第百七十一話【来たる朝】
とんでもないことになってしまった。
まったく眠ることも出来ずに、すでに白んだ空を睨みつける。
俺は今日、騎士団に交じって魔獣退治に同行する。それも、フリードと並ぶ戦力と期待された状態で。
もちろん、それはまったく不可能なことじゃない。事実、旅の間には協力して戦うときもあった。
でもそれは、マーリンの強化魔術ありきの話だ。
彼女の助力なくしては、俺なんてなんの力もない一般人。むしろ、普段から力仕事をしてる一般人未満と言えるだろう。
そんな役に立つかわからないやつが、よもやフリードと同じか、それに迫る活躍を求められるなんて。
「……俺がいったい何をしたんだ……っ。何をやらかしたらこんな業を……」
誤解をさっさと解かなかったのが悪いと言われると……それは本当にその通り。
でも、だからってこんな苦境に立たされるなんて思わないだろ。もうちょっと小さいバッドイベントくらいで収まってくれていいのに。
と、そんなボケた問題、不安がまず二割。もう八割に、もっともっと重大な問題が残されている。
果たして俺は、生きて帰ることが出来るのか。
魔獣なんて化け物を前にして、戦うどころか、逃げ延びることは出来るのか、と。
「……ふー。逃げるだけなら……隠れてれば、フリードが全部……」
フリードの強さはわかってる。魔獣くらいじゃびくともしない、大勢を守りながらでも余裕で戦ってくれる。
それでも、不安は尽きない。尽きるわけがない。だって俺は……
「デンスケ。もう起きていたのか。あいかわらず早起きだな、君は」
「……フリード。おはよう。お前のせいで、こっちはろくに眠れなかったぞ。まったく」
俺はマーリンに助けられたから、マーリンが間に合ってくれたから、魔獣に食い殺されずに済んだんだ。
俺にとっての安心は、魔獣への恐怖の克服には、マーリンの存在を欠かすことが出来ない。そのマーリンが、今日はいないんだ。
「フリード、お前は見たからわかってるだろ。俺が魔獣と戦えるのは、マーリンの強化魔術があるからこそ、だ。それをお前、ひとりで何が出来るもんかよ……」
はあ。と、ため息も何度こぼれたことか。
それでもフリードは申し訳なさそうにするそぶりも見せず、心配している様子もなく、普段通りの悠々とした佇まいだ。
てことは、俺のことを守りきる自信はある……のかな。そりゃ、それについては俺も心配はしてないけど。
でも、危ないところに引っ張り出して、守るからって平気な顔をしているようなやつ……だったかなぁ。
「ところで、マーリンの用事……老人のところへ行くとだけは聞いていたが、その人物について聞かせて貰えないだろうか。ふふ、昨日はマーリンの興奮ぶりがゆえに、な」
「うん? あ、そうか。その辺の話、ちゃんと掘り下げなかったもんね」
おっと、そうだそうだ。
昨日はマーリンが終始興奮気味で、おじいさんと仲良くなったよ、遊びに行く約束をしたよ。工事の手伝いでいっぱい褒められたよ。と、話したいことが大渋滞だったんだ。
だから、工事で何をしたのかとか、おじいさんとは何者なのかとか、伝えなくちゃならないことのほとんどが伝わってなかったんだよね……じゃなくて。
「……まあ、緊張を和らげようとしてくれてる……と、好意的に解釈しとくよ」
そんなのんきな話をしてる場合じゃないんだけどな、俺は。と、そう毒を吐くのも建設的じゃないしね。
気遣いなのか否かは別として、そうすれば気分は多少楽になりそうだし。のんびりお喋りに付き合うとしよう。
「えーと、まずは何から説明すべきか。そもそもは路銀稼ぎに出かけたんだけどさ。ボルツでやったみたいに、魔術師としての仕事が受けられたら、って」
そんなわけで、昨日の出来事のあらましをフリードに説明する。
お金がなかったから稼ぎに出たよ。検査所だと思ったら変なおじいさんの屋敷だったよ。そこじゃ仕事はなかったから、工事現場を手伝ったよ、と。
それで……あらましも丸一日分、それもマーリンの頑張りを説明しようと思ったら、まあそれなりの時間がかかるわけで……
「……と、そういうわけだ。って、やべ。もうそろそろ出たほうがいいかな? 少なくとも、マーリンはそろそろ起こさないと」
「む? ふむ……そうだな。今聞いた道をもう一度、それも彼女ひとりでなぞろうと言うのならば、そう猶予は残されていまい」
もちろん、こちらの予定にも。と、フリードはそう言うと、優しい手つきでマーリンの肩をゆすった。
「むにゃ……ふわぁ。おはよう、フリード。デンスケも。ふわ……」
「ああ、おはよう。起き抜けに早速なのだが、私達はもう出発しなければならない。ご老人のもとへ、そして工事現場へはひとりで行けるだろうか」
まだ寝ぼけたマーリンだったが、しかしフリードの言葉を聞いて、そうだったと思い出したように目を丸くした。
友達と遊ぶ予定があれば、いつもの寝ぼけ癖もちょっとはマシになるんだね。
「マーリン。ほら、これ。これで行きにご飯買って、じいさんと一緒に食べて。一回で使いきっちゃダメだよ。工事に行く前もちゃんとご飯食べてね」
「うん、わかったよ。えへへ……おじいさん、何が好きかな?」
小さい子にお使いを任せてる気分ですなぁ、まったくもって。
でも、この小さい子がいないせいで、これから俺はただただ不安な中、魔獣と戦う場所に行くんだよな……はあ。
「それじゃ、昨日と同じ時間には帰ってくるから。もし遅くなっても、勝手にどこかへ行かないこと。暗くなったら迷子になるからね」
「ふふ、まるで母親のようだな、君は。ああ、いや。父親……か。いやしかし、ううむ……」
お父さんよりお母さんっぽいとか言ってないで、お前も早く支度しろ。と、なんだかんだでまだ起きたままの格好のフリードを急かす。
お前がちょっとでも不調になると、途端に安全が失われるんだからな。それはもう細心の注意を払ってくれ。
そうしてすぐに支度を終えたフリードと一緒に、マーリンを残して宿を出た。
留守番を任せる機会なんて今までになかったけど……それでも、マーリンは不安そうな顔のひとつもしなかったな。
「……前はあんなに怖がってたのにな。それだけ信頼してくれたのかな」
「前……とは、私と出会う以前の話だろうか。君達は本当に親子……少なくとも、保護と被保護の関係にあるのだな」
そうだね、守る側と守られる側なのは間違いない。ただそれは、そのときどきによって入れ替わるけど。
そんな話もちょっとだけして、最優先で今日の目的地……調査する場所の情報を教えて貰いながら、俺はまた見張りの立つ駐在所を訪れる。
「おはようございます、騎士様。本日もいらしていただき、心より感謝申し上げます。それに、貴方も」
「うっ……いえいえ、俺にはそんな態度取らないでください。フリードはたしかにすごいやつですけど、俺は昨日見て貰った通りの人間なので……」
昨日と同じお兄さんが見張りをしてて、昨日とは違う出迎えかたをされたもんだから。もう胃が痛くて痛くて……
それに、昨日見て貰った通りの人間……というのでさえ誇大表現だ。
昨日の時点では、マーリンの強化魔術を受けて、その身体能力を見せることで認めて貰うつもりだった。
でも今は……
「……ふむ。デンスケ、君は何かを勘違いしているようだな。いや……違う。君はまだ、気づいていないのだろう」
「……? 気づいてないって……な、何にだよ」
もう口から泡拭いて倒れらんないかな……とさえ考えてる俺に、フリードはなんだか変なことを言う。
勘違い……気づいてないってどういうことだろう。
「まあいい。それで、部隊の準備はどうだろうか。彼が共に戦ってくれるのだ、成果が昨日と同じではな。少し早くから出発して、より広範囲の調査を完了させたい」
「もちろん、いつでも出発出来るように待機させています。どうかまた、我々をお導きください」
お導きください……て。もしかしなくても、飛び込みで入ったくせに、指揮とって戦ってたのかよ……
でも、それはむしろ安心出来る材料か。
フリードの指揮がそれだけ適切で、その結果被害をほとんど出さずに多くの成果を上げられた……ってことだろうから。
それは俺にも適用されるハズで、まさか俺ひとりだけは危ない目に遭う……なんてことにもならない…………だろう。
まだちょっとだけ不安はあるけど、気持ちはかなり落ち着いた。これなら……逃げ回るくらいは……
そして俺達は、街の外へと向けて出発する。
先頭にはよそもののハズの黄金騎士が。そのすぐ隣には何も出来ないハズの俺が。
どうしてか俺達ふたりが、屈強な騎士団を引き連れて魔獣の住処へと突き進むのだ。どうして……?




