3.脅し屋
とある日の夜。僕は、相棒と共に、パシーヴァという名の会社が開いたパーティの会場に潜入していた。会場では、大勢のスーツ姿の人、ドレス姿の人たちが盃を交わし合い談笑をしている。パーティには、各方面の会社の重役やお偉い身分の人が招待されているらしい。僕たちは、警備員として雇われたという形で潜り込み、人々の動きに対し警戒する素振りをしていた。
大広間の中心で、ひとりの男がマイクを握る。
「皆様方。今宵につきましては、我がパシーヴァによる製造会社ダレントのエンジン製造事業買収を祝うパーティにお越しいただき、誠に感謝申し上げます」
その老けた男とは、パシーヴァの社長。そして、その横にいる二人が、製造会社ダレントの社長と社長婦人だ。婦人は、どこか焦っているような、不安そうな顔を覗かせていた。
僕と同じく変装用のマスクを被って警備員の格好をして警戒にあたるフリをしていた相棒が僕に近づいてきて、小声で言う。
「あの女性がダレントの社長婦人だ」
僕の相棒__ルカが、少しばかりの視線を婦人に送る。
「予定通りやるぞ」
「ああ」
ルカが自分の持ち場に戻った。会話は、本当に小さな声で短く終わらせた。警備員という提である以上、立って長話などできない。
以降も警備員としての働きを見せながら、それでいて社長婦人を視界から出さずに監視を続けた。やがて、婦人は警備もつけずに早足で大広間を出ていく。それを見届け、少し離れたところにいるルカに目配せした。僕たちは、視線を合わせ、互いに頷いて意思疎通を済ませる。
婦人の行く先は、人気のない非常口だとわかっていた。堂々と歩いて、僕たちは素早くそれぞれ別の出口から大広間を出る。婦人の後を追って廊下の曲がり角にさしかかる直前、彼女と本物の警備員の話し声がした。誰にも見られていないことを確認し、曲がり角の壁際に身を寄せて聞き耳を立てる。
「警備は必要ありません」
「承知しました」
婦人が警備をつけない、いや、つけたがらない理由。それは、これから非常口に入って行う通話の内容を誰にも聞かれたくないからだろう。
会話を終えて、足音がこちらに近づく。同時に奥の方の扉が閉まる音がした。警備員が巡回する道筋は、前もって頭に入れておいた。これから目の前に現れる警備員は、僕から見てこの廊下の向こうへと曲がる。少し身を引いて三秒後に出てきた警備員をやり過ごし、婦人を追って非常階段の入口に立ち、扉に耳をつける。時を同じくして、別の道から来たルカも扉に顔を寄せて耳をくっつけた。内側から、電話をしている婦人の声が。
「……あなた。今、周りに人はいない? ……そう。……パーティが始まる前に電話がかかってきたわ。あなたが事業譲渡の件で受け取った現金の話よ。相手のことは、なにもわからないけれど……バラされたくないなら一人でこの建物一階の男性用更衣室に向かえって。私もそこに行くよう言われてるわ。……じゃあ、また後で」
通話が終わったのがわかる。僕とルカは、扉の横に陣取った。次に、婦人が扉を開けて出てきた瞬間、顔を見られないように横からルカが手で目元を隠し、叫び声をあげられないように僕が口と鼻を抑える。婦人は抵抗してきたが、空いた手を使い二人がかりで奥に押し込んで壁に押し付け、口と鼻を抑えたままみぞおちを蹴った。それで気絶した婦人を階段の影になる部分に寝かせ、僕たちは非常口を後にする。一瞬の出来事だった。
パーティが始まる直前に、前もって婦人のスマートフォンに電話をかけておいた。パーティ会場を抜け出して非常階段に入り、ダレントの社長を電話越しで更衣室へ呼び出すようにと。
「次はダレントの社長だ」
ルカが小さな声で言う。
「しくじるなよ」
「君こそ」
僕たちは、お互いに背を向けて早足で歩き出した。警備員の格好をした男が二人でこんな廊下にいると怪しまれる。それを避けるため、建物内で歩いている様を誰に見られてもいいように、僕とルカは、また別々の道から更衣室を目指した。
巡回中の警備員と鉢合わせしないように廊下を進み、一階の男性用更衣室へと辿り着いた。
予定では、ここで師匠__グローザさんから連絡が入る。僕は、更衣室の扉の隣の壁にある絵画の裏にあらかじめ隠しておいたトランシーバーを取り出して、顔を近づけた。時間ぴったりに、機器から師匠の声が。
「__中に人はいない。進め」
返事もせず、トランシーバーを片手に静かに扉を開け、僕は更衣室へと足を踏み入れた。
室内、手前のロッカーを鍵を使って開き、トランシーバーを適当に放り込み、中の鞄に入れておいた小さなナイフと、注射器を取り出す。ちょうどのタイミングで、ルカが室内に入ってきた。
「遅かったじゃないか。君らしくない」
「悪ぃ。警備員と出くわさないようにってのが、思いのほか手間取っちまってな」
ロッカーを閉め、ナイフをルカに手渡した。
「打ち合わせ通りに、だ」
「わかってら」
短い会話をし、ルカが出入口の横の振り子時計の影に、僕は奥のロッカーの影にそれぞれ身を潜める。
数分が過ぎ、部屋の扉が開く音がした。誰かが踏み入る足音。
「おーい、来たぞ」
ダレントの社長の声だ。直後に、僅かなうめき声と、バタッと人が倒れる音も。
「騒ぐな」
それから社長の声がすることはなかった。取り押さえられたようだ。ルカが馬乗りになって社長の首元にナイフを押し当てていることだろう。僕は、ロッカーの影から身をさらけ出し、二人の眼前に姿を現した。
社長は、床にうつ伏せになりながら、敵意に満ちた目で僕を見ていた。その後ろに回り扉を閉め鍵をかけて、また社長の前に立つ。僕は、声色を変えて語りかけた。
「ダレントの社長。あなたに話がある」
「はぁっ、はぁっ……なんなんだお前らは?」
「私たちは脅し屋。あなたに関わる黒い噂を耳にし、馳せ参じた」
それを聞くと、社長は目を見開いた。まさか実在していたとは、とでも言いたそうな表情だ。
その場で屈んで、社長に顔を近づける。
「なんだ……なにをする気だ!?」
「私の質問に答えていればいい。ただし嘘は不要。真実のみを伝えろ」
それだけ言って、僕は話を続ける。
「あなたは、パシーヴァの人間から金を受け取っただろう?」
ダレントの社長は、なにも言わずにこちらを見るばかりだ。
「応答しろ。パーティの最中に、婦人からこの件に関する電話があったはずだ」
「……ああ。受け取った」
黙っていても仕方がないと思ったのだろう。彼は、正直に答えてくれた。
「始め、あなたは社員共々、ダレントのエンジン製造事業が買収されることに反対の意を見せていた。しかしある時、掌を返すようにパシーヴァに従い始めた。社員たちの意志を捏造して、だ」
「あ、あの金は……会社を良くするために、設備や社員たちの待遇を良くするために使った! 決して私利私欲のためではないのだ!」
「あなたが受け取った金の使い道はどうでもいい。パシーヴァの人間は、そんなことをして何故エンジン製造事業を手に入れたかった?」
僕たちは、パシーヴァの目的を探る必要がある。パシーヴァという軍事兵器製造会社が、不正な大金をはたいてダレントの買収に動いたということ。なにか良くない企みが、裏があるかもしれないと、暗にこの街__ルーンベルクの平和を守ってきた脅し屋は睨んだのだ。
「……わからない」
ダレントの社長は、目を逸らして言った。ルカに目配せして合図をする。ルカは、ナイフの切っ先をほんの少し深く、社長の肌に触れさせた。
「本当にわからない! パシーヴァがなにを考えているか……。……ただ、パシーヴァの人間に言われたのだ。私たちと協力すれば、いずれ莫大な金が手に入る。渡す金は、そのための投資に過ぎないと」
「……そうか」
恐怖を感じているだろうこの状況でそう言うということは、本当にわからないのだろう。これ以上脅して聞き出そうとしても無駄だ。そう判断した。
「ならば、次はあなただ」
「はっ……?」
突然の言葉に、ダレントの社長が驚いて目を丸くする。
「結果としてあなたが金を受け取ったのは、今言ったいずれ手に入る莫大な金のためだろう」
社長の目に映る恐怖の色がより濃くなる。
「金は会社のために使った。その話が本当だとしても、いつか甘い蜜を吸えると期待して不正に金を受け取ったあなたを、私たちは見逃す訳にはいかない」
僕は、社長の目の前で跪き、左手で彼の髪を掴んだ。
「はぁっ、はぁっ……他で聞いた話によれば、確か脅し屋は、最初は警告するだけに留めておいてくれるよな」
「……ああ。殺しはしない」
「ははっ……俺は、お前の顔を見た。お前たちの正体が明かされ、捕まるのも時間の問題だろうな」
社長は、勝ち誇ったような顔を浮かべる。
「勝手に頑張っていればいいさ」
僕は、もっと顔を近づけて、確かな声で言い放った。
「でも、これ以上のことがあれば、その時は殺しに来る」
そして、右手に持つ注射器を彼の首元に突き立てた。ゆっくりと、液体を社長の体に注入する。やがて中が空になると、僕は立ち上がり、注射器を懐にしまった。社長の体をルカがより強く押さえつける。
「覚悟しておくように」
暴れようとしていた社長だったが、そのうち脱力して目を瞑り、すやすやと寝息を立て始めた。