第十話【明日への一歩】
ひどいことを言ってしまった。つらいことをさせてしまった。そんな後悔も束の間、ドロシーはまたにこにこ笑うようになった。
彼女にとって、人とは自分を拒絶するものでしかない。でありながら、ともにいることを望むものでもある。
それは、不特定の大勢……ではない。彼女のささやかな願望は、不特定の個人だけで満たされるものだったようだ。
「……落ち着いたかな。ごめん、嫌なこと言った。友達が欲しいって言っても、怖い思いをしたいわけないよね」
さて……でも、困ったものだ。これからしばらくは、俺ひとりが友達として隣にいてあげられるけど……それがいつまでもってわけにもいかない。
俺はいつか元の世界に戻る……戻りたい。その方法は、ドロシーがきっと知ってる……ハズ。
だから、いつかはお別れをしなくちゃならない。それまでに、なんとしても友達をもっと作らないと。
「っと、そうだった。ドロシー、その……このフクロウは……君の翼……ってことでいいのか? それとも……」
いつかは街へ下りる。そして、友達を他にも作る。それは決定事項。ただ、まだ先の予定だ。
じゃあ、そこにばかり頭を使うのはやめよう。と、そうすると浮かぶ今の疑問は……この大きなフクロウだろう。
翼を隠すことは出来ないか。髪の色を誤魔化せないか。そんな俺の提案に、ドロシーが応えてくれた結果。まったく予想していなかった事象として目の前に現れたのが、人よりもずっと大きな灰色のフクロウだった。
この一羽が現れるのと同時に、ドロシーの身体はまばゆい光を放っていた。そして、それが収まった後には、黒い髪の黒い瞳の、翼なんてない少女の姿でそこに立っていた。
今もまだ、俺の目の前で笑っている。
これはなんだろう。と、俺が考えたとて答えなんて出るわけない。魔女なんて言葉にもまだ理解が及んでいないのに、そこから派生した出来事なんて推測しようがない。
だから直接聞くしかない……んだけど。さっきの今だから、ちょっとばかし……緊張するし、言葉選びも慎重になる。
「……デンスケも……やっぱり、怖い……? やっぱり……僕は……」
「ああ、いや。怖くはないよ。少なくとも、ドロシーのどこにも怖い要素はない。ただ……不思議だなー……って」
ちょっとだけうつむいて、暗い顔になって、ドロシーは肩を落としてしまった。そうなると、声を掛けても頭を撫でても、にこにこ笑うにはしばらく時間が掛かる。
さみしい話だけど、嫌われるのが基本で、前提になってしまってるんだ。
「……僕は、出来損ない……なんだ。だから……」
「……? 出来損ない……? それは……ええっと、魔女として……って、こと?」
ドロシーのつぶやきに、俺は出来るだけ穏やかな声で問い掛ける。すると、彼女は小さくうなずいて、自分の肩を抱いて竦んでしまった。
彼女が発した単語……出来損ないというものには、まるで理解が……想像が間に合わなかった。
そもそもとして、魔女の正解がわからない。マナとやらの力を使えて、とてつもない魔術を使えて、それで……と、これはドロシーから聞いた話。
で……だ。俺の目からは、説明にあった能力や特性が彼女には十分備わっている……ように思える。
素人も素人、魔術も魔女も、そもそもこの世界についてもど素人の俺の目に、いったいどれだけのものが見えているのかは別にして。
「……信じられないな。だって、あんなにすごい炎を出してた。それに、俺をここへ召喚した……大昔に作られたすごい魔術を使ったのもドロシーなんだよね。それが……」
これで出来損ないなら、完璧な魔女ってどんなことになってしまうんだろう。
もうドロシーのことはこれっぽっちも怖くないけど、その想像だけは……肝が冷えると言うか、背筋が凍ると言うか。
「……僕は……ね。翼が……灰色……だから。マナの力も……みんなほど、ちゃんと使えない……から……」
翼の色が違う。本来ならば、魔女の翼は銀色なのだ、と。
マナを使役する能力が不足している。本当はもっと、もっともっと大きな力を扱えるのだ、と。
彼女の説明からでは、やはり想像するのも難しい。とりあえず、ドロシーよりもすごい魔女がいる……ってことだけはイメージする……けど…………
「って、魔女ってそんなにたくさんいるんだ。あ、いや。俺の世界にはいなかった……身近にはいなくて、会ったことなかったから」
そもそも、魔女ってなんなの……? と、そういう疑問は解決してない。いや、解決出来そうにない……かな。
ドロシーの口ぶりを思うに、多分……そういう種族……なんだろう。RPGで言うところの、エルフとかハーピィみたいな。
だとすると、それはもう……そういうものと受け入れるしかない。俺の世界にはいなかったなんて駄々をこねても、それで消えてなくなるわけじゃないんだし。
「え……っと、ね。僕が育ったところには……大勢、いた……よ。でも……」
この辺りにはいない。と、ドロシーはちょっとだけ不安そうにそう言った。それはもしかすると、自分に言い聞かせていたのかも。
「……僕は……出来損ない……だから。みんなのところには……いられなくて……」
「……そっか。それで……」
魔女としては出来損ないで、その中でも迫害されてしまっていた……か。なるほど、そういうのは人間だけの嫌な特権ってわけでもない……んだな。
それでも、人間目線からは同じに見えたんだろう。少なくとも、話を聞いただけの俺からはそう思えた。
「……ドロシー。今から、ちょっとだけ難しい話をするよ。嫌な思いをするかもしれないし、怖いことを思い出すかもしれない。でも、俺はここにいて、ずっと友達だから。それを忘れないで、ゆっくりでいいから答えて欲しい」
ドロシーは俺の言葉に、ちょっとだけ首を傾げて、でもすぐに頷いた。
あんまりわかってなさそうだけど、でも……俺の手をぎゅっと掴んだから、どうすればいいのかだけは伝わったらしい。
まだ、友達を増やす段階には移行出来ない。でも、先に確認しておかないといけないことはある。
「……ドロシーは、どっちになりたい? 翼が灰色じゃない、本物の魔女なのか。それとも、翼の生えてない、ただの人間なのか。どっちになれたら……って、考えてた?」
いつかは……の話はしない。でも、これからどうするのかは決めたい。決めさせてあげたい。
どちらとも仲良くしたいと言うのなら、それはそれでありだ。でも、今のドロシーにそんな決断は……大き過ぎる望みは、いくら俺がそそのかしたって掲げられない。
でも、いつまでもどっちつかずじゃだめだ。そりゃ、どっちでもないものとして受け入れて貰えればそれが理想だけど、ものごとは簡単じゃない。
だったらせめて、どちらに受け入れて貰いたいのか……どちらとして生きたいのかを聞きたい。それをきちんと決めて、一緒に進んであげたい。
考えなかったわけないんだ。自分が出来損ないじゃなかったら。自分が魔女じゃなかったら。それなら、友達が当たり前に出来たんじゃないか、って。
自分が間違ってた、自分がダメだった、自分が……って、そんな風に考えるドロシーが、自分が変わるイフを夢想しないわけない。
しばらくの間、ドロシーは何も言わなかった。俺の手を握ったまま、でも……怯えたり、混乱したりもしてない。ずっと真剣に考え込んでる様子だった。そして……
「……僕は……デンスケと一緒にいたい。じゃあ……魔女……じゃ、ダメ……だよ、ね。僕は……」
人間に……なりたい……? と、疑問形でも、ドロシーは答えを出した。
求めてたのとはちょっと違った。俺ありきじゃなくて、自分がそれまでに何を望んだかを教えて欲しかった。けど……
「……そっか。じゃあ、今日からドロシーは人間になろう。ちょっとずつでも。嫌になったら戻ればいいから、さ」
何を望んでいるのかは教えてくれた。なら、今はそれで。
人間になろう。なんて突飛な提案に、ドロシーは目を丸くしてしまっていた。それが可能なのかとか、嫌なことじゃないのかなんて考えるよりも前の段階。何を言ってるんだろう……と、呑み込めてない状態だろうか。
「友達に……うん。せっかく友達になったんだ。一緒にいるなら、お揃いがうれしいよね。俺はただの人間だから、ドロシーもそれに付き合ってくれ。まあ……もし魔女になりたくなったら、その時は…………俺のこと、魔女に出来たりする?」
「…………お揃い……? デンスケと……友達と、お揃い……」
ドロシーはまたしばらく固まって……そして、ゆっくりと……本当にゆっくりと、まだ理解しきってない顔で頷いてくれた。
「……えへへ。お揃い……は、うれしい……」
「……うん。うれしい」
翼の着脱が自在だったなら、もしかしたら彼女はすでにそれを試しているかもしれない。姿を人に寄せて、街へ下りることを。
ただそれでも、彼女は普通とは違う生活をし過ぎている。だから、周りからは奇異な目で見られるだろう。ひとりでは、どうしてもぼろが出ることもある。
でも、俺が一緒なら。ここの常識は俺にもないけど、ドロシーよりは人間の経験値が高い。じゃあ、きっとやれる。悪くても変なふたり組と思われる程度で耐えられる。
これは、未来のための準備でもある。同時に、今やれる最大の一歩でもある。
「……デンスケ。僕は、人間に……なれる……かな。僕も……デンスケみたいに……」
「なれるよ。と言うか、もうなってる。だって、こうして友達を作ったんだから。これからずっと一緒にいれば、どんどん人間になるよ。嫌でもね」
ドロシーはちょっとだけ驚いた顔をして、それからまたゆっくりと表情を変える。にへにへと口元を緩めて、ふにゃふにゃになった笑顔を俺に向けてくれた。お揃いはうれしいんだね。って、楽しそうにそう言いながら。