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8.一歩手前

 車の運転を始めてしばらく経つ。自分たちの拠点があるルーンベルク中心地区へと帰る途中、助手席に座るコイツは、一言足りとも話すことはなかった。


 その様子は、およそいつも通りのものとは思えない。チラッと横を見ると、クラーヴジヤはドアポケットに肘を乗せて頬杖をついて、ぼーっと前方を見ている。さっきの花屋の女性__カチューシャさんとなにかあったのか。


「なあ。そろそろ教えてくれよ」


「……なにを?」


「とぼけんなよ。カチューシャさんと話したことに決まってんだろ?」


 聞くと、クラーヴジヤは黙り込んだ。その状態が少しの間続いた。前方の信号機の点灯が灯り、走行していた車を一時停止させる。その隙に、俺はクラーヴジヤの横顔を覗いて言った。


「後悔するようなことでもあったのか?」


「……ああ。彼女と会って後悔しているよ」


 そういうクラーヴジヤの横顔は、物憂げな表情をしているように思えた。……コイツのことだ。どうせ、脅し屋の自分と出逢ったことで彼女の身になにか起きないかとか心配してんだろうな。


 そして、確信した。


「クラーヴジヤ。お前、カチューシャさんに惚れたんだろ」


「……なに脈絡のないことを」


「相手に対して特に思うことがなければ、出逢ったことを後悔なんてしねぇはずだ。あの人に惚れちまったからこそ、お前は一瞬関わっただけの彼女の身を案じている。違うか?」


 信号機の点灯が変わる。俺は、アクセルを踏んで再び車を発進させた。


「全部バレバレだぜ。ま、応援してやるよ」


 後でからかっていじり倒してやろう。


「で、なに話したんだ」


「……たわいもない思い出話だよ。あと、今なんの仕事してるかって話」


「仕事の話? 脅し屋とは言ってないよな」


 クラーヴジヤは、そんなヘマを犯すヤツじゃないことはわかっている。だが、一応聞いておく。


「言ってないさ。……ただ、惣菜屋で働いていると言ったら、カチューシャは今度行ってみようかなって話してた」


「来んの?」


「その今度ってのがいつなのかわからないけれど、もしかしたら来るかもしれない」


 へぇ。向こうも随分と気があるようじゃねぇか。


「だったら親父に言っとかねぇとな。俺も報告することがあるし、そん時に一緒に言おうぜ」


「……マークスの件はマスターに報告するんだろう? なにを師匠に話すことが?」


 クラーヴジヤが尋ねてくる。


「マークスから聞いたことだが、ヤツは元々パシーヴァの社員だったらしい。ヤツから、一年と半年前にパシーヴァが大規模な人員削減を行ったという情報を得た」


「人員削減……。ダレントの社長の発言との繋がりはわからないな」


「ああ。だが、まずはマスターのところに行かねぇとな。もちろん言わせてもらうぜ。相棒が恋煩いを発症したってな」


 車内にドンッと音が響く。コイツ、ちっとばかし弄っただけで車のドアを小突きやがった。


「否定しないってことでいいよな」


「……やめてくれ」


 小っさい呟きだな。チラッと横を見ると、心做しかクラーヴジヤは縮こまっているように見える。いつもの冷静な態度とはかけ離れた様子に、つい声を出して笑っちまった。


「はっはっ! 火照ってるみてぇだな。窓全開にしてやるから、酒場に着くまでに冷ましとけよ」






 酒場の影になる場所に車を停めた後、考えが回ってなさそうな顔のクラーヴジヤを連れて、俺は「臨時休業」の看板が吊るされたダスビーの扉を開けた。暗い店内、カウンターの奥の小さな灯りの元でグラスを拭いているマスターが振り向く。


「いねぇのかと思ったぜ。いつも明るくしとけよ」


「勘違いした一般の客に来られては困りますから。さ、早く店を開けたいので」


 俺たちは、店内へと足を踏み入れた。例の恋話、マスターに聞かせたら絶対に興奮するだろうな。最初は深刻な顔して気を引いて、次の瞬間にでけぇ声で盛大に言ってやろう。


「それなんだが……。報告は二つあるんだ」


 いかにもな雰囲気で言うと、俺の顔色を伺ってマスターも険しい表情をする。


「……二つ目は心当たりがないですね。なにが起きました?」


 カウンター席に腰かけて、テーブルの上で手を組み伏し目になる。


「まず、督促状の件だが、しっかりターゲットに渡してきたぜ」


「それが一つ目の報告。では、二つ目の報告とは?」


「心して聞いてくれ。実はな、街の花屋に立ち寄った時__」


「ルカ」


 後ろから肩を掴まれる。座っている椅子ごと体を振り向かせると、クラーヴジヤは俺を睨んでいた。


「君は意地が悪いな。マスターの気を引いて、くだらないことでも考えているんだろう?」


 バレてたか。


「ははっ。まあな」


「いいよ。大きな声で高らかに言われるくらいなら、自分で言う」


 クラーヴジヤは、おもむろに隣の席に座り、マスターの方へ体を向けて、目だけ逸らして口を開いた。


「マスター。ルカの言う二つ目の報告というのは、恐らく僕のことで……」


 そこから先を話すことを躊躇っているように見える。クラーヴジヤは、少し黙って間を置いてから、さっきよりも小さな声で語り出した。


「……昨日、僕が孤児院にいた頃に仲良くしてくれてた子の話をしたよな」


 それだけ聞いて一瞬で全てを察しただろうマスターは、一気に口角を上げきってテーブル越しに詰め寄った。


「今日のターゲットを探すために、街の花屋に聞き込みに入って、それで……」


「それで?」


 ここまで話したくせして限界になったのか、クラーヴジヤは顔をしかめて俯いた。


「さあ、早くお聞かせを!」


 マスターに詰められて、クラーヴジヤのヤツ、座ったまま仰け反りそうになってやがる。よっしゃ、応援してやるか!


「おらっ! 言ってやれよ!」


 言葉の勢いと流れに任せて肩を叩いてやった。ほんの一瞬だけ睨まれた。


「……その花屋で、昨日言った子と久しぶりに会った。少しだけ話し相手になってくれて、その時に」


 マスターがごくりと息を飲み込む。


「綺麗な人……だなって、思った」


「……はい? 綺麗な人? 好きであることを自覚した、とかではなく?」


 俺は、また大声で笑っちまった。変に遠回りな言い方をされて、マスターも拍子抜けって感じだ。


「あーっおもしれぇ。安心しろよマスター。コイツは、その人にしっかりと惚れてっから。な! さっき否定しなかったもんな!」


「ルカ……。随分と対人戦の特訓をしたいみたいだな」


 クラーヴジヤがまた睨んでくる。マスターは、カウンターに手をついて背筋を伸ばし、ため息をついた。


「まったく情けない。ハッキリと言ってください」


「勘弁してくれないか」


「とにかく。想い人がいるのなら、周りにどれだけの群衆がいようが、大声で愛を叫べなければいけませんよ。後悔するかもしれませんから」


 叱られて、クラーヴジヤは後ろ手に頭を掻いた。この後で親父にも言うべきってのが可哀想なところだな。


「はっはっはっ。ありがとなマスター。コイツのこと叱ってくれて」


「ルカ。後で対人格闘の特訓だ」


「へいへい。じゃあ、俺たちはそろそろ親父んとこ帰るぜ。報告は済ませたからな」


 別れの言葉を切り出したのは俺なのに、その俺よりも先にクラーヴジヤが席を立って早足で店を出ていった。


 コイツの有様を見てたらなんとなく想像つくけど、多分恋愛感情はどう扱えばいいかわかんねぇよな。脅し屋として生きてきた今までの人生で、そういう風になったことなんてなかったんだから。初めてのことなら尚更だろうな。俺も、そのうち今のコイツみてぇになっちまう日が来んのかな。傍から観測した身に言わせれば、期待せずにはいられねぇ。






 車庫に車を停めて下車し、惣菜屋の横の細い路地に入り、鉄骨階段を昇って店のちょうど真上の部屋の扉を鍵を使って開く。俺とクラーヴジヤは、玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えて室内に上がった。


「親父! 帰ったぞー!」


 いつもと同じく呼びかける。


 ……親父からの返事は、返ってはこなかった。


「寝てんのか親父? まあいいか、俺先に手洗わせてもらうぜ」


 洗面所に行こうとした時、台所の方から俺の苦手な臭いがしてくることに気づいた。通り際に目をやると、うっすらと光を放つ電灯の下の灰皿に大量の煙草が。


「うげっ、吸殻……。なんであんなに?」


 後ろからクラーヴジヤが覗く。


「師匠、ストレスでも溜まっているんじゃないか?」


「まあ、親父がイラつくと煙草吸いまくるってのは昔っからだけどよ。あんな量は見たことねぇぞ。こりゃ相当だな」


 こんなんじゃ、女性が会いに来ても部屋には上げらんねぇだろうな。


 洗面所で手を洗って、俺は荷物を置きに親父がいつもいる部屋へと歩いた。入口に立ち、壊れたドアノブを引いて扉を開ける。中の照明はついていた。


「なんだ、寝てたんじゃないのか。返事してくれよな」


 隅の机に置かれたパソコンの前で背を丸める親父の姿が目に入る。俺は、ロッカーに鞄をしまいながら今日マークスから聞いたことを報告した。


「親父。今日仕事で会った男がいるんだけど、ソイツは元々パシーヴァの社員だったらしい。話を聞いたら、一年と半年前にパシーヴァで大規模な人員削減が__」


「ルカ」


 呼ばれて、手の動きを止めてしまう。


 一瞬で把握した。親父からなにか真面目な話があると。今の声は、普段と変わらない、なんの変哲もない呼び声だったが、俺からすればそれが異常であることは明白だった。いつも人が話し終えるのを待ってから口を開く親父が、俺が喋っている最中で言葉を遮ったのがなによりの証拠だ。


 クラーヴジヤが部屋に入ってきた。ロッカーを開けっ放しにしたまま、俺は手をぶら下げて親父の方を見る。親父は、パソコンの電源をつけたまま、足で床を蹴って自分が座るスツールを半回転させ横顔を見せた。その右の義眼が俺たちを見据える。


「お前たち。座って、俺の話をよく聞け」


 一体なにがあったんだ。俺とクラーヴジヤは、互いに目配せして、部屋の中心のテーブルを挟んだソファにそれぞれ腰かける。親父は、短くなった一本の煙草を口で挟み吸った。


「師匠。話ってなんだい。パシーヴァの調査で進展でも?」


 クラーヴジヤもいつもの態度に戻っている。親父は、最後のひと吸いを終え、吸殻と化したそれをパソコンの隣の灰皿に押し付けた。


「違うな。今からお前たちが聞かされるのは、俺たち脅し屋にとって最悪の一歩手前の話だ」


 最悪の一歩手前。そう聞こえたな。今だけは、自分の耳を信じたくない気分だぜ。そう思った次に、親父は告げた。






「ダレントの社長が亡くなった」


「……は?」


 俺たちは、思わず声を漏らした。


「その詳細を話そう」


 一瞬、思考回路が固まっちまった。今、確かにダレントの……って言ったよな?


「……それを聞いて、恐らく僕もルカも同じ人物が頭に浮かんでいる。師匠の言う人物と僕たちが考える人物は一致しているかい?」


 クラーヴジヤが緊迫した表情で尋ねる。


「ああ。昨晩お前たちが脅したダレントの社長だ」


 俺たちが脅したアイツが、死んだ……?


「本当なのか?」


「ああ。警察のデータを探ったところ、確かに死亡したという情報があった」


「マジか……。死因は? 死因はなんなんだよ?」


 死因によっては、()()()()()()()()()()()()()()。アイツの死んだ理由が運悪く交通事故で、とかなら……。


「他殺だ」


 親父が放った鋭い言葉は、まるで俺の考えを嘲笑うかのようだった。それじゃあ、俺たちは……。


「ルカ、クラーヴジヤ。容易に想像つくだろう。彼の死亡の報は、じきに警察から民に知らされる。そうなれば、これから脅し屋は警察に追われる立場になる」


 脅し屋のターゲットにされた人物が死んだ。追われる理由は、それだけで十分過ぎるくらいだ。


 当然、俺たちは殺しなんてしていない。親父から聞かされてきた話でも、脅し屋は代々不殺主義を貫いている。つまるところ、俺たちは濡れ衣を着せられたって訳だ。


「脅し屋は、今までの歴史の中で陰ながら警察と協力してきた。ヤツらが賢ければ、濡れ衣の可能性に気づくかもしれんが……」


「証拠とかあんのかよ? 俺たちが殺ったっていう証拠」


「捏造された映像ならな」


 親父が至って冷静に言葉を続ける。


「俺が盗み見た映像に映っていたのは、お前たちが実際に脅しをした男性用更衣室での出来事だ。昨晩のお前たちと同じ格好をした二人組がダレントの社長を確かに殺害する瞬間の映像だった。お前たちは実際にその部屋にいたのだ、簡単に言い逃れはできない」


 クラーヴジヤは、顎に手を添えて考える素振りを見せる。


「複数人での犯行か。一体誰が僕たちを陥れようとしている? ……濡れ衣を着せる目的で犯行可能なのは、この一日の間にダレントの社長の近くにいて、尚且つ彼が脅しのターゲットにされたことを知ることができる人物だ」


 クラーヴジヤの言う通りだ。社長を殺害した犯人は、あのパーティが行われた建物内にいた人物に違いない。その中で、さらに絞れるとしたら……。


「警備員のフリをして侵入していた不審者二人が社長を眠らせた。この事件を脅し屋の仕業だと判断できるヤツ……と思ったけど、多分誰から見てもわかっちまうよな。いつも似たような手口だし」


「なら、脅し屋に濡れ衣を着せる必要があった人物を探ろう。もちろん、ダレントの社長の周囲にいた人で、だ」


 クラーヴジヤの発言に、俺と親父は頷いた。これからの方向性__俺たちを殺人犯に仕立てあげたヤツを探し出すということが決まった。


「情報は、やはり俺が集めよう。お前たちは、酒場の依頼は受けずに明日からは下の惣菜屋を営んでくれ。いくら警察が俺たちの顔や名前を知らないといっても、口に出す言葉ひとつひとつに気をつけろ。早いとこ犯人を捕まえたいが……お前たちも焦るなよ。動きがあるまで待っていろ」


「「了解」」


 口を揃えて返事をした直後、クラーヴジヤが伏し目になったのを俺は見逃さなかった。


 色々と不安になるのも仕方ねぇよな。特に今のお前は。これからどうなるかわかんねぇけど、せいぜい一緒にもがいてやろうぜ。

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