第百二十七話【調査開始】
地中から魔獣が現れた地点を一度確認して、馬車はすぐに次の目的地へ向かって走り出していた。
教えて貰った、見せて貰った情報は、未熟な理解力でなんとか噛み砕いた程度に頭に入ってるつもりだ。
それから導き出される目的地と、その意味についても。
「……なんか、ちょっと嫌な気持ちになってきたね。こういうの、慣れたほうがいいのかな」
「デンスケ……つらい、の? だいじょうぶだよ。怖くないよ」
真剣さもあって重い空気に包まれた馬車に揺られていると、どうしても気分が暗くなる。
そんな俺に、マーリンはいつもと変わらない、のんびりした顔で背中を撫でてくれた。
「ありがとう。でも、つらいわけでも、怖いわけでもない……あ、いや。怖い……のかな。どうなんだろう」
怖くないよ。と、きっとそういう意図としては発せられていないであろうマーリンの言葉に、ふと胸が軽くなった。
自分に起こっている異変、この鬱々とした気持ちの正体が、断片的にでもわかったからかな。
俺は今、きっと怖いんだ。魔獣が怖いんじゃなくて、それの被害がどれだけ大きくなるかがわからないのが怖い。
嫌な夢を見た。それがきっかけで、大勢が幸せになる道はないかと模索した。
そうして、拙いながらに答えを出した。
冒険者デンスケとして、この世界に今まではなかったものとして、きっと不幸の数をひとつでも減らせるハズだ……って、そんなふうに考えてた。
でも……そういう生きかたをするってことはつまり、今までは見なくて済んだ不幸を目にしなくちゃいけないってことでもある。
世界に存在する不幸を減らすってことは、かかわる不幸を増やすってこと。
きっとこの先、成果を体感する日は一生来ないんだろうな……って。そう考えたら、とんでもなく気分が下がった。
「……はあ。やめとけばよかったか……? 変に気負わず、のんびり旅をするだけにしとけば」
絶対的な正義感があるだとか、強い決意があるだとか、そんなたいそうな人間じゃないからさ。
こうやって嫌な事実を目の前にすると、あっさりと心がくじけそうにもなる。そのことも余計にテンションを下げるから……はあ。
「……僕は、デンスケが間違ってるとは思わないよ。えっと……一緒に、あの魔獣を調べに行くこと……だよね? デンスケが、嫌だなって思ってるの」
マーリンはそんなことを言って、撫でる手を背中から頭へと移した。それは……いつも俺がやってるやつだ。
友達の印だと認識してるのかな……なんて思ってたけど、もしかしたらちゃんと意味を理解してたのかも。
「だいじょうぶ、だよ。デンスケは僕をしあわせにしてくれたし、今もずっと楽しくしてくれる。だから、デンスケは間違ってないよ」
「……マーリン……」
言葉足らずと言うか、語彙がないと言うか、まだまだ子供っぽい話しかただけど、マーリンの気持ちが伝わってくるみたいで、その手がとても暖かく感じた。
俺が悩んでることについて、マーリンはどのくらい理解してくれてるのかな。
俺が俺自身のヘタレ具合に嫌気がさしてるなんて情けないところには、出来れば気づいてないとうれしいけど。
でも……きっとマーリンは、わかっててもわかってなくても、俺の背中を押してくれるし、支えようとしてくれるだろう。
それだけは俺も知ってるから……じゃあ、あんまり体重かけるわけにはいかないよね。男として。
「ありがとう。マーリンは本当に……本当の本当にかわいいですなぁ。んんー、よーしよしよし」
「えへへ……デンスケ、元気になった? じゃあ、僕も……よしよし」
心の底から元気になったわけじゃないけど、こんなにかわいいマーリンたその前で、あんまりみっともない格好は出来ませんな。
そうと決まったからには、それはもう全身全霊で頭も背中も撫で回して、かわいいかわいいマーリンたそを褒めちぎる。
自分がされてうれしいことは、出来るだけ俺にも返そうとする健気さ。うーん、萌えですなあ、本当に。
「おーい、君達。じゃれてるのはいいけど、そろそろ着くからね。荷物だけまとめておいて」
「あっ、はーい。マーリン、水筒しまって。ほかには…………旅をしてる割に、荷物らしい荷物がまったくないね。本当に大丈夫かな……俺達……」
じゃれてる場合じゃなかったと思い出させてくれたのは、報告書を見せてくれた若い騎士のお兄さんだった。
どうにも、この人が俺達の係……連携なんて一切取れない俺達が、暴走して変なことにならないように、見張りを担当してる人……なのかな。
そんな引率のお兄さんに言われるままに、これと言ってなにもない荷物を整理して、馬車から降りる準備をする。
それからものの数分で馬車は止まって、第一の目的地へと到着したことを知る。
そこには開発途中の林があって、手前のほうはもうずいぶんと道が出来ている……のだが。
途中で魔獣の群れと遭遇して以来、それを退治出来た今も開発が滞っているとのことだ。
一度被害が出たところには、なかなか手がつけられない。
何かあって責任を負わされるのも嫌だし、そもそも作業をする人も集まらないから……とのこと。
「しばらく放置されていた以上、新たに魔獣が住処を作っていても不思議じゃない……と。マーリン、いつでも強化をかけられるようにしておいて」
「これだけ大人数だし、みんな頼もしいけど、やっぱり魔獣とは俺達が戦うつもりでいないと」
俺の頼みに、マーリンは力強くうなずいてくれた。
こういうところの意思疎通は完ぺき、ふたりとも向いてる方は一致しているんだよね。
魔獣を倒すのは、危ないものに対処するのは、誰よりも自分なんだ……って。
「はっはっは。こらこら、あんまり子供が張り切るもんじゃない、こんなところで。大丈夫、魔獣が出たら大人に任せなさい」
と、俺達のやり取りを聞いていたひとりのおじさん騎士が、どこかのんびりした顔で笑って話に混ざってきた。
バカにしてる感じじゃない。ただ、背伸びをする子供がほほえましいのかな。でも……
「もちろん、邪魔になるようなことはしないつもりです。でも……こう見えて魔獣退治は専門ですから。もしものときは、むしろ頼りにしてください」
俺も高校生は子供だと思うけど、この世界の満十六歳はもう子供とは呼べないだろう。
少なくとも、身体の大きい俺は、大人扱いされたって不思議じゃない。
それでもこうしてマーリンと一緒に子供扱いされるのは、きっとそういう空気がないからだ。
安全な世界で育って、今もマーリンに頼って生きてる以上、自立した大人の空気感を身に纏っていないんだろう。
それを払しょくするには……やっぱり、成果を上げて自信をつけるしかないから。
「あの魔獣を倒した……とのことだから、本当に腕には自信があるのかな。でも、ひとりで飛び出すことはしないようにね。それが専門なのは、何も君達だけじゃない」
言い返した俺を諫めたのは、やっぱりさっきのお兄さんだった。見張り兼子守りって感じだね、本当に。
おじさん騎士もお兄さん騎士も、ふたりとも俺達が前に出る……出られるような場所じゃないと思ってるみたいで、それはやっぱり悔しい。
もしものときがあればきっと証明出来る。そのときが来ると信じて…………来て貰っても困るな。何もないならそのほうがいいんだから。
何ごとも起こらず、みんな無事に帰れるように祈りながら、俺達は途切れた林道を進み始めた。




