第百六十五話【気づくは遅く】
マグルが見せてくれた魔術のいくつかについて、マーリンは自分からはどう見えたかと一生懸命に説明した。
それは、客観的な、理論立てられた説明ではない。
進んでも進んでも進まなくて、不思議だった。でも、楽しかった。
マグルの手のひらに、隣にいた俺の顔が見えた。不思議で面白かった。
それらは感想でしかなくて、もしかしたらデンじいさんが求めたものとは違ったかもしれない。
でも、それでもかまわなかったのかもしれない。
マーリンには理屈がわからない。いや、本能的にはわかってるんだ。でも、それを言い表す言葉がない。
そのことをデンじいさんが見抜けないわけはないから、だから……
「それでね、それでね、マグルはね……」
「ふむ、ふむ、そうか。むむ……さすが、高名なる魔術翁。視覚に介入する魔術を、あの手この手で実現するとは。よもやかの御仁は、人の認知にこそ最奥を認めたのか……?」
楽しい思い出話を聞いて一緒に笑って、そのうえで知識を深めるための考察をしている。案外、このふたりは相性がよさそうだ。
そして、大興奮のマーリンがおしゃべりのゴールに到達して、魔導士の目から見た魔術翁の全貌を知ったデンじいさんは……
「……ほう……そう、だったのだなぁ。そうか、そうか……そうか。やはり我々は……ロニーは、道を大きく間違えてはいなかったのだな」
ほう。と、深いため息をついて、笑顔のまま肩を落とした。それは、安堵のため息だった。
「……医療錬金術……って、言ってましたよね、さっき。ええと、ロニーの家が得意にしてた……いや。特に力を入れて研究してた術……なんですか?」
その術を、研究を、あるいは不要なものだった……と、そう思いかけてた……のかな、この反応は。
でも、そんなのはあり得ない、あり得るわけがない。と、素人目線からはそう思ってしまう。
だって、医療だ。医療技術なんて、どれだけ発展しても困るものじゃない。むしろ、どれだけ進化したって足りないんだ。
とすると、ロニーは間違っていなかったんだ……なんて安堵には、普通じゃない理由がありそうだけど……
「デンスケ……だったな。魔術師ではなさそうだが、しかし知見の深い男と見た。しかし……憂いはすべて顔に出てしまうようだ。まだまだ若いな、はっはっは」
「うぐっ……そ、そんなにわかりやすい顔してましたか……? すみません、何も知らないのに……」
何を謝ることがある。と、デンじいさんは笑ってくれたけど……いやいや、反省。勝手な想像でちょっと憐れんだの、めちゃめちゃ失礼極まりないことだった。
「いや、しかし……そうだな。その憂いの半分は当たっていた……のだろう。だからこそ見抜けた……とも」
「半分……ですか」
半分だ。と、俺のオウム返しをじいさんがまた返して、それを聞いたマーリンも楽しそうに半分なんだねと続く。
無邪気なマーリンがかわいいのはまた別の問題として、しかしその半分の内容次第では、さっきの想像は失礼だけでは終わらないものになるが……
「安心せよ、医療を極めることこそが間違いだとは、瞬きの間にすら考えたこともない。ただそれが、遠回りだったやもしれないと、不安に駆られたことはあるがな」
遠回り? と、マーリンが首をかしげると、じいさんは少しゆるい顔でうなずいた。
ビビアンさんと違って骨抜きにはされてないけど、まるで孫とでも遊んでるみたいな和みっぷりだ……
「医療の究極とは何か。その解は、完全なる予防である……と、ロニー家はそう考え、目指してきた」
完全なる予防……か。それはたしかに、間違いなく究極の医療だ。医療が必要なくなるって意味で、だけど。
てことは……それを達成しちゃったら、医療錬金術なんてものも必要なくなるから。だから、道を間違えたかも……なんて、そんなしょうもない理由じゃない……よね。
「だが……あるいはそれは、術の最奥からはもっとも遠い結論だったのではないか、と。私の父の代から、その憂いは顔を出してな」
「えーっと……術の最奥は、つまり自然現象の再現……でしたよね? そこから最も遠い……最も不自然なこと……?」
ほう。と、じいさんがこぼすのが先か、それとも頭のどこかで電球が灯るのが先か。
相槌として返した言葉が、俺の中にひとつの答えをもたらした。そしてそれは、どうやら間違った解ではなさそうだ。
「さよう。病に侵されず、傷を負わず、脈動の終まで生きながらえる人間が、果たして自然な生物であるか……と、そんな問いにぶつかったのだ」
「病気にならず、ケガもせず、病院に一度もかからずに老衰を迎える……か。たしかに、まったくないことじゃないかもしれないけど……」
それは不自然極まりないことだ。
もちろん、生涯大病せず、大怪我もせず、寿命のそのときを迎えるまで生きて大往生……なんて人も、いないわけじゃないだろう。
でも、それはあくまでも自然なケース。
ロニーが目指した究極の医療とは、ほんのささいな風邪、小さな擦り傷さえ認めない、そんな予防策だったんだ。
「生物としては、最も不自然なものになる。ロニーは初めから選択を間違えていたのではないか……と、そう嘆く父の姿は、この歳になってもまだ焼きついておるよ」
最初から間違えてた……なんて思っちゃったら、そりゃあやってられないよな。
しかもそれは、俺なんかが想像出来るような苦悶じゃない。自分ひとりの目標じゃなくて、祖先からずっとずっと続いてたものなんだから。
「しかし……ふふふ。何を思い上がっておったのだろうな、私の父は。まったくもって、勘違いも甚だしい」
「その究極には未だ至らず、至る道筋も見つからず。その有様で、よもや終着点が間違いやもしれぬと悩むなど言語道断というもの」
ちょっとだけ重たい空気になった……と、思ったんだけど。
デンじいさんはむしろメラメラとやる気の炎を燃やしたみたいで、初めにマーリンを見ていたときよりも更に目をギラつかせていた。
「世界は広い、術の道は未だ遠く果てしない。魔術翁の結界の細部を想像も出来ぬ我々が、ましてや最奥の不自然さなどに気づく道理もなし」
「ふふふ……ふっふっふ……くく、はっはっは! 決めた! 決めたぞ! 私はこれから、ビルを超越した錬金術師となろう!」
「びる……おじいさんの、えっと、おとうと……? を、超える……の?」
ああ、そうとも。と、じいさんは力強くそう答えて、鼻息荒くマーリンの手を握った。
「よくぞ来てくれた、よくぞ語ってくれた、よくぞ道先を照らしてくれた! これからこのデン=ロニーは、ロニーの家を継がぬままに、その最果てへと先に至ってみせよう!」
はーっはっは! と、高笑いまでして、なんとも元気なじいさんだ。
でも……その姿には、あまりにも大きな勇気を貰った…………ような気がする。錯覚かもしれないけど。
「……そっか。そういうパターンも……」
マーリンの力は、あまりに大きな才能は、出会う魔術師の心をことごとく折ってしまうんじゃないか……と、そう考えたこともある。
それは半分正解だったけど、でも……半分は思い過ごしだったらしい。
少なくともこのデンじいさんは、マーリンを見て、マグルの術を知ってなお、それは自らにも残された可能性だ! と、ポジティブにそう捉えられたみたいだから。
「そうと決まればさっそく理論を組み立てねば。マーリンよ、すまぬが今日はお開きじゃ。志と同じくする友とて、研究をひけらかすわけにはいかん」
「えっ……えっと……そっか。でも……ねえねえ。また、遊びに来てもいいかな……?」
やる気全開になっちゃったから、もう今日は遊んでる場合じゃない……か。この猛進具合は、やっぱり魔術師なんだなぁ……って。
それでもじいさんは、マーリンのお願いには快くうなずいてくれた。
また明日でも、明後日でも、毎日でも。どれだけでも遊びに来るといい、って。
「……今日のところは帰ろう。デンさん、めちゃめちゃやる気になっちゃったみたいだからね。邪魔したら悪いよ」
「……うん、そうだね。また明日来るね。お話し、またいっぱいしようね」
無論だとも。と、元気に返事をしたが最後、じいさんはのっしのっしと奥の部屋へと入ってしまって、もう声をかけても何をしても返事はない。
しょうがない。今日のところは帰ろう。ため息交じりにそう言って、マーリンの手を引いて工房をあとにする。
じゃあ……今日はこれから何をしようか。とりあえず、そろそろお昼だから、フリードも呼んでご飯を…………
「……違う。違う違う、違った! そうじゃない! 仕事! 魔術師として働きに来たんだった!」
ご飯食べるお金がないんだってば! しまった! なんか、友達出来たね、よかったね。で、ハッピーエンドにしちゃった!
でも、ここはデンじいさんの工房で、個人の家で、つまり……そもそも、検査所なんかではなかった……わけだから。
なるほど……最初から間違えてたんだな、俺達は……
このままだとお昼ご飯もまともに食べられない。それはまずい。
そんな焦燥感に駆られながら、俺達は大急ぎで街の中心部へと戻る。役場へ行って、ちゃんと仕事を紹介して貰うんだ。
くそっ! 前はこうだったから……って、手を抜くんじゃなかった!




