第十七話【変化してるもの】
異世界生活も四日目。野性味あふれる生活にも、四六時中美少女が隣にいることにも、ごわごわパンツの履き心地にも、何もかもにまだ慣れない今日。今。俺は……
「……待って。待った。待ってドロシー! お願いだから待って!」
「大丈夫……だよ。僕は、魔女……あ、えっと。これからは、人間……だけど。でも……デンスケより、慣れてる……から。痛くない……よ?」
俺は……とてつもなく大きな大きな、重大な、あまりに巨大な問題を前にしていた。それは……
「――燃え盛る紫陽花――」
――ゴウ――と、空気が焼けて、俺の前のドロシーの背中の、そのさらに向こう側の景色が焼き払われる。そこに何頭もいた、大きな生き物もろともに。
ドロシーに連れられて寝床を出発して、昨日訪れたのとは違う方角へ進んでいた時のこと。俺達は化け物に……魔獣に遭遇したんだ。したんだ……けども。
「……終わったよ。ほら、大丈夫……えへへ」
「……だ、大丈夫……うん、大丈夫……だけど……」
魔獣がこちらへ害意を向けるよりも前に、ドロシーの放った火炎……魔術? によって、それらは瞬く間に…………こんがりをすっかり超えて、まっくろな炭になってしまっていた。
「……デンスケ? 大丈夫……だよ、ね……? 怪我……して……る……? でも、怪我は……治る、ハズだから……」
いったいどれだけの火力なんだろうか、彼女の魔術の炎は。
転げている炭は、焼けてのたうち回った形跡すらない。一瞬の間に焼き焦がされて、死んだことにも気付かなかったんじゃないかとすら思えてしまう。
そんなとてつもない攻撃力を披露したドロシーが、今はおどおどした顔で俺の心配をしてくれている。それが……そのギャップが……
「……し、心臓に悪い……ひい。ドロシー、もうちょっと……ほんのちょっとでいいから、穏やかなやり方はないの……?」
彼女の魔術を見るのはこれで何度目だろう。ご飯を手に入れるたびに、お肉を焼いて捕まえるたびに目にしている……のだけど。何度見ても慣れないし、それに……狩りと攻撃とでは出力が段違いだ。
「せめて心の準備をする時間が欲しいよ……まあ、そんなこと言ってる場合じゃないのはわかるけどさ。あんなのが目の前にいて、のんびりするなんて無理だし……」
守って貰ってる立場で何を贅沢なとは自分でも思うんだけど。でも、それにしたって……魔獣よりドロシーの魔術が怖いんだ、本当に。
「ごめん……ね。でも、魔獣……だけは、すぐに倒さないと。危ない……から」
「いや、うん。ドロシーが謝ることじゃないよ。俺が情けないだけだから、これも」
心配そうに俺の顔を覗き込んでるドロシーの、その発言の裏……俺がこの世界へやってくるよりも前の、彼女の身の回りで起こった出来事について、ついつい悪い方向に考えてしまう。
魔獣。姿形はさまざまながら、どれも通常では考えられない突飛な特徴を持つ、異様に狂暴な怪物。ひとまず、俺はそんな認識を持ってる。そしてこれは、そう大きく外れてないハズだ。
その魔獣について、ドロシーは迅速に対処するべきものだと言った。
どちらかと言えば穏やかな性格で、周りを火に囲まれていてものんびりしていられるくらい余裕がある……それだけ力があって、対処する手段を備えてる彼女でも、警戒心をより強く向ける必要がある、と。
「……ドロシー。その……魔獣について、もうちょっと詳しく教えて貰えるかな。俺の世界にはいなかったんだ、あんなの。だから、どうしてもびっくりするし、怖い」
知らないという恐怖。頼もしいドロシーすらもが警戒していることだけを知っている恐怖。そのどっちもを一緒くたに解決するのは、やはりその素性を知ることだけ……だろう。
ドロシーは俺の質問にちょっとだけ首を傾げて、それからしばらく困り果てたように黙ってしまった。説明が難しい……のだろうか。あまり詳しくはない……とか。
「……やっぱり。デンスケの世界には……魔獣が、いない……」
「……やっぱり? それは……その、俺がビビり過ぎてて……」
もしかして、見たことないのかなって思った……とか? と、どうやらそういう単純な話ではない……のかな。
ドロシーは真剣な顔で俺の手を握った。にぎにぎと、俺の緊張をほぐすみたいに。
「……魔獣……は、この世界にも……もともとは、いなかった……って、聞いたんだ。昔……僕達が生まれるよりも、もっと昔に、すごく強い魔力が……北から、流れ出して……」
魔獣なんてものは、この世界にも本来は存在しないものだった。
その発生原因は、詳しいわけではないけれど、ずいぶん昔に北方で発生した、強い強い魔力を持つもの。
それから漏れ出した魔力が原因で、生き物の生態が少しずつ狂ってしまっている……らしい。
ドロシーはずっと俺の手をにぎにぎしながらそんな話を聞かせてくれた。その手がちょっとだけ冷たいのは……魔獣が怖いのではなくて……
「……ありがとう、ドロシー。嫌なこと思い出しちゃったのか? それでも、話してくれたんだな。本当にありがとう」
魔獣の発生について聞いた……のは、きっと魔女か人間か……今では彼女を虐げるものたちのどちらかなんだろう。
ドロシーが怖がってるのは、一度は言葉を交わし、話をしてくれた相手が――友達になれると思った相手が、今では自分を忌避しているかもしれない……ってことだろう。むしろ、それ以外には一切怖がってない様子だ。
「……魔獣は……ね。とっても、狂暴……なんだ。そんなにいっぱいいるわけじゃない……けど。山の中にいると、どうしても……」
「魔獣なんて名前に変わっても、野生動物は野生動物……か。なるほど、ドロシーが警戒する理由はわかった」
俺と同じくらいの歳って話をそのまま信じるのなら、彼女はまだ子供だ。
子供なのにも関わらず、ずいぶん長い間孤独に暮らしてきたと言う。それも、人の営みからずっと遠い場所で。
彼女の生活と魔獣を退けることとは、きっと切っても切れないものなんだろう。ご飯を食べる。起きる、眠る。水浴びをする、服を着替える。そして、魔獣を倒す。
「ドロシーは本当に大変な生活を送ってるんだな。そこへこんなお荷物が転がり込んで……」
ことの発端――召喚をしたのはドロシーとは言え、足を引っ張ってることには変わりないだろう。ううん、どうにも申し訳ない……
「……だから、ね。デンスケには、怪我をしても大丈夫なように……って」
「ああ、なるほど。その話に繋がるのね、これが。なんともなんとも……ドロシーは献身的で健気な子ですなぁ」
もっと屈強で、ひとりでも戦えるようなやつが召喚されれば……とも思いつつ…………実際に召喚されたのが俺で良かったぁ……とも思ってしまう。
この献身は、ともすれば従属にすら思えてしまう。俺だっていつ勘違いしてもおかしくないくらい、彼女は俺のために俺のためにと行動を選んでくれている。
それを違うと正してあげられる人物じゃないと、ドロシーはきっといつまでもこのままだろう。
たったひとりの友達で満足して、そいつがどんな思惑で接しているのかなんて無関係に、いいように使われてしまう……なんて未来も、十分にあり得た。
「……っと。あれ、でも……うん? 屈強な……おや?」
ちょっとしたイフの可能性を思い浮かべていたら、とても簡単、単純、純粋な疑問も一緒にポンと浮かんだ。浮かんだと言うか……流れ着いたと言うか。
「ドロシー。その……俺を強くする……って選択肢はなかったの? 怪我をしないように、怪我しても大丈夫なように……は、たしかにわかるけど。でも……」
魔獣くらい簡単に蹴散らせるくらい強くしてくれれば……怪我が治る能力じゃなくて、それこそ……右手からは灼熱の炎、左手からは絶対零度の冷気が! みたいな。
戦うための力を付与してくれれば、それでも十分に安全を確保出来たような……
「……? 魔獣は、僕が倒せばいい……から。デンスケは、大変なこと、しなくてもいい……よ?」
「ふぐっ……は、箱入り娘待遇でござるな……なかなかに……」
自分が強いんだから、万が一の保険以外はいらない……と。なるほど…………ど、道理は道理……だけどさ。
それに、下手に強力な力を渡すのはリスクもある。
もし友達になってくれなかったら。もしほかの人と同じように自分を迫害し始めたら。そうなったら、与えた力がそのまま自分を苦しめるんだ。
もっとも、ドロシーの場合はそんなことも考えてないんだろう。
心の底から、ただ苦しい思いをして欲しくない……とだけ。本当にそれだけを願って、治癒の能力を与えて、未来視の能力を譲ってくれたんだと思う。
「……しかし、女の子に守って貰ってばかりは立つ瀬がないでござるよ……とほほ」
とまあ、いろいろと教えて貰って自分でも考えたけど、出る結論はひとつ。ここは揺るがない。
せっかくやって来た異世界で、せっかく友達になれた美少女の前で、格好付けられないのはどうにも情けないばかりなんだよな。せめて、頼って貰えるくらいにはなっていたかったのに……
「……えへへ。デンスケは、僕が守るから……ね。安心、してね。魔獣なんて、全部やっつけちゃう……よ」
「……きゅん。そんなにかっこいいこと言って、どうしてこんなにかわいいの、ドロシーは……」
えへへ。と、どうにも締まりのない顔で笑うドロシーの姿は、その強さ、頼もしさ、そして発言の心強さとは似つかわしくないくらいあどけなくて愛らしい。
あんまりにも愛らしいもんだから……まだ目の前の景色が燃えてるにも関わらず、頭をわしゃわしゃと撫でてあげたくなってしまいますぞ。うーん、ドロシーたそ萌えですなぁ。




