第百八十四話【異質の異変】
マーリンに起床とともに、俺達は村から少し離れた山の、その麓の林へと足を運んでいた。
目的は、村の畑に現れた大型の魔獣の出所を探ること。
あれがどこから来たのか、そして、あれと同じような経路で別の魔獣が村に近づかないかと調査するんだ。
「マーリン、どう? この辺りに群れはいるかな?」
「うーん……いないと思う。でも、上のほうはわからない」
いつか開発した探索用の魔術を使って、マーリンは林の内部に魔獣の群れがいないかを調べてくれる。
その結果は、ひとまず大きな集団はいないだろう、と。けれど、林の向こうの山の奥については、術の効果範囲外でわからないようだ。
「その術もずいぶんと精度が上がったよね。はじめのころは、あんまりアテにならないって言ってたのに」
褒められたのが嬉しいのか、マーリンはふんふんと鼻を鳴らしてうなずいた。
風を使って、周囲の状態を触覚的に判別する魔術……と、そう説明してくれたその術は、試行回数に比例して確実に精度を上げていた。
術そのものの精度が上がったとか、改良が加えられたとかではない。
術によって得られる情報を、マーリンが正しく理解し、解析出来るようになったんだ。
「君の魔術は、どれを取っても常識として知られるものとはかけ離れている。しかし、使いどころが限られ過ぎるわけでもない。君の成長は、進化は、大勢を救う希望になるな」
「えへへ……みんな喜んでくれるのかな? 魔獣がいるところがわかったら、怖くないもんね」
そうそう、安全確保に一番必要なのは、危険なものがどこにいるのかを把握する手段だ。マーリンの術は、間違いなくみんなの助けになる。
と……フリードが言いたいのはそういう話じゃないんだろうな。
「魔獣を探すだけじゃなくて、例えば洞窟の中がどうなってるのか確かめたり、落盤事故があったときに、生きてる人がどこにいるかを探したりも出来るよね」
もちろん、誰にでも使える術じゃない。マーリンだからこそ発動出来る、マーリンだからこそ使いこなせる術ばかりだろう。
でも、存在する事実が勇気になることはある。あるいは、マーリンが誰にでも使えるように再開発する未来だってあり得るだろうし。
そしてこの話は、探知魔術だけに限ったものじゃない。
それこそ、強化魔術なんてのは一番わかりやすい例だ。
たとえば筋力の衰えた老人や、病気で動けなくなってしまった人の生活を補助する術として調整することも出来るハズ。
その延長の使いかたとして、とても運べないような人数のけが人を、自力で病院まで歩けるようにしてあげるとか。
あるいは、魔獣の大群が迫ったときには、避難する人の足を速くしてあげるなんてことも。
「まだ、自分の術を作って、使いこなして、次にしたいことを探す段階だ。でも、そうして頑張ったあとにはきっと、みんなのための術を作れるようになってると思う」
「ふふ、そうだな。今は戦うための術でしかないが、遠くない未来には、別の形で再構築されているのだろう。いや……君はそもそも、魔術を生活に使っていたのだから……」
っとと、そう言えばそうか。
俺にご飯を準備してくれたのも、服を作ってくれたのも、何もかも魔術によるものだった。
マーリンにとっての魔術は、手足の延長でしかない。その感覚、しばらく意識から抜けてたかも。
「さてと。そんなマーリンが魔獣はいないと言ってくれたわけだけど。それでも、本当にいないとは限らない。前は土の中にまでいたからね」
「そうだな。警戒は怠らず、このまま進むとしよう」
さて。マーリンを褒めてなでなでしてあげる時間はいったん終わり。
これからは、とりあえず安全そうな林を抜けて、きっと危ないのであろう山へと向かう。
探知魔術の精度はもう疑う余地もないけど、表面に現れていないものは探せないのも事実。
警戒を解くことはせず、緊張感を持って、けれどピリピリし過ぎずに進もう。
「ところでさ、フリード。あの魔獣について、何かわかったか? お前、死骸をなんか……ひっくり返してただろ……」
「ひっくり返し……ああ。少しな、解剖の真似事のようなことをさせて貰っていたのだ。もちろん、専門の知識があるわけでなし。正しいとも限らないが……」
いくつか、気になるものは見つけたよ。と、フリードはそう言った。
けど……それを、俺が今になって尋ねるまで黙ってもいた。
「あんまり自信なさそうだな。意外……だよ、そういうの。フリードは何ごとにも胸を張って向かってるイメージあるのに」
「無論、個人としては、どんなことがらにも臆することなく向かう心構えだ。けれど……それを情報として提供するのなら、その確度を偽るべきではないだろう」
それはそうなんだけど。でも、そういう話じゃなくて。
それがあってるか間違ってるかわからなくても、こういう可能性がある、自分はこう感じた……と、なるべく早くに情報共有してくれる。
それがフリードらしさだと思った。
それが今回はなかった……せっつかれるまで何も言わなかったから、珍しいな。と、そう思ったわけで。
「……あんまり喜べない手がかりがあったのか? たとえば…………例えさえ思いつかないわ」
「ふふ、そうだろうな。思いつく限りの悪い可能性程度なら、私達で解決してしまえるだろう。困るとすれば、思いつきもしない未知の問題になって然るべきだ」
なるほど、一理ある。一理あるけど、そんな話はしてなくてだな。
「……あの魔獣、ものを食った形跡がなかったのだ。それも、しばらく獲物にありつけず、餌を求めて山を降りた……という、理解し得る期間の話ではなさそうなのだ」
「ものを食った形跡が……それも、数日単位じゃなくて、もっともっと長いあいだの絶食状態だった……?」
私からはそう見えたというだけだがな。と、フリードはそう前置きをして、少しだけ困った顔のマーリンの背中を撫でた。
マーリンの反応はきっと、話がわからなくて困った……ではない。その可能性が示唆するものが、とても嫌な未来だから困っているんだろう。
「それ……もし本当にそうだとしたらさ。結構……いや。かなり、危ないことになるんじゃないか? だって……」
あの魔獣は、俺に対して明確な攻撃意思を持っていた。
叩き伏せて、殺して、そして……食ってしまうために襲ってきたのだ……と、そう思っていたんだけど。
「ああ。もし、魔獣が餌を食わないのだとしたら……少量しか食わずとも平気であるにもかかわらず、他の生物を襲うのだとすれば……」
魔獣の攻撃性は、生物の生存本能とは無関係である可能性さえある。
なるほど、こんな可能性は一度は黙っておきたくもなる。
少なくとも、確信も得られず、村のみんなに聞かれかねない状況では。
「あれは、自然の摂理とは違う変質によって生まれた異常だ。それは歴史として知られている。だが……で、あるならば。と、そう考えたときに……」
「不自然な摂理によって生きているとすれば……食うための襲うんじゃないとすれば、魔獣の攻撃性は治まることがなくて……」
普通、熊でもライオンでも、食って生き延びるためにほかの動物を襲うんだ。
満腹だったら襲わないし、むしろせっかく食った栄養を無駄にしないためにじっとしてることさえある。
でも、魔獣は違うかもしれない。
食うのが目的ではなく、襲って殺してしまうことこそが目的。
だとしたら……空腹でも満腹でも襲うし、動けなくなることさえお構いなしに暴れる可能性だってある。
「私には解剖学の知識はない。少なくとも、魔獣についてのものは。ゆえに、この仮説が検証に値するものとは言い難い……が……」
「……魔獣を研究してるところってないのかな。ビビアンさんは魔獣の生まれを研究してた……とは、マーリンから又聞きで教えて貰ったけど」
ビビアン。と、嬉しそうに名前を呼んで、マーリンは嬉しそうに笑う。大切な友達が話題に上がるとうれしいんだね。
でも……俺は全然うれしくないよ。もっと楽しい話題のときに名前を出したかったくらいで。
フリードはそんなマーリンを苦笑いで見つめて、そしてゆっくりとこちらへと向き直る。
それからまた目を伏せて、諦めたような表情で首を横に振った。
「王都でも、魔獣を専門に調べる学者は多くない。そもそもの話、捕獲するのが難しい生き物だ。それに……魔獣の研究は、今の段階では金にならない」
「お金にならなかったら学者さんも受け持ってられない……か。うーん……」
なんとなくだけど、それは意外だな。魔獣なんて厄介極まりないし、調べて弱点を割り出す仕事なんていくらでも求められると思ったのに。
そんな俺の考えを見透かしたのか、フリードはもう一度首を横に振る。そして……村のほうを振り返った。
「魔獣と大きく括ってはいるがな。それぞれの個体で、特徴も性質もまったく違う。犬と蛇とを同じものとして研究すれば、とても正確な情報は得られまい」
「……そっか。熊みたいなやつもトカゲみたいなやつも、それこそ飛んでるやつもいるもんな」
一種類ずつ調べようにも、サンプルの数も、調べる人間の数も足りてない。
それに、調べ終わって理解したころには、もう別の魔獣に蹴散らされてる可能性もあるんだもんな。
なんともネガティブな気分になる話題だったけど、しかしそれってつまり、俺達の活躍が今までの想定よりも重大な意味を持つってことにもなるんでは?
そう前向きに捉えることにして、俺達はまた山への道を進み始めた。
倒すだけじゃダメ……なのかな。これからは、冒険者兼研究者としてやってかなくちゃなのかなぁ……




