4.伝導
クラーヴジヤに注射を打たれ、よだれを垂らして眠り始めたダレントの社長を二人で協力して部屋の奥へ、ロッカーの影になるところへ移動させた。一息ついて、俺は腕を組んで壁にもたれかかる。
「いずれ莫大な金が手に入る、か。やっぱり裏があるようだ」
クラーヴジヤが言う。
「ああ。報告しねぇとな」
「気だるいね。師匠は見ているんだろう? わざわざ言う必要ないと思うけれど」
……言うと思ったぜ。コイツらしいな、必ずしも必要じゃないことはとことん避けようとしやがる。
「……あのな。言葉で伝えるっつーことは、お前が思ってるよりも大切なことなんだよ」
「その内容を相手が知っていても、かい?」
「ったりめぇだろ。そんなんじゃ、いつか損するぞ」
クラーヴジヤが、部屋の隅へと移動する。
「無駄話はここまででいい。早く全てのカメラを回収して脱出しよう」
そして、屈んでロッカーの影に隠してあった小型のカメラを取った。
その瞬間。警備員用のインターカムから声が。今この建物にいる警備員全員に共有されるであろう指令が届いた。
「全警備に告ぐ! 一階男性用更衣室にて不審者二名の姿を確認。直ちに向かい、取り抑えろ!」
クラーヴジヤも聞いたようだ。屈んだ姿勢から立ち上がり、緊迫した顔でこっちを見つめた。
「随分と早い目覚めのようだ」
「みてぇだな」
パーティが始まる前に眠らせておいた監視室の職員が目覚めやがったか。
「できれば回収したかったけれど……その時間もない」
クラーヴジヤは、カメラを適当に放り投げた。万が一カメラとかの道具をここに置いていくことになっても、それらには俺たちに繋がる情報は一切残していない。だから大丈夫だ。持って帰れるならそうしたかったけどな。
俺は、ナイフと注射器を隠してあったロッカーに行き、さらに奥に入れてあった発煙弾と二人分のガスマスクを取り出した。発煙弾、マスクの片方をクラーヴジヤに渡し、俺たちはそれを装着する。
「十分に引き付けてからだ」
「ああ」
やがて、たくさんの足音が近づいてきた。俺は、扉の横で壁に背をくっつけて待機し、クラーヴジヤが前で発煙弾を構える。詰まるように廊下に集まっているだろう大勢の警備員の内誰かが、鍵のかかった扉を叩いて大声をあげた。
「この部屋に窓がないことはわかっている。逃げられると思うな、おとなしく出てこい!」
クラーヴジヤが扉の前に発煙弾をぶん投げた。床に打ち付けられたそれは煙を放出する。煙が部屋に充満する前に、俺は壁に背中を合わせたまま鍵を開けた。警備員が勢いよく扉を開き、中に入ろうとして怯む。その即効性のある睡眠剤を含んだ煙は、瞬く間に廊下まで行き渡った。吸ってしまった警備員たちは、呻き声をあげてバタバタと倒れる。
俺たちは、廊下へと飛び出した。手で呼吸を遮り煙を吸わなかった数名の警備員を殴り倒し、そのまま走る。廊下の南側、曲がり角の突き当たりの窓に向かって体を丸め跳ねて体当たりをし、打ち破って外へ出た。さらに走り、駐車場を超え、垣根の隙間を通り、公道へ。ちょうど向かってきた、ナンバープレートに泥が塗ってある車。親父が運転するそれの後部座席に乗り込み、俺たちはガスマスクを取る。
「親父、後は頼んだぜ」
「任せろ」
親父がアクセルを踏み、車が前進を始める。
「はぁ、マスクの二重装着は息苦しくてしょうがねぇな」
俺は、ため息をついて変装用マスクを取ろうとした。すると、隣に座るクラーヴジヤが手を伸ばし俺の動きを制する。
「ルカ。待て」
クラーヴジヤは、後方を睨みつけていた。俺も振り返って後ろを見ると、追跡してきた車が。全部で何台いるのか見えなかったが、少なくとも先頭には二台走っていた。
「追いかけてきやがったか。クラーヴジヤ、どっちがやる?」
「君がやった方がいいんじゃないか? 練習にもなるだろうし」
認めたくねぇけど、言ってることはもっともだな。銃の腕前に関しちゃ俺の方が下だし。
「そうだな。親父、ハンドルは固定してくれよ」
座席の下に隠してあった拳銃を手に取り、天井のルーフをスライドさせ、そこから身を乗り出した。そして両手で持ち後方へ構える。迅速に狙いを定め、俺は引き金を引いた。発砲音が車の走行音と夜風に紛れる。こちらから見て左側を走る追跡車のタイヤがパンクして、まともに走れなくなり動きを止めた。すぐさま狙いを変え、今度は右の車のタイヤへと発砲する。その弾も命中した。先頭を走っていた二台が動けなくなって、その後ろに控える追跡車も全て阻まれ置いてけぼりになっていった。
「よっしゃ! 百発百中!」
やがて遠ざかり、追跡車のヘッドランプが薄れていく。俺は、ルーフを閉めて車内に戻り、座席に座り直した。
「二発しか撃ってないだろう?」
「言葉の使い方は合ってるはずだ」
今度こそ、俺とクラーヴジヤは変装用マスクを取り、深呼吸した。
「お前たち、よくやったな。帰ったらゆっくり休め」
それだけ言って、親父が運転を続ける。俺は、顔を手でパタパタと扇ぎながら報告した。
「親父。聞いてただろうけど、一応言っておく。パシーヴァの人間は、ダレントの社長に自分たちが協力すればいずれ莫大な金が手に入ると言っていたそうだ」
「やはり裏があるようだな。情報は俺が仕入れておく。明日以降、お前たちは普段通りの仕事に当たれ」
対角の運転席に座る親父の姿を見つめ、俺はクラーヴジヤに小声で言い放った。
「ほらな。報告はしっかりするべきだろ?」
「今の師匠の返事には、喜びの感情が入っていたのかい?」
クラーヴジヤも小声で言い返す。
「俺にはそう聞こえたぜ。親父も、きっと会話ができて楽しいんだよ」
クラーヴジヤは、考える素振りを見せた。
「……君が息子だからって可能性は?」
「……ま、それもあるかもしれねぇな。でも、息子だからってよりも、弟子みたいなもんだからだと思うぜ。とにかく、伝えるべきことは声に出して言うんだぞ」
「わかったよ。心に留めておく」
そう言うクラーヴジヤの横顔は、どこか憂いのようなものを帯びていた。
コイツの過去__母親の死と、父親に虐待されていたって話を聞いた時は、本当にこういう人っているんだなって思った。その悲しみを、今も引きずっているのだろうか。
「……なあ、クラーヴジヤ」
クラーヴジヤが俺に視線を向ける。
「俺の母さんも、俺が小さかった頃に死んだって話はしたよな?」
「なんだい? 急に」
「……いや、なんでもねぇ」
引きずってばっかりは良くねぇと思うから、俺みたいに不真面目になってみたらどうだ……とか言おうとしたけど、やっぱりやめだ。辛気臭いし。
多分コイツは、いつも俺が親父に話しかけるみたいに、今の自分で父親や母親と会話してみたかったんだろうな。……コイツは、もう母親とは会えない。でも、父親との繋がりなら今後手に入るかもしれねぇけど……そういうことばっか考えて、あんまり息苦しそうな顔すんなよな。見てるこっちまで苦しくなっから。