第百四十五話【それは明日か、明後日か】
再会する以前のフリードの活躍のおかげもあって、街での滞在はずいぶんと豪勢なものになった。
代金も払わずにいい部屋に泊まらせて貰えて、ごちそうまでいただいちゃって。まるで国賓にでもなったような気分。
でも、一番心が動いたのは……うれしかったのは、そうする街の人達が、心から喜んでくれてるってところだった。
その活躍を直接目にしたわけじゃない。でも、みんなの顔を見ればわかる。
フリードはこの街で、とてつもなく大きなことをしたんだ。
俺達と同じようなことをしていた……なんて説明されたけど、そうじゃない。それだけじゃない。
きっと、目指すべき姿は彼なんだ。俺達が……マーリンが、将来的に辿り着く地点は。
みんなから愛されて、慕われて、誰からも知られる人気者。そのお手本こそがフリードだったんだな、って。
そして、そんな夢心地な一日も終わって、明くる朝のこと。
「騎士様。そしてデンスケ様、マーリン様。またいらしてください。そのときにはきっと、昨日以上のもてなしを約束いたします」
「そうかしこまられても困るのだが……しかし、その言葉はありがたく頂戴しよう。どうか皆も息災であるよう」
まだちょっと寝ぼけたマーリンの手を引いて、俺達は次の街へ向けて出発した。
泊まったら泊まっただけもてなされそうな勢いだったから、出来る限り滞在を短くしたかったんだ。
「……ま、いざ出発してみるとちょっと惜しい気もするけど。でも、俺達はタダ乗りだったし、なおのことさっさと出なくちゃな」
フリードはそもそも報酬を受け取らずに街を救ったんだ。そんな彼だからこそ、街のみんながあれだけ心酔していたとも言える。
そして今も、フリードは報酬や対価にこだわっていない。むしろ、それを疎ましいと思っているようにさえ見えた。
彼は王子で、恵まれた環境に住む人間だ。
誰からももてなされ、豪勢な日々を送ることはつまり、飛び出したはずの王宮に戻ったような心地にさせるのかな。
と、歓迎されてる当人がこんな調子なのもあるし、言った通り俺達はタダ乗りのお引きでしかないから。
感謝の言葉を向けられるだけでもおこがましいんだから、いい思いはし過ぎないうちに出発しないと。なんか……一秒ごとに堕落していく実感が……
「それにしたって、これから先が……キリエに着いたあとが心配だよ、俺は。それまでどこに行ってもこんな調子だとしたら、天狗にならない自信がない」
「てんぐ……何かの例えのようだが、ふむ。君は時折、不思議な言葉を発するな。ただの知識人ではなく、あるいは異国の文化や古い歴史に精通しているのだろうか」
おっと、いけない。天狗なんているわけないね、そりゃ。
マーリンはこの世界の常識でさえあいまいだし、そもそも俺の事情を知ってるから、誤魔化す必要もないんだけど。
フリードの場合は、一応は誤魔化して、俺の出自を隠しておいたほうがいい……んだよね、たぶん。きっと。
少なくとも、ガズーラじいさんはそう言ってた。
「あはは……詳しいわけじゃないけど、外国の文化も多少は知ってるかな。でも、残念ながらそこ止まり。専門家でも学者でもないよ」
「学んだわけではないが、知識は持っている……あるいは、経験があるのだろうか。ふふ、君の過去も、マーリンに劣らず波乱に満ちていそうだな」
いや、波乱なんてまったくない人生だったんだけどね。
最初にして最大の波乱が、この世界にやってきたこと……だから、過去については本当に何も……
「いずれ、君から語られる日が来るだろうか。いや……語ってもよいと思わせるだけの姿を見せるほかにあるまい」
「そこまで仰々しく捉えなくても……語るほどもないだけだよ。少なくとも、フリードやマーリンに比べたらね」
いつか打ち明ける日が来る……か。
もしそんな日が来るとしたらそれは……一番最後、お別れの直前……になるのかな。
何も言わずにいなくなったら、きっとマーリンは悲しむだろう。フリードだって、今のままの関係だったら動揺くらいはする。
いなくなっても大丈夫なようにしてあげるつもりはあるけど、やっぱり最後には説明して、納得して貰う必要はあるよね。
そんなことを考えると、まだずいぶん先の話なハズなのに、少し悲しく、さみしくなってしまった。
少なくとも、手を繋いでないと歩けもしない、寝坊癖のひどいマーリンの自立を見届けるまでは、この生活に終わりは来ないだろうに。
「っと、そうだ。フリード、一個だけ聞いてもいいかな? このあとどんなところに辿り着くのか……については、前にも言った通り、内緒にしてて欲しいんだけどさ……」
「ああ、心得ている。そのうえで、君の問いには全霊で答えよう」
いや、もっと気楽に答えて欲しいけどね。
でも、毎度毎度これを訂正していたら、俺とフリードとの間に会話は成り立たない。自然消滅を待つか。
「この辺りの魔獣について、出来ればおさらいしておきたくてさ」
「前に聞いたのは、旅のあいだにどんな魔獣が出たか……って話で、ピンポイントの情報は貰ってないだろ?」
「心得た。私がいれば魔獣などは脅威ではない……が、それは私達一行に限った話。あるいは出発後にもまた現れ得ると考えたなら、傾向を知る意義は大きいだろう」
だから、そんなに大きくは考えてないんだけどさ。
でも、やっぱりこれも訂正する必要はない。フリードの言う通り、それをする意義はあるんだから。
そうしてフリードは鞄から一枚の用紙を取り出して、歩きながらそれにつらつらと何かを記し始めた。
器用だね、抑えもなくて書きにくいだろうに。
「この近辺……に限らず、キリエより東には、基本的には危険度の高い魔獣はいない」
「ことは単純な話だが、大きな街が多いからな。常に討伐部隊が遠征を繰り返し、脅威となる前に排除出来ているのだ」
だが……と、フリードはそう言って、少し苦い顔で黙ってしまった。
そんな彼の手元を見れば、複数種の魔獣の特徴が箇条書きにされている。そのいくつかは、俺も知ってるものだ。
彼の言った通り、その中には大きな脅威となるものはいない。もちろん、危ないことは危ないんだけど。
でも、憲兵や騎士、その他の武装勢力があったなら、基本的には対処出来る程度だ。
それなのに苦い顔をしているのは……この話の頭に、基本的には……と、そんな言葉が追加されなくちゃならなくなったから。
「……地中に潜む魔獣の活動範囲が、いったいどれだけ広いのか。それがわからないことには……な」
「やっぱそうなる……か。はあ、我ながら嫌なものを見つけちゃったね」
ここよりずっと東を歩いていたころに見つけた、穴を掘って身を隠していた大型の魔獣。
あんなものがあると知った以上、今までの経験や情報だけじゃ心もとないことをフリードも理解している。
「叶うことならば、私も一度この目で見てみたいものだ。相まみえなければ力量も計れない。底を知らぬままでは、皆に対処をするよう呼び掛けることも出来ないだろう」
フリードも俺と同じ結論に至ったか。やっぱりそうだよね……はあ。
「俺としてはもっと強欲に、あんなのはあれ一頭きりの、おかしい個体だけの特性だった……って話であって欲しいけどね。地面の下なんて、警戒したってしきれないし」
「そう……だな。願わくば、あとに続く脅威でなければ最良か」
あの魔獣が出たときも、今みたいにただのんびり歩いてた、何も危なくないハズの時間だったんだ。
やっぱり、あんなのはほかにいて欲しくない。もう現れないで欲しいと願うばかりだよ。
でも、きっとそうはならない。生き物である以上、そういう特性は個体ではなく種によって共有されるだろうから。
そんなわけで、俺もフリードも一緒になって頭を抱えながら道を進んだ。
こんなときに限って、マーリンがまだおねむなんだもんな。いつもの天然で重苦しい空気を吹っ飛ばして欲しいものだよ。




