第十四話【まだなんにも知らない】
異世界に召喚されてから二日目。まだ馴染まないし、すでに驚くべき事実を伝えられ過ぎてる気もする今朝。俺はドロシーに連れられて森の中を歩いていた。
相変わらず足の裏は痛いのに、立ち止まって確認しても怪我はない。あったとしても、見て足を下ろしてまた歩き出すころにはなくなってる。我が身に起こったことながら、とても信じ難い、何か生命への冒涜すら感じてしまいそうだ。
そういうわけだから、素足半裸で木々の茂る森を歩いても、普通にそこらじゅうがかゆくて痛い以外には問題は起こらない。起こってるかもしれないけど、即座に解決するから起こってないのだ。
「ドロシー。おーい、ドロシーってば。どこへ連れて行こうとしてるんだよ」
「デンスケ、こっちだよ……えへへ。こっち」
そんな理解不能な状況で理解不能な行動をしている理由は、ドロシーがにこにこ笑いながらこっちこっちと手招きをするから。
朝ご飯を食べたいな……なんてぼやいたのが発端だった気がする。でも、それだけならこれはご飯探しだろうと結論を出せる。出せないでいる理由は、もうご飯は食べたから。
昨日と同じように動物を焼いて捕まえ、その味付けも何もされてないこんがりお肉を食べて。ドロシーが俺の手を引いたのは、そのあとのことだった。
「起きて、ご飯も食べて、じゃあ次は……トイレ? いや、わざわざ案内するようなとこじゃないな。それも、あんな楽しそうに」
街へは行けない。でも、人と暮らす準備はしたい。そんな俺の思惑はきっと知られていない。いないけど、俺をドロシーの暮らしにそのまま混ぜて欲しいって伝えてるから。
だからこれは、彼女の朝の日常なんだろう。毎日毎朝、ご飯を食べたらこの険しい道なき道を進む。朝からなんてヘビーな……
「こっちだよ、デンスケ。えへへ……ほら、ここ」
ここだよ。と、到着を知らされると、それなりに疲れた足も元気になる。ごつごつした岩もざらざらした木の根も踏み越えて、ドロシーに手を借りながら最後の一段を――きつい傾斜を登り切った。するとそこには……
「……おお。これは……」
朝日を浴びてきらきら光る、小さな湖があった。湖……いや、沼? それとも川? 正式にはどっちかわかんないけど、とにかく綺麗な水場へと案内してくれたのだ。
「飲み水は近場で汲んでた……から、喉が渇いたわけじゃない……んだよな? ドロシー、ここはいったい――」
何をする場所なんだ? って、聞くよりも先に答えが返ってきた。帰ってきたと言うか、勝手に目に飛び込んできたと言うか。
ざぷん。と、ちょっとだけ大きな水音がして、綺麗な湖に大きな波紋が浮かび上がる。その真ん中には、こっちを見ながら笑ってるドロシーの姿があった。
「気持ちいいよ。デンスケも、こっち……えへへ」
「……なるほど。ドロシーは朝シャン派だったんだな」
どうやらここは、水浴びをする場所だったらしい。いや……水浴びをするのに、ドロシーが一番気に入ってる場所……なのかな。それ自体はどこでも出来るだろうから。
わざわざ寝床からしばらく歩いてまで、それも険しい道を超えてまでここを選ぶ理由は……たぶん、ふたつ。ひとつは見てわかる通り、景色が良くて特にきれいだから。
もうひとつは、ここが人の生活圏から遠いから……ではなく、頭上に遮るものがないから、だろう。その証拠に……
ばさり。ばさり。と、力強く羽ばたきながら、灰色のフクロウが――人間よりもずっとずっと大きなあのフクロウが、向かいの湖岸に降り立つのが見えた。ドロシーが――翼を持つ、空を飛ぶ彼女が、ここを好む理由がそれだろう。
「飛べなくなってもわざわざここへ案内するってことは、本当にこの場所が……この綺麗な湖が好きなんだな。それを俺にも見せたいって思ってくれたのかな」
ばしゃばしゃと水を跳ねさせながら遊んでいるドロシーの姿に、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、子供みたいだなって思ってしまった。全然、ほんとに子供だとは思うけど。そういうのじゃなくて。
「デンスケ。こっち、だよ。えへへ」
「……うん、すぐ行くよ」
庇護欲が。庇護欲が掻き立てられて仕方がありませんな。何このかわいくてちっちゃい子。娘に貰いたいんですが。
そんなかわいいドロシーに手招きされては、一緒に遊ばない道理はない。さっき彼女がやったみたいに、思い切って水面に飛び…………
「……あっ」
飛び込んだら……腰に巻いてるだけの上着一枚なんて、簡単に流されない? などと、いけない事実に気付くのは足が地面を離れたあと。水面が近付いてくるのをゆっくりと捉えながら……
ざぱん。と、大きな音が聞こえて、それからすぐにごぼごぼと濁り始める。で……自分の身体から白い布が剝がれていくのが見えて…………
「――ノォオオ――っ⁉ 待って! 逆! 逆ッ‼ ラッキースケベは脱げる方が逆でござるけどっ⁉」
きゃーっ! 全部! 全部出るでござる! 他に何も着てないんだから当たり前だけど、全部がもろ出しになるでござる!
生まれたままの格好で街中を疾走しておいてなんだと言われるかもしれないが、それとはちょっと事情が違う。あの時は、なんか……こう……ドッキリかなって思い込んでたからセーフだっただけで。
今は美少女が目の前にいるんですな! 友達になったばっかりの! めちゃめちゃかわいい子がいるんですな‼ こんなことで嫌われたくなんてないんですぞ――っ‼
「ドロシーっ! ドロシーちょっとこっち見ないで! あっち向いてて! 出来れば服探しながらあっちを向いててください‼」
情けなさ過ぎて泣ける。ドロシーは俺の言うことを素直に聞いて……と言うより、服が流されたことにショックを受けてると勘違いしてだろう。波に乗って流れていく服を追って、張り切って泳ぎ始めた。泳ぐのも上手なのですな……
「……って、取って貰ったら結局こっち見られるのでは……? ドロシーたそ! 見つけたら! 拾ったら! こっちを見ずにうまいこと……こう……な、流して返してくだされ⁉」
そんなこと出来る? 出来る気がしない、俺は。でも、無理難題でもなんでもやって貰わないといけない。だって……丸出しなんだもの。
ドロシーなら、やってと言えばやってくれる……気がする。ほら、炎を出すより、怪我がすぐに治るようにするより、ずっとずっと簡単そうだから。だから……
「――ぷはっ。見つけたよ、デンスケっ。すぐに戻るからね」
「ああっ。違う! 違うでござる⁉ ドロシーたそ! ドロシーたそ‼」
ざぱっと俺の服を……正確には、くだんのフリードリッヒ王子から貰った上着を掲げて、ドロシーは満面の笑みでこっちを見て……またすごいスピードで泳ぎ始めた。
きゃーっ! 待って! エッチ! そういうのは逆だって何回も言ってるんですが!
逆! 逆ですな! エッチなハプニングは、野郎が脱ぐんじゃなくて――待ってドロシーたそ速い、待って! 待っ――
「――デンスケ! えへへ、持ってきたよ」
待っ――――
上着を返して貰って、手早く腰に巻いて、それで…………何ごともなかったって顔でじゃぶじゃぶ遊んでるドロシーを、ちょっと離れたところでのんびり眺める。楽しそうに、うれしそうにはしゃぐ姿を。水から上がって眺めてる。
「……ぐすん。もう、お嫁にいけないでござる……」
きっと、ドロシーは全部見ただろう。そのうえで……そういうリアクションが皆無なのは、彼女がそもそも人の社会を知らないから……か。
いや、それよりももっと前の段階。今の彼女には、まだ羞恥心なんかも芽生えていないのだ。
「……ちょっとだけ……だけど。ハキハキ喋ってた……な。それだけ楽しくて、好きな場所で、俺にも喜んで貰いたくて……」
これだけでも大きな一歩……なのかな。そう思えば……息子をさらしたのにも意義が生まれるってものだろう。出来ればさらしたくなかったけど。
こっちを見て、また楽しそうに手を振る姿に、俺も出来るだけ大きく手を振り返した。現実にはそこまでは離れてないんだけど、ずっと遠くから友達を見つけた時くらい大きく。
それで、ドロシーは満足したのか、遊び疲れたのか、ゆっくりとこっちに泳いできた。やっぱり泳ぎは得意なんだなって、立つ波の小ささ、穏やかさに、そんなことを思いながら、彼女の帰りを……
「……ん? 羞恥心がなくて……性知識がなくて……? じゃあ……えっと。男の裸を見てもなんとも思わないドロシーは…………」
ざぱ――と、水の音がして……そしてすぐ。俺はまた、こう……いろいろと叫ぶ羽目になった。
逆だって言ったけど! 逆ならやっていいよって意味じゃなくて! 男の子の前でそんな格好をするんじゃありませんぞ‼




