第百四十八話【一歩進んで……?】
「――触れる羊雲――」
その日も俺達は、街を離れて魔獣の調査をしていた。
出発したわけじゃない。次の街へ向かうと決めたわけじゃない。
まだ、この街ではやり残したことがあるから。
魔獣の群れはあれだけだった。だから、ひとまずの安全は確保された。
ここから先は、この街の憲兵や巡回している騎士団の仕事。そうして割り切ってしまえば、俺達がここに残る理由はない……ハズだった。
でも、気がかりがある。足を止めざるを得ない材料が。
それは、どうしてあの群れだけがあの場所に――フリードが魔獣を駆逐した場所に現れたのか、だ。
もちろん、それが自然なことでもあるとはわかってる。
外敵が減ればそこに住処を作る、こんなのは魔獣じゃなくても当たり前にやってること。
でも、今回はそれが異質に思えた。
そう思った根拠は、たったひとつの群れ以外に、魔獣の姿を確認出来なかったからだ。
あの群れがほかの魔獣を寄せつけていない……のなら、それでいい。でも、そうじゃないだろうとは結論が出ている。
あの魔獣はそう強いものでもなかった。悪臭を放ったり、毒をまき散らしたりと、近くに住みたくない理由のあるものでもなかった。
だから、その群れひとつがあることによってほかの魔獣が近づけない……とは、とても思えない。
じゃあ、あれが駆逐後に戻ってきた魔獣だ……とするのは、いくらなんでも無理がある。
列を作って順番に戻るなんてことは起こらない。そんな行儀は自然界には存在しない。
単一の群れだけが偶然にも戻ってきていたと考えるのは、いくらなんでも楽観的過ぎるだろう。
と、まあそういうことで。
あの群れ以外の魔獣の痕跡がないか、あるいはあの群れだけが現れた原因はないかと、街の周囲をもう少し調査する必要があったんだ。
そして、そのついでと言ってはなんだけど……
「……うーん。やっぱり、奥のほうはわかんない。ごめんね……」
「いやいや、手前のほうだけでもわかるだけすごいから。謝ることじゃないよ」
マーリンが開発した新しい魔術。おそらくは触覚を通じて広範囲を探知する魔術の、その精度の向上……つまるところ、練習の機会にしてしまおうと、そう画策してのこと。
昨日調べた川沿いとは別の、魔獣の住み着きそうな、湿地に隣接した林に足を運んでいた。
「マーリン。君の能力は私達では推し量れない。同時に、悩みや不安についても同様だ。君が君の術に対して問題があると思ったなら、すぐに相談して欲しい」
「そうそう。魔術のことは本当にわかんないけど、それでも出来る限り力になりたいんだ。どんなことが役に立つかわからないしさ」
マーリンはまだ新しい術に対して不信感を持っている。自分で開発したもので、実際に運用出来ているものでも、その精度に不満があるんだ。
けど、それはきっと経験を積むことで解消出来るハズ。
だから、今は練習あるのみ。と、俺もフリードも彼女を励ました。
「……えっと……悩み……不安……えっとね、えっとね……」
悩みや不安はないかと聞かれると、必死になってそれを探して考えてしまうあたり、自分でも何が問題で不満になっているのかはわかってない……のかな。
必死に言語化しようとしてるけど、まだ実感のないものは言い表しようもないよね。
「ゆっくりでいいよ。もっと何回も使ってみてからでも。その代わり、ちょっとでも嫌なところが見つかったら教えてね」
俺の言葉に、マーリンは申し訳なさそうにしていた。
責めるつもりなんて毛頭ないけど、どうにもそういうふうに捉えられてしまってる節がある。
彼女は魔術について、魔術による事態解決に対して、大きな自信を持っていた。
だからこそ、自分の術がまだ不完全であることに、小さくないストレスを抱えてしまうんだろう。
「……よし。もうちょっと奥へ進んでからまた発動しよう。広いところから狭いところを調べるのが難しいなら、狭いところからならどうか。いろいろ試さないとね」
「……うん」
元気がない……マーリンたそがしょんぼりだと、拙者もさみしくなってしまうんですな……
でも、いつもはマーリンの素直な元気さに励まされてるんだ。こういうときは、反対に励ましてあげないとね。
そうして、俺達は周囲を警戒しながら林の奥へと進んだ。
足元を見ても、木々を見ても、あるいは空を見ても、数日以内に魔獣がここにいた形跡はない。
となると……やっぱり、あの群れ以外には現れてないのかな……
「マーリン、ここで試してみよう。えっと……その魔術って、触って確かめるイメージ……なのかな? だとしたら……そうだな……」
「手で触るんじゃなくて、つま先でなぞるイメージとか。そういう抽象的なイメージが反映出来るものかもわかってないけど……」
「つま先で……うん、やってみるね」
俺の提案を受けて、マーリンはちょっとだけ鼻息荒くうなずいた。事情はどうあれ、やる気になるのはいいことだ。
ただ、そんな俺とマーリンに、フリードがいぶかしげな眼差しを向ける。
そんな曖昧でかつ感覚的なもので、本当に魔術が変わるのか……と、多少なりとも知識のある彼は不審に思ってしまうのかな。
「……すう。触れる羊雲――」
それでも、マーリンはそんなことお構いなしに、また魔術を発動する。
心なしか、さっきよりも巻き上がった風が優しい……ような気がした。
でもそれは、ここが閉所だから――木々に覆われて風が通り抜けづらい場所だから……なのかもしれない。
だけど、そうじゃないかもしれない。
「…………うん。えっと、えっとね……この林には、きっと魔獣はいない……よ。それでね……」
「……っ! もしや、今のデンスケの助言で精度が上がった……のだろうか。今の君の口ぶりは、確信があるかのように感じられたが……」
俺の助言が役に立ったかはわからないけど、マーリンはちょっとだけコツを掴んだらしい。
フリードの問いにも、にこにこ笑ってうなずいて、ここは大丈夫だよともう一度繰り返した。
「えっと、えっと……うん。デンスケが言った通り……だったよ。もっとね、細かいもので撫でるイメージでやったら、狭いところもわかるようになったんだ」
えっ、本当に俺の言った通りにやって出来たの? そ、そっか……
自分で言ったことだけど、まさかそれでうまく行くとは思ってなかったよ。気楽に考えたら……くらいのつもりだったけど……
「……よもや、術の精度が心象に起因されるとは。私の知る魔術師と君とでは、あまりに世界がかけ離れているな……」
「あはは……そうだね、マーリンは特別だからね。どんな魔術師よりもすごい魔術を作って使う、この世界でたったひとりの魔導士だ」
ふと、ビビアンさんの笑顔を思い出す。それと同時に、マグルの笑い声も。
いつかビビアンさんは、俺に石ころの選別をさせた。
その理由は、知識のない人間が導き出した法則性が、果たしてどれだけの意味を持つのか。それを知りたかったから。
つまり、ある程度の規則性を持たせつつも、アトランダムな前提での実験がしたかったんだ。そのために、素人の目を欲しがった。
そして、マグルも言っていた。
人を対象にする薬を作るとき、その効能を人で試さずに効果を正しく測ることは出来ない、と。
つまり、用途に応じた手段を選ばなければ、どれだけの研鑽も結果に近づくものではない……あらゆる手段を試さなければ、結果など求めようもないと。
そんなふたりの言葉が、まさかこんなところで同じ像を結ぶとは。
素人の意見でもなんでも取り入れないと、正しい結果を目指すことは出来ない。
素人の意見さえも取り込んだ才覚あるものは、ほかの誰よりも抜きんでた結果を残すんだ。
「……いい出会いをしたと思ってたけど、まさか……俺にとっても、だったとは」
ちょっとだけ、胸が熱くなった。
俺は……友達として、そばにいてあげるものとして、手を引っ張るものとしては、マーリンにふさわしくなれてたと思ってた。
でも、魔術を使う魔導士としての、人々から信頼されるものとして彼女の横にいるには、あまりに無知で、無力だとも。
ただ、力を借りているだけの、片依存の存在なんじゃないか、って。そう思ってた。
でも、もしかしたら違うのかもしれない。思い上がりかもしれないけど、そう思えた。
だから……すごくうれしかったんだな、って。
それからすぐに林を飛び出して、マーリンは意気揚々とまた魔術を発動する。でも……
そのときにはうまくいかなかったらしくて、首をかしげて困り果てた顔をしていた。
もしかして……狭いところからならわかるかも。のほうが適切な手段だったとか? え? そっち?
まあ……それでも俺のアイデアが光ったことにはなるけど……




