。
もしかして……デンスケも……?
そう考えたら、怖くて怖くて……
「な、なんだなんだ⁈ お嬢ちゃん! どうしたんだ⁉」
「な――っ! 何があったんですか!」
熱くなったデンスケを背負って、僕は急いで走っていた。どこへ行けばいいかは……わからなかった。
だって……いつも、デンスケが教えてくれたから。デンスケが教えてくれなかったら、僕は……っ。
助けて。そう叫んで飛び込んだのは、おじいさんの友達がやっている、おいしいご飯を食べさせてくれるお店だった。
そこへ行けば助けて貰えると思ったわけじゃない。だけど、助けてくれそうな人をほかに知らなかったから。
「デンスケが――デンスケが大変なんだ! 助けて! デンスケを助けて!」
「落ち着いて。いったいどうしたんですか」
助けて。助けて。僕にはそのお願いを繰り返すしか出来ない。僕には……
なんでも出来るねって、言って貰ったのに。デンスケに、褒めて貰ったのに。
僕には……っ。
おじいさんの友達は、慌てた顔をしていたけど、それでもデンスケを助けようとしてくれた。
顔を触って、口を触って、じっと身体を見て。
それが何をしているのかはわからなかったけど……よかった。この人はデンスケを助けてくれるんだ。って、そう思った。
「医者へ見せに行きましょう、すぐに。熱がすごい」
そう言うとその人は、デンスケを置いてどこかへ行ってしまいそうになった。
助けてくれないの……? って、すごくかなしくなった。胸が痛くなった。
デンスケを助けてくれないの? 大好きなデンスケを、大切な友達を、助けて欲しいのに。
そんなことを言いたかった。でも……それはきっと、ダメなことだ。
離れていく人には、お願いをしたらいけないんだ。そうすると……嫌われちゃうから……
「お腹……っ。お腹に、剣が刺さって……っ。デンスケ……デンスケが、このままじゃデンスケが……っ」
「落ち着いて。大丈夫だ、すぐに医者に連れて行くからね」
お店にいたおじさんが、おじいさんの友達が行ってしまったほうを見ながら、僕にそう言った。
いしゃ……? その人なら、デンスケを助けてくれるの? じゃあ、あの人はデンスケを助けようとしてくれてるんだ。
それがわかったら、また……よかった。って、そう思った。
「ケガが原因で発熱……あるいは、菌に侵されているかもしれません。ゆすっては危険です。担架で運びましょう」
「おお、そうだな。マスター、手伝うよ。お嬢ちゃん、坊主をおろしておくれ」
運ぶ……そっか。ケガ……してるから、おんぶだと痛い……よね。それにも気づかなかった。
ごめんね。って、伝えたいのに。痛かったよねって謝りたいのに。
でも……デンスケは、ずっと苦しそうなままで、僕のことも見てくれなくて……
「こっちに乗せるから離れてて。せぇの――っ!」
おじいさんの友達とおじさんは、はしごに布を被せたみたいなものにデンスケを乗せて、ふたりでお店から運び出してしまった。
これで、いしゃ……って人のところへ連れて行ってくれるんだ。そうすれば、デンスケは助けて貰えるんだ。
「……まー……りん。だい……」
「――っ! デンスケ! デンスケ! しっかりして!」
お店から出てすぐに、デンスケが僕を呼んでくれた気がした。
ちゃんと聞こえなかったけど、僕の名前を呼んでたと思う。だから僕は、ちゃんと聞こえるように返事をした。
「おお、そうだ。お嬢ちゃん、話しかけてやるんだ。そうすると、坊主も元気になるから」
「ほんと? デンスケ、デンスケ!」
僕にもデンスケを助けられるの? そう思ったら、すごく勇気が湧いてきた。
いっぱい名前を呼んだ。いっぱい話しかけた。返事はしてくれなかったけど、それでも……ずっとずっと、名前を呼んだ。
いしゃって人の家に着くまで、ずっと。
ここだよ。って、案内されたのは、すっごく大きな家だった。
「ごめんください! 急患です! 診て貰えませんか!」
家の中は真っ白で、中にいた人も真っ白な格好をしていた。
でも……そうじゃない人もいた。
嫌なにおいがして、それに……嫌な目がこっちを見ていた。
僕はそれを知っている。
「なんですかなんですか、こんな時間に。もう今日は閉めましたよ」
「そう言わず、どうか診てやってくださいませんか。ひどい高熱で、意識ももうろうとしている状態なのです」
あれは、嫌いなものを見る目だ。いつも……僕に向けられていた目だ。
「ふぅ……ん。あのですねぇ。どうして私が、そんな汚らしい子供を診なければならないんですか。第一、診察料は払えるんですか?」
しんさつ……りょう……? えっと、えっと……お金のこと、だよね。
お金があれば、デンスケを助けて貰えるんだね。
「お金だったら、ある、よ。ここに、えっと、えっと……」
買い物をするときに使ってって、デンスケから貰った袋を取り出して、白い服の人に見せる。
でも……お店の人と違って、嫌な目をしてる……から。それが怖くて……
「……んっふっふ。なんですか、そんな小汚い巾着を出して。足りませんよ、全然足りていません。その中身がすべて金貨だったとしても、半分にも届いていませんよ」
「えっ……半分……」
中身は……全部、銀色のお金だ。それじゃあ、デンスケが持ってるぶんを合わせても足りない……
じゃあ……デンスケは助けて貰えないの……? 誰にお願いすれば助けて貰えるの?
それとも……僕……だから……? 僕が……みんなから嫌われる僕のお願いだから、デンスケも助けて貰えない……の……?
「――っ! おい! 黙って聞いていれば、なんなんだあんたは! こんな子供相手に金金って……」
「ああっ、なんて野蛮な言葉遣いでしょう。化けの皮が剥がれましたね」
「所詮、貴方達は下賤の民。もうこの街には必要のない存在なのですから。このままゆっくり、自然の赴くままにするべきではないでしょうか?」
一緒に来てくれたおじさんが怒ってる……けど、白い人も、その人と一緒にいた別の人も、嫌な目をおじさんに向けていた。
この人達は助けてくれない。僕がお金を持ってないから、助けてくれないんだ。
じゃあ……僕はどうしたらいいの? 僕は何をすればいい? 答えは……いつだって、デンスケがくれた。でも……
「……デンスケ、助けて……っ。僕は何をすれば……」
助けてあげたいのに。僕が……助けなくちゃいけないのに……っ。
出来ることは、助けて……って、いつもみたいにお願いすることだけだった。
でも、デンスケは返事をしてくれない。目をつむったままで、苦しそうで、つらそうで……
「……もしもし? 大丈夫ですか⁈ しっかりしてください! いけない……呼吸がどんどん浅くなっていく……っ。このままでは……」
おじいさんの友達もどうしたらいいのかわかんないみたいで、デンスケに助けてってお願いしてる……のかな。
じっとデンスケを見て、手を握って、それで……なんだか慌てて……
「……っ。お願いします! どうか! どうか彼を診てやってください! このままでは、本当に死んでしまいます!」
「……しんじゃう……の? デンスケ……が?」
その人の言葉は、信じられないものだった。
信じたくないものだった。
「――デンスケ! いやだ……いやだ……っ。起きてよ、デンスケ……っ」
話しかけたら、名前を呼んだら、元気になるって……言ってたのに……
どれだけ呼んでも返事してくれない。元気になってくれない。
デンスケが……デンスケが……
「――何かあったのか。表からも聞こえる騒ぎだったが」
そのときに、後ろから声が聞こえた。家のドアを開けて、中に入って来た人の……知ってる声。
「おお! これはこれは、フリードリッヒ王子。いやいや、お恥ずかしいところを」
「たった今、急患だなんだと押しかけられましてな。しかしながら、金もないのに診察をしろと、まるで強盗のようなことばかり言っていまして」
フリード……? その声は知ってる。その名前も知ってる。だから……すっごく勇気が出て、急いで振り返った。
助けてくれる。デンスケを助けてくれるんだ。フリードだったら、絶対にデンスケを……
「……マーリン……? どうしたのだ、何があった。まさか、ケガを……? デンスケ……?」
デンスケを見ると、フリードは顔を青くして、急いで僕達に駆け寄った。
いつものフリードじゃないみたいな、怖がってる顔をしてた。
「デンスケ、起きてくれ。何があったのだ」
声が震えてて、目も怯えてて。
だけど……だけど、フリードだ。いつも、デンスケと一緒に僕を助けてくれる。僕の大切な友達。
「フリード――っ! デンスケが……デンスケが……っ」
助けて。助けて。いつもお願いするばかり。まだ、僕は何も返してあげられていないけど。でも……
デンスケだけは助けたいんだ。だから……これから、僕もいっぱいフリードのことを助けられるように頑張るから。だから……
「何があったのだ。私がいないあいだに、いったい何が……っ。デンスケ、返事をしてくれ」
フリードはデンスケの身体をいっぱい触って……でも、デンスケは起きてくれなくて。
フリードでも助けられない……の? じゃあ……僕は何をすればいいの? 何をしたら、デンスケを……
「……ッ。診てやってくれ。私では、多少の知識はあれど、専門的な診察も治療も出来ない。デンスケを……この少年を診てやってはくれないか」
「王子がそうおっしゃるなら、診て差しあげたいのはやまやまなのですが……」
フリードは……白い服の人に助けてってお願いしてるみたい。
白い服の人は、フリードには嫌な目を向けてない。でも……いつもデンスケが向けてくれるのとは違う、知らない目をフリードに向けてる。
それを前に、フリードは……
「……ああ、わかっているとも。貴殿の顔は知っている、王都のラッカ家のものだろう。彼女に、無期限での貸し付けをしてやってくれ」
すごく……嫌な目をしていた。白い服の人にも。そして、何かをお願いしたもうひとりの人にも。
そうしたら、そのもうひとりの人は、すっごく嫌な目を僕とデンスケに向けた。
でも……それだけじゃなかった。
白い服の人がフリードに向けてたのと同じ目で、僕のことをじっと見たんだ。
「支払い能力について、今はたしかに至らないものがあるだろう。だが、彼女の素養、そして善性については私が担保する」
「ええ、ええ。王子にそうまで言われましては、わたくしめには断る理由がありません。喜んでお貸ししましょう」
えっと……えっと……? フリードが……何かをお願いしたら、嫌な目の人も、白い服の人も、なんだか嫌な笑顔になって、その顔のままデンスケに近づいて……
「助けてくれる……の? お金……足りないのに……」
「もちろんですよ。私は医者ですから、患者を救うのが使命です」
助けてくれる……っ。フリードのおかげで、いしゃって人がデンスケを助けてくれるんだ。
うれしかった。涙がこぼれるくらいに、すっごくうれしかった。
でも……それは、長く続かなかった。
「……毒、ですな。それも、かなり即効性の高いものでしょう」
「治るのか? いや、治せ。我が親友をこのまま苦しみの中に死なせるなど私が許さん。治してくれ」
嫌な目は、もう誰にもついていなかった。
白い服の人は、すごく怖い目になっていた。すっごく怖くて、真剣な目。
だから、すぐにわかった。この人でも、デンスケは助けられないんだ、って。
「……申し訳ありません、王子。不可能です。反応、そして症状を見る限り、類似した例はただ一件。これは……魔獣の毒によるものでしょう」
「……っ。魔獣の……毒……」
魔獣? 魔獣がどうしたの? 魔獣とは戦ってないよ?
そんなのフリードも知ってるのに、でも……何も言わない。言ってくれない。そうじゃないよって、教えてあげないといけないのに……
「それも、単一のものではありません。複合された……意図的に作られた、混合の魔獣毒です。単一のものでさえ血清がないというのに。これではもはや、手の施しようも……」
「……っ。わかっている。みなまで言わずとも、その先の言葉はわかっている。だが……だが……っ」
毒……? 魔獣の……毒で、デンスケが……?
でも、魔獣なんていなかった。戦ってないし、見てもない。それなのに、どうして?
「……あのとき……っ! フリード、あのね。デンスケは、デンスケはね……っ」
デンスケはお腹を刺されたんだ。あのときの人が……魔獣……だった?
そのことを伝えると、フリードは目を見開いて僕の肩を掴んだ。
そして、それは誰だ。捕まえたのか。捕まえていないのなら、どんな人物だった。と、怒ってるみたいに聞いてきた。
知らない人。捕まえてない。それに……暗かったから、顔も見てない。
そう答えたら、フリードは……泣きそうな顔になっちゃって……
「……っ。それでは……それではあとも追えないではないか……っ。せめて……せめて、毒を作った人間が捕まれば、解毒薬も望めるやもしれないのに……」
「……その人がいたら、デンスケは助かるの……? だったら僕が探してくるよ!」
その人さえ見つければ、デンスケは助かるんだ――っ!
うれしかった。やっと、やっと僕がデンスケを助けてあげられる。
見つけるのは得意。だって、デンスケに教えて貰ったから。それが出来たらいいよって、導いてくれたから。
「――触れる羊雲――」
急いで家を飛び出して、デンスケに教えて貰ったその術で街の中を――街の外も、全部。全部触って、あのときの人がいないか探してみた。
あのときの道にはいない。大通りにもいない。狭い路地にもいない。じゃあ……街の外だ。湖のところ、その向こうの林……山…………
「……いた。待っててね、デンスケ。すぐに助けてあげるからね」
いつもはデンスケにかけてあげる魔術。だけど……今は、僕が代わりに頑張るんだ。
揺蕩う雷霆。デンスケを守るためにビビアンと作ったその術で、僕は街を飛び出した。
フリードよりも速く。あのときの人がいるところを目指して。




