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第百五話【日の出を前に】


 ビビアンさんの工房に来てから三日目。服まで貰ってしまって、これはもうなんとしても恩を返さなければという義務感から、朝も早くに目が覚めた。


「……まだ誰も起きてない……ね。こんな時間じゃ」


 朝も早くに……日も昇る前から、ついつい目が覚めてしまった。


 緊張すると眠れなくなるとか、そんなことなかったんだけどな。舞台の前日だってぐっすりだし、当日の目覚めもよかった。

 それでも起きたってことは、考えている以上にこの恩が重いものだと、心がそう判断しているのだろう。たぶん。


 俺の心の事情は知ったことではないけど、せっかくこうして早起きしたわけだし。

 やれることはやってしまおう。と、こっそり工房を抜け出して、鉱石の分別作業に向かった。目的地は、玄関を出てすぐの作業スペース……だったけど。


「……ビビアンさん。どうしたんですか、こんな時間に」


「おや、デンスケ。君こそどうしたんだい。もしかして、起こしてしまったかな?」


 そこには先客がいて、俺がやるべき作業とは違うけど、すでに何かが行われていた。

 俺が分けた鉱石を……調べてる? それとも、分類出来てるかチェックしてる?


「君がどういった意図で分類しているかはわからない。けれど、ひとまず言えることがある。私だったら、こんなやりかたはしない。この時点で、私の目論見通りということだ」


「……最初に言われた通りですし、それで正しいのもわかってますし、それが完全な事実なのも理解してるんですけど……喜んでいいかはわかんないですね」


 お前のやりかたはへたくそだなと言われて、どうして喜べようか。


 もちろん、素人のへたくそなやりかたが求められたとは聞いてるし、納得もしてる。

 でも……褒められたわけじゃないからね。複雑な気持ちになるよ。


「君は本当に……いや。義理堅いのでも、誠実なのとも違う……のかな。もちろん、そういう面もあるだろうが……今のその感情は、違う性質に起因するものだ」


「違う……性質、ですか。義理堅いのでも誠実でもない、俺の性格に起因する……」


 恩義からでも真面目さからからでもない作業の遅れって、それは単に能力が低いだけじゃないだろうか。

 もしかしなくても、思い切りダメ出しを食らっているのではないか。やっぱり、精度より効率を求めるべきだったか。


「君、それなりに賢いからさ。それはきっと、成功の積み重ねによるものだろう。失敗がいくつかあって、それをもとにした成功がいくつかある。だから、君は賢い判断をする」


「え……っと? まあ、その……ビビアンさんやマーリンみたいに、大きな規模の成功じゃないですけど……」


 ビビアンさんが俺の後ろに見てるものは、とても小さな成功のこと……だと思う。日常生活における些細な達成とでも言おうか。


 テスト勉強をきちんとやったから、テストで点が取れた。その延長で、高校受験に成功した。

 たぶんだけど、これが俺の今までの人生の中で、いちばん明確な成功だと思う。


 台本を作って、推敲して、それをもとに練習して、打ち合わせもして、大道具も作りこんで。それで、本番の小さな舞台を迎えて、小さいながらに拍手を貰った。

 これは、俺にとっていちばん大切な成功のひとつだ。


 でも……それが賢いって評価に繋がるのはちょっとわからない。勉強は苦手じゃないけど、俺より賢いやつはいくらでもいる。勉強面でも、選択面でも。


「……ふふ。なかなかどうして、君とマーリンちゃんとの関係は奇妙極まりないね。どちらかと言えば、君みたいなタイプはああいう子が苦手なもんだと思ってたけど」


「マーリンみたいなタイプ……まあ、得意か苦手かで言えば、苦手な気もしますね、たしかに」


 おや、そうかな。そうは見えなかったけど。と、ビビアンさんは目を丸くしてそう言った。


 もちろん、マーリンのことが苦手なわけじゃない。でも……マーリンみたいな子がたくさんいたら、きっと苦労するし、それなりのストレスになるとも思う。

 そうなってないのは、マーリンにとても大きな恩があるから。そして、マーリンに対する強い尊敬があるから……だと思ってる。


「マーリンみたいな……ってのは、まだ常識に疎い子供のことですよね。それ自体は……俺もまだ子供だから、面倒に感じると思いますよ。でも、マーリンは違いますから」


 マーリンに足りないのは、単純に経験だけなんだ。人として暮らす経験が足りてないから、社会的には子供に思える。ただそれだけ。


 俺はマーリンのたくましさを知ってるし、今までもずっと頼りにしてきた。頼りっぱなしだった。

 だから、子供っぽいなぁとは思うけど、本当にそうなわけじゃないともわかってる。


 ビビアンさんは、マーリンのたくましい部分を知らない……知る由もないから。

 ひとりでサバイバルしてた過去なんて見てない以上、のんびり屋の子供に見えるんだろうな。


「……ふふ。やっぱり、君は賢い子だね。私の反応を、言動を、思考を、それまでに得た成功体験から推測している。もっとも……それがよいことばかりとも言わないけれど」


「……? それは……どういう意味ですか?」


 そのまんまだよ。と、ビビアンさんはそう言うと、手にしていた鉱石をぽいと放り出した。


「君、プライドが高いだろう。成功云々と言ったが、正しくは失敗が少ないと言うべきだろうね。だからこそ、試行錯誤を繰り返せば、自分は成功に辿り着けると考えている」


「……それは……そうでしょう。成功ってのは、試行錯誤の先にあるわけで……」


 ちょっとだけ、毒気のある言葉を向けられた気がした。でも……どうしてか、それを否定出来なかった。

 だから、反論じみた言い訳をしようとした。言い訳……だって、なぜかそう思った。


 でも、ビビアンさんは小さく首を振った。俺の言い訳を遮って、否定した。それが……別に嫌じゃなかった。


「それは、君が賢いからだ。君が優秀だからだ。試行錯誤の先に、失敗を積み重ねた上に、必ずしも成功は待っていない。そのことを本能的に理解し、それを避けられるからだよ」


 否定された……割には、褒められたようにも思った。でも、それがただの賞賛じゃないとも感じた。


「俺は……賢いんでしょうか。自分では、まあまあそこそこ、普通くらいかな……って、思ってますけど」


「ああ、賢いとも。少なくとも、私と同じステージに立っているだろうね。とりあえず、今この工房にいる四人の中では」


 ビビアンさんと同じ……って、それはないだろう。そんなわけない。だって、俺とビビアンさんとじゃあらゆる部分が違うんだから。


 俺は錬金術師じゃない。魔術なんて使えない。その知識もない。それに、常識だってまだあいまいだ。

 思考能力が云々と褒められたこともあるけど、そんなのはビビアンさんにも備わってる。むしろ、彼女のほうが優れている。


 ただの人間として比べたとしても、俺がビビアンさんに迫ってる要素なんて、ほとんどない。それくらいの自覚はある。ある……のに。


「……心を強く生きたまえ。これから君が得る成功は、これまでの何倍もの大きさになるだろう。そして……きっと君は、その意味をすぐに理解する」


 そういう反論は出来なかった。しなかった。しようと思わなかった。どうしてかは……わからなかった。


 ビビアンさんの言葉は、表情は、どこか焦燥感のようなものを映して見えた。その正体は、もしかして……


「……俺は、最初からわかってるつもりですよ。マーリンは本当にすごいから、すぐにだって……」


「ほら。それが賢い子の判断だと言ってるんだよ」


 っ。


 ちょっとだけ、ビビアンさんのことが嫌いになりそうだった。それでも、俺はその人から目を背けられなかった。


 ビビアン=ジューリクトン。この人は、俺に似てるんだ。俺よりも大人で、俺よりも賢くて、俺よりも先に……


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