第百七話【正しい道……】
「……あの、せめて何やるかだけ教えて貰えないですか。めちゃめちゃ不安で仕方ないんですけど……」
坑道前の開けた場所に連れられてきて、何をするのかも知らされないまま、俺はマーリンと向き合っていた。
わざわざ広い場所に移動したってことは、それなりに危ないことをするつもりなんだろうか。
じゃあ、その説明は絶対にしないといけないことだと思うんだけど。そこのところ、どういうつもりなんだ。
「よーし、それじゃあ始めておくれ」
「うん、わかった。デンスケ、ちょっとだけじっとしててね」
本当に説明せずに始めるつもりなの……?
俺の嘆きも訴えもまったく聞いて貰えないまま、ビビアンさんもマーリンも、とても張り切った様子で何かを始めようとしている。
「ええい、もうこうなったら腹をくくるしかない。なんかもう、慣れたぞ。こういう理不尽に」
少し遠くから、人聞きの悪いことを言うんじゃない。と、ビビアンさんに文句を言われてしまった。そう、少し遠くから。
わざわざ遠くに離れる必要があるとわかっているのに、そのうえで説明をしないわけだから。人聞きが悪いんじゃなくて、本当に人が悪いんだよ。
「じゃあ、やるね。すう……はあ……」
「うっ……本当に何するの……? こ、怖くてしょうがないんだけど……」
じゃあ、マーリンに説明して貰おう……なんて、そんな暇もないままに、彼女は目をつむって集中力を高め始める。
普段は魔術を使うのに、ここまで真剣な表情を見せたことはない。もっとフラットに、当たり前のこととしてやってたんだから。
じゃあ……今からしようとしていることは、いつものあの特大火力よりも、もっともっとやばい何か……ってことになるんじゃ……
「――すう――」
「――っ!」
ぱ――と、マーリンの身体が輝いて、同時に言霊が耳に届く。
それは、今までに聞いたことのない、新しい魔術のものだった。
変化……奇妙な現象、奇怪な超常は、どこにも見当たらない。
がちがちに身構えた俺を待っていたのは、何ごともない平穏だっ……た?
「……デンスケ、どうかな……?」
「……どう……って? 何も起こってない……ような……」
何も起こって……ない……よね? 少なくとも、俺にはそう見える。
けれど、マーリンは不安げな顔で俺を見て、どうだろうかと尋ねている。じゃあ、何かは変わっている……のか?
でも、炎の柱も見えなければ、つむじ風が枝葉を巻き上げている様子もない。
今までに見た魔術のどれでもないから当たり前だけど、見覚えのある変化はどこにもないんだ。
「……ふむ。いや、これは……うん。マーリンちゃん、ちょっとこっちにおいで。デンスケはそのまま少し待機だ。一歩も動くんじゃないよ」
俺が困惑してて、それを見たマーリンも困ってて。そんなところへ、ビビアンさんが声をかけた。やっぱり遠くから。
「一歩も動くな……って、それはまたどういう……」
まあ、言われた通りにはするけど。なんかあってケガとかしたくないし。あ、いや、ケガは治るのか。じゃなくて。
言われるがままに、マーリンはビビアンさんのところへ行ってしまった。で……俺がひとりだけ取り残されたわけだけど……
「これだけ離れれば大丈夫だね。おーい、ちょっと動いてみて。その場で軽く飛び跳ねたり、歩くふりをするだけでいいよ。あ、身体をひねる動きは避けておくれ」
「身体をひねらずに、軽い運動をしろ……なんだ、その指示は」
腰を悪くしたじいさんの運動機能でも確認するつもりか。どういう指示だ、どういう魔術だったんだ。
でも、やれと言われたらやるしかない。一応は安全を考えてくれているだろうから、それに従わないほうが危ないからさ。
と言うわけで……身体をひねらない運動なんて言われると、しゃがんで立って、飛び跳ねて……くらいかな。
じゃあ、言われるがままに、ちょっと跳んでみようか――
「――な――ひゅ――っ⁈」
びり――と、頬が少ししびれた。
飛び跳ねようとしたその瞬間に、身体全体に静電気が走ったような、わずかな痛みがあった。
そして……気づいたときには、俺の視界はずっとずっと高く、広い景色を映して…………映し…………あっ。地面が近づいてく――
「――ぐぇ――っ⁉」
「で、デンスケっ⁉」
地面が近づいてきて……鈍い音とともに、それしか見えなくなってしまった。
どうやら俺は、顔から地面に叩きつけられたらしい。それも、結構高いところから。
「デンスケ、デンスケっ! 大丈夫……?」
「だ、大丈夫……じゃないけど、大丈夫……」
俺がそんな姿を見せたから、マーリンが真っ青な顔で駆け寄ってきた。
あわあわおろおろとうろたえる姿がなんともかわいらしいけど……ごめんね。頭を撫でるだけの余裕すらない……
「出力調整を間違えたかな、これは。やっぱり、身体機能をいじくりまわすのは難しい……と言うよりも、変化した機能を支配するのが難しいのかな」
「ぐ……んぎぎ……出力……調整……?」
なんか首が変なほうに曲がって戻らないんだけど、とりあえず痛みはそこまでじゃないから放置しよう。
そんな考えが浮かんだのは、訳知り顔なビビアンさんもこっちに来たからだった。
「マーリンちゃんから聞いたんだ、君が求めた魔術ってものをさ。なんでも、身体を強くする魔術はないのか……と、そう尋ねたそうじゃないか」
「……そう、ですね。ああ、なるほど。それで、俺のための魔術を開発してるって……」
あの話、ちゃんと覚えててくれたんだ。そして、それを実現しようとしてくれてたんだ。
それを知ったら、今もわたわたしてるマーリンがなおのこと愛おしく思えてきた。
しかし……身体を強くする魔術を開発しようとして、どうして俺はこんな命がけの紐なしバンジージャンプをさせられたんだろう。
これで鍛えろってことかな。だとしたら……かわいいかわいいマーリンが、いきなり鬼教官に見えてしまうんだけど……
「身体能力を強化する魔術を、マーリンちゃんは完成させたんだよ。お湯が沸くより短い時間でね」
「お湯が沸くより短い時間で。そう……だったんですか。そんな短時間で……」
そんな短時間で出来たなら、もうちょっと安全面とか工夫する時間があったんじゃないの……? とは問わない。
それについては、マグルの言葉が頭に浮かんだから。
マグルは言った。人間を対象にした実験をしていなければ、その開発に進展はない。
どこまで行っても完成とは呼べない、と。
つまり、今のこの痛みこそが、新しい魔術の完成に必要なものだったんだ。
いや、全然納得出来ない。理不尽の極み。
「ただ……うん。やっぱり、予想通りの問題があったようだね。強化された身体機能に、認識と処理が追いついていない。単純に言えば、動かし過ぎてしまっているんだ」
「動かし過ぎて……なるほど。ちょっとだけ跳ぶつもりが、予想してたより跳び過ぎて……跳べ過ぎてしまった、と。それで……え? 予想通り?」
じゃあなんでその可能性を先に言ってくれないの? そこ。そういうとこ。そういうとこに文句を言ってるんだよ、さっきから。
「だから言ったじゃないか、身体をひねる運動はやめておくれよ、って」
「もし腰をひねっていたら、腰椎がねじ切られ、腹筋背筋は裂け、君の上半身と下半身とがふたつに分離していただろうからね」
「っ⁉ そういう危険性をちゃんと説明して、何が起こるかを知らせてからにしてって言ってるんですけど⁈」
禁止事項だけ伝えて、危険性について説明しないのはちょっとした詐欺だよ。ちょっとじゃないよ、とてつもない詐欺行為だし、ほぼ殺人だよ。
今になって知らされた恐怖からまくしたてる俺を、ビビアンさんはめんどくさそうにあしらっていた。
この人で本当によかったのかな……? マーリンが魔術を習う相手、本当にこの人でよかったのかな……?




